表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】出戻り転生傭兵の俺のモットーは『やられたらやり返しすぎる』です  作者: 楽市
幕間 バーンズ家の色々諸々冬景色

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

611/621

第542話 対話篇:高橋摩碕

 まず、マリクは結論から述べた。


「ぼくが抱いた原初の『憎悪』はあんたに向けてのものだった」

「ひ……」


 一言向けられただけで、高橋摩碕はその整った顔を青ざめさせた。

 マリクは一歩も動いていない。ただ、一度しゃべっただけだ。


「ぼくが化け物に見えるのかな?」


 今度は、マリクが一歩近づいてみる。

 すると摩碕は全身をビクリと震わせて、反射的にマリクに背を向けようとする。


「ひぁ、あ、ぁぁ……」


 摩碕は情けない声を垂れ流し、腰を抜かしてその場にへたり込んでしまう。

 マリクは表情一つ変えず、近くの壁に金属符を張りつけて、周囲を異階化した。


「逃げるなんてひどいなぁ、父さん」

「ぅ、うぐ……」


「話をしようよ。多分、最初で最後の親子の会話を」

「……わ、わかった」


 逃げ場はないのだと察した摩碕が、観念してマリクの方を振り向いた。

 マリクは近くにあるベンチに座った。摩碕は何とか立ち上がり、彼の顔色を窺う。


「本当に、ぼくのことが怖いんだね」

「ぁ、当たり前だろ。弥代を殺したんだぞ、おまえは……」


 摩碕の声に咎めるような響きはなかった。

 ただ、彼はマリクのことを恐れていた。人を殺した怪物に対する当然の反応だ。


「そうだね、ぼくはあの女を殺した。だってぼくは、あいつに殺されたからね」

「く……」


 平然と答えるマリクに、摩碕は反論できなかった。

 彼はすでに、ルイから『出戻り』に関する一連の情報を聞かされていた。


「……それは本当、なのか?」

「本当? 何が?」


「弥代が、おまえを殺したっていう……」

「ふぅん」


 どこか探るような目をする摩碕に、マリクはあごに手を当て考える。


「仮に、もしもぼくが嘘をついているとして、それで今のこの構図は何か変わるのかな? 母さんを殺したぼくを前に、父さんは何をするの? 何ができるの?」

「…………俺は」


「無理だよ。どうあがいても、何もできないさ」

「ああ。だろうな……」


 マリクが断言すると、摩碕もそれに同調を示す。

 しかし、その顔に納得の色は見られなかった。それが、マリクの興味を引いた。


「――わからないな」


 彼は、素直に疑問を口にする。


「父さんは、母さんのことをどう思ってたの? その顔、ぼくが母さんを殺したことに思うところがある。そんな顔をしてる。いや、もっとストレートに、ぼくのことを許せない。そんな顔に見えるんだけど、ぼくの勘違いかな?」

「……ぉ、俺は」

「大丈夫だよ。ぼくはあんたを殺さない。話をしようって言ったのはぼくだ」


 顔を青白くしたまま震える摩碕に、マリクは優しく笑いかける。


「でも、先にぼくの恨み言を聞いてもらおうかな。ぼくの方も、あんたに思うところはあるんだ。あんたに聞いてもらわなきゃいけないことがあるんだよ」


 世界から切り取られた異空間の中で、マリク・バーンズは語り始める。


「ねぇ、父さん。どうしてぼくを助けてくれなかったの?」

「な、何だと……。助け、る……?」

「そうだよ。ぼくが海に落ちて溺れているとき、どうして助けてくれなかったのさ」


 言葉そのものは追及でありながら、物言いはまるで説諭のようだった。

 その場にいなかった摩碕に助けを求めるのは無体な話で、マリクも理解している。


「でもね、理屈じゃないんだ」


 笑うマリクののど元に、急に息苦しさが生じる。

 頭ではなく、体があのときの記憶を思い出しているのだ。明確に。克明に。


「海に落ちたぼくは、何もできなかった。ただ、苦しかった。苦しいだけだった」


 体は沈みゆき、光は遠のいて、意識は混乱したまま、苦しさだけが増していく。

 それが、溺死するまでの間にマリクが感じていた全てだ。


 苦しかった。

 息ができなくて苦しかった。


 苦しかった。

 死が近づくのを感じて苦しかった。


 苦しかった。

 誰も助けに来てくれなくて苦しかった。


「海の中で、ぼくは世界の終わりを感じた。必死に勉強した結果がこれなのか、って。でも、そんなの受け入れられなかった。だから念じたよ、助けて父さんってね」


 母親に助けを求めなかったのは、磨陸も無意識下で気づいていたからだ。

 自分は、母親から愛されていないこと。弥代にとっては道具でしかないことに。


「ぼくを助けられる存在はあんただけだったんだよ、父さん」


 高橋磨陸を囲う世界の中に、高橋摩碕は存在していなかった。

 会ったことがないワケではなかったが、それでも精々数える程度でしかない。


 そんな男が父親といわれても、磨陸の中に実感などあるはずがなく。

 長らく、磨陸にとって摩碕は父親という記号を与えられた他人でしかなかった。


 それでも、摩碕が父親であることは知っていた。

 だから海に落ちたとき、真っ先に思い浮かんだのが、摩碕の顔だった。


「よく知らないから相手だからこそ、もしかしたらと期待する。海に落ちたぼくは、まさにそれだった。藁をも掴む思いで生存本能が剥き出しにしたあのときのぼくが助けを求められる相手は、世界であんただけだったんだよ」

「……し、知るか、そんなこと! 助けられるはずが、ないだろう!」

「もちろん、その通り。これは言いがかりさ。無茶を言ってるにすぎない」


 そんなことは、マリクも重々承知だ。

 しかし、彼は先んじてこうも言っている。――理屈ではない。と。


「ぼくがしてるのは詰問や糾弾じゃない。説明だよ。ぼくが抱く『憎悪』のね」


 高橋磨陸が死に際に抱いた最期の感情。

 それは、金鐘崎アキラが抱いた『怒り』に極めて近しい『憎しみ』だった。


「高橋磨陸は死に際して、終わりの一瞬まであんたを憎んだ。助けてほしいと願いながらも、助けてくれなかった高橋摩碕を憎んだ。そしてその『憎しみ』を抱えたまま、高橋磨陸はマリク・バーンズに転生した。このぼくに」


 幼い子供にとって、両親とは世界のほとんどを支配する偉大な存在だ。

 親への憎しみを宿したまま転生したことで、マリクは『憎悪』の権化に変質した。


「高橋磨陸を今のぼくに変えたのはあんただよ、高橋摩碕。だからぼくは、あんたにこの恨み言を聞かせている。これで、ぼくの説明は終わりだ。御清聴、感謝します」


 あえて芝居がかった言い方をして、マリクは摩碕に一礼した。

 摩碕は、顔色を悪くしたまま何も言えず、呼吸を荒く乱している。


「俺に、どうしろというんだ……」

「今さら償いなんて求めないよ。ただ、さっき覚えた疑問への答えは欲しいかな。あんたは、母さんをどう思っていたのか。ぼくを、どう思っているのか。教えてよ」


 マリクはそこまで言い終えて、あとは何も言わなくなった。

 父親である高橋摩碕の言葉を聞くべく、静かに、そしてまっすぐに彼を見つめる。


「お、俺は……」


 摩碕は逡巡した。本当に本音を語るべきなのか、計りあぐねた。

 ここは誤魔化すべきなんじゃないのかと、心の何割かが保身に傾きかけた。


 しかし、それによって逆にマリクの逆鱗に触れたらどうする。

 そうなったら、単なる自滅ではないか。


 自分に退路がないことに、摩碕は今さらながら気づいた。

 そしてマリクは、そうした彼の心の動きが手に取るようにして読み取れた。


 読み取れるからマリクは何も言わない。

 これからの態度と言動で、マリクは高橋摩碕という人間を判断するつもりだ。


「――俺は」


 数秒ほどの間を置いて、摩碕が語り出す。


「俺はきっと、弥代のことを愛していた」

「きっと、か」


「ああ。俺は弥代のことを、憎からず思っていた。多分」

「何でそこで多分とか出るんだよ……」

「あいつのことを、くだらない人間だと思っていたのも確かだからだ」


 一度話し始めると、摩碕の声にあった震えは消えた。


「弥代は頭の悪い女だった。だから俺は、あの程度の女ならどうとでもできると思ってたんだ。俺はガキの頃から人を手の上で転がすのは得意だったから」


 う~ん、ロクでもない。

 この状況で得意とか言えてしまう摩碕に対する、率直なマリクの感想である。


「大学時代、俺は何人もの女と付き合ったよ、同時にだ。だが結婚相手に選んだのは弥代だった。あいつより頭のいい女は何人もいたんだが、何故か弥代だったよ」

「それは、母さんが一番コントロールしやすいと思ったから?」


 マリクからの質問に、摩碕は首を横に振って「いいや」と返した。


「当時付き合った女の中で、弥代が一番、俺のことを愛してくれたからだと思う」

「へぇ、ルックスとか、経済力とかじゃなく?」


「それも当然あったと思うが、何ていうのか、弥代は順序が逆だった」

「逆?」


「他の女は俺という個人を知る前に、俺という物件の諸条件を確認してきた。だが弥代は、俺自身のことを知ってから、あとで俺が優良物件だと気づいたんだよ」

「なるほど、逆だね」

「頭が悪い女だろう? 不器用で、要領も悪かったよ……」


 散々な言いようではあるが、それを語る摩碕の顔はどこか懐かしげでもあった。


「だから、あいつなら俺の手の中から出て行くことはないだろうと思った。それが、あいつと結婚した一番大きな理由だったんだろうな、きっと」

「自分の思い通りになる女がよかったのか?」

「違う。自分の思い通りになる女の中にいた、弥代がよかったんだ」


 つまり、自分の思い通りになる女がよかったってことじゃないのか。

 マリクは不思議に思ったが、摩碕の中では違うのだろう。どうでもいい部分だが。


「そう、俺は弥代のことを愛していた。多分、愛していたんだ」

「それはわかったよ。じゃあ、ぼくはどうなんだ?」


 弥代の話はもう十分だと思い、マリクは次の話題を促す。

 摩碕は弥代を存分に見下しながら、だが同時に愛していた。それは理解した。


 弥代に対して甚だ失礼な話ではあるが、そこは触れないでおく。

 今のマリクはあくまで聞き役で、摩碕の話が終わるまで意見を語る気はなかった。


「磨陸、おまえは――」

「ぼくは?」


 マリクは再度促す。

 だが、一秒二秒と待っても返事はなく、摩碕の躊躇を感じ取る。


「……おまえは、邪魔だったよ」


 しかし、摩碕は言った。

 その瞳に、マリクに対するあらん限りの感情を込めて、彼はそう断言した。


「俺が必要だったのは弥代だ。おまえじゃない」

「へぇ」


「弥代から子供ができたと言われて、目の前が真っ暗になった。余計なものを抱えこむハメになって絶望感すら覚えた。俺の人生に、無用な荷物が紛れ込んだと思った」

「随分な言いようだね」


 マリクはそう言って笑いはしたが、それだけだった。

 それが続きを話せという無言の要求だと察した摩碕は、さらに言葉を続ける。


「俺は何度も堕ろすように弥代に言ったが、あの女、おまえが生まれさえすれば俺の態度が変わると思って、結局俺の命令には従わずにおまえを生みやがった」


 吐き捨てるかのような物言いは、弥代に対するいら立ちの表れだろう。

 この男は本当に、自分の息子である摩陸を邪魔者だとしか思っていないらしい。


「おまえが生まれて、俺と弥代の人生は俺と弥代とおまえの人生にならざるを得なくなった。俺はなりたくもない父親になるしかなくなった。本当に、最悪だったよ」

「だから、母さんに冷たくなったのか……?」


 マリクの記憶の中で、幾度か会っただけの摩碕はいつでも冷淡だった。

 そのときすでに二人は名ばかりの夫婦でしかなく、関係は完全に破綻していた。


「当然だろ。あいつは俺に逆らっておまえを生んだ。俺が弥代を捨てたんじゃない。あいつが俺を拒絶したんだ。弥代の方が先に、俺を裏切ったんだ!」


 弥代の裏切りといいつつ、夫婦仲の破綻の原因をマリクに押しつけている。

 果たして摩碕は、その事実に気づいているのかどうか。


「弥代は俺と離婚したがるようになったが、誰が応じてやるものか。あいつは思い知るべきなんだ。バカな選択をしたせいで、自分の人生が台無しになったことを」


 ああ、弥代を飼い殺しにした理由はそれか、と、マリクは察する。

 生活費だけを与えて、あとは放置。それも全ては、弥代への意趣返しだったのだ。


「ん? そうするとルイは?」


 新たに湧いた疑問。

 摩碕は、ルイ・ヴァレンツァこと我妻涙をマリクの新たな母に据えようとした。


 それが弥代の激発を招き、結果、ルイは『出戻り』する原因となった。

 弥代の飼い殺しが摩碕からの意趣返しだったなら、この一件は何だったのか。


「おまえのことは涙に任せて、俺は弥代とヨリを戻すつもりだった」

「言ってることはクズそのものだけど、母さんのことは本当に愛してたんだな……」


 任せてという部分、正しくは押し付けて、だろうに。

 マリクがそう思って顔をしかめると、急に摩碕がこちらを睨みつけてくる。


「そうだ、俺は、俺は弥代だけがいればそれでよかったんだ。それなのに、どうしておまえなんかが俺達の間に割って入ってくるんだ! おまえみたいなのが、どうして俺の人生を邪魔する! おまえさえ生まれてこなきゃ……!」


 話を続けるうちに、摩碕の中でマリクに対する怒りが再燃したらしい。

 さっきまで恐怖に引きつっていた顔が、憤怒と怨念によって激しく歪んでいる。


「ガキがガキを作るから、そうなるんだよ」


 マリクは、摩碕の怒りを正面から受け止めて、一言のもとに切り捨てた。


「あんたの説明でよくわかった。結局、高橋家には大人が一人もいなかったんだね。高橋摩碕は自分は大人だと勘違いしたガキだった。高橋弥代は自分は頭がいいと勘違いしたガキだった。だから高橋家は破綻した。それがよくわかったよ」

「ああ、そうだ。……その通りだよ!」


 マリクの指摘に、摩碕は目に涙を浮かべて、声を荒げる。


「だから磨陸、おまえは、こうはなるな!」


 それは、マリクにとっては意外な言葉だった。

 高橋磨碕は憎々しげな目で自分の息子をねめつけながらも、しかし、


「悪いのは俺だ! 俺が間違ったから弥代はおまえを殺し、俺を殺し、そしておまえに殺された! 俺が間違えたからだ! そんなことは、わかってるんだよ!」

「父さん……」

「俺はおまえが憎い! できることならこの手で殺してやりたい! けど、これは自業自得なんだ。俺は、もっと弥代のことをちゃんと見てやるべきだったんだ!」


 滂沱の涙を流して、摩碕は悔いの言葉を叫び続ける。

 マリクは、絶句するしかなかった。


 摩碕は自分に対する怨念を叫ぶのだろうと、勝手に決めつけていた。

 ところが現実はどうだ。摩碕は懺悔している。妻を殺した邪魔者を前にして。


「磨陸。俺はおまえの父親にはなれなかった。なるつもりもなかった。だが! 俺を見ろ! 選択を間違えて弥代を失った俺の姿を見ろ! その目に焼きつけろ!」


 叫ぶ、吼える、だがそれは遠吠え。

 その手から大事なものを取りこぼした負け犬の、ただ騒がしいだけの嘆きの声。


「わかったよ、父さん」


 一度だけうなずいて、マリクはその手に超高熱の火球を生み出し、撃ち放った。

 火球は摩碕の胸板を直撃し、炸裂音と悲鳴とが同時に響いた。


「これが、あんたの望みだったんだろ、高橋摩碕」


 ジュウジュウと焼ける音がして、異階に肉の焦げる匂いが立ち込める。

 鉄をも融解させる火球に全身を焼かれた摩碕が、マリクの目の前に崩れ落ちた。


「この死は、あんたが望んだ罰であり、そしてバーンズ家の一員であるマリク・バーンズからのあんたに対する仕返しでもある」


 全身を炭化させた摩碕を見下ろし、マリクは厳かに告げた。


「高橋摩碕。その懺悔、マリク・バーンズが確かに聞き届けた」


 自らの『憎悪』に確かな実感を覚えながら、彼は蘇生アイテムを取り出した。

 高橋家は、やっと本当の終わりを迎えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ