届かなくても聞こえるもの
その日は身体測定の日である
「僕の手札は1枚、よってこのモンスターを0コスで特殊召喚する、その後1枚手札を引く」
田中尤と田中奏が2人でカードゲームをホームルーム前にしていた
今は尤の番でモンスターをバトルゾーンに召喚したところである
「やるじゃないか、でもそれだけなら次のターンで僕の勝ちだ」
「甘いな奏!僕は今ドローした同名モンスターをさらに0コスで特殊召喚する!」
「おい、1枚しか入れられないカードを2枚もいれるな」
「2枚も入れてないぜ、4枚しか入れてないぜ、オラオラ!合計4体だ」
「尤、お前仕組んだだろ!!」
「一斉攻撃!!」
「今、攻撃と言ったな?尤」
「なっなに!?」
「なんもないぜ」
カードゲームを尤の反則負けで終えると奏はずっと同じデッキ使ってて飽きないのか?と訊いてくる
尤としては1枚しか入れられない先ほどのモンスターが好きなので飽きたことはない、そしてこのカードゲームには色という概念がある
色を混ぜてもいいが-基本的には混ぜた方が強い-尤は混ぜないデッキが好きなだけだ
ただ混ぜないデッキで強いのは1個しかなくそれで同じデッキを使い続けてるように見えるだけだ
やがて身体測定の時間になり身長を測り、体重を量る
尤は長距離走をプロとして活躍していた父の息子なので体力を競うシャトルランなどを楽しみにしている
「尤、中学校の時も足が速かったしワクワクしてる?」
「足が速いか…ワクワクはしてるよ」
「駅伝が題材の本がたくさんあるけど、やっぱ尤もあんな感じに気持ちいいって思うの?」
「何も感じたことはないかな?ただ走ってる自分がそこにいるって感覚、あとさ限界を超えるみたいな表現を読むとモヤモヤするんだ、それ限界じゃないじゃん?みたいな」
「おっ?田中ブラザーズじゃん?足速いなら陸上部に入るの?」
会話に入ってきた太刀脇進夢はスポーツ全般が好きで特に走るのが好きだと言う
「いや、陸上部には入るつもりないかな、あくまで日課みたいなものだし」
「日課…毎日じゃあ走ってんだ?」
「言っても30分ぐらいしか走ってないから」
何かを閃いたような顔をした進夢は悪い顔になる
「シャトルランで勝負しよ、尤」
「いいよ、じゃあやろう」
「おーどっちも頑張れ」
そしてついにシャトルランの時間
ネットで半分に仕切られた体育館の中。半分が男子、もう片方を女子でわけてます
寧音がたまたま視界に入り釘付けになる尤であった、視線があった気がするが気のせいと思い込む
さてさてとストレッチを十分に済ませて2人はシャトルランがはじまった合図を聞き走り出します
20回ぐらいから右腕を押さえながら苦しそうに悶える男子生徒が俺の右腕が…鎮まれみたいなことをポツポツ呟きますが尤は気がつきません
奏は何やってんだあいつ?といった顔で眺めてます
50回ぐらいになっても余裕がある尤と進夢に比べてもう限界そうな奏はやがて力尽きました
「僕はもうダメだ、置いていけ、止まるんじゃないぞ…バタ」
効果音までセルフで口にした奏は床に大の字で倒れており全身で呼吸をしてます
止まるんじゃないぞと言われた2人は無言で前を見ています
シャトルランというのは折り返しで、いかに上手にスピードを落とさずに通過するかがキモですが進夢は少し手こずってます
スピードが上がっては折り返しで落ちての繰り返しで徐々にペースが乱れていきます
それに体力も80を超えたあたりで余裕がなくなり口で呼吸するのに対して尤は余裕そうに鼻で呼吸をしてます
100、ちょうどそこに行ったぐらいで尤は1人になりました
進夢はこの時に実力の差を思い知り悔しいなとぼやきます
「なんであんなにすました顔なんだろうな」
どんどん間隔が短くなるドレミの音に合わせて奏はそう進夢に言いました
気づかれない程度に楕円形に走り少しでもペースを落とさないように走ってた尤はドレミの音のペースに一瞬だけ崩されました
(ゾーンに入れてない、110回ぐらいで僕のペースではもう間に合わなくなる)
色々な思考がよぎる
まだ体力はこんなに有り余って仕方ないのに、自分の実力はこんなものではないだろ
尤が諦めかけていた時、ふと視線が寧音の方にいきました
「頑張れ」
読唇術ができるわけではありませんが、その言葉が届いたわけではありませんが尤は確かに聞きました、絶対に聞きました
諦めかけるなんて、そんなの嫌だ、そうだろ?
自分自身にそう問いかけ、当たり前だろと答えた尤はペースをあげました
まず俺自身がそんなカッコ悪い自分を許したくない
周りがどよめきました。明らかに110回ぐらいまで行けばいいと思ってた尤の走りに余裕ができて110を今、超えたからです
放課後の教室
「尤って思ってた以上に運動できるのに陸上部ほんとうに入らないんだな」
「尤もまぁ小学校は走ってたけど色々あったっぽいしね」
尤の代わりに奏がそう答えましたが奏にも事情はよく分かりません。知らなくても尤は尤だから問題ないという態度です
「おじいちゃんは陸上やってほしかったの分かるけどお父さんはそうじゃないっぽいのもあったからね」
「あぁ、なんか嫌な記憶とか思い出させたならすまん」
「ううん、大丈夫だよ」
3人が話しをしてると寧音が尤から借りてた本を返しに来ました
「これ、ありがとうございます」
相槌を打ちながら本を受け取り、そういえば源氏物語ちょっと読んだけど分厚いねと会話をふりました
源氏物語についての会話が一段落ついてじゃあそろそろ帰るかといった雰囲気になります
「シャトルランすごかったです。あの、その、運動ができるの驚きました」
「本当?ありがとう。音頭さんが『頑張れ』って言ってくれたからかな」
「え?それ聞こえてたんですか?」
「うん、聞こえた」
寧音が固まってしまってもしもし?とみんなが呼びかける。やがて硬直をといた寧音は「私もう帰りますね」と早口で言い、いそいそと教室を去ってしまった
2人が面白い子だねと言う中、尤は慌てる寧音ちゃん可愛いなと思うのであった