とあるGWの一日
令和4年(2022年)5月4日水曜日みどりの日。
その前日、僕はただ何事も無く過ぎ去るだけのゴールデンウィークに嫌気が差していた。友達とも親とも会わない長期休暇に、これでいいのかとソワソワする。元々明日は飛騨高山の方へ遊びに行こうと思っていた。だが、今月末には森・道・市場へ行くことを決めていたし、ここ最近散財癖が顔をもたげていて、気温は暖かくなれど、財布は寒い日々だった。だから泊まりがけは無理だし、高速も混むだろうから、行く気が失せてきた。どうしようかと思い悩む。何処か近くてそれでも近すぎなくて、それなりに興味が引かれる所は……。Googleマップを適当にスクロールしている内に見つけた――郡上八幡。
翌日朝8時起床。朝ドラ『ちむどんどん』を視聴後、何となくスマフォを触る。
8時半ようやくベッドを離れ、身支度を調える。
さて、出発だ。意気揚々と家を飛び出し、愛車に乗り込む。エンジンを始動して、アクセルを踏み込んだ。この先は何てことない。各務原の東海北陸自動車道乗り口までの道のりはナビなんて要らないし、高速に乗ってしまえばあとは一本道だからだ。途中、長良PAに寄り、朝飯代わりの五平餅を食べた。小腹が満たされると再び本線に戻り、後半戦を走り出す。家から約1時間。郡上八幡の降り口までは多少の渋滞もどきにも遭遇したが、順調に進んでいた。そう、悲劇はここから起こるのだ。
先ずの目的地としてナビに登録していた『郡上八幡城』ここにさえ向かえれば……。高速を降りた後、ナビの言うに従って交差点を左折した。その道は車一台がやっと通れる程の道幅にもかかわらず、一方通行になっていない。先頭車両になってしまったからおっかなびっくり、対向車が来ませんようにと祈りゆっくりとアクセルを踏む。だが、当然のことながら、ゴールデンウィークに対向車が来ない訳がない。僕らは一蓮托生。向こうもこちらも後続車が控え、後退することなど許されない。それに両側には民家。これも傷つける訳にいかない。ギリギリを攻め、譲り合い、何とかすれ違う。助け合いの心遣いに感謝しつつ城の下まで来たが、なんと、どこも満車。そのまま観光地の商店街を車でソロソロと進むと、100円/30分の文字が。渡りに船とはこのことで、高いとは思いつつも5時間居て1000円なら観光地特価としてもまあまあだろうと自分に言い聞かせ、駐車した。
車を降りると、直ぐそこから川の流れる音がする。そういえば橋を渡ったようなと思い、音のする方へ向かってみると、そこには雄大に流れる吉野川が。取り敢えずはその川辺に座って移動の疲れを癒やした。
「よっこいせ」と立ち上がると、先ほど車でトロトロ走ってきた新町通に出る。さてどうするか、キョロキョロしながら歩いていると、明宝フランクを売っているお店を見つけたので、店先でぱくり。旨い旨いと食べていると、釣られてか何なのか、お客さんが増えてきた。良いパンダになってしまったようだ。食後はまたぶらぶらを再開。喫煙所は無いが、たばこ屋の店先で吸って良いと言われてありがたく一服。足下のブルドッグが何か言いたげに見上げていたが、気にしないことにした。吸い殻を始末して歩いていると、水路に沿って別の道があった。『やなか水のこみち』そこには斉藤美術館なるものがあり、骨董品を展示している。面白そうと入ってみた。イマイチ目利きの出来ない僕にも、これは多分良い物だろうと思える品々に目を肥やす。美術館に寄るのも良いなと思っていると、観覧無料の看板が目に入った。次は何だと目線を上げていくと、『越前屋』という、郡上の盆踊り『郡上踊り』の資料を展示している長屋を見つけた。中には実際に使われたであろう着物や太鼓神輿関係に、写真が展示されていた。ふむふむなるほどと中をジロジロ見て出る。
時刻12時ちょっと過ぎ。
そろそろ登城するかと寄り道もほどほどに殿町通りに入り、登城口へ。少し登ればお城だろうとその軽い気持ちが命取りだった。近道という直進ルートを登る。コロナ禍のマスクと久々の高い気温に、汗が噴き出て息が上がる。城の入り口まで来てへたり込んでしまった。なるべく人に向かないようにしゃがんでマスクを外す。息を整えて、汗を乾かして、入城料金を払ったら、城の中へ。ここはかつて遠藤氏によって建てられた城。中は木造ならではのうぐいす張りで、床の軋む音がそこかしこから聞こえてくる。急な階段を右側通行で上ると、階を増す毎に外の景色が広がりを持ち始める。最上階。ここから戦乱の世を眺めたのかと大昔に想いを馳せながら自撮りで思い出を残すと、さっさと城を出た。さすがにちょっと疲れたなと売店でお城の最中が付いた抹茶ソフトクリームを食べ、涼をとる。もう動けないやなどと弱音を吐いてみたが、クッと意思を固めると、下山を始めた。
城下町に戻るが、お店は何処も混んでいる。せっかくだから焼き魚とか食べたかったなとの思いに、着いたばかりでブラブラしているとき、店先で鮎とアマゴを焼いていた八百屋を思い出した。新町通に戻り、彼の店を探す。店先でアマゴ――と言ったら、親父はゴメンと、ゴメンとそう言った。仕方が無いから鮎にして話を伺うと、どうやら(僕の住んでいる近所)の……養殖の……というような事をモゴモゴと言っていた。それなら近所のスーパーと変わらないでは無いか。残念な気持ちもあったが、炭焼きの旨さは家ではマネできないと満足することにした。お昼はそのまま食べ歩きにした。朴葉寿司と携帯灰皿を買い、吉野川の川縁に出る。紅ショウガの効いたチラシ寿司に、朴葉の香りが染みついて、なんとも言えない旨さを引き出している。手元の飲み物が切れたのが痛かったが、何とか嚥下し、たばこを吸う。さて、飲み物を買って街ブラの続きをとその場を離れ、自販機で水を買ったときだった。衣服のポケットにも鞄にもスマフォが無い! あわてて川に戻ると、そういえば近くに居たなと見覚えのあるオジさんが見るからに僕のスマートフォンを振ってこっちへ歩いてきた。地獄に仏! と心から不安になっていた僕はそのおじさんに救われたのだ。オジさん、ありがとう。
オジさんと言えば、妙なもので、この旅ではオバさんよりもオジさんとの邂逅の方が多かった。栄町通を歩いていると、喫煙可と書いてある世にも珍しい喫茶店を見つけ、飛び込んだ。カウンターに座るとサイフォンで淹れてくれるというブレンドのホットコーヒーを注文。オジさんと「昔の子供はよう川や山で遊んだもんだが、今の子は……」とそんな話で盛り上がった。帰り際に酒屋の場所を教えてもらった。BGMは初期μ‘sとアクアのラジオ放送で、何やら懐かしい曲を久々に聞いた。
喫茶店をあとにすると、教えてもらった服部酒造へ。そこには声が特徴的なオジさんがいて、色々な地酒を勧めてもらった。今回は『母情』(辛口だが甘みもありすっきりした日本酒)と地ビールの『こぼこぼ』(ペールエール:コンビニで買えるものよりも結構苦い。ノーマルでこれなら、ブラウンは如何なる物なのか……。白川茶エール:白川茶フレーバーというが、お茶の香りはあまり分からなかった。だが、苦みが抑えられており、飲みやすい)を買った。家で飲むのが楽しみだ。その後旧役場を改築した土産物屋でトマトケチャップを、他の土産屋(板東)にて手ぬぐいを買って、締めにもう一度吉野川を眺めて。郡上八幡を後にした。
帰り道は行きとは違うルートにしてみた。また対向車問題が一瞬発生したが、行きのような辛さは無く、すんなりとそれはすんなりと高速に乗れた。ホント、今の時代になっても敵襲に備えっぱなしなんだなと、そこで改めて苦笑いした。
もう何も買う物はあるまいてと思ったが、帰りに寄った関PAでは、まんまと関牛乳ソフトクリームを食べた。滅茶苦茶おいしかった。
とても楽しく、心躍る旅路であった。また機会があれば、泊まりがけで来てみたいものだ。それが無理でも、次は電車で来よう。町中にクラフトビールの登りが立っていたのが忘れられないから。
お読みくださりありがとうございます。
もう時効かなと思い、PCに眠っていた紀行文を発掘しました。
郡上八幡は信じられないお祭りをしている最高な街なので、一度行ってみると良いと思います。