血煙と、柳の紋章の男
「……どこぞのネズミかと思えば、命知らずの馬鹿が二匹か」
リーダー格らしき大男の言葉を合図に、黒ずくめの連中が一斉に剣を抜き放ち、俺たちに襲いかかってきた。数は向こうが三、俺たちが二。残りの二人はまだ檻のそばで何か作業をしているようだが、すぐに加勢してくるだろう。状況は不利だ。だが、ヤクザの喧嘩ってのは、数だけで決まるもんじゃねえ。
「ゴードン! 右の奴は任せた!」
「へい、旦那!」
俺は鉈を逆手に持ち替え、正面から切りかかってくる大男の剣を紙一重で避ける。デカい図体してやがるが、動きはそれほど速くねえ。だが、一撃が重そうだ。まともに食らったら、今の俺の体じゃ一発でオダブツだろう。
「おらあっ!」
俺は低い姿勢から、大男の足元を狙って鉈を振るう。ヤクザの喧嘩は、綺麗事じゃねえんだ。急所を狙えるなら、どこだろうと躊躇はしねえ。
大男は慌てて後退するが、その隙に俺はさらに踏み込み、懐に潜り込む。
「舐めんじゃねえぞ、小僧!」
大男が怒声と共に剣を振り下ろすが、俺はそれを読んで身を翻し、男の脇腹に強烈な肘打ちを叩き込んだ。
「ぐふっ!」
さすがに鍛えているのか、一撃では倒れねえ。だが、確実にダメージは与えたはずだ。
その間にも、ゴードンはもう一人の男と互角に渡り合っていた。ショートソードを巧みに操り、相手の攻撃を受け流しながら反撃の機会を窺っている。元冒険者崩れってのは、やはり伊達じゃねえ。
「ちぃっ、こいつら、ただのチンピラじゃねえぞ!」
「手間かけさせやがって!」
残りの男たちも剣を抜き、じりじりと俺たちを包囲しようと動き出す。マズいな、囲まれたら厄介だ。
「ゴードン! 奴らの狙いはあの檻の中の何かだ! あの檻を壊せば、奴らの注意をそらせるかもしれねえ!」
俺は戦いながらゴードンに叫んだ。
「へ、へい! やってみやす!」
ゴードンは相手を蹴り飛ばして距離を取ると、檻に向かって駆け出した。
「おい、止めろ!」
男の一人がゴードンを追おうとするが、俺がそいつの前に立ちはだかる。
「お前の相手は俺だぜ?」
俺はニヤリと笑い、鉈を構え直す。
その時だった。
檻のそばで作業していた男の一人が、何か詠唱みてえなものを始めた。
「……闇の帳よ、愚かなる侵入者を戒めよ……ダーク・バインド!」
男が叫ぶと同時に、俺の足元から黒い影のようなものが何本も伸びてきて、足首に絡みついてきた。
「なっ!? 魔法か!」
この世界に来て初めて喰らう、本物の魔法だ。
影はまるで生きているみてえに俺の動きを封じ込めようとする。ヤクザの腕力でも、そう簡単には引きちぎれそうもねえ。
「くそっ!」
身動きが取れなくなった俺に、大男がニヤリと下卑た笑みを浮かべて近づいてくる。
「終わりだな、ネズミ。お前が何者か知らねえが、俺たちの邪魔をする奴は生かしておけねえ」
大男が剣を振りかぶる。万事休すか――。
「旦那ぁ!」
その瞬間、ゴードンが檻の蝶番らしき部分にショートソードを叩きつけ、見事に破壊した。
ギギギ……という軋む音と共に、檻の扉がわずかに開く。
そして――。
「グオオオオオオオオオッ!!」
檻の中から、今までとは比較にならねえほどの凄まじい咆哮が轟いた。
地響きと共に、檻が内側から激しく揺さぶられる。
「な、何だ!?」
「おい、まだ『器』は不安定だぞ!」
黒ずくめの男たちが狼狽する。
俺を拘束していた影の力も、一瞬弱まった。
「今だ!」
俺はその隙を見逃さず、全力で影を引きちぎると、大男の懐に再び飛び込み、がら空きになった顎に強烈なアッパーを叩き込んだ。
「ぐがっ!」
巨体が、今度こそ床に崩れ落ちる。
檻からは、巨大な、毛むくじゃらの腕が突き出て、鉄格子を力任せに引きちぎり始めた。
姿を現したのは、身の丈3メートルはあろうかという、狼とも熊ともつかねえような、禍々しい魔獣だった。その目は赤く爛々と輝き、全身から殺気を放っている。
「クソッ! 暴走しやがった!」
「お前ら、早くアレを抑えろ!」
黒ずくめの男たちは、俺たちへの攻撃を忘れ、慌てて魔獣の対処にかかる。状況は一変した。
俺はゴードンと合流し、少し距離を取る。
「旦那、ありゃあ一体……」
「さあな。だが、俺たちにとっては好都合だ。この騒ぎに乗じて、情報を引き出すぞ」
俺は、最初に魔法を使ってきた男に狙いを定めた。あいつが一番状況を把握していそうだ。
魔獣と他の男たちが戦っている隙をついて、俺はその男の背後に回り込み、首筋に石のナイフを突きつけた。
「動くな。動けば、お前の喉笛を掻っ切るぞ」
「ひっ……!」
男は観念したように動きを止める。
「いくつか聞きてえことがある。正直に答えろ。まず、お前たちがここで何をしていたのか。あの魔獣は何だ? そして……『柳の紋章』とは何のことだ?」
俺の最後の質問に、男の肩が微かに震えた。
「……な、なぜお前がその紋章のことを……」
「質問に答えるのはお前の方だ。答えねえなら、こいつがお前の喉とキスすることになるぜ」
俺はナイフの刃を、男の皮膚に食い込ませる。
男は恐怖に顔を引きつらせながら、絞り出すように言った。
「……我らは、『黄昏の蛇』に仕える者……。あのお方は、古の力を復活させ、この世界に新たな秩序をもたらそうとされている……。あの魔獣は、そのための……『魂の器』の実験体だ……」
「黄昏の蛇? ふざけた名前だな。で、『柳の紋章』との関係は?」
男は一瞬ためらったが、俺がナイフに力を込めると、観念したように口を開いた。
「……柳の紋章は……我らが敵対する組織の一つ……。奴らは、古の力を……独占しようとしている……。特に……『神嶺組』と名乗る連中が……」
神嶺組――。
その名を聞いた瞬間、俺の全身に電流が走った。
まさか、こんな異世界で、その名を聞くことになるとは。
俺がかつて所属し、そして裏切られた、日本の裏社会を牛耳るヤクザ組織の名を。
「……神嶺組だと? どういうことだ……。詳しく話せ!」
俺が男にさらに問い詰めようとした、その時だった。
「そこまでだ、ネズミども」
冷たく、そしてどこか聞き覚えのある声が、廃坑の入り口方向から響いてきた。
俺がハッとそちらを見ると、そこには、松明の明かりに照らし出された、一人の男の姿があった。
歳の頃は俺と同じくらいか、あるいは少し若いかもしれねえ。
身に纏っているのは、上質な黒い着物。そして、その背中には……。
紛れもねえ、俺がかつて背負っていたのと同じ、「柳に燕」の代紋が、大きく染め抜かれていた。
「お前は……誰だ?」
俺の声は、自分でも驚くほどに震えていた。
男は、薄暗がりの中でも分かるほど整った顔立ちに、冷酷な笑みを浮かべて言った。
「神嶺組若頭補佐、橘馬頭。お前のようなドブネズミが嗅ぎ回っていい場所じゃねえんだよ、ここは」
橘……馬頭だと? 神嶺組に、そんな名前の幹部はいなかったはずだ。
だが、あの紋章は本物だ。
そして、あの男から感じる、底知れねえプレッシャー。
こいつは……ただ者じゃねえ。
廃坑の奥深く。
魔獣の咆哮と、男たちの怒号が響き渡る中、俺は、かつて自分がいた世界の因縁と、この異世界で再び対峙することになった。
柳瀬虎之介の運命は、ますます予測不可能な方向へと転がり始めていた。