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新月の夜、吸血鬼と出会った。  作者: 結城 ユウキ
第一章 吸血鬼と忌み子
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第一話

 新月の夜に突然現れた吸血鬼、ノア・ルベルロットは、吸血鬼にとっては当たり前の行為を恵人に要求してきた。

 けれど恵人のイメージではその行為は吸われる者の同意が必要な行為ではない。吸血鬼が一方的に襲い、勝手に吸う。そんなイメージだ。


「あ、ごめんごめん、喋れないままだったね」


 そう言って、ノアは指を鳴らした。

 その音が聞こえると同時に、喉に何か引っかかっているような感覚が取れる。

 第一声、何を言おうかと考える前に思わず口から出た言葉は、これだった。


「……喋れなくする必要、あった?」


 恵人の発言を聞いたノアは、瞬きを何度かした後思いっきり吹き出した。そして大きな声で笑う。

 ひとしきり笑った後、目元を指で拭う仕草を見せてノアは恵人に向き直った。


「いやー、吸血鬼に出会った第一声がそれとか、君、変わってるのね」


 人間の尺度からしてみれば十分変わっている吸血鬼にそんなことを言われたくはなかったが、確かに言うべきは違う言葉だったかもしれない。

 けれど、咄嗟に出た言葉を笑われるのは、なんとなく癪だ。


「それで、なんの御用ですか」

「わー、ごめんって。不機嫌にならないで」

「なってないです」

「なってるじゃん、敬語になってるじゃん」

「……最初からです」

「嘘だ! 嘘つきがここにいます!」


 その初対面とは思えないほど軽妙なやり取りを終え、ノアは笑みを浮かべ改めて恵人の方に向き直った。


「喋れなくしたのはね、私の登場を邪魔してほしくなかったからだよ。わーとかきゃーとか言われたら、カッコつかないもの」

「……」

「あ、あと人除けもしといたよ。他人の介入ほど冷めることはないからね」


 どうやら目の前にいる美しい吸血鬼は、とんでもなく自分勝手で、マイペースらしい。


「なんていうかその、アホっぽい理由ですね」

「真祖の吸血鬼に向かってアホとか言わないで! 私これでも千年以上生きてるんだからね!」

「それはまた、すごいですね」

「あ、信じてないね!? ほんとだからね!?」

「わかった、わかりましたから」


 恐らく本当にすごい吸血鬼なのだろうが、今こうして話している印象は見栄っ張りでマイペースという、良いとは言いづらいものだ。

 一目見ただけで吸血鬼と信じたのに、こうして話しているうちに本当に目の前の女性が吸血鬼か疑わしくなってくる。こんなに親しみやすい吸血鬼がいていいものだろうか。もっと高貴で近寄りがたいのが本当の吸血鬼なのではないだろうか。


「なんか、失礼なこと考えてない?」

「いえ、滅相もない」


 さすがに思考までは読んでないと信じたいが、いずれ読まれそうなので話題を変えることにした。

「それで、なんで俺なんですか? こんなに人がいるのに」


 世界に八十億人近くいるのに、なぜ自分なのか。偶然なら偶然で納得するが、たまたま日本の小さな街に吸血鬼が現れるとは考えにくい。


「ああ、それはね」


 ノアは一呼吸おいて、妖艶な笑みを浮かべた。


「君が忌み子だからだよ」


 その言葉に、恵人は身を固くさせた。その単語を聞くだけで、反射的に警戒してしまう。


「……忌み子がどういうものか、わかって言ってます?」


 その問いに、ノアは飄々と答える。


「もちろん。呪いを持って生まれた子供で、今でもすっごい差別されてるんだよね?」

「そう、ですね……」


 忌み子は大昔から存在しており、現代に至るまで差別され続けている。

 一昔前に比べてマシにはなっているが、未だその問題は根深い。

 忌み子がどういうものか理解しているのなら尚更、ノアが自分を探す理由が恵人にはわからなかった。


「いまいち結びつかないって顔をしてるね」


 ノアは機嫌良さそうに微笑む。


「ふふ。じゃあ説明しよう。忌み子の血はね、すごく美味しい――」


 そして一呼吸置いて、


「らしい」


 そう自信なさげに言った。


「らしいって……」

「しょうがないじゃん! 飲んだことないんだから! 千年以上生きてて誰にも手を付けられてない忌み子見つけたの初めてなんだもん!」


 ノアは子どものように言い訳をしている。とても千年以上生きている吸血鬼の態度とは思えなかった。

「いっつもどこぞのクソ女に取られてさあ……。それに、忌み子の数も減ってきてるしね」

 それは初耳だ。そしてノアの口ぶりでは、忌み子がいるのは日本だけじゃないらしい。詳しく聞きたかったが、今はそれどころではなかった。


「でもよく見つけましたね俺のこと。見た目以外は、普通だと思うんですが」


 今の恵人の出で立ちは、マフラーに手袋という、この時期にはあるまじき肌の隠し具合だ。

 当然呪いに関係しているもので、普段からこれらを外で外すことはない。


「それは吸血鬼パワーだよ。匂いでわかるんだ」

「便利ですね」

「まあねー。でもまさかこんな極東の島国にいるとは思わなかったよー、私日本って初めて来たし」


 確かに、吸血鬼の時間軸からすれば、日本は生まれたてのようなものである。日本という国自体は存在すれど、世界に認知され始めたのはここ二百年程度の話である。ノアがどこ出身で今までどこにいたかはわからないが、日本など眼中になくても当然かもしれない。


「にしては、日本語ペラペラですね」

「吸血鬼だからね。どんな環境にもすぐ対応できるのよ」


 まさしくなんでもありである。あまりに万能すぎて、少し羨ましいと思う反面、やはり人間とは根本的に違うのだなと、改めて思い知る。


「問答無用で血を吸われるのかと思ってましたよ」

「そんなことしないよー、今どきそんな野蛮な吸血鬼はいません」


 どうやら吸血鬼も時代に合わせて変化しているらしい。いくら生物としての格が違っても、人間社会に適応できなければ吸血鬼も生きてはいけないということだろうか。


「話は大体わかりました。それで俺はこれからどうなるんでしょうか。抵抗する術は、なくはないんですが」


 恵人はそう言って、静かに手袋を外す。

 なんの変哲もない、ただの手。

 けれどそこには、人が恐れ、忌むべきものが秘められている。


 外で手袋を外したのは、いつぶりだろうか。物心ついた時にはもう着けていた記憶があるので、恐らく生まれた時以来だろう。

 ましてや人前で外すなんて本来はあってはいけないこと。しかし、今目の前にいるのは吸血鬼だ。


「そういえば、君の呪いは?」


 視線は恵人の手に向きながら、ノアは軽い調子で恵人に聞いた。


「触れただけで相手が死ぬ、です」


 その問いに、恵人はできるだけ簡潔に答える。誇張も矮小もない、ただの事実を。


「ふーん……」


 ノアの視線は、未だ恵人の手にある。

 なにを見ているんだろう。そう、思ったときだった。


「えいっ」


 そんな可愛らしい掛け声と共に、ノアが恵人の手を握ってきた。


「え、」

「私はね」


 恵人の拒否を遮るように、ノアが言葉を紡ぐ。


「吸血鬼だから、あなたの呪いでは死なないよ」


 確かに、目の前の吸血鬼は恵人の手を触っても顔色ひとつ変えない。


「君がどれだけ人間に嫌われようと、どれだけ蔑まれようと、私は君の味方でいられる。友達でいられる。恋人にだってなれる」


 そんな言葉を、恵人の目を真っ直ぐ見ながらノアは発する。その真紅の双眸に、恵人は吸い込まれそうになる。視線を、外せない。


「だからね、提案があるの」


 そこでようやく、自分がどこにもいないような感覚から意識が目の前に戻ってきた。手は繋がれたまま、会話が進んでいく。


「……提案?」

「そう。私とね、契約してほしいんだ」

「契約、ですか」

「うん。吸血鬼が忌み子の血を吸う代わりに、吸血鬼は忌み子を守るっていう契約。最近はめっきり減ってしまったけれど、昔は今よりも忌み子が多かったし、その分迫害も酷かったんだ。だから忌み子と吸血鬼がそういう契約を結ぶことは多かったのよ」

「……初耳ですね」

「それも当然だよ。この事実を知ってるのは吸血鬼と当事者だけだからね、語り継がれもしないし文献も何も残ってないもの」


 ノアが言うには、大昔から忌み子と呼ばれる人間と吸血鬼は存在しており、今より数も多かったため忌み子を吸血鬼の庇護下に置くことは極々一般的だったらしい。

 なるほど迫害が現代よりも厳しかったという当時なら、互いの利害関係が一致している。吸血鬼は美味しい血が飲める。忌み子は外敵から身を守れる。どちらかに比重が偏ってない、平等な関係と言えなくはない。


 ふと、疑問に思う。

 確かに現代でも差別はある。しかし、それはあまり直接的なものではなく、無視される、相手にされないといった間接的なものではある。昔にあった直接命の危険があるような迫害は現代には存在していない。


「現代においては、あまり必要ないように思えるんですが……」

「そうだね、いるかいらないかで言ったら、間違いなくいらないね」

「じゃあどうして?」

「君にはそれ以外のメリットがあるから」

「守ってもらえる以外の、メリット……」


 ノアが指を絡ませてくる。いつの間にか、恋人繋ぎになっていた。それに反応することもできず、恵人の視線はノアから離れない。


「君はいつでも、私に触れられるよ」

「っ……!」

「髪も肌も胸も脚も、いつでも君の好きなようにしていいよ」


 そのあまりに官能的で魅力的な提案に、恵人は思わず息を呑む。

 体温が上がり、鼓動が早くなるのを感じる。

 白銀の髪は、艶やかで作り物かと思うほど滑らかだ。

 透き通るような肌は、何色にでも染まってしまいそうなほど白い。

 程よい大きさの胸は、華奢な身体に綺麗に収まっている。

 スカートに隠れた脚は、確認こそできずとも細く綺麗な脚だと確信できる。

 その一つ一つのレベルの高さ。そしてそれらで構成されたノア・ルベルロットという吸血鬼は間違いなく、この世で一番綺麗だ。


 これを好きにできるのか。

 これを独り占めできるのか。

 呼吸が荒くなっていく。

 欲望と独占欲が、恵人の心を占めていく。理性がなくなっていく。


「君はこれからも、誰にも触れることができない。それはつまり、友達もできなければ、恋人もできない。もちろん交わることも、ね」


 ノアは続ける。


「けど私と契約すれば、君が望むこと全部してあげる。どんな要求だって、飲んであげる」


 甘美で蠱惑的な声音が、恵人の耳に届く。

 もう目の前の吸血鬼のことしか考えられない。


「悪くない話だと思わない?」


 悪くないどころか、こっちに都合が良すぎるくらいだ。

 そこでふと、微かに残った理性が働く。

 そうだ、都合が良すぎる。

 この条件は、あまりにも恵人に都合がいい。確かに血を差し出すことにはなっているが、それだけだ。忌み子の血は、それほど価値のあるものなのだろうか。

 わからない。思考に靄がかかっているようで、うまく頭が働かない。ただ、意識は手元に帰ってきた。


「俺に都合が、良すぎませんか……」


 息も絶え絶え、ようやく喉から出た言葉はそれだった。

 その言葉を聞いたノアが目を輝かせ、


「すごい! 自力で魅了から抜け出す人なんて初めて見た!」


 などと言っている。


「魅了……?」

「吸血鬼はね、自分に好意を持たせるように仕向けることができるんだ。そっちの方が血を吸うのに都合がいいからね。それは普通一度かかったら抜け出せないし抜け出す方法もないはずなんだけど、君は抜けてみせた。しかも私の魅了は特に強いの。だからこれって本当にすごいことなんだよ」

「はあ……」


 ノアはキャッキャと喜んでいる。

 恵人としてはすごいことをした感覚などもちろんないが、目の前の吸血鬼の反応を見る限りそう思わざるを得ない。

 魅了が効かない。効いても自力で解くことができる。

 対吸血鬼においては、確かに役に立つ。けれどそんな限定的な場面、そうそう訪れない。


「うん、やっぱり私が見込んだだけのことはあるね。魅了使えた方が楽ではあったけど、それだと君の意思が反映されないもんね。うんうん、やっぱり君に選んで欲しいもんね」


 そんな独り言を、ノアは捲し立てるようにして言った。恵人はそれを、ただただ聞くことしかできない。


「あ、そうだ、君の名前は?」


 このタイミングで聞いてくるのもよくわからないが、答えない理由もない。


「……折原恵人です」

「恵人ね! また一週間後に来るから、その時までに考えておいて!」

 そう言い残し、ノアは軽々と近くの家の屋根に飛び乗った。


「じゃあね!」


 その声と共に、ノアは次々と屋根を飛んで渡り、闇の中に消えていった。

 一人取り残された恵人は、頭の中を整理する時間が欲しかった。

 けれどまずは。


「……家に帰ろう」



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