旅立ちの盃と、鉱山の影
橘馬頭を討ち取り、ゼニスの港を手中に収めた俺たち柳瀬組は、一夜にしてこの街の裏も表も動かす巨大な力となった。
だが、俺たちの戦争はまだ終わっちゃいねえ。氷川、そして神嶺組最強の武闘派「鬼神の玄武」が待ち受けるという「ドワーフ・マウンテン」。そこが、俺たちの次の戦場だ。
「いいか、俺たちがゼニスを留守にする間、この街のシマはロレンゾ、お前に預ける」
アジトで開かれた、ドワーフ・マウンテン遠征前の最後の作戦会議。俺は、意外そうな顔をするロレンゾに、そう告げた。
「わ、私ですか!? 組長、私のような者に、そんな大役は……」
「謙遜するな。お前には商人としての才覚と、何よりこの街を愛する心がある。金の流れを管理し、商人ギルドとの交渉、そして傘下に収めたチンピラどもを上手く使う。お前にしかできねえ仕事だ。俺が帰ってくるまで、このゼニスをしっかり守ってくれ」
俺がそう言うと、ロレンゾは涙ぐみながらも、力強く頷いた。
「……必ずや、このゼニスを、組長がお戻りになる日まで守り抜いてみせます!」
こいつなら大丈夫だろう。恐怖で従わせるだけじゃなく、信頼と利益で繋がってこそ、組織は強くなる。
ベイルは、ドワーフ・マウンテンという言葉を聞いた途端、子供みてえに目を輝かせやがった。
「ドワーフの鍛冶技術か! 俺の腕とどっちが上か、試してやるぜ! それに、オリハルコン鉱だと? そいつを一度この手で打ってみてえ!」
どうやら、奴の職人魂は、新たな目標を見つけて燃え上がっているらしい。ミリアも、ドワーフの古い伝承や、鉱山に眠る龍脈の謎について、書物を読み漁っている。
ゴードンは、斥候として先行し、ドワーフ・マウンテンまでのルート工作と、現地の情報収集に向かうことになった。あいつの元冒険者としての経験が、ここでも活きるはずだ。
俺は、ゼニスでの戦いで得た莫大な軍資金の一部を、ロレンゾに運営資金として渡し、残りを遠征の費用に充てることにした。
スネーク・バイトのザギには、俺の留守中の裏社会のまとめ役と、不審な動きがあればすぐに連絡することを命じた。あいつも、今や完全に柳瀬組の威光に恐れをなして、忠実な犬になり下がっている。
数週間の準備期間を経て、俺たち――虎之介、ミリア、ベイルの三人は、ゴードンが待つドワーフ・マウンテンへ向けて、ゼニスを旅立つ日が来た。
見送りに来たのは、ロレンゾと、彼が束ねる商人たち、そして、いつの間にか柳瀬組を慕うようになったゼニスの住人たちだった。
「組長! 必ずや、ご無事でお戻りください!」
「柳瀬組に栄光あれ!」
歓声と、期待と、そして少しばかりの畏怖が入り混じった視線。
悪くねえ気分だ。ヤクザが、こんな風に人に見送られるなんざ、元の世界じゃ考えられねえことだったからな。
俺は、馬上から軽く手を上げ、ゼニスの民に応えた。
「――留守は頼んだぜ、ロレンゾ! 次に戻る時は、ドワーフ・マウンテンの土産話と、さらにデカいシノギを持って帰ってきてやる!」
そう言い残し、俺たちはゼニスの城門を後にした。
ゼニスからドワーフ・マウンテンまでは、険しい山道が続く、長い旅路になるらしい。
道中、ゴードンが手配してくれた案内人のドワーフ(口数は少ないが、腕は確かそうだ)に導かれ、俺たちは鬱蒼とした森を抜け、岩だらけの荒野を越えていく。
「虎之介さん、ドワーフ・マウンテンは、かつては私たち森の民とも交流のあった、誇り高いドワーフたちの国だったと聞いています。ですが、神嶺組が来てから、その交流も途絶えてしまったとか……」
焚き火を囲みながら、ミリアが悲しそうに言った。
「神嶺組の連中は、ドワーフたちを力で抑えつけているだけじゃねえ。ミリアが言っていた『魂の契約』みてえなもんで、奴らの心を縛り付けている可能性もある。だとしたら、正面から喧嘩を売るだけじゃ、ドワーフたちを解放することはできねえかもしれねえな」
俺は、煙草の代わりに、ミリアがくれた薬草の葉を噛みながら、思考を巡らせる。
ベイルは、案内人のドワーフに、ドワーフの鍛冶技術について質問攻めにしていたが、ほとんど相手にされていなかった。それでも、諦めずに話しかけている。あいつも、職人としてのプライドを賭けて、この旅に臨んでいるんだろう。
旅を始めて十日ほどが過ぎた頃。
俺たちは、ついに巨大な山脈地帯へと足を踏み入れた。
その中央に、天を突くようにそびえ立つ、巨大な一つの山。あれが、ドワーフ・マウンテンに違いねえ。
だが、その威容とは裏腹に、山全体が、どこか不気味な静けさと、淀んだ気に包まれているように感じられた。
「……ゴードンの奴、そろそろ合流する頃合いのはずだが……」
俺がそう呟いた時、案内人のドワーフが、険しい表情で前方を指差した。
「……あれを見ろ」
その先には、黒焦げになった荷馬車の残骸と、いくつかのドワーフのものらしき武具が散乱していた。そして、地面には、新しい血痕。
「……襲撃か。神嶺組の連中か、それとも……」
俺の言葉を遮るように、ミリアが息を呑んだ。
「この気配……『黄昏の蛇』……! それも、以前よりもずっと強い!」
ミリアの顔から、血の気が引いている。
どうやら、このドワーフ・マウンテンは、神嶺組だけでなく、「黄昏の蛇」という、さらに厄介な毒蛇の巣にもなっているらしい。
氷川、鬼神の玄武、そして蠢く蛇の影。
俺たち柳瀬組の新たな戦いは、想像以上に過酷なものになりそうだ。
だが、俺のヤクザとしての血は、この危険な匂いに、むしろ奮い立っていた。
「上等じゃねえか。まとめて掃除してやるぜ」
俺は、ベイルがゼニスで新たに打ってくれた、より鋭く、より重い鉈を握りしめ、鉱山の奥へと続く、暗い道を見据えた。




