地回りの躾と、決戦前夜
「スネーク・バイト」の根城は、ゼニスの裏社会の汚泥が溜まったような、吐き気のする酒場だった。
俺が一人でその扉を蹴り開けると、昼間だというのに酒と薬草の煙で淀んだ空気の中、ゴロツキどもが一斉に俺に注目した。
「なんだ、てめえは。見ねえ顔だな」
一番近くにいた、蛇の刺青を顔にまで入れた男が、凄んできやがる。
「柳瀬だ。てめえらのボスに用がある。案内しろ」
俺がドスを利かせた声で言い放つと、店中のゴロツキどもがゲラゲラと下品に笑いやがった。
「ハッ、ボスに会いてえだと? 度胸だけは一人前らしいな。だがな、小僧、まずは俺たちを楽しませてもらおうか!」
刺青の男が、ナイフを抜きながらにじり寄ってくる。
俺は、ため息一つ。
「……ヤクザの世界じゃな、下っ端が余計な口を挟むと、指の一本や二本じゃ済まねえんだぜ」
俺は、男がナイフを振りかぶるより早く、その懐に飛び込んだ。
そして、男の手首を掴んで捻り上げ、肘を逆方向に蹴り上げる。ゴキッ、という鈍い音と、間抜けな悲鳴。
「言っただろうが。躾がなってねえな」
俺は、腕を押さえて蹲る男を見下ろし、冷たく言い放った。
店の空気が、一瞬で凍り付く。
俺は、その場にいた十数人のゴロツキどもを、一人、また一人と、 methodical に、しかし容赦なく叩きのめしていった。ベイルが打ってくれた新しい鉈は使わねえ。素手と、そこらにある椅子や酒瓶で十分だ。こいつらは、恐怖で支配するのが一番手っ取り早い。
ものの数分で、酒場には俺一人だけが立ち、残りは床でのびていた。
「……さて、と。ボスはどいつだ? まだ立っていられる奴がいるなら、教えてもらおうか」
俺がそう言うと、店の奥の扉が開き、このゴロツキどもよりは幾分かマシな格好をした、痩せぎすで目のギラついた男が出てきた。こいつが、スネーク・バイトの頭、ザギだろう。
「……てめえ、一体何者だ? アークライト商会の差し金か?」
ザギは、俺を警戒しながらも、まだ強気を崩していねえ。
「勘違いするな。俺は、お前らが一番嫌ってるアークライト商会を、これから潰そうと思ってる男だ」
「何だと……?」
「俺は、柳瀬虎之介。新しく、このゼニスで組を立ち上げた。挨拶に来てやったんだよ」
俺は、床に転がっていたナイフを拾い上げると、ザギの目の前のテーブルに突き立てた。
「俺たちがアークライト商会と戦争してる間、てめえらは黙って見てろ。もし、火事場泥棒でも働くってんなら、見逃してやる。だが、俺たちの邪魔をするような真似をしてみろ。その時は、お前らのシマごと、跡形もなく消し去ってやる。分かったか?」
俺の殺気に、ザギの喉がゴクリと鳴った。
痩せぎすの体は、恐怖で小刻みに震えている。
「……わ、分かった。あんたたちのやることに、手は出さねえ……」
「よろしい」
俺は、ザギの肩をポンと叩き、床に落ちていた財布から金を数枚抜き取ると、カウンターに置いた。
「これは、店を汚した迷惑料だ。釣りは、てめえらの治療費にでも使え」
そう言い残し、俺はゴロツキどもが呻く酒場を後にした。
これで、背後を突かれる心配はなくなった。ゼニスの裏社会は、当分の間、柳瀬組の存在を無視できねえだろう。
アジトに戻ると、他のメンバーたちの準備も着々と進んでいた。
ゴードンは、港の労働者たちのまとめ役である、元船乗りの巨漢と兄弟盃を交わし、ストライキの段取りを完璧に整えていた。
ロレンゾは、涙ながらに商人ギルドの重鎮を説得し、アークライト商会への調査を約束させる嘆願書を取り付けてきた。あいつ、意外と根性があるじゃねえか。
ベイルのアジト工房からは、連日、金属を打つ音と、時折、小さな爆発音が聞こえてくる。試作品の煙幕弾が、期待以上の性能を発揮しているらしい。
そしてミリアは、港全体の気配を探り続け、警備の薄い時間帯や、神嶺組の組員の正確な人数、そして、橘馬頭が現在ゼニスにいないという、重要な情報を突き止めてくれた。
全ての駒が、盤上に揃った。
そして、Xデー前夜。
俺たち五人は、ゼニスの地下アジトで、最後の作戦会議を開いていた。
テーブルの上には、ベイルが作り上げた「喧嘩道具」の数々が並んでいる。
「……いいか、これが俺たちの戦争だ。失敗は許されねえ」
俺は、集まった仲間たちの顔を見回した。
元ヤクザの俺。元冒険者崩れのゴードン。森の守り手のミリア。酒浸りの鍛冶屋だったベイル。気弱な織物商だったロレンゾ。
どう見ても、正規軍じゃねえ。だが、こいつらは、俺が信じて選んだ、最高の「組員」だ。
「明日の夜明けと共に、ゴードンとロレンゾが仕掛けた『揺さぶり』が始まる。港と街が混乱に陥った時が、俺たちの出番だ。ベイルの道具を使い、ミリアの援護を受け、俺とゴードンで、港の管理事務所を強襲する。目的は、港の利権に関する全ての書類と、奴らの資金を奪うこと。そして、神嶺組の詰所を叩き潰し、この港が、今日から俺たち『柳瀬組』のシマになったと、ゼニスの全てに知らしめることだ」
俺の言葉に、全員が固唾を飲んで頷く。
緊張と、武者震いが、この地下室に充満していた。
「これは、ただの喧嘩じゃねえ。俺たちのシマを作るための、最初の『盃』だ。この盃、きっちり飲み干して、俺たちの伝説を、ここから始めるぞ!」
「「「応!!」」」
力強い声が、アジトに響き渡った。
窓の外は、嵐の前の静けさに包まれている。
明日、この商業都市ゼニスは、俺たち柳瀬組が巻き起こす嵐の中心になる。
神嶺組よ、氷川よ、橘よ。
お前らが築き上げた安穏は、今夜で終わりだ。
極道の世界の本当の厳しさを、この異世界で、骨の髄まで教えてやる。




