第2話 私の名はサタ
『──契約だ』
「契約?」
『そうだ。ここで終わりたくないのだろう。ならば、私の力を貸してやる。』
そう、これは契約。私をこの忌々しい封印から解き放ち、魔王の座を取り戻すための手足とする契約だ。
無論、勇者に憧れている彼にはこの事を明かさない。
「誰か知らないけど、力を得る代わりに俺は何をすればいい?」
私が彼を気に入った──いや、選んだ理由は二つある。ひとつは、光輝なる伝説で得た順応力。様々な説話で知識を蓄えたことにより、あらゆる状況に対応できる気構えが備わっていた。魔王軍に遭遇しようが、謎の女に導かれようが、謎の契約を持ちかけられようが、彼にとってはそこまで動転する出来事でもないのだ。
まあ、持っているのはあくまでも気構え。実際に窮地を脱することができるかは別だが。
『貴様には魔王に封印された私の身体を取り戻してもらう』
彼を突き動かすための嘘。あながち間違いではないが。
「魔王に封印された……?」
『私は、500年前魔王に敗れた勇者だ』
これも嘘。私は彼を従わせるため、彼好みの設定を用意した。
──500年前、勇敢にも魔王に挑んだ、死なずの勇者。幾度殺されようとも傷を修復させ復活を果たす能力を持ち、幾度も立ち上がった英雄。しかし、魔王によって身体を細々に引き裂かれ、二度と復活しないよう、その全てを世界の各地に封印されてしまった。
という、作り話。彼には勇者を救う勇者になってもらう。
以上の身の上話を端的に聞かせた。
「じゃあ契約成立で」
眼鏡を光らせながら、思惑通りの答えを返してくれた。
ひとつ気になるとすれば、勇者に対する言葉遣いだろうか。勇者には尊敬を抱く人間だと思っていたが、勘違いだったらしい。噓がバレたか? いや、私の彼に対する人物評では、悪には与しない人物だ。少なくとも善に属する者であると考えていなければ契約など交わさない。だとすれば……私が不遜な態度だから、それに合わせているのか?
ともあれ、契約は結ばれた。言葉遣いという些細な点ではあるが、予想外に飽きさせぬ人間であることは喜ばしい。同じ道を歩む内は、私の想像を超える活躍を期待するとしよう。
「魔王に身体をバラバラにされたと言ってたけど」
『そうだ』
「五体満足に見えるけど?」
少年の目には確かに、見目麗しく可憐な金髪の麗人が映っている。
『それは私が見せている幻覚にすぎない。アレのまま会話すると余りにも寂しい絵面になってしまう』
幻が指差す奥には炭化したような右手がポツリと置いてあった。
「あれが本体か」
さも真の姿のように言われると少し言い返したくなるが、あれが今の私だ。回復能力を削がれ、瑞々しさを失ったミイラ。屈辱この上ない。
『さあ、手に触れろ。お前に力の一端を渡す』
封印が弱まった手をもぞっと動かす。
「……」
……竦んでいるのだろうか。冷や汗を垂らし、陰った目で私の枯れた右手を睨んでいる気がするが、気のせいだろう。今は無き胸が痛むようなこの想いも、やはり気のせいだ。
「触れたよ」
いつの間にか彼は私の手を握っていた。
言い忘れていた。私が彼を選んだ理由の二つ目は──才が無くとも失くすことのない、覚悟の強さ。
500年ぶりに手に戻る感触。
思わず幻越しに微笑む。
──瞬間、封印内に目映い光が弾けた。
全ての時が止まったかのような白い空間で、私は彼に身を寄せ、耳打ちをする。とうの昔に捨てた名を。
『私の名はサタ。契約成立よ』
不意に口調が崩れてしまったが、仕方ない。
毎日更新している人を尊敬のまなざしで見つめる。