第535話 灰化世界に舞う鴉
――『賢明教団』。
マリクが作った教団だが、まぁ、それは別にいいか。
そんなどうでもいいことより、俺は別で気になることがあった。
「クラマ」
新鮮な血だまりを無遠慮に進んで水音を立てつつ、俺はクラマに近づいていく。
「おまえには、世界がこう見えてたんだな」
「ん~? フヘヘヘヘヘヘ……」
クラマは笑って明言は避けるものの、もう、その仕草だけでよくわかった。
この灰色の平原は、クラマが普段見ている世界そのもの。
こいつの世界に、色は存在しないも同然だった、ってことかね。
そして、別段俺に驚きはなかった。
クラマが見る世界が灰色に染まった原因に、心当たりがあったからだ。
「……そうかよ、おまえ、傷が治ってなかったのか」
「御名答。団長ちゃんはさすがだよねぇ~」
いつもの調子でクラマは笑うが、その声ににじむかすかな苦みを俺は見逃さない。
蘇生アイテムがあっても、全回復魔法があっても、それでも癒えない傷はある。
苦いよなぁ、そりゃよ。
「どういうことですか、太父様」
完全に蚊帳の外に置かれているユユが、戸惑いがちに声をかけてくる。
俺は一目だけ、クラマに視線を投げてやる。
「ヘヘヘ」
返される短い笑い。
お好きにどうぞの意と汲み取る。
「クラマはな、異世界で家族を皆殺しにされた経験がある。自分含めて、だ」
「え……?」
俺も、マリクも、当然のように知っているその過去に、ユユが驚きの声を漏らす。
「カミさんと三人の子供達。長女、長男、次男。次男はまだ生まれたばっかだった」
「一体、誰に……?」
「わかりゃしねぇんだよ、そいつがさ~」
クラマがわかりやすく肩をすくめた。
「ある夜、突然のことだったんだよね~。ウチにいたら、いきなり誰かの襲撃を受けて、真っ先に俺ちゃんがやられちゃって、情けないったらないよねぇ~」
「そうだったな」
あの日のことは、俺もよく覚えている。
当時、俺達が拠点にしていた街で起きた、一家惨殺事件だった。
クラマの住んでいた家は俺の家にも近くて、何かあればすぐにわかるはずだった。
しかし、俺は何も気づけず、翌朝に事態を知った。ミフユに聞いたんだ。
クラマは、駆けつけた別の団員によって蘇生された。
だが、クラマ以外のカミさんと子供達は、蘇生もできない有様にされていた。
家族の亡骸は俺も見たが、この俺をしてドンビキするような状態だった。
かの枡間井未来ですら、そこまではしないだろう。というレベルだ。
「この事件がきっかけで、クラマは俺達の傭兵団を去っていった。マリクに神器のランタンを預けて、事件の犯人を探す旅に出たんだよ」
「ま、そゆこと」
三人分の死体を積み上げた、文字通りの人間椅子に座り、クラマはうなずく。
「そのとき、蘇生されてからなんだよね~。俺ちゃんの世界はこの通り」
何も言えないでいるユユに示すように、クラマは緩く両腕を広げた。
「で、団長ちゃんさ」
「何よ?」
「俺ちゃんが座ってるこの方々についての言及は?」
「は? どうせギオがマリク向け案件に集めた連中だろ。だがそれどころじゃなくなったんで用済みになって、放逐されたところを、マリクの師匠であるおまえを狙いに来て返り討ちにされた。とか、そんなトコだろ。どうでもいいわ」
「キシシシシシシシシ! 全くもってその通り! 本当に何から何までお見通しとは、恐れ入りまして出てまた入りまして~。父様の慧眼にあたくしも笑いが止まらないのですよ~! キシシシシシシシシシシシシシシシシシシシ!」
「何もしなくても笑ってるだろうが、おまえは」
逆にこのヒョロ長の笑い声はどうやれば止まるのか、にわかに興味が出てきそう。
「……魂の、傷」
圧倒された様子で、ユウユが小さく呟く。
さすがに『治し屋』の座長。その言葉を当然のように知っているか。
「肉体ではなく、存在の根底。魂そのものに刻まれた傷、ですね。体の傷が治っても、決して治ることのない、永遠にして不可逆の、忌まわしき傷痕……」
「その言い方だと、三百年後の異世界でも『魂の傷』を癒すすべは――」
「確立されていません」
ユユが苦しげに首を振る。
この『魂の傷』を刻まれた者は、様々な面で通常にはあり得ない異常を抱える。
クラマならば景色全てが灰色に染まってしまうようだ。
俺が知る限り、例えば口に入れるもの全てが激辛になる、なんてヤツもいた。
「クラマ、おまえの『傷』が癒えてないってことは、まさか……」
「そうよ~ん。俺ちゃんの『仇』、まだ見つかってないのよねぇ~」
そうか。
異世界では、結局、クラマは『仇』を討てなかったのか。
そいつは何とも、やるせないな。
「ま、俺ちゃんのことはどうでもいいってモンでしょ~。本題、忘れちゃダメよ?」
「そりゃそうだな」
俺は、ずっと押し黙ったままのマリクへと振り向き、視線で促す。
ちょいと派手に脱線しちまったが、ここからだな。
「クラマ師」
「いよぉ~、マリクちゃん、お久しぶり~」
声からして重々しいマリクと、変わらない様子で軽く手を挙げるクラマ。
世界を超えての師弟の再会なのにも関わらず、この温度差。毛布とか必要だな。
「まずは、僕のところの人間がご迷惑をおかけしたようで――」
「ああ、いいっていいって」
深く頭を下げようとするマリクを、クラマが片手で制する。
顔は笑ったまま。しかし、マリクを見るまなざしには、優しいものがある。
「変わんないねぇ、マリクちゃんはさ。抱えないでいいものまで、率先して懐に入れちまおうってんだから。その重さに、これまでどれだけ足引っ張られてんだい?」
「しかし、この者達はぼくの教団に属していました。ぼくが詫びるのが筋でしょう」
「とんでもない」
ゆるゆると、力を抜いたままクラマはかぶりを振った。
「それが通用するのは異世界までさぁ~。ここは令和の日本だぜぇ~?」
「しかし……」
「いいから、いいから~。そうやって向いてないクセに何でも飲み込んじゃうから『鬼形の真念』なんてモンに振り回されちゃうんだぜェ~、マリクちゃんよぉ~」
あ、言われた。俺も思ってたことだ。
これはマリクも自覚はあるようで、小さくうめいて反論できなかった。
「これは異世界でも何度も教えたことだよねぇ~、マリクちゃん。個人の選択を横から奪っちゃいけんぜぇ~? 人より多く何かを抱え込むってことはよぉ~、その多さの分、他の誰かの責任を奪っちまうってことでもある。そりゃ、よくないぜぇ~」
「はい、そうですね……」
クラマを真っすぐ見つめたまま、マリクはかすれた声でそれを認めた。
おぉ~い、見てっかぁ~、どっかの宙船坂集~。あんたのことでもあるぞぉ~。
「…………」
マリクが口を閉ざして少し俯く。
そしてその顔に現れるのは、強い意志と深い決意。マリクは顔を上げて、
「ま、座んなよ。そんな怖い顔しないでさ」
実に見事に、クラマに機先を制されてしまったのだった。
「師、ぼくは……」
「いいから座んなって。話そうぜ、ゆっくりと」
促すクラマの目の前で、アオがせっせせっせと死体を積み上げて人間椅子を作る。
何だぁ、このシュールな図は……。
「キシシシシシシシシシ、できましたよぉ~! クラマ先生の人間椅子を参考に、あたくしが作り上げた見事なヒューマンチェア(ひじ掛け付き)ですよぉ~!」
無駄にクオリティ高ェ椅子を組み上げてんじゃねぇよ、おまえも。
「……失礼します」
いい仕事した風に額の汗をぬぐうアオを完全に無視し、マリクが人間椅子に座る。
生ぬるい空気の中に極端な温度差を持ち込むな。蒸気爆発起こるわ!
「さて――」
ん?
何か今、クラマがこっちを見たような?
いよいよ、クラマとマリクの対話が始まるってときに、その視線は気になるが。
答えは、すぐにわかった。
「ってワケで、団長ちゃん、ちょいとの間だけお願いするねぇ~」
「は、何を……」
言いかけた俺の耳に、いきなり強烈な軋み音が炸裂する。
「きゃあ!」
不意を突かれたユユは無防備に耳をふさいでその場にひざを折る。
一方で、俺は右手にガルさんを取り出し、空を見上げて音を鳴らす源を見据える。
空に走った、巨大な亀裂。
黒い稲妻のようでもあるその向こう側から、何者かが飛び降りてくる。
「ふぇふぇふぇ、ふぇふぇふぇふぇふぇふぇふぇ!」
この、軋み音以上に耳と癇に障る、ばっちぃ笑い声は――、
「見つけたわい。見つけたわいな、オリジナルよぉ~!」
マリクモチーフのはぐれ『高天一党』、高天蛾翁。……だけ、じゃない!
「――推参致しました、マリク師」
全身に不気味な漆黒のモヤをまとい、その女は現れた。
まるで翼を広げた鴉のように、纏うモヤを大きく広げて、蛾翁と共に現れた。
ルイ・ヴァレンツァは、敬愛すべき師しか目に入っていなかった。




