第543話 対話篇:アキラ・バーンズ
高橋摩碕はいずこかへと去っていった。
彼は、二度とマリクの前には現れないだろう。
そう言われたワケではないが、マリクの中には妙な確信があった。
そして、摩碕がどこに行こうとも、もうマリクには何の関心も湧かなかった。
高橋磨陸の物語は、家族の断絶という結末をもって完結したからだ。
もはや、マリク・バーンズが高橋磨陸という哀れな子供を思い返すこともない。
彼は海の底に落ちて、死んだのだから。
「よ」
何となく飛ぶ気になれず港近くの道路を歩いていると、背後から声をかけられた。
マリクが振り返ってみると、アキラ・バーンズが立っていた。
「お父さん……?」
「お疲れさん。無事に終わったみたいだな」
アキラは気さくに笑いながら近づいて、マリクの背中をポンと叩いた。
彼は小学三年生になったばかり。マリクより年下で、手も大きくないはずだった。
それなのに、マリクはとても大きな手に叩かれたように錯覚した。
叩き方も背中を押すような、自分に力と熱を与えてくれるかのような感触だ。
「……お父さん」
「ん? どした? 何かあかんかった?」
言葉にならず、見つめることしかできないマリクに、アキラは眉根を寄せる。
マリクは「いいえ」とかぶりを振って、ニコリと笑った。
「いえ、終わりました。全部、滞りなく」
「そうかよ、じゃあ――」
「これで、八割方はカタがついたかな、と」
「八割方ねぇ……」
聞かされたアキラが、難しい顔をして腕を組む。
「キリオんトコ行って、親父んトコ行って余計なコトされて、クラマんトコ行って無茶振り喰らって、会いたくもない実の父親に会って、それで八割か……」
「ええ、それで八割です」
「残りの二割は?」
「ぼくだけじゃどうしようもないですね。これ、ぼくとディ・ティ様の問題なので」
「ま、そりゃそうか」
アキラは素直に納得した。
今回の一件は、マリクの内面の問題であり、同時に信仰の問題でもあるのだ。
神と人、ディ・ティとマリク。両者が関わる難事なのだった。
「ところで、お父さんはどうしてこっちに? 高橋家の方は?」
「ユユとルイが行ったよ。それだけいればいいだろ。元々、ミフユもいるんだし」
「過剰戦力ですね」
「何と戦うんだって話だけどね。笑うわ」
アキラはケラケラと笑った。そのあとで、道の先を指さす。
「少し、歩きながらダベろうぜ、マリク」
「はい」
二人の前には、小さな商店街の入り口が見えていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
所詮、小学生。
「うおおおおお、見ろよマリク! 新弾! パレカの新弾売ってるってェ~!」
たまたま立ち寄ったコンビニでそれを見つけたアキラは、一瞬でハジけた。
「はぁ、そうですか」
「え、何おまえ、そのテンション。受験失敗して浪人した?」
「小学生の身の上で浪人とは最先端ですね!?」
レジのカウンター前で騒ぐ小学生二人を、若い女性店員が暖かい目で眺めている。
「パレカですか。別に、そんな騒ぐようなモノなんですか? そりゃ全世界に展開しててプレイ人口十億人なんて言われててすごいと思いますけど、パレカはルールが複雑なんですよ。後発にもっとルールが覚えやすくて、価格帯も子供にやさしい、それでいてただいま絶賛アニメ放映中の熱くて深くて泣ける国内人気ならパレカに匹敵、いえ、優るとも劣ることは全くない『勇気王』っていうコンテンツがですね――」
「語るじゃん。めっちゃ語るじゃん、このメガネ君……」
一瞬で早口になるマリクに、アキラはヒいた。かなりヒいた。
「あの、お客様、お会計はまだでしょうか?」
「「ごめんなさい」」
そして、二人そろって店員さんに謝ったのだった。
「おまえのせいで怒られちゃったじゃんかよ!」
「お父さんがいつまでもパックを買わないからですよ! 挙句、箱買いとか!」
「フヘヘ、やっちまったぜ、箱買いってやつをよ~。くぅ~、アキラ君、大人~!」
コンビニを出た二人は、ワイワイ騒ぎながら商店街を歩く。
今日は土曜日。真っ昼間から子供二人が歩いていても、周囲は怪しまなかった。
「『勇気王』はよ~、何か絵柄が濃いんだよな~。それがカードにも出てるっていうかさ~、スタイリッシュさが足りてねぇんだよ、スタイリッシュさが~」
「はぁ!? 何言ってるんですか、それは濃いんじゃなくて熱いんですよ! 勇気王の主人公、未踏・勇気の熱い心がカードにも反映されてるんです!」
「あれ、マリクさん、実は熱血系のお話がお好みで……?」
自分の息子の未だ知らぬ一面を知り、アキラはついつい、敬語になった。
「いいえ、ぼくが好きなのは『勇気王』です。そしてお父さんには一度『勇気王』の素晴らしさを教授する必要がありそうですね。まずは無印『勇気王』全254話、次に『勇気王DX』全180話、そして現在放映中の『勇気王777Dz』を最新話まで140話分、見ていただくところからですね! さぁ、未踏の大地に勇気の一歩を!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ! 初心者に優しくないオタクだァ――――ッ!?」
初心者に優しいのは、過疎化して限界集落化したコンテンツだけなのだ(語弊)。
さて、そんな話をしていると、アキラが腹に手を当てて軽く俯いた。
「腹減ったな。そういえば、朝飯食ってねぇわ。どこかで食うか?」
「え? お金大丈夫なんですか? パレカ箱買いまでしたのに」
マリクが素直に父親を心配する。
パレカの箱買いは、小学生にはかなり大きな出費のはずだ。
「それがよぉ~、今日になって確認したら、タクマから受けた仕事の報酬が口座に入っててよ~。クッフッフッフッフッフ、見ろよコレ。これよ、これ」
バァ~ン、というオノマトペを口に出して演出し、アキラが取り出したのは紙幣。
しかもそれは、日本国が誇る最高金額紙幣、天下の一万円札だった。
「クックックック、さぁ、ひれ伏せ拝金主義者共! この一万円閣下になァ!」
「お~~~~」
往来の真ん中で一万円を高く掲げたアキラに、マリクがパチパチと拍手する。
「このたびの報酬、大体16000円! パレカを箱買いしても、この札が残るぜ!」
「小学生基準で考えると間違いなく大富豪ですね!」
「おうよ。だから任せろ、マリク。俺が、この俺が、メシ奢ってやるぜ~!」
今や、アキラは金の魔力にとりつかれて極限まで気が大きくなっていた。
しかし、マリクはそれをいさめることなく、ある一方を指さした。
「あ、お父さん、あそこがいいです!」
指さした先にあったのは、ちょっと豪華な造りをしたファミレスだった。
「フ、ファミレスだと? いいだろう、ならばこの一家の大黒柱が、次男君に思いっきり奢ってあげちゃおっかなー! このバーンズ家のお父さんが!」
「わ~い」
そして二人は開店して間もないファミレスへと足を運ぶのだった。
それから、大体二時間後。
カランカラ~ン。
「ありがとうございました~!」
ドアベルの音と重なる、店員さんのお見送りの声。
そしてドアから出てきた、顔面が土色に変色したアキラと、喜色満面のマリク。
「ああ、美味しかった! お父さん、ごちそうさまでした!」
「…………」
マリクはそこはかとなく顔色もよくなって、心から満足げだった。
一方、アキラは肩と頭をガックリ落とし、緩慢な動きでヨロヨロと歩いている。
「どうしたんですかお父さん、昭和のホラーに出てくるミイラ男みたいですよ!」
「うるせえェェェェェェェェェェェェェ――――ッ!」
マリクに心配された途端、アキラが天を衝くほどの絶叫を迸らせる。
「おまえ、おまえなァ、マリク!」
「はい、何でしょうか?」
「おまえ、いくら奢りだからって一人で8000円分も平らげるヤツがあるかァ!」
「ちょうどヤケ食いしたい気分だったんです。ごちそうさまでした!」
顔面間距離数cmまで詰め寄るアキラに、マリクは輝く瞳でお礼を述べた。
「少しは悪びれろよ! 体に似合わぬ食事量はタマキのキャラ属性だろうがよ~!」
「それは違いますよ、お父さん。タマキ姉さんならぼくの三倍は食べますよ?」
「…………そーね」
泣きわめいていたアキラだが、マリクに冷水をぶっかけられ一瞬で冷静になった。
「クッソ~、俺のミスター・シブサワが誰かも知らないメガネのオッサンに……」
「北里柴三郎先生ですよ。近代日本医学の父と呼ばれた偉人ですよ?」
「うるせぇ! 俺のミスター・シブサワを返せ!」
「ごちそうさまでした! 無理です!」
「溌溂とした笑顔で言い切りやがってぇ~~~~!」
満面の笑みを見せるマリクに、アキラはグギギと歯噛みする。
だが数秒もせず、彼は真夏のエアコン室外機を連想させる勢いでため息をつく。
「あそこに公園あるな。ちょっと食休みしてくぞ」
「あ、いいですね。ぼくもちょっと苦しくて」
「多少なりとも申し訳なさそうな態度見せてくれんか、高橋君……?」
二人はちょっとした広さ公園に入ると、アキラが真っ先に休憩スペースへ走った。
「うおおおおおおおおお、怒涛のパック開け大祭、開幕じゃァ~~~~!」
テーブルと椅子がある休憩スペースでアキラは一心不乱にパレカ開封をし始める。
「コモン、コモン、アンコモン、レア、コモン! はい、雑魚ォ~! 次ッ!」
「…………」
向かいに座ったマリクは、無言でアキラがストレス発散する様子を眺める。
「コモン、アンコモン、アンコモン、ダブルレア、レア! おのれ、次だ次ィ!」
「……お父さん」
「アンコモン、コモン、レア、レア、レア! レアの三連星やめろや! 次!」
「お父さん」
「コモン、コモン、コモン、レア、レア! フルハウスだドン! って、どした?」
パック開封沼にハマりかけていたアキラが、マリクの呼びかけにやっと応じる。
彼の方を見ると、さっきまでと打って変わって真剣そのもののマリクがいた。
「どうして、何も聞かないんですか?」
高橋摩碕との対話を終えたマリクの前に、アキラは真っ先に現れた。
だが、アキラはとりとめのない話に終始しており、マリクは真意が見えなかった。
色々と聞かれるくらいはあると思っていたのに……。
「何言ってんだ、おまえが八割方終わったって言ったんだろ」
「言いましたけど……」
「だったら、俺から言うことなんて何もねぇよ。つか、パック剥き手伝って?」
「えっと……」
目の前に5パックほど差し出され、マリクは一つ手に取って言葉に迷う。
そんな彼をチラリと見て、アキラはパックを剥く手を止めた。
「それとも何かい? 『大賢者にして大司祭』であるマリク師は、ほぼほぼハラが決まった今の状況で、いとしのお父様から何がタメになるご助言を賜りたいと?」
ほとんど挑発。
ほとんど煽り。
ともすればレスバ開始のゴングが鳴りかねない物言いだが、マリクはうなずいた。
「はい」
「おっと、マジか……」
まともに返事されると思っていなかったアキラは、軽い驚きを見せる。
「やっぱり、ディ・ティ様の言う通りぼくは弱くなっているようです。これからが大詰めだっていうのに、一人で威勢を張り続けることも難しい。情けない話です」
相手がアキラであるからか、マリクはすんなりと弱音吐露した。
それを聞かされたアキラはテーブルに身を乗り出し、指でマリクの額を小突く。
「いて」
「バ~カ、それは『弱さ』じゃなくて『幼さ』だよ」
「……『幼さ』」
「そ。いくら一回人生終えたっつってもな、俺もおまえも、今はガキなんだよ」
「それは、そうですけど……」
「ガキがガキで何が悪い。ガキはガキだ。それだけの話さ」
アキラはスパッと切って終わるが、マリクはすぐにはその言葉を咀嚼できない。
そこに、加えてアキラが笑いながら告げる。
「そう、ガキはガキ。俺は俺。そして、おまえはおまえだろ、マリク」
「ぼくは、ぼく……」
「ああ。賢者のおまえも、司祭のおまえも、ディ・ティの旦那のおまえも、ヒメノのお兄ちゃんのおまえも、俺とミフユの次男のおまえも、小学四年生のおまえも、尽きぬ『憎悪』を抱えるおまえも、それに抗おうとするおまえも、どれもおまえだ」
アキラが語るのは、至極当然の、ごくごく普通のことだった。
だが、マリクはその言葉が己の中に抵抗なくスゥと沁み込んでいくように感じた。
「だからよ、マリク。俺から言えるとしたら、これだけだ」
剥きかけたパレカのパックをテーブルに放り、アキラは挑みかかるように笑う。
「どれもおまえだ。どれもがおまえだ。――ならば、どれがおまえだ?」
「…………ッ!」
ぞの瞬間、ザワリ、と、マリクは己の全身が総毛立つのを感じた。
物理的な影響を伴わない衝撃が、脳天から爪先まで一気に突き抜けたような錯覚。
彼は手にしていたパックを取り落とし、それを見たアキラがギョッとする。
「ちょ、マリクさん、何で泣いてんすか!?」
「え……」
大声で指摘され、マリクが目元を手の甲でぬぐうと、そこに濡れた感触があった。
「ぼく、涙が……?」
「いやいやいやいや、何で? 俺、別にいじめてないよね? ねぇ!?」
マリクは、大いに取り乱すアキラを数秒ほど、呆然となりながら見つめる。
そしてその顔は、自然と綻んだ。
「はは、ははは。お父さんは本当にすごいなぁ」
「何が!?」
「タクマのときもそうでしたよね。お父さんは、いつもここぞというときに、一番欲しい言葉をくれる。本当に、それがどれほど心強いか……」
生まれて初めてだった。
これほどまでに、バーンズ家に生まれてよかったと強く思ったのは、初めてだ。
「行きましょう、お父さん」
マリクがすっくと立ち上がる。
パック剥きを再開しようとしていたアキラは「え?」と彼を見上げた。
「高橋家に帰りましょう。きっと、お母さん達も待ってます」
「でも、あの、あと8パック……」
「ダメです。今すぐ出発します。今すぐです」
「待ってよ!? 俺、ミスターシブサワを失った心の傷がまだ癒えてなくて――」
「ルイに言って、後日、パレカ3ボックスお渡ししますから」
「行くぞ、マリク! うおおおおおおお、待ってろよ、ミフユ、ディ・ティ!」
アキラは怪気炎を上げて剥いたパックを箱に押しこみ、その場から走り出した。
使えるものは弟子の財布でも躊躇なく使う男、マリク・バーンズ!
「今から帰ります。だから待っていてください」
マリクは空を見上げ、独り言ちる。
「――ディ・ティ」




