旅とトラブルは大概セットである
場所:フィロネア辺境領
登場:レメト・アーフィエス/ロイ・アシュベル/アレックス・シュナイゼル/ウーテ
特記:トオル・イトベ
さて、私が恩師の終の棲家に訪れたのは、退職を決めてから2日後。道中少し騒動があって手間取ったのもあり、予定より大幅に旅程を超過しつつ、なんとか葬儀の日時までには学友と合流することができた。出迎えに来てくれた懐かしい顔に向かって手を振る。
「レメト! こっちだ! いやぁ久しぶりだなあ」
「ああ、ロイも元気そうで何よりだ。久しぶり」
道中買い入れた馬に乗って学舎のあった街を出、ここまでやって来た。学友の後ろに続く道は鬱蒼と茂り、森の中の小道といった風。迎えがなければ不安になっていたかもしれない。恩師らしい拠点だと思った。あの頃から健脚だった学友は、にぱりと人懐っこい笑みをこちらに向けて大きく手を振っている。あいかわらずガタイの良い男である。
「お前意外と遅かったなあ、あとレメトとリゼだけだぞ」
「色々あったんだ。間に合って良かった」
「まあ先生の葬儀は明日だからな。今夜はゆっくり休めよ。……その子は?」
ひょいと私の手から手綱を引き受けたロイが、くるりと丸い碧眼で私の後ろを見る。私の背に掴まっていた小さな手が、びくりと震えて硬直した。
「私の連れだよ。諸事情で置いて来るわけにはいかなくて。部屋は同じで良いからさ」
「そうか。ま、足りなきゃユリオが増やしてくれるだろ。こんにちは、俺はロイ。レメト兄ちゃんの友達なんだ。よろしくなあ」
ほのほのと呑気に微笑んだロイは、そのまま私の後ろにも懐っこい笑顔を向けた。背中に小さな額の付けられる感触があり、もじもじとした沈黙が流れる。道中で少しばかり気を許してくれたと思っていたのだが、私以外はまだ怖いようだ。
「悪いね、人見知りなんだ」
そう言えば、ロイはすぐに引き下がった。ぽつりぽつりと近況を聞きつつ馬を進ませ、恩師の建てたらしい屋敷へと入る。こぢんまりとしたレンガ造りの家は庭の隅までよく整えられ、ちらっと見ただけでも薬草や果樹が整然と植えられている。他にも簡易の錬金道具やら魔法陣やら、めちゃめちゃ手の込んだ料理用の窯やらが据えられていて、あの人らしいなあと思った。
「裏に家畜小屋もあるんだぜ、この屋敷。あ、こいつ貸し馬じゃないよな?」
「ああ。頼むよ」
借りた馬なら放せば自分で帰宅してくれるのだが、今私たちが乗っていた馬は買い入れたものだ。よく休ませてやってくれと頼み、馬を下りる。それから、旅中で連れ歩くことになった少年を手招いた。
「ほら、おいで。慣れないのによく頑張ったね」
「……ハイ」
「今日はもう部屋で休ませてもらおうね。ここにいるのはみんな私の友達だから、いじわるする人はいないよ」
道中ずっと私の背にしがみついていたその子は、私が差し出した腕の中におそるおそる滑り降りてきた。小さくて細くて軽い。よいしょとそのまま抱えて、馬を繋ぎに行ったロイと別れ、恩師の家へ入る。見た目通りとは思っていなかったが、小さな玄関を抜けて広いホールが現れたのには少し驚いてしまった。どこぞの貴族の屋敷ほど豪奢ではないが、すっきりと整えられ、初めて来た者にも分かりやすい導線が敷かれている。
「お! 来たきたレメト! 久しぶり、ちょっと痩せたか?」
「アレクか、久しぶり。早速だけど個室もらっても良いかな」
「おー。ユリオが人数分確保してくれたから、みんな1部屋ずつあるぞ。屋敷の中の部屋使えよ」
「助かる」
ドアベルの音でやって来た学友がにこにこ挨拶してくれた。我らが委員長アレックス。相変わらず顔も勘も良い男である。私が少年を抱えているのを見て、特に質問することなく空き部屋に通してくれた。なにがしか魔法がかかっているようで、外から予想したよりずっとたくさん並んだ扉の1つを開け、彼は思い出の中の顔とそっくり同じに笑った。
「みんな食堂に集まってだべってるからさ、気が向いたら来いよ」
「ありがとう。腹減ったら行くよ」
私が抱えている少年が眠たげだから、多分気を遣ってくれたのだろう。アレクは私に食堂の場所を告げると、そのまま去っていった。後で私もみなへ挨拶に行こう。
「おつかれさま。おとなしくできて偉かったね」
「……ハイ」
「お腹空いてる?」
「イイエ」
「わかった。じゃあ、水を飲んで休もうか。私もこの部屋で休むからね、大丈夫だよ」
「アリガト、ゴザ、マス」
よいしょとかがみ込んで、少年と目を合わせる。彼はもじもじとうつむきながらも一生懸命返事をしてくれた。昨日宿屋で風呂に入れたのである程度は清潔だが、馬に乗って長い事移動した後だからと浄化の魔法をかけておく。そして少年に水を飲ませ、着替えてベッドに入るよう促せば、彼は疲れていたのかいくらもしないうちに寝付いてしまった。
「おやすみ、ウーテ」
起こさないようそっと髪を梳く。栄養状態が悪かったのか、きしんで指に引っかかった。痛々しい。私がいないうちに起きても分かるよう魔法をかけ、ついでにゆっくり眠れるよう安眠のまじないもしておいた。なんやかんや色々ごたごたがあって引き受けることになった子だが、一度懐に入れたからにはしっかりと面倒を見てやりたい。私は現在仕事を辞めるための有給消化中だが、それにしたってそれなりの貯蓄はあるのだから。
さて、少年……彼はウーテと名乗った……が無事寝入ったので、改めて皆に挨拶へ行こう。先生とも会いたいし、急に増えた連れのことも説明しなければならない。
私は彼を起こさないようそっと立ち上がり、個室のドアを開けて廊下へ出た。
「あ、レメト大丈夫か?」
「ああ、ありがとう。……先生は?」
「向こうの寝室に。会ってあげろよ」
「うん」
玄関ホールに戻ったところでアレクに促され、案内された簡素な扉を開く。寝室、というよりは個人の私室のようだった。狭い部屋にはぎっしりと本や器具が並べられ、私には一目で何とわからない魔法具もある。私たちの教育が一段落付いてからも、先生はなにくれと研鑽を積んでおられたらしい。
「……先生」
ベッドに横たわった先生は、私が最後に会った時より少し老け、しかし穏やかに眠っておられた。すっかり全部白くなった髪。いつでもちょっと困ったように微笑んでいた顔。いつでも、少し乱暴に私の頭を撫でてくれた大きな手。今はすっかりしなびて濃い薬草の臭いがした。
「先生。……トールせんせい」
そう呼べばいつだって嬉しそうに応えてくれた彼は、もう私たちを愛でてはくれない。
この目で見るまでどうにも実感が沸かなかったのは、この人が初対面からすでに、殺しても死にそうにない好々爺だったからだろう。だけど、今眼の前で静かに目を閉じている彼は、なんだか弱々しくて、普通の老人のように見えた。事実、彼はきっと普通の人間だった。彼の背負える範囲で、私たちへ知恵と力と救いをくれていただけで。
「今まで、ありがとうございました」
私を含め、彼を師と仰ぐ学友はみな、この遠い遠い国からやって来た賢者に救われた。自分の国では自分など凡人だ、君らは自分より才がある、よって君たちには価値がある……そんな理論を、丁寧にていねいに、できる全力でもって説いてくれた恩師。私たちが学舎で過ごした10年間を、大切に見守ってくれた保護者。それなりに連絡は取っていたし、生き物ならいつかは儚くなる。先生の故郷ではこれだけ生きれば十分だ、そう聞いてはいた。だから、覚悟はしていたのだけれど……いざ目の前にすると、視界が潤むのを止められなかった。
底抜けに優しくて、どこか苛烈で、随分変わっていて、そしてとことん身内に甘かった私たちの先生。葬儀の前に辞職なんて面倒なことになって少し申し訳ない気持ちもあるが、それでも、彼ならきっと、仕方ないなあ、おつかれさま、と言って笑ってくれる気がする。
気を遣われたのだろうか。それとも、みなそういう順序で整理をつけたのだろうか。私が師のベッドの脇に膝を付いている間、誰も部屋には入ってこなかった。私はしばらく師の横に膝をつき、黙って彼との思い出を反芻していた。
彼らは、老師のさいごの愛弟子だったのです。