第533話 高度な柔軟性を維持しつつ
これまでのあらすじとかいうモノ。
マリク、自分の出戻りの真の理由を知って母親を撲殺。
しかし凶器が自分の一番大事な神器だったため、メンタルがやわになる。
ディ・ティは見えなくなるわ『鬼形の真念』に目覚めかけるわでさぁ大変。
だがそこにヒメノとルイがマリクのためにそれぞれ解決策となる道を指示した。
ヒメノは、自分の身体をディ・ティに差し出す『人化の法』を提案した。
ルイは、マリクに全ての縁を断ち切って修行によって克服しろと言い出した。
やべぇぞ、どっちもロクでもねぇぞ!
ヒメノの提案は確実に犠牲が出る道だし、ルイの提案は完全精神論じゃねぇか!
それでも、ルイの主張もバカにできたものじゃない。
何せ、ルイが言った通りのことをやり抜いたのが異世界のマリクなワケで。
それを一番近くで見ていたルイにしてみりゃ、いわば当然の主張ってことだわ。
第三者視点の俺、いつも通りに『笑うわ』とすら言えんけど。
さて、いっとき正気を取り戻したマリクは、自分の心を決める巡礼に出た。
たった一日の、ごくごく限られた時間の中でも巡礼だ。
その中で、マリクは答えを出さなきゃいけない。
いや、違うか、自分の中にある答えが正しいかを、確かめなきゃいけない。
マリクの中にすでに答えはある。
だがその答えは、おそらく、まだ『ブレ』がある。
だからあいつはそのブレを正してくれそうな相手と、対話をしようと考えたんだ。
一人目は、キリオだった。
ここ最近で、バーンズ家で最も大きな厄災に見舞われた、バーンズ家四男。
だが、その対話の途中、何か『はぐれ高天一党』が襲ってきやがった。
高天蛾翁?
何だこの小汚ェジジイは? は? マリクモチーフ!?
ウソつけおまえェ!
こんなのがマリクモチーフなワケ――、ぁ、だから『はぐれ高天一党』なのね。
まぁ、追い返すことはできたが、おかげでマリクのメンタルがまたもやあかん。
ただでさえ抱え込んじゃうマリクだぞ?
それが、あんなクソ憎悪ジジイが自分モチーフとか言われたら、ねぇ……?
ミフユだったら『笑えないわねぇ』が出てるところでしたよ、こいつは。
で、仕方がないから休憩場所に使えそうな宙船坂さんチに行ったらさー……。
今度はマリクと親父が勝手に対話始めちゃってさー!
マリクを休ませるって第一目的を家主が華麗にヤクザキックでご粉砕!
宙船坂集ゥ――――ッ!
マリクを! 休ませるために! 俺達はここに来たんだよォ――――ッ!?
予定外な対話で今のマリクを追い込むんじゃねェェェェェェェ!
は?
俺が過保護?
マリクは立派な大人?
バカが。
親からすればな、子供はいつだって子供なんだよッ! よくも悪くもな!
ただまぁ、愚親父との対話によって、マリクも決心を固めたようだ。
この対話の最後の相手、クラマと向き合う決心を。
ってワケで、これから俺達は現在クラマのヤツがいる場所へ向かっている。
地表に存在しない国――、バカ七男の肚の中。
すなわち、『高天禍肚』へ。
……野郎について語るときに肚って字を使うの、率直に言ってキモくね?
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
前に来たときとは正反対だな。
それが、俺が抱いた一番最初の印象だった。
以前、佐村夢莉の一件でここに来たとき、俺達が通ったのは白い回廊だった。
ひたすらまっすぐ続く白い回廊に、等間隔に並ぶ黒いドア。
そこには、管理者であるスダレモチーフの『高天一党』が居座っていた。
一方で今はどうか。
黒くねじ曲がった道が、ずっとずっと続いている。
それは無軌道に掘り進めた坑道、もしくは人を寄せ付けない天然洞窟を思わせる。
岩肌がむき出しになった黒い壁と、奥に見えるかすかな白光。
それに加えて、前に来たときに感じた無機質さとは逆の、ぬめるような空気感。
――まるで臓物の中を歩いてるみたいだな。
明るいのか暗いかもわからないまま、俺は何となくそんな感想を抱いた。
いや、我ながらなかなか身の毛もよだつ想像ではないか。
だってウチの七男の異面体だぞ、ここ。
わ~、クソ笑うわ。
「キシシシシ、キシシシシシシシシ、こちらでございますよぉ~」
先頭を歩く案内役のアオが、けったいな笑い声を風に乗せている。
ちょっと前から思っていたが、その笑い声、絶対意識してやってるよね?
普通の人体、絶対そんな笑い方できねぇモン。
と、ふと気づく。そういやこいつ、普通の人体じゃなくて普通じゃない異面体か。
じゃあ、その笑い方もできちゃうかもしれんね!
一つの気づきと学びによって自らの意見を翻せる、何と柔軟な考え方だろう。
つまりあれだ。
高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応するってこったな!
……あれ、ダメじゃね?
「お父さん」
いきなり、俺の数メートル先を歩いていたマリクが、俺に声をかけてくる。
落ち着いた調子の声からは、疲れや焦りは見られない。
だが、どこか探るような、そして何かを求めるような声音だった。
俺は歩き続けながら、マリクに応じる。
「どうした、マリク」
「聞きたいことがあるんです」
ほぉ、聞きたいこと、ねぇ。
見たところ、通路はまだまだ先が長そうで、雑談をする時間くらいはありそうだ。
「いいぜ。何だよ、言ってみな」
俺はそう返し、マリクの言葉を待つ。
一つ先を歩くマリクの顔を見ることはできないが、その表情は想像できる。
どうせ、眉間にしわをよせてまっすぐ前を見てるんだろう。
何かを考えようとしているときの、マリクが見せるお決まりの顔つきだ。
「お父さんは、どうして怒りや憎しみを肯定するんですか?」
問われたのは、何てことのない内容だった。
だから俺は一言で答える。
「否定する理由がないからだ」
「それは、どうして?」
「どうしてもこうしても、受け入れても拒んでも、どうせ同じことだからだよ」
俺は答える。
マリクからの問いは、俺にとっては考える必要もない、大したことのないもの。
「俺の『真念』は怒りだが、別に俺は怒りだけで成り立ってる存在じゃねぇ。笑いもするし泣きもする、腹も減るしのども渇く。喜ぶし、悲しむし、怒りもする」
「はい、そうですね」
「今挙げた全部が俺を構成するパーツで、全てが等しく俺の中にある」
「それも、そうですね」
先を歩くマリクがコクリとうなずくのが見える。
ここまで語れば、俺の言いたいこともわかってるはずだ。マリクならば。
だが、俺は構わずにそのまま最後まで言い切ることにする。
俺にとっては大したことではないが、マリクにはヒントになるかもしれない。
「怒りも憎しみも、俺の中にある俺のモノだ。それを否定したって、意味がないだろ。ソレが何であれ、俺であること、俺であるものには変わりないんだから」
「ですが、怒りは過ちを呼びます。憎しみは憎悪とも呼ばれます」
「そいつはな、過ちを犯すヤツが悪い。憎悪と名づけたやつが悪い」
「…………」
即答で反論する俺に、マリクは沈黙を返してくる。
「感情に善悪はない。あるのは正誤だ。怒り自体は悪じゃない。怒りを御しきれずにくだらねぇコトをやらかすヤツが悪だ。憎しみそのものは悪じゃない。憎しみを理由にして間違えるヤツが悪だ。――おまえには、言うまでもねぇだろうがな」
「……はい」
そう、感情に善悪はない。だが正誤はある。
怒りに走って過ちを犯すことはあるし、憎しみに駆られて間違うヤツも大勢いる。
我を失って、自分の母親を命より大切な神器で撲殺したマリクのように。
「結局はてめぇの中にある、てめぇ自身の一部分だ。拒んだって仕方がねぇだろ」
「それはそうなんですけどね。これがなかなか」
マリクは小学生らしからぬ、ちょっと達観した感じで肩をすくめる。
「ま、わかるけどな」
俺はゆるく口角を上げて、ヘラリと笑う。
「俺もおまえも、自分の芯に難儀なモンを抱えちまってるからなぁ」
「そうですね。本当に、難しくて仕方がないですよ」
吐露されるマリクのぼやきは、笑い飛ばすようでもあった。
だが、その中に含まれる確かな疲れの色に、俺はただ共感するしかなかった。
俺は『怒り』を己の底に敷き、マリクは『憎しみ』を己の芯としてしまっている。
お互い、望むと望まぬに関わらずに、だ。そりゃ、厄介だよなぁ。
理由のない『怒り』。
動機のない『憎しみ』。
それらは数ある感情の中でも、特に『難しい』部類のものだ。
御すにせよ委ねるにせよ、簡単にはいかない。常に難しい。実に面倒くさい。
「でもな、マリク」
今度は俺から、マリクに語りかける。
「俺は、おまえなら何とかできると思ってるよ」
内心にずっと思っていたことを、俺はマリクに素直に伝えた。
「だから悩めよ。時間ギリギリいっぱいまで、悩んで、考え抜いて、何か見つけろ」
「何か見つけろって、随分アバウトですね……」
「そりゃ当然よ。だって俺、当事者じゃないしね!」
所詮、俺は第三者。
どこまで行っても無責任な立場にすぎぬのだァ~!
「ありがとうございます。お父さん」
「やだ、お礼言われちゃった。テヘヘヘヘ……」
あ、やべ、何かちょっと本気で照れる。ごまかし笑いでごまかしきれない!
「ところでずっと思ってたんですけど……」
「どうしたよ、マリク」
「ここって、何か腸内みたいですね」
「おまえも思ってたんか……」
「ええ、まぁ」
「だがなマリク、その感覚は地獄だぞ」
「え」
「何故なら――」
「な、何故なら……?」
ゴクリと息を呑むマリクに、俺は決定的事実を叩きつけてやる。
「ここは、ギオのヤツの異面体内部だぞ」
「あ……」
「つまりギオの腸内を通っている異物である俺達は、いわばギオのうん――」
「あ~! 早く着かないですかね~! まだ着かないのかな~!」
「ギオのうんこってコトだな!」
「何で人が遮ろうとしたのに言っちゃうんですかァ! しかも、そんなに力強く!」
マリクが悲鳴をあげたのち、後ろからユユの呟く声が聞こえてくる。
「……最低です、太父様」
思ったより、心にダメージが来た。




