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新月の夜、吸血鬼と出会った。  作者: 結城 ユウキ
第三章 吸血鬼と吸血鬼
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第九話

「わー! ここが清水の舞台ね! 飛び降りてみようかな!」

「死なない吸血鬼が飛び降りても願掛けにならないよ……」


 翌日からは観光三昧だった。

 最初に訪れたのは清水寺。言わずとしれた京都の観光名所だ。京都に訪れたからには外せない。

 紅葉のシーズンではないが、それでも観光客は多数いて、その多くは外国人だった。恵人自身も初めて京都に来たが、こうして日本の観光地が外国人でいっぱいになっているのを見るとなんだか誇らしくなってくる。

 ちなみに今ノアは黒髪だ。外国人が多いと言えど、銀髪はさすがに目立ちすぎるため変えようという話になったのだ。

 本人は銀髪がダメなら違う明るい色をと、様々な色を試していたが、


『京都なら黒髪一択。異論は認めない』


 という恵人の熱い要望によって見事ノアは黒髪の乙女に変身を遂げた。

 しかし、見れば見るほど似合っている。髪の色に合わせて瞳の色も変えたが、ノアらしさを損なわせず見事に京都という舞台に見事に馴染んでいる。


(……これはあれだな、着物も着てもらわないとダメだな。もったいない)


「ん? どうしたの?」


 そんな恵人の視線に気づいたのか、ノアは首を傾げながら恵人に聞いた。


「……ノアさ、着物、着ない?」


 恵人の唐突なお願いにも関わらず、


「え、着たい!」


 ノアは顔を輝かせてそう言った。


 

 京都市内に戻ってきた二人は、近くの着物レンタル店に入った。予約はしていなかったがその場で受け付けてくれるそうなので一安心。


「お二人でご利用されますか? カップル割がございますが……」

「え、あー……」


 着物のノアと着物を着て京都の街を歩きたいという思いはもちろんある。

 だが、恵人は着物の着方がわからない。そうなれば当然、着付けをしてもらうことになる。

 着替えを手伝ってもらうということは、手伝ってくれる人の手が恵人の肌に触れてしまう可能性があるということだ。

 そんな危険性があることを、望む訳にはいかない。

 けれど同時に、この場の空気を悪くしたくないという思いもあった。どう断ろうかと考えたその時だった。


「あ、私が着たいって言い出したんで大丈夫です! 無理矢理連れ出したんですよ~」


 すかさずノアが、あくまで自分が望んだことという体で断りを入れた。

 そんなノアの反応に受付の従業員も微笑ましげに、


「左様で御座いますか。では案内いたしますので、こちらで少々お待ちください」


 と言い残し、奥に戻っていった。


「ありがとう、ノア。助かったよ」

「あのくらいお安い御用だよ」


 ノアは余裕だよと言わんばかりにウインクをしてそう返した。

 ノアにはいつも助けられてばかりだ。この旅行でもすでに何度も助けられている。

 清水寺は人が多く、いつ呪いに起因する事故が起きてもおかしくなかった。だがノアは、人混みをなるべく避け人があまり多くないコース取りをしたり、人の肌が恵人に触れそうになれば自分の手や身体を間に自然に入れたりして、事故を防いだ。

 気の使い方が尋常ではなかった。同じことをやれと言われても、恵人にはできないだろう。

 お返しをしようにも、返せるものが何もない。

 恵人にノアは守れないし、守る力も当然ない。

 あまりに無力。


「お待たせしました。こちらにどうぞ」

「はーい。じゃ、行ってくるね」

「うん、いってらっしゃい」


 答えが出ないままその思考は途切れ、ノアが着付けへと向かう。

 ノアの着物は非常に楽しみだ。

 けれどどこか心に靄のかかった、そんな気分だった。



「お待たせ!」


 結局答えが出ないまま、ノアの着付けが終わった。少なくとも三十分以上はあったはずだが、その待ち時間が一瞬とも思えるほど思考にふけっていたらしい。

 一旦忘れよう。そう思って声が聞こえた方向に顔を向けた。


「……まじか」


 そこに立っていたのは、白地に水色の模様が入った着物に身を包んだノアだった。

 当然、ノアの声が聞こえた方を向いたのだからノアが立っているのが当たり前なのだが、あまりに雰囲気が違うので驚いてしまった。

 髪型も着物に合わせたアレンジがされており、美しい髪飾りが印象的だ。


「えっと、どうかな……?」


 思わず見惚れてしまい、数秒固まってしまっていたらしい。


「いや、すげえ綺麗でビビってる……」

「ほ、ほんと? よかったー……。着物なんて初めて着るから似合ってるかどうか自分じゃわかんなくてさ」


 その容姿で似合わないはずがないのだが、そこは自信がなかったらしい。

 とにかく信じられないくらい綺麗で、似合っている。隣を歩くのが自分で申し訳なくなるレベルだった。


「似合ってる、すごい似合ってるよ」

「えへへ、ありがと」



 店を出た二人の次なる目的地は、金閣寺と銀閣寺だ。

 二つの寺はそれなりに離れているが、タクシーを使えば特に問題はない。


「ほんとに金ピカなんだね……」

「寺としてあるまじき豪華さだとは思う……」


 初めて見て金閣寺は、噂に違わず金色だった。

 天気がいいのも相まって、より黄金に輝いている。できれば雪を被った金閣寺も見てみたいと、素直に思う。

 そしてそれはノアとがいいな、などと呑気に思っていると。


「……多分今、同じこと考えてる」

「……!」


 反則だ、それは。



 金閣寺を出た二人は、タクシーを使い三十分ほどで銀閣寺に到着した。

 金閣寺でもそうだったが、ノアといることで周りの視線を非常に集めている。まあ、集めているのはノアだが。恵人は所詮ノアの付随物。いてもいなくても変わらない。

 けれどどうしたって恵人はそこにいる。いるから当然、周りの人間の視界にも入る。

 恵人を直接非難するような声はさすがに聞こえない。

 だが疑問と軽蔑の視線は痛いほど刺さる。

 慣れていたつもりだったが、今日の視線は特別刺さる。人が多いからだろうか。

 とにかく、一秒でも早くここから離れたい。

 そう思って、ノアと少し距離を取ろうとした、その時。


「君が離れる理由なんて、どこにもないよ」


 そう言ったノアの手が、恵人の腕を掴んだ。


「でも――」

「見せときゃいいのよ」


 さらにノアは、恵人の手に腕を絡ませ、密着するような格好を取った。

 さすがにやり過ぎ、そう思ったが、次の瞬間には群衆は観光へと戻っていた。


「あれ……?」

「ね、言ったでしょ。人間なんて所詮、面白いもの見たさで行動してるだけなんだよ。絶世の美女が冴えない男子にぞっこんなんてのは、きっと彼らにはつまらないんだろうね」


 いつものぶっ飛んだ吸血鬼理論だったが、今回の理論は妙に納得できた。

 だが、それはそれとして。


「誰が冴えない男子だ」

「やだな比喩だよ、比喩」


 ノアは可笑しそうに笑いながらも、恵人に絡めた腕を離そうとはしなかった。


「いい女連れてるだろって顔しながら歩こうかな」

「いいんじゃない?」


 そんな軽口を叩きながら、二人は銀閣寺が一番良く見える場所に向かう。


 

「これはまた、渋いね」


 銀閣寺を初めて見たノアの感想はとても淡白だった。


「そうだね、渋いね」


 金閣寺とは対象的に非常に落ち着いた雰囲気の銀閣寺。たしかにこれは、ノアの淡白な感想も頷ける。


「なんて言うんだっけ、ほら、わさびみたいな」

「ああ、侘び寂びだ」

「それだ! そんな感じがする」

「確かに使うなら、こんな場面かもね。でもよく知ってるねそんな言葉」

「なんか可愛くない? 語感が」

「可愛い……」


 なんでもかんでも可愛いという語彙を持ち出すのは、人間の女性も吸血鬼の女性も一緒なのだろうか。 

 今度人間(女)代表であるところの楓に聞いてみようと思いつつ、二人は銀閣寺を後にした。



 次に巡るは京都市街だ。

清水寺や金閣寺と打って変わって、市街はいわゆる現代の街並みだった。人が暮らしているので当然と言えば当然かもしれないが、改めて目にするとそんな感想を抱いてしまう。

そんな恵人の隣で、私服に身を包んだノアが目を輝かせながら闊歩している。着物は今日中に返せば問題なかったがさすがにノアも慣れていないらしく、市街を練り歩く前に返却をした。

名残惜しいとも思ったが、ここでしか着られないわけではない。また今度見ればいいのだ。そしてその時は自分も着て並べればいいなと、叶わない妄想をする。

すでに夕刻を迎えており、辺りはうっすらと暗い。けれど街は明るく、その対比がなんとも眩しく映る。

その灯に照らされたノアは、なんとも幻想的だった。まるでこの世のものとは思えなくて、儚くて、今にも消えてしまいそうに見えた。

だから触れていないといなくなりそうで、恵人は思わずノアの手を握る。

ノアは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐ破顔し手を握り返してきた。その手が暖かくて優しくて、恵人は心の底から安心する。


「心配しなくても、どこにも行かないよ?」


どうやらノアには、なんでもお見通しらしい。

なんとなく気恥ずかしくなって、恵人はノアの手を離そうとした。

けれどノアはその手を強く握り、離すことを許してくれない。


「だーめ」


蠱惑的な笑みを浮かべながらも、余裕のある表情をノアは見せた。

ああ、本当に敵わない。

きっとこの先も、ノアに一泡吹かせるなんてことは無理なのだろう。それほどまでに、彼女には余裕がある。

でも、それでもいいと思った。

ノアと一緒にいられるなら、一生敵わなくたって構わない。

どこにも行かないでほしい、そんな願いを込めて、恵人は先ほどよりも強くノアの手を握った。



そうして二人は、突発京都旅行を終えた。

京都から帰る時もプライベートジェットだのリムジンだのが用意されていて目が回りそうだったが、これに慣れないとノアと一緒にいられないな、などと思う。

羽田空港に着いて、ひと休憩。

時刻はすでに二十四時を回っており、空港にも人はまばらだ。

ここから家に帰るには普通は電車だが、時間が時間だ。途中で終電がなくなってしまう。

一般的な人なら空港で朝まで、というパターンだろうが、なんせノアである。きっとそんなわけはない。

そう思った時だった。

諸々の手続きを終えたノアが走って戻ってくる。


「ごめーん、急な仕事入っちゃってこのまま出なきゃいけなくなっちゃった」


 申し訳無さそうな顔でノアが言う。


「あ、そうなの」

「うん、ごめんね? 一人で帰れる?」

「帰れるよ十七歳だよもう」


流石に過保護すぎるだろと思いつつ、そんな心配をしてくる人は今までいなかったなと気づく。

あながち馬鹿にできないなと思い直し、いつもより気をつけて帰ることにした。


「タクシー捕まえといたから、それ乗って帰ってね」

「わかった。ノアも仕事頑張ってね」

「うん、ありがとう」


少し寂しいが、仕事ならば仕方がない。ノアの稼ぎがなければ生きていけないのだ。

それにしても。


――今のやりとり、本当にヒモみたいで嫌だな……。



恵人とノアの家は、最寄りの駅から徒歩十分ほどの位置にある。

道はいくつかあるが、いつもは暗いが少し早く着く道を選んで歩いている。

だが今日はノアのこともあり、明るいが少し遠回りの道を選んで歩いた。

明るいと言っても、街灯に照らされている道というだけで人通りが多いわけでも店が多いわけでもない。申し訳程度にコンビニが一軒あるだけで、それを過ぎればただの道となる。

けれど街灯の灯りはそれなりに明るい。わざわざこんな道で襲う人間はいないだろう。


それにしても激動の二日間だったと思う。

プライベートジェットで常識を破壊され、初めてのホテルも最高級で、ノアの着物姿は異次元の美しさで。

間違いなく人生で一番濃い二日間だった。そして間違いなく、一番楽しい二日間でもあった。


恵人がこんな楽しさを享受できたのも、全てノアのおかげだ。

そもそも旅行するという考えがなかった。旅行なんてできないと思っていた。けれどノアはそんな恵人を連れ出した。育ったところ以外の景色を初めて見せてくれた。

ノアがいなければ得られなかったものを、今までの分を取り戻すように経験している。


もっとノアと一緒にいて、もっとノアと一緒に経験していきたい。

その思いは日々強くなっていく。

今はまだ何も返すことができないが、日々の生活で少しずつ返すことは可能かもしれない。ご飯を作ったりマッサージをしたり、ノアのためにできることはいくらでもある。

そうだ、今度ノアが帰ってきた時に至れり尽くせりなんだかんだ色々やってやろう。それこそ、ノアが困惑するくらい。


そんなことを考えていたから、後ろから聞こえてくる足音に気づくのが遅くなった。

コツコツ、コツコツ。

高いヒールを履いているような足音。

妙に耳につくから、なんとなく後ろを振り返ってみる。

だが、そこには誰もいなかった。

気のせい?

いや、そんなわけがない。確かに聞こえたはずだ。

そう思って前を向いた瞬間。


「みーつけた♡」


それが意識を失う前に最後に聞いた言葉だった。

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