竜と騎士の追憶 1
紅き翼を持つザイフィールは「穢れの神ダムクルドと善なる神々による戦い」の時代から生きている、偉大な竜である。
思慮深く聡明。ルイスを拾う前は、人里離れた地にて、野を飛び回り狩りをして、一匹の獣のように暮らしていた。
ルイスと出会ったのは二十二年前。偶然にもザイフィールが狩りの範囲を広げて飛び回っていたとき。竜は野盗の一団を目撃した。
真紅の鱗、鋭い牙と爪。猛々しい角。巨大なザイフィールの姿に、野盗どもは驚愕していた。
(我が姿を見られたか……まあいい)
ドラゴンはあまりにも強い存在である。
ザイフィールが姿を現せば、それだけで人々を混乱させる。
ふと、野盗たちの乗る馬車のほうから、何やら聞き慣れぬ泣き声が聞こえてきた。
(子供の泣き声……奴らは人攫いか?)
子供。それも、おそらく赤子と呼ばれる生まれて間もない人間だろう。
ここで野盗を皆殺しにして赤子を助けるのは簡単だ。
だが、軽率な干渉は人のためにならない。
世界のためを思うのであれば、ここは放置するべきであろう。
哀れだが、致し方ない。
ザイフィールは翼を羽ばたかせ身を翻し、その場を後にした。
ガナン渓谷にある巨大な洞窟内。
狩りを終えたザイフィールが翼を休めていると、洞窟の外からひそひそと話す人間の声が聞こえた。
「ここが奴の寝床か……たしかに、巨大な何かが通った形跡はあるな」
「なあ、兄貴。本当に行くのか……?」
小声で話しているようだが、それが逆に、羽虫の飛ぶ音のようで煩わしい。
おおかた、先ほどの野盗どもだろう。ザイフィールは嘆息する。
何をしにここまで来たのやら。
「古の竜ってのは、財宝を溜め込む習性があるそうだ。……なら、あの竜だって、何かお宝を隠し持っているかもしれないぞ」
「財宝か……そりゃたまんねぇが、でもよ。ドラゴンだぜ? 迂闊に手を出さないほうがいいんじゃねぇか?」
「何言ってやがる。竜ったって獣と同じだ。何も正面からやり合おうってんじゃねぇ……眠っている間に、こっそり財宝だけいただけばいいんだよ」
(……やれやれ)
たしかに、ザイフィールは宝を隠している。長く生きているぶん、それなりに多くの財宝を貯め込んでいる。古今東西の宝を集めるのは、竜の習性ともいえるからだ。
「いいか。これは度胸試しだ。竜の寝床に入って、こっそりとお宝を持ち帰る……簡単だろ?」
「度胸試しか……そう言われたら、引き下がれねぇな」
なんと愚かな。
辟易しながら、ザイフィールは瞼を閉じた。眠ったフリをしているのである。
集めた財宝はここにはない。より安全な場所に隠してあるのだ。おそらく野盗どもには見つめられまい。
ならば、このまま諦めて大人しく帰るのを待つとしよう。
「おい、なんか……いびきみたいな音が聞こえねぇか?」
「近いぞ、気をつけろ」
足音までもがうるさい。寝たふりをするにしても、あまりに気が散る。
忍び込むのであれば、静かにできないのか。ザイフィールは苛立ち、わずかに口元から炎が漏れる。
「おい……! 財宝なんかどこにもねぇぞ……!」
「おかしい。そんなはずはねぇッ!」
「ここまで来て無駄足かよ……くそっ」
さすがに、これで諦めて帰るだろう。
ザイフィールはそう思ったのだが。
「このまま手ぶらでは帰れねぇ。見ろよ、このドラゴン……こいつの素材は高く売れるぜ。とくに古竜の心臓ともなりゃ、不老不死の妙薬になるなんて話もある」
それを聞いて、野盗たちが沸き立った。
「ぐっすりと寝てやがるな……よし、やるか」
野盗どもが周囲を囲み、近づいてくる気配がする。
「首だ。首を狙え」
「よし、行くぞ……!」
「その心臓、よこしやがれ……!!」
野盗どもがザイフィールの体にいっせいに槍を突き立てた。
しかし、そのすべてが鱗によって弾かれる。
「か、硬ぇ!」
こうなっては仕方がない。
ザイフィールは寝たふりをやめ、おもむろに体を起こした。
「まさか、ここまで愚かだとはな」
鋭い牙の並んだ顎を開くと、そこに真紅の炎が渦を巻き始める。
「や、やべぇぞ……!」
野盗どもが喚くが、もう遅い。
ザイフィールは一声、竜の矜持として声を上げた。
「我が眠りを妨げた、その覚悟はできているのであろうな?」
開かれた竜の顎から、灼熱の炎が吹き荒れる。
それは辺り一面を火の海へと変え、真昼のような明るさと地獄のような熱で包み込む。
野盗どもを焼き尽くしたザイフィールは、その絶対的な威を示すかのように雄叫びを上げた。
野盗どもには、まだ仲間がいたはずである。それは荷を守っているのだろう。
特に恨みがあるわけではないが、諸共に焼き尽くし、人間たちに自然の摂理というものを理解させるのも必要であろう。
それはザイフィールの気まぐれだった。翼を広げ、上空へと飛び立ち、盗賊たちの荷馬車を探す。
果たして、荷馬車はすぐに見つかった。
せめて罪のない馬だけは逃げられるように配慮して、ザイフィールは残る野盗どもを焼き払った。
(さて……特にめぼしい宝など持っているとは思えないが……)
野盗どもの荷馬車から、戦利品の物色を行おうか。
だが、面倒であるし、このまま炎に巻かれるのを待つのもいいか。
辺りは火の海である。いずれ荷馬車も灰になるだろう。
そう迷っていると、燃える荷馬車の中から泣き声が聞こえてきた。
(そういえば、奴らは人攫いであったか)
ザイフィールは燃える馬車を慎重に解体する。
赤子だ。野盗たちの運んでいた荷の一つなのであろう。人間の赤子がそこにいた。
炎に巻かれた赤子は、やがて死ぬだろう。
泣くことができるとは、幼い子にしては優れた生命力であるが、この火傷では死は免れまい。
だが。
「これも……運命の導きか」
あくまで、これも気まぐれである。
長い時を生きた竜の、たったいっときの気の迷い。
「赤子よ……貴公は、生きることを望むか?」
赤子は答えない。炎の中で、死を前にして泣き喚くだけだ。
だが、答えはそれで十分であった。
「……いいだろう」
ザイフィールは。
己が心臓、その一部を赤子に分け与えた。
竜の契約である。
「この心臓の力により、貴公は存えることができるであろう」
たとえ炎に巻かれても生存できる、強い生命力。それが竜の心臓の力だ。
だが、人の幼子とは一人では生きることのできない身であることも、竜は知っていた。
命を一度救ったのであれば、最後まで面倒を見るのが筋だろう。
数奇なことだと、ザイフィールはため息をつく。
前脚を器用に使って赤子を抱え上げると、大きな翼を広げて空を飛び、洞穴へと戻った。




