第62話 だって、そうするのがよかったんでしょ?
佐村龍哉は、驚きのあまり呼吸すら忘れているようだった。
「……『自営面子の守谷亭』」
その名を口にしたのは、ミフユ。
「気取った名前よね。よりによって、犯罪王をもじるなんて」
「滝に落ちて死にたくないから、身バレには注意してたんだけどなぁ」
鷹弥はそう言って、残りの階段を降りきった。
顔には、柔らかな笑み。テレビ慣れしているのか、とても垢抜けている。
「でも、まさか君にバレちゃうなんて思ってなかったよ、美芙柚ちゃん」
「そうね。まさかわたしも、あんたが守谷亭とは思ってなかったわ、鷹弥君」
佐村鷹弥。
こいつがあの『大狩猟』を主催した企画屋の守谷亭。
「ど、どういうことだァ、鷹弥ァ! おまえが、守谷亭? じ、じゃあ、今までずっと電話で話していたのは、おまえだったのか……!?」
龍哉も、混乱している様子で鷹弥に向かって声を荒げる。
すると息子は笑みを消して、悲しげに眉根を寄せた。
「うん、ごめんね、お父さん。電話での受け答えは、それ用のアプリを作って、それでやってたんだ。本当は僕のことはお父さんにも話しておきたかったよ」
「何故、黙っていた……?」
「だって、お母さんがダメって言うから」
と、鷹弥が言ったそのときだった。場に、新たな人物が現れる。
「そう、もう知られちゃったのね……」
女の声。ただの女ではなく、自らが女であることを知り抜いた女の声。
だが現れたのは、下着姿で髪は乱れ放題、目にクマが浮かんでいる三十路の女。
「お母さん!」
現れた女に、鷹弥がパッと笑顔を見せる。
龍哉も、その女を見て「春乃……」と、その名を呟いた。
「鷹弥、ダメじゃない。私のことをちゃんと呼ばないと。言ったでしょう?」
「ごめんなさい、お母さん」
鷹弥は春乃の方へと駆け寄ると、嬉しそうに抱きついた。
母親の格好こそアレだが、そこにあるのは普通の親子の姿、のように見えた。
「春乃、おまえは知ってたのか。鷹弥が、守谷亭なのを……」
声を震わせ問う龍哉に、春乃は息子の頭を撫でながらうなずいた。
「ええ、知ってたわよ。だって、私も守谷亭だもの」
「はァ!?」
こともなげに言い放つ春乃に、龍哉は二度目の驚愕を迎える。
「正確には、企画立案担当が私。ネット上での運営担当が鷹弥。『自営面子の守谷亭』は親子で運営しているのよ。知らなかったでしょう、あなた」
春乃は、まるでいたずらが成功した子供のように楽しそうにクスクス笑う。
「鷹弥はね、すごいのよ。小学三年生なのにパソコン知識が豊富で、ネットのことも何でも知ってて。『大狩猟』に使うBASEだって、作ったのはこの子なのよ?」
「うん、すごいでしょ!」
頭を撫でられ、母親にしがみつく鷹弥が、溌溂として声を弾ませる。
「でもあなたはそれを、今、初めて知ったのよね、龍哉さん?」
「あ、ぁ……」
慈母の笑みを作りながら、しかし、春乃の言葉は龍哉を抉った。
「あなたは私と鷹弥には何の興味もないものね。あなたにとって私達は自分をよく見せるための演出用の小道具なんでしょう? 知っていたわよ。ええ、知っていたわ」
笑みはそのまま、声も優しく、だが言葉だけは鋭く、錐のように尖っている。
「でも、僕達は別にそれでいいんだ! ね、お母さん!」
「そうね、鷹弥。私達はそれでいいのよ。龍哉さんの小道具でも、全然いいの」
鷹弥の言葉から、話の流れがにわかに変わり始める。
春乃が龍哉に放った言葉。それは間違いなく弾劾だった。だがそこから――、
「私と鷹弥はね、あなたを愛しているのよ。龍哉さん」
「あ、あぃ……?」
「そう。愛しているの。あなたが私達を愛してくれなくても……、いいえ、愛してくれないからこそ、私達はあなたをより強く愛することができる。だって私はあなたの妻で、鷹弥はあなたと私の息子なんだから。――愛しているのよ、龍哉さん」
「ま、待て、待てよぉ!」
急に病み成分を見せ始めた春乃に、龍哉は全然ついていけていない。
「愛してる? 愛してるだって? お、おまえだって、僕に素っ気なかったじゃないか! 僕との会話だっていつも最低限で、僕に興味なさげだったじゃないか!」
「だって、そうするのがよかったんでしょ?」
悲鳴にも近い龍哉の指摘を、だが春乃は一言で跳ねのける。
「龍哉さんは自分にしか興味がない人。そんなことは百も承知よ。だから私と鷹弥は小道具に徹していたんじゃない。でも、あなたは知らないのでしょうね。あなたから台本を受け取るとき、私が、鷹弥が、どれだけの至福に包まれるか……」
春乃が頬を紅潮させ、恍惚としたものを浮かべる。
対照的に、龍哉の顔色はどんどんを色が失せて、今や白くなりつつある。
「きっといつか、龍哉さんの役に立つと思って始めた守谷亭だったけど、私の勘は的中したわね。龍哉さんから今回の企画の持ち込みが来たときは本当に嬉しかったのよ、私達。ね、鷹弥。お母さんと一緒に頑張りましょうって、言ったものね?」
「うん! だから、頑張ってプログラムを組んだんだよ、僕! すごいでしょ!」
ふ~ん、なるほどねぇ。
守谷亭は鷹弥と春乃だが『梅雨の佐村狩り祭り』は、龍哉が持ち込んだ企画か。
なるほどね。ふ~ん、なるほどね……。
「そ、それだ、それだよ! 何でだ、どういうことだ!」
突然、龍哉が顔を歪めて怒り出す。
「あら、なぁに、あなた?」
「僕が持ち込んだ内容に、美芙柚ちゃんの殺害なんて入れてなかったはずだ! 美芙柚ちゃんはこれからの僕の人生に必要なパーツなんだぞ、それをどうして……!」
「ああ、そのこと」
と、春乃はケラケラと軽く笑う。
「だってミフユさんがいると、あなたは私と鷹弥を捨てるでしょう?」
……ん? 呼び方が?
「捨てないにしても、今度は彼女を小道具として使って、私達を使ってくれなくなるでしょう? それはダメよ、ゴメンだわ。だからミフユさんは殺さなきゃ」
「そ、そんな理由で……?」
「あら、あなたに言えた義理じゃないでしょう。ねぇ?」
と、春乃の視線が龍哉からミフユへと向けられる。
「そう思いませんか、ミフユ姐さん」
「ああ、やっぱり……」
ミフユが、盛大にため息をついて見せる。
「やっぱ、そうかぁ~。あんたなのね、ハルノ。……ハルノ・メリュジヌ!」
そうかよ。『出戻り』は息子ではなく、母親の方かよ!
「はい、そうですよ。ご無沙汰しています、ミフユ姐さん。美芙柚ちゃんが姐さんだったなんて思いもよらなかったですけど、世の因果は不思議なものですねぇ」
「わたしだって、春乃さんがあんただなんて思わなかったわよ。……一年半前に会ったときは、まだ普通の佐村春乃だったわよね、あんた」
「ええ、ちょっと一年ほど前に手首を切って自殺を図りまして、そのときに」
語る春乃に、龍哉が「自殺!?」とみたび驚く。おいおい、その反応はどうよ。
「龍哉さんは知らないでしょうね。お仕事中だったし。でもね、辛かったのよ。悲しかったわ。言っても無駄なのは目に見えていたし。だから私の愛をあなたに伝えるためには、もう死ぬしかないと思ったの。鷹弥は残していけないと思って、一緒に手首を切って、でも私が『出戻り』して、この子を助けたんですよ」
「うんうん、ほら見て、そのときの傷だよ!」
と、興奮状態の鷹弥が、手首の傷跡を自慢げに見せてくる。
見たところ、息子は『出戻り』じゃなさそうだな。メンタルはだいぶ歪んでるが。
「ミフユ、ハルノ・メリュジヌってのは……?」
「『天空娼館ル・クピディア』でわたしの後輩だった娼婦よ。世界で二番目に高い女だったこともある、当時は『夢にして現』って謳われてた超高級娼婦」
「す、すごいえっちなんだな……」
タマキがゴクリと生唾を飲む。
その反応は何ていうか、おっさんなワケよ、我が娘……。
「それにしても、あんた程の女が龍哉に御執心なんてね。わからないモンだわ。そいつが世界第二位の女に愛されるほどのイケメンとは、到底思えないんだけど?」
「そうですね、確かに龍哉さんは凡人以下です。センスもないし、そのクセ無駄にプライドが高くて自惚れもひどいですし、身の程を全然弁えてません。愚かな人です」
うわぁ、ケチョンケチョン。
「鷹弥はこの通りの天才児で、私は世界第二位にまで上り詰めたこともある女です。でも、龍哉さんは自分が手にしているモノの価値も理解できず、持ち腐れるだけ。自分が塗ったメッキの中身が本物の黄金だなんて思いもしなかった、大いなる阿呆」
すげぇ、ここまで慈愛に満ちた罵詈雑言、聞いたことない!
「――だから、いいんじゃないですか」
そして一気にまたトロけそうな笑顔を見せる、ハルノ・メリュジヌ。
「そういう愚物だからこそ、愛し甲斐があるんです。尽くし甲斐があるんですよ。いつか、この人が私と鷹弥の本当の価値に気づいたとき、そのときこの人がどんな表情を見せてくれるのか、私と鷹弥は、それが楽しみでならないんですよ。ね、鷹弥?」
「うん、お母さん!」
放心状態の夫の前で、赤裸々に愛を語る母と、それにうなずく息子。
いびつなんて言葉じゃ片付かないレベルで歪み果てた家族像が、そこにあった。
そしてハルノが、金属符を取り出す。
「だから、死んでください。ミフユ姐さん」
「そんなにわたしが邪魔なワケ?」
「はい。あなたがいると、龍哉さんは私達を見てくれなくなるんです。それだけは我慢できないんです。だから死んでください。私達の愛のために、死んでください!」
叫びと共にハルノが金属符を壁に叩きつけ、世界が『異階化』する。
「タマキ!」
「うん、わかってるよ、おとしゃん!」
俺とタマキは即座にそれぞれの異面体を呼び出そうとする、が――、
「いいわ」
ミフユが、それを制した。
「わたしがケリをつけるから」
佐村家だらけの死亡遊戯の決戦は、こうして佐村家だけで行われることとなる。
呼び出されたNULLの中で、七色の光が激しく瞬き始めていた。