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新月の夜、吸血鬼と出会った。  作者: 結城 ユウキ
第一章 吸血鬼と忌み子
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第二話

 気がつくと、恵人は自分の部屋に帰ってきていた。無意識でも自宅に辿り着けるものだなと、呑気なことを考える。

 バス・トイレ別、最寄りから徒歩十分の1K。それが恵人の家だ。もちろん一人暮らしだが、自治体からの公的補助で家賃はほとんどかかっていない。本来は忌み子を住まわせること自体大家がいい顔をしないが、自治体や国からそれなりの補助金を得てなんとか納得しているらしい。悉く、忌み子には住みにくい世界だ。

 兎にも角にも、まずは落ち着く時間が欲しい。

 そう思った恵人は夕飯を後回しにし、お風呂に入ることにした。湯船に浸かって、命の洗濯をしよう。それが疲れ切った心に一番有効なはずだ。

 一通り洗い終えて、湯船に浸かる。適度に熱いお湯が、凝り固まった心と体を解きほぐす。


「ふうー……」


 思わずそんな声が出るくらいには、疲れていた。急に吸血鬼が現れ、あんな契約を持ち掛けられたのだからそれも当然かもしれないが。

 それにしても、とんでもない奴だった。

 外見こそ美しいが、マイペースでなりふり構わず吸血鬼の能力を使う彼女は、間違いなく化け物だった。


 特にあの魅了。あれは本当に危険だ。自分がなぜに抜け出せたか恵人にはわからないが、あれを使われている最中は本当にノアのことしか考えられなかった。彼女から目を離せなくて、脳が彼女のことで埋め尽くされて、目の前の彼女を自分のものにしたいという欲望に取り憑かれる、そんな感覚だった。


 あれを任意のノーリスクで発動できるのは、規格外と言わざるを得ない。さらっと人除けもなんらかの方法を使ってしていたし、根本的に人間と造りが違うのだろう。

 けれど、親しみやすさも併存していた。

 初対面であるのにも関わらず非常に接しやすく、軽妙なやりとりもできた。恐らく、人懐っこいのだろう。

 吸血鬼のくせに人懐っこいとはどういうことなのかと思いつつも、それがノアという気がするし、それ以外考えられないとさえ思ってしまう。


 素直に、楽しかった。

 普段人と会話することがないからより助長されたのだろうが、それでも忌み子と普通に話せるのは吸血鬼くらいで、それが楽しくなかったと言い切れるほど捻くれてはいない。

 一緒にいて楽しい、そんなふうに思わせてくれた初めての存在であることは間違いない。さらにあの美貌。テレビや雑誌で見るような女優やモデルよりも、遥かに美しいと思ってしまった。

 そんな存在が提示してきた、好きにしていい、という条件。


「そんなことがあっていいのか……?」


 今までの不遇の人生が嘘みたいに思えるくらい、破格の条件だった。

 破格の条件であることは、理解している。今後このような条件を提示されることはまずないことも、理解している。

 違う吸血鬼がまた恵人のところを訪れるかもしれないが、ノアの口ぶりでは見つけることも困難なようだったので、可能性は低いだろう。

 今の自分の置かれた状況を鑑みれば、ノアと契約関係を結ぶことが最善手のように思える。このまま何も変わらない日常を送っていても、きっと退屈なだけだ。

 ノアと関係を結べば、退屈という言葉とはおよそかけ離れた非日常を味わうことができるだろう。


 けれど、どうしても最後の一歩が踏み出せない。

 『日常』という恵人に残された唯一の人間らしい部分がなくなるのを嫌がっているのだろうか。

 人智を超えた存在と一緒にいることで、自分が人間じゃなくなっていくのが怖いのか。

 無意識にそんな理由で拒んでいるのであれば、自分に呆れるどころの騒ぎではない。

 こんな呪いを持って、まだ人間らしくいようとするのか。

 まだみんなと変わらない日常を送りたいと思っているのか。


「……くそ」


 矛盾を抱えた自分に情けなくなり、恵人はそう呟きながら、ゆらゆらと揺らめく水面を拳で叩いた。


          ◆


 答えが決まらないまま、一週間が過ぎていく。

 ノアと契約関係を結ばない理由もない。けれど、ノアと契約関係を結ぶ理由もない。

 どっちつかずのまま、時間だけが過ぎていった。

 ただ、非日常を体験したことによって、恵人の心に変化が生じた。

 恵人に非日常な出来事が起こっていても、周りは日常を送っている。変わらない日々を送っている。

 それがなんだか不思議に思えて、恵人はいつもより周りを見るようになった。

 自分に非日常な出来事が起きたことで、ただ日常を送っている人たちを馬鹿にしたいわけではない。日常を送っている人を見て、非日常を体験した自分に酔いたいわけでもない。


 ただ、気になったのだ。

 空気のように扱われ、関わりを持つきっかけさえなかった同級生がどんな生活を送っているのか。

 そう考えられるようになった時点で、恵人の心に少し余裕ができたのかもしれない。少し前なら、こんなことは考えられなかった。自分のことばかりで、周りのことを見ている余裕なんてものはなかった。

 ノアとの出会いは、意外なところで恵人を変えていたらしい。

 そんな目で見る同級生たちの生活は、なんだか新鮮に映った。


 朝教室にいるのは、いつも決まった面々だ。恵人より早く来るのは五人程度だが、各々その日の小テストの勉強をしていたり、スマホをいじっていたり、寝ていたり、早く来たもの同士で話していたり、三者三様である。

 その後、部活の朝練を終えた者や、比較的余裕を持って登校してくる者が教室に入ってくる。この辺りから教室が賑やかになっていき、それぞれのグループごとに集まって談笑やら雑談やらをしている。


 授業開始ギリギリになって登校してくる者も多くいる。大抵は自転車通学の者で、頭髪も着衣も乱れている。息を切らしながら教室に入り、周りの者に今日の教科であったり小テストの有無だったりを聞いている。多分こういうタイプが、これから先の社会をうまく生きていくのだろうと、恵人は勝手に思った。


 授業が始まれば、先ほどまでの喧騒が嘘のように静かになる。恵人が通う都立高校は偏差値が特別高いわけでもないが、特別低いわけでもない。いわゆる自称進学校というやつだ。

 寝ている人間、机の下でスマホをいじっている人間がいる中で、先生の方に目を向け真剣に授業を聞いている人間もいる。遅刻してきた人間は机に座るなり寝始めた。寝坊しているからたくさん寝ているはずなのに。


 そんな様子で一限から四限まで過ごし、昼食の時間。購買へ駆け出す者、一人で食べる者、グループで集まって食べる者、クラスから出て行く者、ここもまた、それぞれ違った行動がある。

 恵人はもちろん一人で食べるし、食事中はマフラーと手袋は外すため、できるだけ人目のつかないところへ移動する。自分で弁当を作る気力もないので、コンビニのおにぎりとサンドイッチを毎日食べている。飽きもするが、どうしようもないのでどうもしない。


 昼食が終わって体育が五限にある日もある。だが、恵人は制服のまま外へ出て、体育教師に渡されたレポートをベンチに座って書く。それが恵人にとっての体育だ。

 体育だから当然、身体的接触が起こりうる。恵人を体育から外すのは、賢明な判断だ。

 いつもは一時間かけてダラダラとレポートをこなすが、今回はそんな気にならず、素早く仕上げてクラスメイトの方へ目をやった。

 前期の種目はサッカーらしい。だが、あくまで体育の授業。サッカー部、経験者、初心者が入り混じってボールを蹴り合っているため、上手くいかない場面も当然ある。


 ただそれでも、たとえうまくいかなくとも、彼らは楽しそうだった。

 クラスの雰囲気がいいのか、誰がミスしても嘲笑や悪口はなく、笑顔で声を掛け合っている。

 試合が始まっても、その雰囲気は変わらなかった。当然サッカー部であろう人間が一番上手いわけだが、でしゃばることなくパスを回すことを重視し、盛り上げ役に徹している。

 経験者であろう人間も未経験者に優しく、パスを出したりシュートを打たせたりしている。

 そのおかげか未経験者もプレイしやすそうで、ミスを恐れずに全力でサッカーを楽しんでいる。

 けれど、そこに恵人はいない。

 混ざりたくても、混ざれない。


「……そうか」


 羨ましかったのだ。

 恵人には一生体験できない青春を謳歌している彼らのことが、ずっと羨ましかった。

 友達と仲良く話して、一緒に出掛けて、馬鹿やって、恋人を作って、そんな彼らにとっての当たり前の日常が。

 だから目を背けてきたのだ。

 見なければ、それはなかったことになるから。

 自分自身の思いと向き合うのが怖かったから。

 自分の弱さを認めたくないから。

 自覚してしまえば、なんてことはないのに。


「馬鹿だな、俺も」


 ノアが言っていたことは事実で、今後友人と呼べるような人物も、恋人と呼べるような人物もできる予定はないし、できるはずはない。

 けれど本当は欲しかった。

 なんでも相談できる唯一無二の親友が、互いを尊重し合える恋人が、欲しかった。

 だがそんな存在、自分にはできるはずないと恵人は思い込んでいた。それもそうだ、こんな呪いを持っていて、そんな存在ができるはずなかった。欲しいと思うことすら、傲慢と言わざるを得なかった。


 けれど、そんな恵人に友達にも恋人にもなれると言ってくれる存在が現れた。確かに彼女は人間ではないが、自分が人間であると言い切れないほどの呪いを持っている恵人からしたら、そんなことは些細なことだった。

 突然現れたそんな存在を、好ましく思わないはずがない。

 ずっとそんな存在が欲しかった。

 ずっと誰かに触れたいと思っていた。

 ならば、答えは一つ。


          ◆


「答えは決まったかな?」


 一週間前と同刻、同じ道を歩いていると、それが当然の現象と言わんばかりに銀髪の吸血鬼が突然現れた。

 ノアは優しい微笑みを浮かべている。だかその表情には、絶対に答えを聞くまで帰らないという気概を感じた。

 けれど、答えはもう決まっていた。


「はい、決まりました」

「じゃあ、聞かせて」


 その言葉に恵人は一呼吸置いて、言葉を紡ぎ始めた。


「……俺はずっと、日常が欲しかったんです。学校の人間が当たり前のようにやっていることを、俺もやりたかった。友達も欲しかったし、恋人も欲しかった。人に触れたかったし、それ以上のことだってしたかった。でも、それが叶わないことは俺が一番よく知ってました」


 ノアは黙って、恵人の話を聞いてくれている。


「この一週間で、それを思い知りました。こんな呪いを持って生まれたせいで、世間にとっての当たり前を俺は享受できません。俺がどんなにそれを望もうと、世間がそれを許してくれません。けど、そこにあなたが現れたんです」


 恵人にとってノアの登場はまさに運命と言わざるを得なかった。決してすぐに答えは出なかったが、きっとあの瞬間から、こうなることは決まっていたのだと、今になって思う。


「あなたは友達になってくれると言った。恋人にもなってくれると言った。しかも俺の呪いで死ぬこともない、傷つけることもない。そして何より、あなたと過ごしたあの数分間がすごい楽しかった。今まであんなふうに人と話したことがなかったんです。もしこれからもあんな会話ができるなら、楽しく過ごせるなら――」


 一度言葉を区切り、改めて息を吸う。

 そして目の前に立つ吸血鬼の、真紅の双眸に目を向ける。


「俺はあなたと、契約したいです」


 その言葉を聞いたノアは、目を輝かせ、嬉しそうに何度も頷いた。


「うん、うん! やっぱり君を選んで正解だったよ!」


 その後も満足そうに「うん、うん!」とか言いながらノアは恵人の手を

握ってブンブン上下に振っている。

 ノアの喜びようを見て、恵人も少し嬉しくなる。自分の選択がこんなに歓迎されることは、今までなかった。改めて、決断して良かったと思える。

 ノアは一度恵人の手を離し、再度手を差し出してきた。


「改めて、これからよろしくね、恵人」

「はい、よろしくお願いしま――」


 そう言って手を握り返そうとした時、目的の物が引っ込んでしまう。


「え?」

「敬語やめて。私たちもう対等な関係なんだから」


――対等、そうか、対等なのか。

 恵人にとっては、聞き慣れぬ言葉。対等、平等なんて概念は、とうの昔になくなっているものだと思っていた。


 けれど、もう違う。

 人間を超越した存在からしてみれば、恵人の異能など矮小なものなのだ。人間の尺度など、彼女に通用しない。概念も常識も、彼女には関係ない。

 その力があれば、恵人から搾取し続けることだって可能だったろう。しかし彼女はそうしなかった。

 あくまで恵人と対等にいてくれようとした。

 ならば、それに応えねばならない。 


「――わかった。これからよろしく、ノア」


 恵人が再び差し出した手を、ノアは優しく包み込んだ。その温もりは、なんだか優しい暖かさだった。


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