守り手の告白と、世界の歪み
廃坑の騒ぎが嘘のように静まり返った後、俺とゴードンは、ミリアに促されるまま、あの薄気味悪い廃坑を後にした。
「黄昏の蛇」の残党は、ミリアが言うには「この地の精霊たちによって、然るべき場所へ導かれる」とのことだった。それが具体的にどういうことなのかは分からねえが、少なくとも俺たちが手を下す必要はなさそうだ。
あの暴走していた魔獣も、ミリアが何か呪文のようなものを唱えると、光の粒子となって霧散しちまった。後には、禍々しい気配だけがうっすらと残っている。
ミリアの家に戻ったのは、夜が白み始める頃だった。
俺もゴードンも、さすがに疲労困憊だったが、それ以上にミリアから語られるであろう話に、妙な緊張感を覚えていた。
粗末な木のテーブルを囲み、ミリアが淹れてくれた薬草茶をすする。その味はいつもと同じはずなのに、今の俺にはどこか違うものに感じられた。
「虎之介さん、ゴードンさん……。まずは、黙っていたことをお詫びします」
ミリアは深々と頭を下げた。獣の耳がしょんぼりと垂れている。
「顔を上げろよ、ミリア。お前があの場で出てきてくれなきゃ、俺たちは今頃どうなってたか分からねえ。むしろ礼を言うのはこっちの方だ」
俺がそう言うと、ゴードンもこくこくと頷いた。
「へ、へい! ミリアさんのおかげで助かりやした!」
ミリアは少しだけ表情を和らげたが、すぐに真剣な眼差しに戻り、語り始めた。
「私は……このフィラル村を含む一帯の土地を守護する、『森の民』の末裔です。あの廃坑は、私たちの一族にとって聖なる場所であり、同時に、古の時代に封印された『何か』が眠る場所でもあります」
「封印された何か、ねえ。そいつが、あの魔獣と関係があるのか?」
「はい。正確には、あの魔獣は『何か』の力のほんの一部が、悪しき者たちの手によって歪んだ形で具現化したものです。『黄昏の蛇』と名乗る者たちは、その封印を解き、古の力を手に入れようとしていました。そのために『魂の器』となる強靭な魔獣の肉体と、多くの魔物の魂を贄として捧げようとしていたのです」
なるほどな。あの禍々しい儀式は、とんでもねえ代物を呼び覚ますための準備だったってわけか。
「じゃあ、神嶺組は? あいつらは何であの場所にいたんだ? 『柳の紋章』が敵対してるって話だったが」
俺が一番聞きてえ核心に迫ると、ミリアの表情が曇った。
「神嶺組……彼らは、数年前からこの世界に現れるようになった、異世界からの来訪者です。彼らは、私たち『森の民』や他の土着の勢力が守ってきた聖地や、力の源泉となる場所を次々と襲撃し、その力を奪おうとしています」
「異世界からの来訪者……やはりそうか」
俺の予想は当たっていた。
だが、問題はどうやって、だ。
「彼らは、『次元の裂け目』とでも言うべき不安定な通路を使い、自分たちの世界とこの世界を行き来しているようです。そして、この世界の資源……特に魔晶石や、聖地に眠る古の遺物などを狙っています。あの廃坑も、彼らにとっては価値ある『獲物』の一つだったのでしょう」
次元の裂け目。まるでSF映画みてえな話だが、この世界ではそれが現実らしい。
そして、神嶺組は、その裂け目を利用して、この異世界で略奪行為を働いているというわけか。ヤクザがやるこっちゃ、どこの世界でも変わらねえな。
「だが、橘とかいう若造は、俺のことを知っていた。俺が死んだと思われていたこともな。それはどういうことだ?」
「おそらくですが……神嶺組の中には、虎之介さんのように、何らかの理由でこちらの世界に『転生』あるいは『転移』してしまった者もいるのかもしれません。そして、彼らが元の組織と再び接触し、異世界への侵攻を手引きしている……という可能性も考えられます」
転生したヤクザが、元の組と繋がって異世界で悪事を働く。
冗談みてえな話だが、あの橘の態度を考えると、ありえねえ話じゃねえ。
俺を裏切った連中の中に、こっちの世界に来ている奴がいるのかもしれねえ。そして、そいつが神嶺組を呼び込んだ……。
「……だとしたら、許せねえな」
俺の拳に、自然と力が入る。
俺は組に裏切られ、殺された。その恨みは忘れちゃいねえ。
だが、その組が、今度はこの異世界を荒らし回っているとなれば、話は別だ。
ミリアやゴードンは、俺にとってはこの世界で最初に出会った、いわば「隣人」だ。その隣人が苦しめられているのを、黙って見てるわけにはいかねえ。
「ミリア、その『次元の裂け目』ってのは、どこにあるんだ? そいつを塞ぐなり、壊すなりできねえのか?」
「裂け目は、世界各地に複数存在し、常に不安定で、出現する場所も一定ではありません。私たち『森の民』も、その監視と封印を試みていますが、神嶺組の妨害もあり、完全には抑えきれていないのが現状です」
ミリアの声には、深い憂いが滲んでいた。
こいつは、ただの村娘なんかじゃなく、世界の危機に立ち向かっている戦士なんだ。
「……そうか。厄介な話だな」
俺は腕を組み、考え込んだ。
神嶺組の目的は、おそらくこの世界の資源と支配。そのためなら、どんな汚え手も使うだろう。
そして、俺は奴らにとって、邪魔な存在でしかねえ。橘の言葉を借りれば、「ここで死んでもらうしかねえ」わけだ。
だが、俺は大人しく殺されてやるつもりは毛頭ねえ。
この異世界で、もう一度「柳瀬虎之介」として生きていくと決めたんだ。
そのためには、神嶺組という巨大な壁を、何としてもぶっ壊さなきゃならねえ。
「ゴードン」
「へ、へい、旦那!」
「お前も聞いた通りだ。俺は、神嶺組とやり合うことになるだろう。お前は、どうする? これは、お前が思ってる以上にヤバい話だ。手を引くなら、今のうちだぜ」
俺はゴードンに選択を委ねた。こいつをこれ以上危険な道に引きずり込むのは本意じゃねえ。
だが、ゴードンは首を横に振った。
「旦那……俺は、旦那に拾ってもらった命だ。旦那が行くっていうなら、どこへでもついて行きやすぜ! それに、俺もあの神嶺組とかいう連中、気に入らねえんでね!」
その目には、ヤクザの鉄砲玉みてえな、決死の覚悟が宿っていた。
「……そうか。なら、頼むぜ、相棒」
俺はゴードンの肩を叩いた。
「ミリア」
「はい、虎之介さん」
「俺は、神嶺組を潰す。そのためなら、何でもする。お前の力も、貸してほしい。この世界を守るために、一緒に戦っちゃくれねえか?」
俺の言葉に、ミリアは驚いたように目を見開いた。
だが、すぐにその瞳に強い決意の光を灯し、力強く頷いた。
「……はい! 虎之介さんがそう言ってくださるなら、私も、この身に宿る全ての力で戦います!」
こうして、元ヤクザと、元冒険者崩れのチンピラと、森の守り手の獣耳娘という、奇妙なトリオが誕生した。
相手は、かつて日本の裏社会を牛耳った巨大ヤクザ組織と、この異世界で暗躍する謎の勢力。
途方もねえ戦いになるだろう。
だが、不思議と恐怖は感じなかった。
むしろ、腹の底から湧き上がってくるのは、武者震いにも似た高揚感だ。
柳瀬虎之介の、異世界での本当の「落とし前」が、今、始まろうとしていた。