竜と騎士の追憶 2
赤子に心臓を分け与えた竜ザイフィールは、その子を育てることにした。これも気まぐれである。いくら竜の心臓を持ったとはいえ、この荒野で赤子が一人では生きていけないだろう。
一度助けた命であれば、最後まで面倒を見るのが筋だ。赤子が一人で生きていけるくらいに育つまでは、我が庇護のもとに置いてやろう、と。
ザイフィールは人間の子を育てた経験などなかったが、人より優れた知性を持つ偉大なる竜の一族として、育て方は感覚でわかった。
言葉を教え、話せるようになり、そして物心がついた頃。呼び名がないと不便と感じたザイフィールは、子供にルイスと名付けた。人間の間ではよくある男の名前だったはず。
ルイスはザイフィールを父と、母と、友と慕い、すくすくと育っていった。
「ザイフィール」
背に乗ったルイスが、竜の名を呼ぶ。
時が経つにつれ、しっかりとしていく体つき。精悍な顔つき。よく育ってくれた。いつしかザイフィールは、ルイスに対して親として愛情を持つようになった。
だが、それゆえにこのままではいられない。
ルイスを人のもとに返さなくてはならない。それが彼にとって、もっともよいことなのだ。
そのことを告げると、ルイスは。
「いやだ。おれはザイフィールと、ずっといっしょにいたい」
心が痛んだ。このような思いは何百年ぶりだろうか。
だが、ザイフィールは無理にでも人間のもとに返すことにした。それはルイスが十五のときだった。
王都フォンデインに住む、ある一人の騎士に、ルイスのことを頼んだのだ。
「貴公のような偉大な竜の頼みとあれば……任された」
騎士は、最初こそ話の通じる竜に驚いていたが、ルイスの生い立ちを聞くと、快く承諾した。ルイスの面倒を自分が見ると。そして、いつか立派な騎士として育てると。
しかし、その者の住む王都フォンデインは、密かに穢れによって蝕まれつつあった。
五年の歳月が過ぎた。
その間も、ザイフィールは片時もルイスのことを忘れたことはなかった。
会いたくて会いたくて、心が張り裂けそうな夜もあった。
ルイスもまた、同じ想いでいるだろうこともわかった。だがザイフィールはじっと耐えた。竜である自分が、むやみに彼と会うのはよくないからだ。
しかし、その日はまた様相が違った。
「……胸騒ぎがする」
片割れとなった心臓が、うずいているのだ。
竜の予感ともなれば、それは神託に等しい。おそらくルイスの身に何かがあったのだ。
居ても立ってもいられなくなり、ザイフィールは王都に向かって翼を羽ばたかせた。
王都に着くと、そこでは惨劇が巻き起こっていた。
暗雲立ち込める空、穢れに呑み込まれた都。
街のそこかしこから異形が溢れ、ダムドとなり爛々と目を光らせた騎士が、未だ穢れに呑まれていない民間人を襲っている。
ルイスの居場所はすぐにわかった。城の離れにある塔のてっぺん。そこで、迫り来る穢れの騎士たちと槍を打ち合わせている。
「ルイス!」
彼が気づいた。
ああ。五年。たった五年の歳月。だが、あまりにも長く感じた。
ルイスは成長していた。逞しい、立派な騎士に。
愛する子のもとへと、ザイフィールは空を舞った。同じく空を埋め尽くす、蝶の形をした樹木のような穢れの怪異にその身を蝕まれながら、
「……っ! ザイフィール!」
追い詰められたルイスが塔から飛び降りる。
それを見越していたザイフィールが、大きな背中で彼を受け止めた。寸分の狂いもない完璧なタイミングだった。互いに互いの考えは手に取るようにわかる。
ルイスはザイフィールの体に取り付いた樹木の蝶を槍で突き落とし、傷ついた背を撫でる。
「会いたかった……ザイフィール」
「我もだ。ルイス」
「まだ、飛べるか?」
「問題ない。何処へなりとも、貴公を運ぼう」
ルイスは力強くうなずき、ザイフィールの背で槍を構える。
「このまま城の上空へ」
「なに?」
聞き間違いだろうか。
穢れに呑まれたこの都の、もっとも危険な中心部に行くとルイスは言っている。
「まだ助けられる人がいる。この都市に生まれた穢れの怪異をどうにかしたい」
「無謀だ。この規模の穢れの氾濫、もはや誰にも止めることはできぬ」
「それでも……やれるだけのことはやる。私は騎士だからな」
「……貴公は変わったな」
ザイフィールがそう言うと、ルイスは少しだけ寂しそうな顔をした。
「五年も経てば、人は変わるさ」
「そうか。たしかに、我にとってはごく短い時間だが、人にとっては大きな時間だ」
「そうだ。だが、変わっていないこともある」
ルイスがまた背中を撫でた。心地いい。翼に力がこもる。
「私が今でも、ザイフィールを愛しているということだ」
「そうか。――まあいい。では、行くぞ」
その言葉だけで十分だった。ザイフィールはルイスを乗せて、城の上空から屋上へと降下していく。
そのとき、それは姿を現した。
全身を樹木のように変質させた、フォンデインの王が。
「あれが……オズワルド王なのか」
ルイスは変わり果てた王の姿に愕然とする。
「ルイス。あれはもはや、『穢れの王』とでも言うべき存在だ。救うことなどできない」
「く……」
直後、穢れの王からすさまじい瘴気が吹き荒れた。
嵐のようなそれは、大気を震わせながらザイフィールとルイスを襲う。
「なんて衝撃だ……これが王の力……!」
ルイスの言葉に、ザイフィールはふんと鼻をならした。
「怯んでいる場合ではあるまい。あれを倒すことができれば、この穢れの氾濫は収束するだろう。……突っ込むぞ、ルイス!」
「……ああ!」
ザイフィールがあらゆるものを焼き尽くす灼熱の炎を吐き出した。
穢れの覇気と炎がぶつかり、鍔迫り合いをするように互いに打ち消す。
その隙にザイフィールは穢れの王へと向かって急降下していく。
「私が、穢れの王にこの槍を突き立ててみせる」
「言うようになったな。おそらく機会は一瞬。逃すなよ」
炎で道を作り、穢れの王へと近づこうとしたその一瞬に――。
ザイフィールに、無数の触手が突き刺さった。
触れた者を穢れに堕とす、穢れの王の武器。
「ガァァ……!」
「ザイフィール!!」
「構うな。行け!」
雄叫びとともに、ルイスは穢れの王へと槍を突き立てる。
その一撃は確かに王の胸元を貫いた。
だが、植物のような体は即座に再生していき、巻き込まれた槍まで取り込まれてしまう。
「ルイス!」
その侵食がルイスの体に到達する直前に、ザイフィールは彼の体を担ぎ上げ、空へと飛び立った。
引きちぎった触手はいまだに竜の身体中に突き刺さり、蠢いている。
「今は引くぞ、ルイス。これは、お前の手に負える相手ではない」
「……わかった」
ルイスは歯噛みした。だが、圧倒的な力の差がある上に、他の異形たちが王のもとに集まってきている。
ザイフィールも手負いであり、これ以上の戦いはできない。
「……とにかく……今は帰ろう。ルイス。あの渓谷に……」
「……ああ」
そうして傷だらけになりながら、竜と騎士は王都フォンデインから逃げ延びた。
ザイフィールの傷はすぐに回復した。竜の圧倒的な再生能力のおかげだ。
だが、その身に受けた穢れまでは癒すことができなかった。それどころか、穢れは日増しに竜の体を蝕んでいく。
一度ガナン渓谷に戻ったルイスは、財宝から装備を見繕ってから世界を旅した。ときにザイフィールとともに荒野を飛び、ときにルイス一人で町の中に入り、情報を集める。
その情報とは、穢れを祓う方法だ。
だが一年の月日が流れても、ザイフィールの穢れを祓う方法は見つからなかった。
「もういい……ルイス。我はいずれ朽ちる身」
「諦めるものか。私はザイフィールを救う」
もし、あのとき王都フォンデインを救おうとせずに、すぐにその場を離れていれば。ルイスには常に後悔と罪悪感があった。それが彼を焦らせていた。
そして、ある日……。
「ルイス……に、げろ……!」
「ザイフィール!?」
ついに穢れを抑えることができなくなったザイフィールが、ルイスに襲いかかった。
がむしゃらに爪を振るいながら、苦しみ続けるザイフィールに、ルイスは涙する。
「すまない。私のせいで、ザイフィールが……!」
「いいのだ。……ルイス……。グゥゥ……」
それは、奇しくも故郷であるガナン渓谷に帰っていたときだった。縄張りに戻って気が抜けたのもあったかもしれない。
こうなってしまっては、もうどうしようもない。もはや竜はダムドに、いや、強大な穢れの怪異となろうとしていた。
「ガ、アアアアアア――!!」
ザイフィールが咆哮をあげる。
強大な爪が、そして炎がルイスへと襲いかかった。
「もう、ダメなのか……」
ルイスの視界が涙で霞んだ。
わかっている。各地で情報を集めても、穢れの怪異をもとに戻す方法は見つからなかった。ザイフィールを解放してやる方法は、もう、一つしかない。
「このまま……死なせて……くれ……」
それは、ルイスを傷つけたくないがために、ザイフィールに残された最後の理性がつぶやいた言葉。それがルイスの呪いとなった。
「ザイフィール……ああ……私が、この手で」
ルイスは槍を手に、ザイフィールへと挑んだ。
だが、ルイスはザイフィールを殺すことができなかった。
かの竜を殺すには、力も決意も足りなかった。
かろうじてザイフィールが力を抑え込み、渓谷の奥へと向かったことで生き延びることができたルイスは、歯噛みしながらつぶやく。
「ザイフィール……私はかならず、君を殺してみせる……待っていてくれ」
遠く、ザイフィールは咆哮をあげた。それは誓いを立てた返答だったかもしれない。
そうして、ルイスは旅に出た。竜を殺せる武具を探し求めて。




