忌引休暇はあってしかるべきである
シーン開始場所:テュールガン伯領
登場人物:レメト・アーフィエス/ヴァルド・アルファルト
私が師の訃報を知ったのは、定期の在庫目録確認をしていた時分。鳥型伝書紙が、地下倉庫の通気口から埃まみれで落ちて来てくれたからだった。学生時代の友人が作成したのだろう、変わった紙質を持ち、妙に良い動きをする梟型のそれ。どこをどう通ってきたのか、皺が寄って少し文字の滲んだそれを見た時、唐突に思ったのだ。
あ、仕事辞めよう。
私は残りの作業に早々と区切りを付け、恩師の葬儀へ間に合わせるために急いで倉庫を出た。廊下を抜ける風が体をなぶり、倉庫の中がどれだけ埃っぽく淀んでいたかが分かる。自分の執務室へ戻るのはいつ以来だろう? たしか、魔物対策課の備品点検に駆り出された時、試作品の計測器を取りに来て以来だろうか。
普段は多重付与付鞄から必要な物を取り出すだけだから、もはや倉庫と言ってもいい。ごちゃごちゃと物の置かれた間をぬって机へたどり着く。辞める前にはここも整理しないとな。そんなことを思いながら、まっさらな書類を取り出した。有給休暇の申請書類は、ここに配属されてから一度も使われていない。たしか3年分くらいあったはずだ。この際一気に使ってしまおう。
ガリガリと書類に記入し、そのまま持って部屋を出る。どうせこの鞄と繋げてあるから、私物は後で引き上げればよかろう。そんなことより、私は師の葬儀に間に合うよう出向かねばならん。私たちをここまで育て上げてくれた、あの変人賢者様の旅路だ。見送りに出られないようでは、彼にも学友たちにも申し訳ない。
「失礼いたします」
コツコツとドアをノックし、返事を待って扉を開ける。上司が執務室にいるかどうかは賭けだったが、今日はちゃんといてくれたらしい。扉を開けた途端においしそうなミルクティーとバタークッキーの匂いが漂ってくるのは、執務中としてちょっとどうかと思うが。
「なんの用だ、雑務係。貴様にやる予算はないぞ」
私の顔を見た途端嫌そうに眉を寄せた上司は、いつものように私を呼ぶ。ちゃんとした役職名で呼ばれたのいつ以来だろうか……まあいい、どうせ辞表を出すのだから。
「学生時代の師の葬儀に出席するので、有給取得の許可をいただきたいと思いまして」
先んじて私が書類を出すと、案の定、彼は苦虫を噛み潰したような苦々しい顔をした。こめかみに青筋が浮いている。すぐ頭に血が上る癖をなんとかした方が良いぞとは思うけど、まあ私の進言を聞き入れる素直さを期待するのは損だろう。
「貴様にやる休暇なぞないわ。そもそも命じた仕事は終わったのか? ほうぼうから作業が遅くてかなわんと苦情が来ているんだぞ。ええ?」
「この後業務の引き継ぎをして出発する予定です。あ、有給を消化し終えたらそのまま辞職しますのでそちらもよろしくお願いしますね」
「はぁ!? 貴様、誰が辞めていいと言った!」
「私の能力と役職がどうしても必要で代わりもいないのでぜひここにいてくれと仰るのでしたらやぶさかではありませんが」
「ふ……っ、ふざけるな! 貴様の代わりなぞいくらでもおるわ!」
見る間に顔を真っ赤にした上司は、面白いくらい私の言葉に反応して怒号を返してくれる。……一応、家系的に彼とは親類なんだよな。その縁故でここに就職させてもらったのだ、私は。ぜひにと彼の両親に望まれて今までここを潰すまいと頑張ってきたのだけれど……まあ、もう良いか。彼は私が要らぬようだし、私も部下を大事にしてくれない職場は嫌いだ。
「では、私が辞めても良うございますね。今までお世話になりました。有給消化中に片付けと引き継ぎ資料を作っておきます。辞表も部屋に転送しますので良い時期にお受け取りください」
売り言葉に買い言葉。まさにそんな様子で私は書類を上司に受理させ、自分の執務室へととんぼ返りした。改めて学友からの手紙を熟読し、旅の支度を整えて退勤する。後の残務? 知らんしらん、そもそも庶務課の私がやるものではない仕事まで押し付けられていたのだ、有給中に向こうの課へ返してやるだけである。
「よし。じゃあ行くか」
学友からの手紙によれば、恩師は晩年居を構えていた屋敷で静かに最期を向かえたらしい。私たち生徒が集っていた学舎のある街、その外れの森に自ら建てた屋敷だ。交通機関と魔法を使えば、3日後の葬儀には十分間に合うだろう。人族にしては早すぎると思わなくはないが……常々の師の言動を見ていると、大往生だったのだろうと思いたい。
昔に私たちを救ってくれた恩師に、おそらくは今回も助けられた我が先生に、最期の挨拶をしに行こう。その後のことはまあ、全部終わってから考えれば良い。
今までずっとずっと悩んでいたのが嘘のようだ。学友からの手紙で霧が晴れたような気分。おそらくは恩師が亡くなった実感がまだ沸かないからなのだろうが、学友たちの近況が知れるのも楽しみである。私はやけにすっきりした気分で鞄を持ち直し、まずはと辻馬車を捕まえて乗り込んだ。元職場から街の外れまで馬車で半日。そこで一泊して、目的の都市まで魔法を使いながら約半日。明後日の夕方頃には合流できるはずだ。のんびり行こう。
日々の職務でよほど疲れていたのだろうか。辻馬車が終点に着くまで、私はうとうとと居眠りをしていた。
懐かしいあの学舎での思い出を夢に見た。
はじめまして。よろしくお願いいたします。
彼らは、一度違う道へ旅立ったのです。