第514話 マリク様、嗚呼、マリク様!
高天亜緒。アオ・バーンズ。
ヒメノモチーフだとかいう『高天一党』。
背は異様に高く、体は異様に細く、髪は異様に長く、肩は異様になで肩。
両腕をダランと垂れさせたその姿は、夜に遭遇すれば絶対にオバケと勘違いする。
「キシ、キシシシ、キシシシシシシ……!」
顔全体を覆う髪の隙間からギラギラと光を放つ目でこちらを見据え、この笑い声。
ぶっちゃけ、人間とは思えないレベルで見た目が怪物なんですが……。
「これがヒメノモチーフねぇ……」
ギオの異面体の一部であるこいつらは、バーンズ家を逆張りに解釈した存在だ。
改めて見てみれば、なるほどと納得はできる。
人の形をどこまでも整えたような姿をしているヒメノの逆張りなのだ。
当然、その容貌は人の形をどこまでも歪めたものとなる。
ああ、そういえば思い出した。
異世界で遭遇したヒメノモチーフの『高天一党』も、結構なゲテモノだった。
そのときのはとにかく太く、丸く、常に食い物を貪ってた。
あいつとはだいぶベクトルは違うものの、この女もゲテモノには間違いない。
けど、まぁ……、
「抉って殺してハイ終わり、だな」
ガルさんの刃の背で軽く肩を叩き、俺は自分の傍らにマガツラを具現化する。
何でここで俺達を狙ったかは知らんが、敵対した以上は撃滅である。
「キシシシシシシ、そう上手くいきますかね~?」
笑うアオ。
そして、彼女と俺達との間に割り込むようにして、他の乗客達が立ちはだかる。
「……何よ、こいつら?」
NULLを具現化させたミフユが、警戒を露わにする。
人数は五人。スーツ姿のサラリーマンが二人に、主婦らしき女と学生服姿の男女。
「何だァ、全員グルかよ、オイ」
「キシシシシシシシシシ! そういうことでございますねぇ~! ねぇ、皆様?」
乗客達を挟んだ向こう側で、アオが特徴しかない笑い声を響かせる。
すると、次の瞬間、場に大きな異変が生じた。
俺達の前に立ち塞がった五人全員が、俺達と同じように異面体を出現させたのだ。
「こいつら、全員『出戻り』か……ッ!?」
「そうですよ~、そうですよ~! そうなんですよね~!」
サラリーマン二人が出現させたのは、大型の鋼鉄のクモと不定形の黒い粘液。
主婦の異面体は、半透明の水晶の人形。
学生二人が出したのは顔のない赤一色の巨人と、八本足の真っ白い虎のような獣。
「こりゃまた、とんだサプライズもあったモンだ」
『バーンズ家以外でこれだけの異面体が揃っているのも珍しいな』
俺の軽口に、ガルさんも同調する。
どうやらこの場の全員、俺とミフユが何者か御存じの様子だな、これは。
「キシシシシシシ、ほんの十分程度でよいのでぇ~、父様と母様にはこちらの方々と遊んでいっていただきたいのですよ~! あ、殺すつもりはございませんよ~!」
そのなで肩を左右に揺らして、アオが笑っている。
だが、その一方で、俺達に対する壁となっている『出戻り』達は笑っていない。
全員が、俺とミフユに対して強い感情を向けている。
しかしそれは、敵意や殺意といった刺々しいものではない。何だ、こりゃ。
「こいつら、何……?」
俺が思ったと同時、ミフユがそんな呟きを漏らす。
どうやら、俺と同種の戸惑いを覚えたようだ。
「おまえもわからないか、ミフユ?」
「そうね。こいつらはどういう感情をもってここにいるの?」
問われたが、それは俺にもわからない。
この五人が俺達に向けているもの。それは怒りや恨みといったものとも違う。
怒りや恨み、憎しみなんかは、俺にとっては隣人のようなものだ。
敵と相対する際、俺は敵が俺に見せるそれらの感情から次のアクションを読む。
だが、こいつらが見せるものはそれとは全くの別種。
一度は人生を全うした俺ですら、これまで感じたことのない、異質な何か。
「キシシシシシ、わかりませんかぁ~? 父様、母様、彼らがその胸の内に宿す強烈な感情の正体が、わかりませんかぁ~? キシシシシシシシシシシシシ!」
「うるせぇ、ヒメノのなりそこないが!」
軽くカチンと来て、俺はついついアオの挑発に乗ってしまった。
いかんな~、こういうところがガキだ、俺。心が体の影響を受けすぎている。
「キシシシシシシシシシ、なりそこないでよろしいのでございますよ~! それこそが『高天一党』。それこそがギオ・バーンズなのでございますから!」
「そこまでデケェ話はしてねぇ!」
ギオは誰のなりそこないでもねぇだろうが!
「キシシシシシ、彼らがお二人に向ける感情。その正体は――」
しかし、アオは俺の叫びを意に介さず、話をどんどん進めていく。
五人の『出戻り』が、俺達の方へをにじり寄ってくる。そして、呟きが聞こえた。
「……御為に」
「……様の御為に」
こいつらが俺達に向ける感情そのものとも呼べる、その呟き。
「「「マリク様の御為に」」」
「その正体は――、『信仰』、でございますよ~」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ものすごく、ウゼェ!
「マリク様の御為に」
そう言ったのは、三十路のサラリーマン。
そいつに操られた鋼鉄のクモが車両の天井に張りついて、糸を飛ばしてくる。
俺はガルさんでそれを切り払うが、飛び込んだその位置に、黒い霧。いや、ガス!
それはもう一人の二十代のサラリーマンの黒粘液から噴き出たものだ。
「クスリでわたしと渡り合おうってのは、甘いのよ!」
だがそのガスは、ミフユがNULLに生成させた中和剤の霧によって効果を失う。
これが機と、俺はサラリーマン二人を狙ってマガツラを向かわせようとする。
「マリク様の御為に」
主婦の異面体である水晶人形が光を放ち、俺の視覚を幻影で惑わしてくる。
直後、ズズン、と、大きな音がして車両が揺れる。
男子学生が操る赤い巨人が、俺の目の前に立ち塞がっていた。
その脇から、女子学生の異面体である八本足の白虎が、マガツラに喰いかかる。
「マリク様の御為に」
「マリク様の御為に」
「クソ、こいつら……ッ!」
戦闘経験なんて全くなさそうなクセに、猪口才にも連携なんぞ使いやがって!
「キシシシシシシシシシシシシ! 一つのもので結ばれた方々の何と見事な呼吸の合い方でございましょうね~! さすがは『賢明教団』の信徒の方々でございいますね~、あたくし、感激に言葉もございませんよ~!」
「その割に随分とよく回る舌じゃないのよ!」
「キシシシシシシシ! あれま、確かに! 一本取られましたね~!」
ミフユにツッコまれながら、アオは笑うばかりでてんで堪えちゃいない。
この、無駄に図太いメンタル。確かにそこはヒメノを彷彿とさせる。
「……そんなことより、こいつらだ」
アオが言っていた。
こいつらは『賢明教団』の信徒だ、と。
――『賢明教団』。
それは、異世界でマリクが率いていた宗教団体の名前だ。
ま、それは厳密には間違いで、マリクに勝手についていってた集団が正解だ。
光と闇の神であるディディム・ティティルを本尊とし、教主はマリク。
一時期は、異世界でも三本指に入る規模に達していたという。
しかし、教主のマリクが死ぬと同時に本尊である神もいなくなった。
それをきっかけにして、教団は内部対立が一気に表面化し、あっさりと瓦解した。
だが、マリクが健在だった頃は凄まじいまでの団結力を誇っていたらしい。
中身が非公認ファンクラブみたいなモンだから、そうなってしまうんだろうけど。
「マリク様の御為に」
「マリク様の御為に」
ひたすらにマリクマリクとのたまいながら、こいつらは俺達の邪魔をしてくる。
殺す気がない、というのは本当のようで、殺気は微塵も感じられない。
「……要するに、だ」
これまで明らかになった情報を、俺は自分なりにまとめる。
「今回のギオの『案件』はマリク絡み。しかも『賢明教団』の連中が関わってるってことだな? 高橋弥代についてもそれは同じ、ってことかよ?」
「キシシシシシシシ、その通りでございますよ~、父様。このタイミングでお二人に弥代様の一件に介入されてしまうと、色々と不都合でございまして~!」
ああ、そう。そうですか。
「わかった。よ~く、わかったよ」
「あ、おわかりいただけましたか~? よかったですよ~! それではあと五分ほど、このままこの場にいる方々との戯れに興じていただければ――」
「バカか、おまえ」
「え」
ガヂュッ!
重々しくも濡れた音が大々的に場に響く。
「ぁ……」
女子学生が短く声を漏らして、そのままぶっ倒れた。
自分の異面体である白虎の顔面を、マガツラの拳によって粉砕されたからだ。
「この場にいる連中の異面体の能力全て――、『理解』したぜ?」
『VOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!』
マガツラが咆哮をあげて、足元に転がる女子学生の頭を踏み潰す。
そして、マガツラは一気に動き始めた。
鋼鉄のクモが飛ばしてくる糸を、マガツラが掴み上げてグイと引っ張る。
クモが天井から落ちてくるので、そのド真ん中をマガツラの拳がブチ抜いた。
三十路のサラリーマンが「うぐ」と呻いて膝を突こうとする。
「眠る前に死んでいけ」
しかし、その意識が途切れる直前、俺が振るった刃が首筋を掻っ切った。
「な――」
二十代のサラリーマンがそれを見て驚愕する。
オイオイ、あんた、ミフユとやり合ってたってのによそ見かい? 余裕だねぇ?
「ぁ、が……ッ! ぐが……ッ!」
二十代のサラリーマンが急に苦しみ出した。
近くをNULLが漂っている。無色無臭の致死性ガスを吸い込んだな、これは。
「マ、マリク様のお……」
言いながらも、主婦が水晶人形の幻影で俺達の目をごまかして逃げようとする。
だが、マガツラが伸ばした手が、水晶人形の頭部をガッシリと鷲掴みにする。
「どこに逃げようってんだ、オイ?」
硬いものが砕ける音が響き、水晶人形が頭を失う。
そして意識を失った主婦もまた、ガルさんの刃によって胸を抉られて絶命した。
マガツラの能力『絶対超越』。
本体である俺が理解したモノを、マガツラは必ず超えていく。
これで、残るは男子学生のみ。
四人の仲間を目の前で殺されたのに、だがこいつの顔に恐怖はない。
「マリク様の御為に」
またそれか。
と、思うが、こいつの『信仰』とやらは本物らしい。思いの強さが伝わってくる。
「マリク様の御為に!」
赤い巨人がマガツラに掴みかかろうとしてくる。
同士を殺されながらも怖がることもなく向かってくるその度胸は認めてやる。
「だが……」
マガツラの右拳が、巨人の胸板を貫いて風穴を開ける。
「信じて祈ってりゃ何でも叶うと思ってるのは、単なる思考停止ってヤツだろ」
呆れが混じったため息を漏らし、俺は男子学生の首をガルさんではね飛ばした。
「盲信程度で俺達を止められるかよ、ザコが」
「なな、何てひどいことを~~~~!」
死体処理用のゴウモンバエを召喚する俺に、アオがそんなことを言ってくる。
「この方々は、ただマリク兄様を信じて、その一心であたくしにご協力いただいただけなのですよ~!? それを、それをこんな無惨な殺し方をするなんて~!」
「敵対したんだから殺すだろ、当然」
「こ、こ、こ、殺す気ないって言ったじゃありませんか~~~~!」
アオは目をギョロギョロ見開いて、頭を抱えて訴えてくる。
「そっちの事情だろ、それは。こっちにゃ関係ねぇっての。全く、笑うわ」
「ですねぇ~、笑えますよねぇ~! キシシシシシシシシシシシシシ~~~~!」
かと思えば、いきなり俺に同調して爆笑し始めたりもする。
何なんだ、こいつ。なかなか見てて面白いぞ。
「死体処理の分も含めれば、時間は十分に稼げたということで~! あたくし、任務達成でございますねぇ~。キシシシシシシ、他力本願って最高だと思いませんか?」
「なかなかいい性格してやがるな、おまえ……」
あ、こいつ、根っこの部分はちょっとヒメノっぽいかも、と思ってしまった。
「ともあれ、あたくしはここで退散でございますが、今回の『案件』、オリジナルも大変関心を寄せております。このあとも父様と母様の前に出張ることもあるかとは思いますが、その際には、どうぞどうぞ、よろしくお願いいたしますね~!」
騒ぐだけ騒いだのち、アオはあっさりと俺達の前から姿を消した。
「……ギオが関心を寄せてる、だぁ?」
この一件には今までとは違う特別な何かがある、とでもいうのか?
「とにかく、死体を処理したら、弥代を探すとするか」
「そうね」
このとき、俺達は気づいていなかった。
車両の中にいた六人目の乗客と、この時点で俺がしていた決定的な間違いに。
――のちに、俺はその事実を驚愕と共に知ることとなる。




