推(お)しのライブは夏の輝(かがや)き!・前編
紫の照明が、ステージ中央に現れた彼女を照らす。一曲目は月夜の幻想曲といった、そんな雰囲気の曲目だ。緞帳が上がって、彼女とバンドメンバーが出てきた瞬間、さりげなく彼女が私に手を振ったのを私は見逃さなかった。よくあるパフォーマンスに過ぎない? 私に向けて振ったとは限らない? いいえ、違います! あれは私に向けた愛なのだ。まあ誰に言うつもりもないし、反対意見には取り合わない。曲の途中にも手を振ってくれて、彼女は色んな方向へ手を振っているので、多くのファンが彼女から愛されていることは認めよう。
二曲目は夏を扱った作品だ。今の時期にふさわしい選曲で、彼女を代表するヒット曲でもある。夏といえば海や山へ行く人もいるのだろうけど、十代ならともかく、二十代も半ばを過ぎたインドア派の私には縁がない。私の夏は、推しの彼女と共にある。彼女は夏の時期に大きなライブをやることが多くて、まして誕生日ライブとなると数年に一度のレアイベントだ。私の夏は、そのイベントに参加できれば、そこで終わってくれて構わない。最近は暑すぎて、秋が待ち遠しいし。
「私のライブへ、ようこそー!」
曲の終了後、場内が明るくなって、推しがマイクでこちらへ呼びかけた。私を含めて、客席から拍手が湧きあがる。すごい拍手で、それが一回ではなく、二回連続で起きた。ライブ終盤ならともかく、まだ始まったばかりなのに。こんなに彼女は愛されているのかと、圧倒される思いだ。
「すごいね……」、「こんなに愛されてるんだ……」
私の周囲の若い客が、ざわついている。私と同じ感想で、でも私は結構、推しのライブには何度も出向いているのだ。それなりに推しを数多く観てきた私でさえ、こんなにすごい拍手はちょっと久しぶりだった。周年の誕生日ライブとは、それほどのイベントなのだろう。
「終演時間は決まってて、伸ばせないんで。どんどん、歌っていきます!」
拍手を振り切るように、推しが客を笑わせてから再度、場内が暗くなる。カラフルな照明の中で三曲目が始まった。十代の青春時代を歌った曲だ。私にもあって彼女にも、そして誰にでもあった若き日々の交流。彼女にはどんな思いがあったのだろうか。四曲目はドラマでも使われた冬の曲で、澄んだ空気感のあるバラードであった。
「ファンからも、メンバーからも私は愛されてまーす」
曲が終わって、明るくなった場内で推しがバンドメンバーを紹介する。MCのたびに明るくほっこりとした空気になるのが、また彼女の魅力だけど。メンバー紹介は正直、あまり興味がなかった。私の推しは彼女であって、その他にはどうにも私の愛が向かわないのだ。一途なのだと、むしろ評価してほしい。私が彼ら全員を愛したら、それはそれで爛れたことになってしまう気がする。
五曲目が始まって、童謡チックなラブソングが歌われる。幸福そのものといった歌詞で、むしろ辛い現実を乗り切るために書かれた作品ではないか。私のような陰キャのためにできた楽曲のような気さえする。うん、いい曲だ。
六曲目もラブソングで、この曲が収録されたアルバムはかなり売れたはずだ。曲の最初と途中で、私に向けて推しが手を振ってくれる。うん、間違いない! あれは私に手を振ってくれたのだ! 全身が跳ねあがって、子犬みたいに自分がシッポを振っている姿を幻視する。
「皆さん、お座りください。水分補給もしててね」
曲が終わって、推しが私たちに指示をする。一斉に着席して、私は買っていたペットボトルに口を付けた。ライブ中はなかなか、水を飲む機会がないからありがたい。七曲目は新曲で、しっとりとしたバラードだ。この曲はライブで私たちを座らせ、休ませるために作られたのではないかとさえ思ってしまう。
八曲目は初期の代表曲で、もの悲しくもポップなバラードだった。また客が総立ちになって、私も立ちあがる。充分に水分は補給できたから、みんな元気であった。
九曲目、曲の最初で推しが私に手を振ってくれた……と思うけれど自信がない。私の二階席からは良くステージが見えたけど、たまにステージからの照明が逆光になって、推しの姿が見えなくなるのだ。端の席だからかもしれない。正面席なら、こんなことにならないのではないか。青春時代の長い夜が歌われた後、照明が落ちて、観客が着席する。これから始まるのは、バンドメンバーと推しのトークコーナーだ。
毎年、推しのライブに参加していればわかる。推しはとにかく、おしゃべりが好きで、必ずと言っていいほどトークコーナーを設けるのが常だった。そういえば全体的に、曲のテンポは早かったのではないか。巻いて歌って、ライブ中盤でおしゃべりする時間を確保したのだろう。
ちょっと時間をかけて、ステージ中央にトーク番組みたいな席が作られる。照明がついて、推しがトーク席に座っていた。この後で、バンドメンバーの誰かと彼女がトークをする、というのがいつもの流れなのだけど。しかし今日は、いつもとは違うのだ。
「ハッピーバースデー・トゥー・ユー♪ ハッピーバースデー・トゥー・ユー♪」
バンドメンバーが演奏しながら、バースデーソングを歌いだす。スタッフがケーキを推しの前に持ってきて、彼女は驚いていたけど、私たち観客の大半はこの展開を予想していたと思う。彼女は観客からも、スタッフからもバンドメンバーからも愛されている。そんな彼女だから、私は推しを最愛の人としているのだ。
「ケーキ、ありがとう……、でも、今は食べられないね」
推しが笑って、ひとまずケーキは再び、スタッフが持ち去っていった。どんなケーキなんだろうか、ちょっと見たかった。オペラグラスでも持ってくれば良かったかな。後でブログとかで、推しがケーキの写真をアップしてくれるよう願おう。
推しとバンドメンバーのトークが始まって、今年は戦後八十年、昭和で言えば百年に当たるという話があった。そうか、今年は一つの、時代の区切りなのか。来年がガウディの没後、百年だということを私は何となく思い出した。
百年に一度の存在というものがあるとすれば、それはきっと推しなのだろう。彼女より売れているアーティストはいるけど、そんなことは関係なかった。彼女は私にとっての最高傑作なのだ。彼女には価値があって、それは決して、数字では表せないものだと信じている。私には彼女の価値がわかるし、その価値を他人に理解されなくても構わない。
トークコーナーが終わって、中央の席が片づけられる。再び、推しの歌が始まった。