街道と、商業都市の喧騒
フィラル村を出て、俺たちは西へ続く街道をひたすら歩いた。
村の周りのこぢんまりとした森とは違い、どこまでも続くかのような広大な平原、見たこともねえ色とりどりの花が咲き乱れる丘、そして遠くの空を突き刺すようにそびえ立つ、雪を被った巨大な山脈。この世界の広大さを、俺は肌で感じていた。
道中は、比較的穏やかだった。
ゴードンの元冒険者としての知識は、こういう時に大いに役立った。安全な野営地の選び方、火のおこし方、食える植物の見分け方。俺とミリアは、ある意味、ゴードンに弟子入りしたようなもんだった。
夜、焚き火を囲んで話をするのが、日課のようになった。
「旦那は、元の世界じゃ相当な大物だったんでやすね」
ゴードンが、俺のヤクザ時代の話の切れ端を聞いて、目を輝かせながら言った。
「大物、ねえ。まあ、デカい組の幹部だったのは事実だが、結局は裏切られて殺されかけたんだ。偉そうなこた言えねえよ」
「それでも、大勢の人間をまとめてたってのはすげえことでさぁ。俺なんざ、冒険者やってた時も、いつも一人で……いや、パーティー組んでもすぐ仲間割れでよう」
ゴードンはそう言って、自嘲気味に笑った。
「ミリアさんは、ずっとフィラル村にいたんでやすか?」
ゴードンが尋ねると、ミリアは焚き火の炎を見つめながら、静かに答えた。
「はい。私は、物心ついた時からあの森の守り手として育てられました。外の世界のことは、ほとんど知りません。だから、こうして旅をするのは……少し怖いけど、でも、とても新鮮です」
その横顔は、守り手としての使命感と、一人の娘としての好奇心が入り混じった、複雑な表情をしていた。
俺たちは、互いの過去を少しずつ語り合うことで、ただの寄せ集めから、本当の「チーム」になっていくのを感じていた。
道中、ゴブリンの群れみてえな雑魚魔物に何度か襲われたが、ベイルが打ってくれた新しい武具と、俺たちの連携の前には敵じゃなかった。俺の鉈が敵の盾を砕き、ゴードンの剣が急所を貫き、ミリアが魔法で援護する。我ながら、なかなかのコンビネーションだ。
そして、旅を始めて五日目の昼過ぎ。
地平線の向こうに、巨大な街の影が見えてきた。
「……旦那、あれが……商業都市ゼニスでさぁ」
ゴードンの声には、興奮と畏怖が入り混じっていた。
近づくにつれて、その巨大さがはっきりと分かってくる。天を衝くような高い城壁、その上には無数の旗がはためき、城門へと続く道には、俺たちのような旅人や、荷物を満載した馬車が長蛇の列を作っていた。
「……こいつは、すげえな」
俺は思わず呟いた。
東京や大阪の比じゃねえかもしれねえ。中世ヨーロッパみてえな街並みと、アジアの市場みてえな猥雑さがごちゃ混ぜになったような、圧倒的なエネルギーがそこにはあった。
城門をくぐると、その喧騒はさらに激しさを増した。
人間だけじゃねえ。ミリアみてえな獣人、ドワーフみてえな背の低い屈強な種族、エルフみてえな耳の尖った優美な連中。あらゆる人種が、怒鳴り、笑い、駆けずり回っている。スパイスの匂い、家畜の匂い、そして、人いきれの匂いが混じり合って、むせ返るようだ。
「……金の匂いと、トラブルの匂いがプンプンしやがるな」
俺は、この街の空気を吸い込み、ニヤリと笑った。
こういう混沌とした街は、俺みてえなヤクザにとっては最高の漁場だ。シノギの種は、そこら中に転がっているに違いねえ。
「まずは宿を確保するぞ。安くて、目立たねえ場所がいい。ゴードン、心当たりは?」
「へい! この手の街なら、裏通りに旅人向けの安宿があるはずでさぁ。俺が案内しやす」
俺たちはゴードンの先導で、大通りから外れた、薄暗い路地裏へと入っていった。
華やかな表通りとは打って変わって、そこには貧困と暴力の匂いが染みついていた。壁には怪しげな落書きがされ、虚ろな目をした連中が道の隅に座り込んでいる。
こういう場所の方が、俺はよほど落ち着く。
やがて、ゴードンが「ここなら大丈夫でしょう」と言って、一軒の古びた宿屋の扉を開けた。
中から出てきたのは、片目に眼帯をした、人の悪そうな宿屋の主人だった。
「ようこそ、『溜まり場亭』へ。部屋は空いてるぜ。ただし、うちは前払いだ。それに、厄介事は持ち込むんじゃねえぞ」
主人は、俺たちを値踏みするようにジロリと見た。
悪くねえ。こういう、裏社会の掟を分かってるような奴の方が信用できる。
「ああ、分かってる。静かに泊まらせてもらうだけだ。一部屋頼む」
俺は銅貨を数枚カウンターに置くと、主人は満足そうに頷き、鍵を一つ寄越した。
部屋に荷物を置き、一息ついた俺たちは、早速情報収集を始めることにした。
「俺は少し街の様子を見てくる。ゴードンとミリアは、この宿屋の主や、下の酒場にいる連中から、それとなく例の『商人風の一団』や、神嶺組みてえな黒ずくめの連中の噂が出てないか探ってみてくれ。だが、深入りは禁物だ。あくまで自然にだ」
「「了解!」」
俺は一人で、再び街の喧騒の中へと足を踏み出した。
この巨大な商業都市ゼニスに、神嶺組はどんな根を張っているのか。
そして、例の商人どもは、一体何をこの街に運び込んだのか。
俺のヤクザとしての勘が、この街にはとんでもねえ「ヤマ」が眠っていると告げていた。
まずは、この街で俺の「シノギ」の足がかりを見つけることからだな。
手始めに、一番レートのいい両替商と、一番タチの悪い賭場でも探してみるか。
柳瀬虎之介の、商業都市ゼニスでの闇金道が、静かに幕を開けた。