潜入、そして蠢く闇
岩陰から息を殺して見張りの様子を窺う。
松明の明かりに照らし出されているのは、ゴードンの言った通り、黒ずくめの鎧を纏った男が二人。手には抜き身の長剣を持ち、時折欠伸をしながらも、油断なく周囲に目を配っている。
「……ゴードン、俺が右から回り込んで、あの岩場の影から一人を片付ける。お前は俺が動いたのを見計らって、もう一人を引きつけろ。殺す必要はねえ、気を失わせるだけで十分だ。できるか?」
俺が小声で指示を出すと、ゴードンは緊張した面持ちながらも、力強く頷いた。
「へい、旦那。お任せくだせえ」
よし。こいつにも、少しは肝が据わってきたみてえだな。
俺は深呼吸一つ、音を立てぬよう慎重に動き出した。ヤクザの基本は隠密行動だ。修羅場を潜るうちに、自然と身についたスキルよ。
月も星もない闇夜は、俺たちの格好の隠れ蓑になった。
見張りの男たちの死角を縫うように進み、目当ての岩場の影に到達する。距離は、あと数歩。
一瞬の隙をついて、俺は地面を蹴った。
「なっ!?」
俺の気配に気づいた見張りの一人が驚きの声を上げるが、もう遅い。
俺は男の懐に飛び込むと同時に、持っていた鉈の柄で鳩尾を強打した。
「ぐっ……!」
男は短い呻き声を上げ、その場に崩れ落ちる。
ほぼ同時に、ゴードンも動いた。
「うおおおっ!」
野太い雄叫びを上げながら、もう一人の見張りに躍りかかる。
見張りは慌てて剣を構えるが、ゴードンの勢いに押され、体勢を崩した。そこへゴードンがショートソードの柄頭を叩き込み、見事に気を失わせる。
たいしたもんだ。元冒険者崩れってのは伊達じゃねえらしい。
「手際がいいじゃねえか、ゴードン」
「旦那こそ。さすがでやす」
俺たちは互いの健闘を称え、気を失った見張りを物陰に引きずり込み、手早く縛り上げた。これで、当分は邪魔は入らねえだろう。
「行くぞ」
俺たちは、廃坑の入り口へと足を踏み入れた。
ひんやりとした、湿った空気が肌を撫でる。そして、鼻をつくのは、獣の腐臭と、何やら薬品みてえなツンとした匂いが混じり合った、不快な臭いだ。
坑道は、人が一人やっと通れるくらいの狭さで、奥へ行くほど暗さを増していく。
俺はゴードンから松明を一本受け取り、火を灯した。揺らめく炎が、不気味な壁画が描かれた岩肌を照らし出す。それは、見たこともねえ異形の魔物と、それを崇める人間らしき姿だった。
「……気色の悪ぃもんだな」
「旦那、こいつは……何かの儀式に使われてた坑道かもしれやせんぜ」
ゴードンの声には、明らかな怯えの色が滲んでいる。
しばらく進むと、道が少し開けた場所に出た。
そこには、ゴードンが言っていた通り、解体された魔物の残骸らしきものが無造作に転がっていた。巨大な骨、引き裂かれた皮、そして、得体の知れねえ臓物。腐臭は一層強くなり、吐き気を催すほどだ。
「奴ら、こんなもんで一体何を……?」
その時、坑道のさらに奥から、金属を打つような甲高い音と、複数の男たちの話し声が微かに聞こえてきた。
俺はゴードンに合図し、松明の火を消して闇に紛れる。
音を頼りに、慎重に奥へと進んでいく。
やがて、坑道は大きく開けた空間へと繋がった。
そこは、まるで地下神殿のような広さで、中央には祭壇のようなものが設えられ、その周囲で数人の黒ずくめの男たちが何やら作業をしていた。
松明の明かりと、所々に置かれた発光する石(魔晶石の一種かもしれねえ)が、その光景を不気味に照らし出している。
男たちは、巨大な檻のようなものを取り囲み、何かを鎖で固定しようとしているようだった。
そして、その檻の中から……聞こえてきた。
ゴードンが言っていた、薄気味悪い唸り声が。
それは、苦痛と怒りに満ちた、獣とも人間ともつかねえような、悍ましい声だった。
「……何だ、ありゃあ……」
俺は息を呑んだ。
檻の中にいるのは、明らかに生きた何かだ。そして、そいつを中心に、男たちは何かよからぬことを企んでいる。
俺はゴードンに目配せし、さらに近づいて奴らの会話を盗み聞きしようと試みた。
風向きのせいか、断片的にしか聞き取れねえが……。
「……もうすぐだ……『魂の器』が完成すれば……」
「……贄が足りん……もっと新鮮な魔物の魂を……」
「……あの『柳』の紋章の連中も、まさか俺たちがこんなものを造ってるとは思うまい……」
魂の器? 贄? 柳の紋章……?
聞き捨てならねえ単語がいくつか耳に入ってきた。
特に最後の「柳の紋章」という言葉には、俺の胸がざわついた。まさかとは思うが……。
その時だった。
一人の男が、ふとこちらに顔を向けた。
鋭い目つき。俺たちの潜んでいる場所を正確に見抜いたわけではなさそうだが、何かを感じ取ったのかもしれねえ。
「……誰かいるのか?」
男の声に、他の作業員たちも一斉に動きを止め、警戒したように周囲を見回し始める。
まずい。気づかれたか。
俺はゴードンと顔を見合わせる。
退くか? いや、ここまで来て手ぶらで帰れるか。
それに、あの「柳の紋章」という言葉が、どうしても頭から離れねえ。
俺は、覚悟を決めた。
「ゴードン、準備はいいな?」
「……へい、旦那。いつでも」
こうなったら、派手にやるしかねえ。
俺は懐の石のナイフを抜き放ち、闇の中から躍り出た。
「よお、お前ら。夜中にこそこそと、随分と楽しそうなことをやってるじゃねえか。俺にも一枚噛ませてもらおうか?」
突然の乱入者に、黒ずくめの男たちは一瞬呆気にとられたような顔をしたが、すぐに凶悪な笑みを浮かべ、腰の剣に手をかけた。
「……どこぞのネズミかと思えば、命知らずの馬鹿が二匹か」
リーダー格らしき、一際体格のいい男が、冷たく言い放った。
廃坑の奥深く、薄暗い地下空間で、今まさに血生臭い宴の幕が上がろうとしていた。
柳瀬虎之介の異世界での「シノギ」は、とんでもねえ方向へと転がり始めたのかもしれねえ。