さぁ、ライブが始まる
「ビール、ビール、いかがっすかー」
私は今、目的地である推しのライブ会場近くにいる……はずだった。坂道を上った先には、かつて公会堂と呼ばれた会場があって。私が向かうのはそこではなく、もう少し先にある大きな公園というか広場だった。この広場に入って、まっすぐに進めば推しの元へ、辿りつけるらしいのだが。
「いかがっすかー。ビール、ビール、いかがっすかー」
さっきから広場の屋台がうるさい。広場の入り口は直線的な道になってて、左右にはずーっと、屋台が横に連なって奥まで続いている。というか、どの屋台もビールしか売ってないのではないか。食べもの屋は一割しかない印象だった。お酒は飲めないし、食事は済ませているから立ち寄るつもりもないけれど。
広場は観光客なのか外国人の方もいて、とにかく人が多い。すべてが私推しのファンというわけじゃなくて、どうやら別のイベントが重なっていたようだった。あとで知ったのだが、どうやら公会堂にも大物アーティストが来ていたみたいで、やたら多い屋台は稼ぎ時だから出ていたのかもしれない。
私の目的地は広場の中で、ネット情報の地図を見ても大まかな場所しか描かれていない。過去にもライブで訪れたことはあるのだが、何年か前なので場所の記憶は曖昧だった。スマホでグーグルマップの経路を出そうとしたが、電波が悪くて上手くいかない。たまたま左手のほうに会場を見つけられたけど、そうじゃなければ今日はただの迷子レポートで終わってしまうところだった。
「外の気温が高くなっています。地下一階の自動販売機で飲みものをお買いくださーい」
会場に入るまでには長い行列があったけど、その辺りの描写は省略する。係員さんの指示に従って、甘い飲みものと麦茶の二本を購入する。地下は休憩所みたいになってて、たむろしているファン層は十代から三十代以上と幅広い。
熱心なファンは一階のグッズ売り場に集まってるけど、私は行かない。アルバムは全部、集めているし、そんなにお金を持ってるわけじゃないのだ。私の推しは現在、全国ツアー中で、それらのライブすべてに参加しているファンもいるらしい。俗に『信者』と呼ばれる熱心な方々で、すごいとは思うし感心するけど、推しへの愛は購買力だけじゃ表せないと私は思う。
今回、私の席は二階にあって、会場は三階席まである。トイレを済ませて席に座ると、ここはなかなかのステージ景色だ。二階席の右端、ほぼ最前列。正確には前から二列目だけど、私の前は空席になっていて、このあとも席が埋まることはなかった。前方客の背中に遮られず、ステージ全体を私は見渡すことができる。
『まもなく開演です。席について、お待ちください』
ホール内にアナウンスが流れる。その直後、客席全体から拍手が起こってビックリした。私も一緒に拍手したけど、一階席から三階席までが一体にまとまっていて、他のライブでこんなことが起きた覚えはない。今回は彼女のデビューからキリが良い周年ライブで(五年目か十年目なのか、その辺りは説明しない)、それに加えての誕生日ライブである。ここは放送局のホールであり、だからなのか拍手の響きは格別だった。
「すごい拍手だねー」、「初めて来たけど、愛されてるよね彼女」
私の周囲の席には、二十歳前後の男子同士、女子同士がそれぞれ一組ずつ居る。私より年下であろう、彼らと彼女らが友だちなのかは知らない。私には友だちなんかいないので関係ないし、彼ら彼女らが同性の恋人でも否定はしない。たぶん友だち同士なのだろう。私より若い周囲のファンは、推しの彼女に恋焦がれているように見えた。
ファンが推しにどういう感情を持つかは自由だけど、私の考えは明白である。推しへの愛こそがすべてだ。恋愛感情も性欲も含めた愛であり、最後に彼女の愛を得るのは私なのである。どこの席に私がいても、彼女は必ず見つけてくれる。それは彼女が私を愛してくれているからで、だから私は生涯をかけて彼女との愛を貫いていく。
照明が落ちて、派手な前奏曲が響き渡る。客席からは歓声があがり、総立ちになって。推しの誕生日ライブが文字どおり、幕を開けた。