ウスベニアオイと養姉妹
参考文献:檸檬/梶井基次郎
普段は飄々と、物語に真正面から向き合う人が、こうも落ち込んでいる。
仕方ない。こればっかりは。
喧嘩の原因は分からないけど、大切な人が、嫌いと叫び、外に出て行ってしまったのだから。
三月とはいえ、まだ寒い。
佐沼の姉の方は、犬山と平に任せたからきっと大丈夫。
「佐沼さん、」
「時雨さん、白姉のあれは、本音だと思うかい」
「まさか。そんな訳ないじゃないですか」
そっか、そうだよね。
そう言いつつも、不安は隠しきれていなかった。
佐沼は、火をつけた煙草を片手に持っていたが、口に持っていくことはせず、灰が地面に落ちていた。
煙草の匂いは嫌いだが、今そんなことを言うべきじゃないので、眉間に皺を寄せて耐える。
ふと、佐沼が煙草の火を消し、立ち上がった。
何かを思いついた風だった。
「帰る、」
「え?」
「俺、家に帰ってるから、白姉戻ってきたらそう伝えて」
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「白さん帰りました、そのまま。」
犬山が、戻ってきて早々教えてくれた。
「佐沼さんもです」
平は、やっぱりか、とでも言うような顔をした。犬山も呆れたようにため息をつく。
私は訳が分からず、二人にどういうことか訊ねた。
すると二人は口を揃えて
「あの二人、素直じゃないから」
とだけ言った。
どういうことなんだ。
それをそのまま受け取るならば、佐沼も白井も、素直に待っているのが恥ずかしいから、直接自宅に帰ったということにならないか。
だとしたら、なんというか、面倒な姉妹だ。
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「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた」
梶井基次郎・著/檸檬
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昔どこかで読んだ本に、そんな文言があった。
俺の本への興味は、それだったのかもしれない。
俺の小説への興味は、そこからだった。
こんなにもシンプルに、こんなにも理解のしやすい文章があったのか。
得体の知れない不吉な塊が、何を指し示すのか。
かつての俺の解釈は、どうだっただろうか。




