鐘楼の決闘
俺が決闘を宣言した翌日、ゼニスの地下アジトには、通夜みてえな重苦しい空気が漂っていた。
仲間たちは、俺の命令に表向きは従いながらも、その目には納得できねえという色と、深い憂慮が浮かんでいる。
「組長……本当に、一人で行くんでやすか?」
ゴードンが、何度も同じことを聞いてくる。
「ああ。これは、俺と、奴らの頭とのケジメだ。それに、お前らが来たところで、足手まといになるだけだぜ」
俺はわざと悪態をついて見せたが、こいつらが俺をどれだけ心配してくれているかは、痛いほど分かっていた。
ベイルは、工房に篭りっきりで、一睡もせずに何かを打ち続けていた。
ミリアは、俺のそばを離れず、静かに祈りを捧げ、俺の体に守護の魔法をかけ続けてくれている。そのせいで、彼女の顔色はまた少し悪くなっていた。
「ミリア、もういい。お前の力を、無駄遣いさせるわけにはいかねえ」
「いいえ。これは、無駄なんかじゃありません。虎之介さんが、私たちのために命を懸けてくれるんです。私にできることは、これくらいしか……」
その瞳は、潤んでいた。
日没が近づいた頃、ベイルが工房から出てきた。その手には、一本の、奇妙な形をした鉈が握られていた。
俺が今まで使っていたものよりも一回り小さく、刃の背には、いくつかの溝と、小さな穴が空いている。
「……虎之介。こいつを持ってけ。俺の、現時点で最高の傑作だ」
ベイルは、ぶっきらぼうにそう言って、鉈を俺に手渡した。
「ただの鉈じゃねえ。柄頭のこの部分を強く握り込むと、刃の溝から、特殊な油が染み出す仕掛けになってる。そいつに火がつけば……まあ、一瞬だけだが、火炎の剣みてえになる。一発限りの、奥の手だ。無駄死にだけは、すんじゃねえぞ」
「……ああ。ありがたく使わせてもらうぜ」
俺は、ずっしりと重い、仲間たちの想いが詰まった鉈を、確かに受け取った。
日が傾き、ゼニスの街が茜色に染まり始める。
「……時間だな」
俺は、誰に言うでもなく呟き、立ち上がった。
「組長!」
「行くな!」
仲間たちが、俺を引き止めようとする。
「いいか、これは組長の命令だ。俺が戻らなかったら、ミリア、お前がリーダーだ。ゴードン、ベイル、ロレンゾ、お前たちはミリアを支えて、ここから逃げろ。そして、いつか、必ず氷川に一発かましてやれ。分かったな?」
俺は、有無を言わせぬ眼光で、一人一人の顔を見据えた。
誰も、もう何も言えなかった。ただ、唇を噛み締め、拳を握りしめている。
俺は、そんな仲間たちに背を向け、一人、アジトを出た。
ゼニス大聖堂は、街の中心にそびえ立つ、荘厳な石造りの建物だった。
その鐘楼のてっぺんへと続く、長く暗い螺旋階段を、俺は一歩一歩、踏みしめるように登っていく。
これまでの人生が、走馬灯のように頭をよぎる。
ヤクザになったこと。神嶺組でのし上がったこと。氷川に裏切られたこと。そして、この異世界に来て、ミリアやゴードンたちと出会ったこと。
ろくでもねえ人生だったかもしれねえ。だが、今、この胸の中にあるのは、不思議なほどの静けさと、そして、仲間たちのために戦えることへの、わずかな誇りだった。
鐘楼のてっぺんにたどり着くと、冷たい風が俺の頬を撫でた。
眼下には、夕焼けに染まるゼニスの街並みが広がっている。美しい景色だ。死に場所としては、悪くねえかもしれねえな。
俺が景色に見とれていると、背後で、音もなく一つの影が形を成した。
約束通り、一人で現れた、クリムゾン・リーパーのリーダー。
そいつは、黒いローブを目深に被っており、顔は窺えない。体格は、俺より少し華奢に見える。女か?
「……来たか。律儀なこったな、暗殺者のくせに」
俺が声をかけると、影は静かに答えた。その声は、鈴の音のように澄んでいるが、どこまでも冷たい、女の声だった。
「……あなたのような男の挑戦を、無視することは、我々の流儀に反する。それに、あの『計画書』は、我々にとっても興味深い」
「ほう。神嶺組とは、ただの金だけの関係でもねえらしいな」
「彼らは、我々に『力』を約束した。我々が、何者にも縛られず、我々の『正義』を執行するための、力をな」
「正義、ねえ。金で人殺しを請け負う奴らの正義なんざ、反吐が出るぜ」
「あなたに、我々の何が分かる」
女の声に、初めて感情の色が宿った。それは、深い、深い怒りの色だった。
「問答は無用だ。始めよう。この街の最後の鐘が鳴り響く時、立っているのは、我々か、あなたか」
女は、ローブの中から、二本の、曲線を描く奇妙な短剣を取り出した。その刃は、夕焼けの光を吸い込んで、鈍い紅に輝いている。
ちょうどその時、大聖堂の鐘が、ゴォーン……と、重々しく鳴り始めた。
日没を告げる鐘の音。
俺たちの、決闘の合図だ。
俺は、ベイルが作ってくれた新しい鉈を、静かに構えた。
懐には、オフクロのお守り。
背負っているのは、柳瀬組の仲間たちの想い。
「……面白い。ヤクザ殺して、名を上げろ。柳瀬虎之介、推参!」
俺は、極道としての最後の啖呵を切り、地面を蹴った。
女もまた、音もなく、滑るように俺に向かってくる。
ゼニスの空に響き渡る鐘の音の中、俺と、大陸最強の暗殺者の、互いの全てを懸けた死闘が、今、始まった。
茜色の空が、まるで血の色のように、俺には見えた。




