第529話 旅は道連れ、ヨガ・ピラティス
本日の宙船坂家のお夕飯は、おうち焼肉でした。
「ほらほらおじさん、もっとしっかり手足伸ばして~!」
「や、やってる、やってるから……!」
焼肉の香りが残る居間で、美少女とオッサンがジャージ姿で頑張っている。
「……でもこれ、本当に効果あるのかな~?」
言いながら、床にぺたりと座って上体を右に大きく曲げる、ライミ・バーンズ。
一見、ストレッチのようでもあるが、そういったものとは少し違う。
「ねぇねぇ、おじさん。合ってる~? これ、合ってる~?」
「し、し、知らないよ……」
答える宙船坂集は、床で四つん這いになりながら右手と左足を伸ばしている。
全然余裕があるライミに対し、集は顔に汗、体に震え。という有様だ。
「おじさん、ちゃんと止まりなって。姿勢を正しく保つのがコツなんだからさ~」
「そ、そう言われても……」
プルプルプルプル。プルプルプルプルプル!
「生まれたての小鹿ってこんな感じなのかな……?」
バランス崩壊寸前の集を眺めながら、ライミは今度は上体を左に逸らそうとする。
普段使っていない筋肉がググ~っと伸ばされてるのがわかって、気持ちいい。
「ん、んん~~~~」
「うわわ、うわわわ……ッ」
二人がやっているのは、一応、ヨガとピラティスだ。
おうち焼肉で調子に乗って食べすぎたライミの発案で始めた、食後の運動だった。
「これさー、本当に運動になってるのかな~?」
「わから、ない、けど、ライミちゃんが、ジョギングは、イヤって、言うから……」
集の返答が途切れ途切れになっているのは、彼がバランス取りに必死だからだ。
「え~? ご飯食べたあとで走るのなんてヤダよ、あたし~」
「さ、散歩とか、は……?」
「散歩って、何か年寄臭くない?」
「く、ああ、言えば、こう、言う……ッ」
この辺りは年の差による価値観の違いがモロに出ているようだった。
「家でできる運動で調べたらヨガとピラティスが出てきたけど~、これ本当に効果あるの~? 体伸ばしてちょっとイタ気持ちいいけど、運動かな~、これ……?」
「だか、ら、僕には、そん、な、こと、わから……、あぁぁぁぁ~!」
「あ、崩れた。おじさんおもろ」
バランスを崩して横向けに倒れる集を見て、ライミがケラケラ笑う。
ちなみに、ライミが行なっているものがヨガで、集はティラピスを試していた。
ただし、どちらも『ネットでちょっと調べた』が上につく。
なのでこれが正しいかどうかは、それこそ誰にもわからないのだった。
「ん~、でも何か運動した気になってきたから、いっか!」
「そんな適当な……」
溌溂とした顔であっけらかんと言うライミには、集もやや呆れてしまう。
しかし、そうはいっても彼はすっかり汗に濡れていた。
「おじさん、本当に運動不足なんだね……」
「やめて。ちょっとの運動で疲れた情けない僕を近くで観察するの、やめて……」
「アハハハ~。あたしも少し汗かいちゃったし、お風呂沸かそうか~」
「ああ、そうしてもらえると嬉しいかな……」
ライミが宙船坂家に来て、早数か月。
彼女もすっかりこの家に慣れて、どこに何があるかも全部覚えていた。
「おじさ~ん、何ならあたしと一緒に入る~?」
ふと思いついたライミが、ニヨニヨ笑って集を慌てさせようと軽く挑発する。
「え、アキラの母親の君と、アキラの父親の僕がかい? 君、そんな性癖が……?」
だが集は何のこともないような物言いで、軽くそう言い返してくる。
ライミはギョッとなった。
「違う、違うよ!? なんでそーなるの! 変に生々しい言い方しないでよ!」
「大人をおちょくろうとするからだよ。お風呂、よろしくね~」
「むぅ、おじさんのクセに……!」
ヒラヒラと手を振る集が憎たらしくて、ライミは頬を膨らませつつ浴室へ向かう。
ピンポ~ン、と、チャイムが鳴ったのは、そのときだった。
「あれ、こんな時間に誰だろ? は~い!」
ジャージ姿を気にしないままライミが応対に出る。
ドアを開けると、そこには小さな人影が三つほど並んでいた。
「よ」
「あれ、アキラちゃん!?」
異世界におけるライミの息子で、日本における集の息子のアキラだった。
「すまん、ちょっと話してる時間ないんだわ。大丈夫か、マリク!」
「あぁ、ぅ……」
「あ、あれぇ~! マリク君もぉ~!?」
眼鏡をかけた女の子と見まごうばかりの可愛い顔の少年、マリク。
しかし今は虚ろな顔つきでアキラに肩を借りている。見るからにただ事ではない。
「ち、ちょっと待ってね。おじさん! おじさ~ん!」
さっきまでまったりムードが漂っていた宙船坂家は、一転して大騒ぎとなった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
アキラが説明をする。
「全回復魔法でもどうにもならねぇダメージを受けちまってさ」
「そうなんだね……」
さっきまでライミ達がヨガとティラピスをしていた今で、その説明は行なわれた。
真ん中にマリクが横たわり、その脇にライミが座っている。
彼女の背中からはトンボの羽にも似た光の翼が生えて、細かく振動している。
そこから生じた光の粒子がマリクの全身を淡く包んでいた。
ライミ・バーンズの異面体である『遊楽梨羽』だ。
羽から生まれる光の粒子が、それに触れるものの傷を徐々に癒していく。
「前に、お袋からおまえの異面体について聞いててよ。そいつの神髄は負傷の治癒よりも力の補充。体力や気力を徐々にではあるが充填できるんだろ?」
「だから、ウチに来たんだね」
アキラの説明に納得しながら、ライミは羽を震わせる。
全回復魔法でも体力を満たすことはできるが、気力についてはそうではない。
だがライミの異面体ならば、そこを補うことができるのだ。
ただし、光の粒子の放出量は常に一定で、それを増加させることはできなかった。
「……それにしても」
マリクの精神を癒しつつ、ライミはそっと隣を見る。
「座っててもでっかい」
「あたくしのことは気にしないでおくんなましでございますよぉ~!」
そこにいたのは四人目の客、アオ・バーンズだった。
異面体である彼女は現実には干渉できないが、異階であればどこでも現れる。
「あの、高天蛾翁、だっけ……? そいつってこのでっかい人の仲間なんじゃないの? ここにいていいの? 大丈夫なの? ……えっと、敵、とかじゃなくて?」
「それがなぁ……」
当然の疑問を口にするライミに、アキラもどう説明したもんか、と若干悩む。
「高天蛾翁はここにいるデカ女と同じ『高天一党』、つまりはウチのギオの異面体の一部、ではあるんだが、蛾翁の発生についてギオに責任はないっっていうか……。いや、関わっちゃいるんだが、そこにギオの意志は介在してないっていうか……」
「……どゆこと?」
アキラの説明は要領を得ず、ライミはちんぷんかんぷんだ。
そこに、当のギオ本人であるアオが補足となる説明を加えてくれる。
「あたくしら『高天一党』は自動発生するものでございましてぇ~、どういったものができるかは本体の意志で決められないんでございますよねぇ~!」
「……ガチャ、みたいな?」
「まさしくまさしく! これぞ『高天一党』ガチャ、でございますねぇ~!」
そんなことあるのか、と、思うライミだったが、舞い飛ぶ光の粒子を見て気づく。
「あたしがユラリハの治癒力を自分でどうにかできないのと一緒かぁ~……」
「ま、そうだな。俺達が呼吸なしでは生きられないのと同じで、自分じゃどうにもできない自分、ってのは確かにあるからな。……なぁ、そうだろ、親父?」
ライミの納得を受けて、アキラもうなずき、話を自分の父親へと向ける。
集は、マリクを挟んでライミの向かい側に座って、ジッと何かを考え込んでいる。
「……親父?」
「ユユさん、だったね」
息子の方には応じずに、集が声をかけたのはユユだった。
ユユはユユで、何かを思い詰めたような顔をして、ずっと黙り込んでいた。
「何か……?」
「辛そうな顔をしているね。高天蛾翁との戦いでマリク君を庇ったら、それが逆に彼にとっての負担になってしまった。そのことを気に病んでいるんだね」
「おじさん、その懇切丁寧な説明が小学生女子の心を抉ってるって気づいてる?」
ライミはドン引きした。
しかし集の表情は変わらない。彼はユユの答えを待っている。
「私は――」
ユユが、小さな声で集へ返す。
「私は、初代様から託された使命を果たすために、異世界で『神骸石』を集め続けました。それは、マリク様を彼自身の業から解き放つためでした」
ヒメノが画策した、マリクを『鬼形の真念』から解放するための一手。
それを実行するために、ユユは『命の神』の残骸である『神骸石』を探し続けた。
「私がこちらに『出戻り』をして、初代様とお会いできて、託された使命を果たせたと知ったとき、私は本当に嬉しかったんです。本当に。本当に……!」
「うん。そうなんだね」
低く唸るように言うユユを優しく受け止め、集が先を促す。
「『出戻り』する前、私はマリク様に助けてもらったことがあるんです。だから、今度は私が彼を助ける側に回れる。そのための手伝いができる。そう思いました」
「うん」
「でも、わからなくなったんです……」
ユユが、声のトーンを一気に落とす。
「何が、わからなくなったんだい?」
「さっき、私はマリク様を助けようとしました。それで、そのときは彼を守ることができたと思ったんです。でも、今のマリク様は――」
ユユが、燐光に包まれるマリクを見て、その顔を泣きそうに歪める。
「自分でよかれと思ってやったことが、逆にマリク様を追い詰める結果となってしまった。それは、今回だけじゃなくて、実は他のこともそうなんじゃないかって思って、私はすごく、怖くなってしまいました。私は、もしかしたら彼にとって――」
「そこまでにしておこうか、ユユさん」
言いかけるユユであったが、集がそれを笑顔で柔らかくも遮った。
「きっと、マリク君以外の誰かが君に『そんなことはない』と言っても、届かないだろうから。それについてはあとでマリク君に話してもらうよう言っておくよ」
「宙船坂さん……」
「ありがとう。大体わかったよ」
うなずいてから、集は自分を見上げるユユに笑顔を返す。
「何がわかったってんだよ、親父」
「アキラ。そうだね。どうやら、マリク君の話も聞く必要がありそうだ」
そのまなざしをマリクへと送った集は、どこか悲しげな空気を纏っていた。
それはきっと勘違いではない。アキラは、そう思った。
十分後、マリクが目を覚ます。
マリク・バーンズの対話篇、二人目の相手は宙船坂集だった。




