第550話 四月半ばの高橋家
ところで、授業参観は四月から六月にかけて行なわれることが多い。
年度初めに生徒の親に授業の様子などを確認してもらう趣旨があるかららしい。
――というワケで四月下旬、仁堂小学校四年四組でも授業参観が行なわれた。
授業は算数。受け持つのは担任の山野上修郎ことシュロ・ウェントだ。
本日は黒いスーツに黒サングラスという服装で教壇に立っている。
「フフフ、ご覧ください、生徒諸君! どうです、カッコいいでしょう!」
いかにも渾身のコーデできましたという誇りっぷりだ。
無駄に顔つきをキリッとさせているが、どう見ても要人のSPが喪服のヤカラだ。
「わ~ん! ヤクザ怖い~!」
よって、またしてもクラスの教え子数人を泣かしてしまったワケである。
「な、何故です……!?」
狼狽するシュロだが、マリクからすると『さもありなん』以外の何物でもない。
小学校で『ガキをバラしてモツ売り捌きそうな服装』してる方が悪いだろ。
だが、教室に生徒の親たちが入ってくると、マリクの意見も若干変わってくる。
何せ派手だった。あっちの子のお母様も、こっちの子のお父様も。
ビシッ、パリッ、キチッ、ケバッ、と、擬音にするとそんな感じの大人ばっかり。
やっぱり、大人ってこういう場では見栄を張ろうとする生き物らしい。
決してサマになっていないワケではない。普通に着こなしている人が大半である。
だが『他人の親より上に見られたい』という欲が透けているのがいただけない。
授業参観って、親がお披露目する場ではないはずなんだよなぁ。
と、マリクは思ってしまうのであった。
「はぁ、間に合いました……!」
授業開始一分前、教室に一人の女性が駆け込んでくる。
ほとんどの生徒の親が集まっていた中、ほぼ全員の視線がそちらへと注がれる。
「事前に連絡はいただいていましたが、ギリギリでしたね、高橋君のお母さん」
「はい、仕事を抜け出してきたもので……。すいません、山野上先生」
高橋君のお母さんは、若干乱れた呼吸を整え、シュロに笑顔でそう返す。
シュロが言っていた高橋君とは、もちろんマリクのことだ。
『……本当に来たのか』
マリクは、多数の視線を受け流して教室の後ろに歩いていく女性に念話を送る。
『当たり前ではありませんか! マリク師!』
シュロにお母さんと呼ばれた女性は、ルイ・ヴァレンツァだった。
他の生徒や親達が、ルイの姿に軽くザワついた。
親達が着飾る中、ルイだけが非常に簡素な服装で来たからだ。
上は白いシャツに、下はデニムのジーンズ。鞄は小さなポシェットのみだった。
だというのに、持ち前の美貌からルイは親達の中で圧倒的な存在感を放っている。
それも、彼女の溌溂とした笑みがあってのことだろう。
まぶしいばかりの輝きが、彼女の笑みから放たれている。
チラリと少しだけふり返ったマリクは、深くため息をつきたい気分になった。
『何でそんな瞳キラキラなの、おまえ?』
『それもまた、当たり前ではありませんか! このたびの授業参観、恐れ多くも私、ルイ・ヴァレンツァが師の保護者役を仰せつかってからの初仕事なのですから!』
『別に仕事じゃな~い……』
そうなのだった。
今現在、高橋磨陸という日本人少年の保護者は、我妻涙なのだった。
そのようなことになった理由は二つ。
まず一つ、高橋摩碕の意向が大きく働いたからだ。
マリクの夫婦喧嘩が終わってから数日後、高橋家に一通の封筒が届いた。
中には、署名済みの離婚届けと、片方だけが未記載の婚姻届けが入っていた。
離婚届けには摩碕と弥代の名が書かれていた。
婚姻届けは、妻の方は見記載になっていた。ルイの名前を書くためだろう。
ルイはその意図を理解しながら、マリクに判断を任せた。
そしてマリクは、ルイに婚姻届けに署名するように指示して、役所に赴いた。
このとき、マリクには他に選択肢がなかった。それが二つ目の理由だ。
日本で暮らす以上、保護者不在で生活するのは難しい。それはアキラと同じだ。
そして現状、マリクの保護者になれそうなアテは、ルイしかいなかった。
こうして、ルイ・ヴァレンツァはマリクの保護者の座を射止めたのであった。
『フフフフフフフ、私がマリク師の保護者、私がマリク師の……』
『おい、鼻血出しそうな顔して笑うな』
『万事このルイにお任せください、師よ! おっと、血圧が上がりすぎて鼻血が』
『マジで鼻血を出してんじゃない! このおバカ!?』
授業参観真っ最中、他に選択はなかったのかと延々考え続けるマリクだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
帰路。
「何とか無事に乗り切った……」
「鼻血を魔法で即座に回復したのがファインプレイでしたね」
「自画自賛するようなことか。そもそも鼻血出す方がおかしいんだよ」
「んんんんんッ、マリク師からの突き刺すようなお言葉、心が震えます……!」
「ぼく、今いいこと言ったかなぁ!?」
何かアカン方向に個性を伸ばし始めた弟子に、マリクはつい声を荒げてしまった。
「ところで師よ、帰ったらどうしますか」
「夕方まで瞑想かなー」
「金属符は?」
「なしで。世間の音の中に慣れるところからだ」
「承知しました」
夫婦喧嘩の一件を経ても、マリクとしてはやることはあまり変わらなかった。
異世界にいた頃と同じように、一つ一つ積み上げていくのみだ。
ただ、やはり異世界と令和の日本はかなり環境が違う。
異世界でできてこちらではできない修行が、かなりの割合であったりするのだ。
「……滝行とかできればな~」
「こちらではなかなか難しいでしょうね。やろうと思えばできるのでしょうが」
「規模がね……」
日本国内でできる滝行は、正直、物足りない。滝が小さすぎるのだ。
「滝の大小で修行のあれこれが決まるものでもないけど、いかんせん、日本の滝は小さすぎる。環境として、ヌルすぎるんだよなぁ……」
「思い出しますね、異世界での滝行。こちらでいうとナイアガラ相当でしたか」
師と弟子は思い返す、異世界での滝行。
見渡すばかりのデケェ滝に、自ら身を投げ込んでの荒行だった。
「やっぱりね、人間、自分の本質を見極めるためにはまず極限環境に身を置くのが基本だから。滝といわずとも、そういう環境があると嬉しいんだけど……」
「日本最大落差のバンジージャンプとかどうですか?」
「絶対楽しんじゃう自信があるから、却下」
マリクは、割と絶叫系のマシーンが楽しめるタイプだった。
「カリンに『金色符』を借りようか。滝のある異空間なら、滝行もできるだろ」
「さすがはマリク師、解決策を導かれるのはお早いですね!」
「おべんちゃらはいいから……」
何でも肯定してくるルイに、マリクは苦笑も出せない。全肯定Botかよ。
「……ところで、師」
「ん~?」
「その、ディ・ティ様は、まだ……?」
「起きないね。ずっと眠ったままだ」
ディ・ティは、ランタンの中で眠りについていた。
おそらくは『神骸石』の力を使った無理矢理の『堕転』の反動なのだろう。
彼女の体はあれから一日も経たずに元の大きさに戻り、ランタンに帰っていた。
残されたのはディ・ティから分離した大量の『神骸石』だけだった。
「ディ・ティはそのうち起きるさ。それまで、ぼく達はまた積み上げて行こう」
「そうですね。一から、ですね」
そのルイの言葉は、マリクも心底から同意するところだった。
自分達はまだまだ未熟で、弱くて、脆くて、危うい。この一件で痛感したことだ。
「ルイ、一つだけ、わかったことがあるよ」
「何でしょうか?」
「信仰に、神は必要ないんだ」
「え……?」
「もちろん、極論さ。正確には、神は実在しない方がいい。その方が信仰は高まる」
「……なるほど、そういうことですか」
マリクの言わんとするところを、弟子であるルイも正しく認識する。
神が実在した異世界では、救いは必ず訪れた。神の存在そのものが救い足り得た。
だが、その意味するところは探求の停滞。信仰の限界でしかない。
マリクとルイが作り上げた『賢明教団』は、異世界最大規模の宗教集団だった。
しかし実情は、マリクを偶像に祭り上げるだけのお粗末な組織でしかなかった。
狂信の域にも達しない程度の、カルトも名乗れないような連中ばかりだ。
「神を希求する想いは、異世界よりもこっちの方がずっと強くて深い」
「目に見えないからこそ追い求め、手が届かないからこそ手を伸ばすのですね」
「手を伸ばせば神に届く異世界を生きたぼく達には、想像もつかないレベルでね」
実在するかさだかでないものを信じる。
それがどれほどの労力を要するか、考えるだけでも疲れてしまいそうだ。
「ま、だからってぼくのディ・ティへの信仰が揺らぐわけでもないけど」
「そうですね。一度走り出した信仰は止まりませんからね!」
「信仰を暴走トラックか何かと勘違いしてないか、おまえ……?」
益体もない話を続けているうち、やがて高橋家が見えてくる。
そのタイミングで、ルイが切り出した。
「マリク師は、本当に神になられるおつもりなのですか?」
「ああ。なるよ」
あっさりと、マリクは断言した。
「シュロにも確認した。あの量の『神骸石』があれば、人一人の魂を最小の『矮神格』の神に変えることは可能だそうだ。ただし、そのためにはぼくは一度人としての生を全うする必要がある。天寿を全うして生を終えるとき、ぼくは神に転生する」
「それは、ディ・ティ様への償いのために?」
「当然、それもある。けど一番大きいのは、ディ・ティと離れたくないから、かな」
かつては、それを口に出すことにも激しい抵抗を覚えていた。大それたことだと。
しかし今は、ディ・ティへの愛をするりと言葉にすることができる。
「ばくもバーンズ家だな、やっぱり……」
「バーンズ家といえば――」
「どうした、ルイ?」
「『神骸石』を持ってきてくれた方に、お礼をした方がよいのでは?」
「……ああ、ユユさんか」
ユユもまた、バーンズ家の一人だ。
彼女がヒメノから受け継がれた使命を果たしたことが、今回の一件にも繋がった。
「ルイの言う通りだな。というか、ぼくが気づかなきゃいけないことだったか」
しくじった、と顔をしかめるマリクだが、今からではどうしようもない。
「今度、何かお礼の品を贈ることにしよう」
「わかりました。では贈り物の選定は私の方で進めておきます」
「頼んだ」
こういったとき、ルイの方が自分よりもずっと優れたセンスを発揮する。
マリクはそれを理解していた。
「ところでマリク師、本日のお夕飯はいかがなさいますか?」
「あ、今日から三日間断食行やるから」
「えー!? 昨日、いいお肉見つけて買っておいたんですけど!」
「昨日、肉。一昨日、肉。その前も肉。おまえのレシピには肉しかないのか!」
どうやら、我妻涙は肉食系(文字通りの意味)の女性のようだった。
かくしてマリク・バーンズの物語は、これにてひとまずの終わりを迎える。
――その、一方で。
「はぁ、緊張しました……」
「なかなか立派に答えられてたな、ユユ」
帰り道を歩いているのは、ユユ・バーンズとその保護者の男性だった。
髪を丁寧に撫でつけて、濃紺のスーツを着こなした、ダンディな装いの紳士だ。
「ところで、マリク君はどうだった?」
「はい、お話に聞いていた通り、とても素敵な方でした!」
「そうか。それはよかった」
ユユと手を繋ぎながら歩く男は、彼女に穏やかな笑みを向ける。
「はい。あの方の巡礼に同行させていただいて、私はとても、とても……」
語るユユの頬は朱に染まり、その瞳は熱に潤み、口元は艶やかな笑みを作る。
「心の底から、ときめきました。この方こそ、私の神様なんだ、って」
「でも彼は、君の方を向いていなかったんじゃないかな」
「それは仕方のないことです。だってあの方はまだ『小さな神』に誑かされたまま、マインドコントロールのさなかにあるのです。すぐには解けないでしょう」
「では?」
「はい、私があの方を、目覚めさせて差し上げます!」
決意を大きく声にする彼女の瞳には、黒々とした強烈な信念が渦を巻いていた。
それは、異世界の人間にはあり得ないはずの、狂信の一念。
「私を助けてくれたマリク様。あなたこそは私の神。あなたこそは、私の――」
「マリク君と出会えてよかったね、ユユ」
男に言われ、ユユは頬を染めたまま、彼を見上げてコクリとうなずく。
「はい、太祖様!」
一つの物語は終わりを迎え、もう一つの物語は未だ始まってすらいなかった。
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→ 第十九章 矜持が打ち貫くセルフ・サクリファイス 終
断章 彼と彼女の笑える結納 に続く ←
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