第509話 四年四組のヒーロー
ギャン泣き。
「ヤクザだァァァァァァァ! ヤクザ怖ェェェェェェェェェェェェ!」
悲鳴。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ! ヤクザが笑ってる、食べられるぅぅぅぅぅぅぅ!」
拒否反応。
「ヤ、ヤクザ……。怖い。怖い。俺は食われるんだ……。体が、動かない……」
そして一致団結。
「俺達は、あんなヤクザ教師には負けない! みんなで戦うんだ!」
「そうよそうよ! 四年四組全員で、あのヤクザに対抗するのよ~!」
「「「四年四組は負けない!」」」
――以上が、担任教師山野上修郎が一回笑っただけで起きた出来事の全てである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……あ~ぁ」
団結する同級生の中に紛れながら、マリクはそう呟くしかなかった。
始業式を終えて、教室に入って五分経たずにこれである。
ものすっごい、デジャヴュ。
異世界においても、彼はそうだった。
こっちでいう小児科医だったシュロだが、これがまぁ、子供に泣かれてばっかり。
それについては妻だったヒメノも困ったように笑うしかなかったほどだ。
シュロ本人は子供が好きなだけのヒーラーなのだが。
まぁ、見た目が『インテリヤクザ』なのは否定しようがない。ただの事実だ。
問題は、シュロがその外見を変える気がない、ということだ。
マリクもヒメノも、異世界では再三に渡って服装を変えるよう忠告したのだが。
『拒否します。小生は断固として拒否しますぞ! 何故ならば服装とは名前と共に己というものを規定する重要なもの! ならば小生は自らの誇りにかけてこれを貫き、そして子供達に好かれてみせる! それを成し遂げてこその小生なのです!』
とか、威風堂々宣言しやがったのである。あのインエリヤクザ。
そして、それを受けてのヒメノからの返答が、
『それでは、それはいつになりますか?』
『…………』
無言!
無双のギャンブラー、シュロ・ウェント。顔中汗まみれにして、ただただ無言!
『『いつか』はなしですよ、シュロさん? だって、あなたの服装についての問題は今このとき起きている問題なのですから、それに対する改善提案をしていただく必要があります。『現状を維持して問題を解決に導く』という返答も当然、選択の内です。ですが、それはいつ実現しますか? 無期限という返答は、返答ではありません。あなたには問題解決のため現実的な提案をする義務があります。状況はご認識いただけましたね。それでは、解決案を出してくださいますか?』
『…………』
微笑みを浮かべて穏やかに語り続けるヒメノに、シュロはただ黙るしかなかった。
そう、今、教壇の上でそうしているみたいに。
「…………」
無言!
黄色いサングラスをかけた白スーツ赤ネクタイのインテリヤクザ、やっぱり無言!
あ、でも何か、こっちを見ようとしてる気がする。
それを敏感に察したマリクは、シュロに視線を合わせられる前に俯いた。
マリクはここで逃げを選択した。
こんな状況でシュロに関わってもいいことなど何もない。御免被るというものだ。
『――マリク君ッッ!』
が、脳内に響き渡る、シュロ・ウェントの魔力念話。
来るだろうな~、と思っていたマリクは、驚き一つ見せずにそれを受け止める。
『うるさいよ?』
『む。最高にサプライズなタイミングでお届けしたはずですが、動じませんか』
やっぱり、こいつ、余裕があった。
冷静そのもののシュロの念話に、マリクの中の呆れが当社比十倍になる。
『クラス全体から敵対宣言されてる山野上先生、ぼくなんかに何の用ですか?』
『ならされた更地の如き声の平坦さ、さすがはマリク君ですね。助けてください』
シュロの懇願は板を流れる水のように淀みなく行われた。
『やだよ』
しかし、マリクは当然、それをはねのける。
『フ、マリク君がそう答えるであろうことはわかっておりました。マリク君との付き合いも随分と長いですからね。この賭けの勝率は九割を超えておりましたとも』
『そこは十割当てろよ……』
何で一割弱の迷いが混入してるんだ、むしろ。何年の付き合いだと思ってんだ。
マリクはそう感じずにはいられなかった。
『しかし、だからこそ小生は貴君に対してこう言うのですよ、マリク君』
『何だよ? 何言われても助けるつもりなんか――』
『《《お願いします》》、《《助けてください》》。《《義兄さん》》』
シュロの声には、本気の色がにじんでいた。
『…………』
マリクはそれに無言を返す。
しかし、構わずにシュロはさらに続けるのである。
『小生一人ではこの状況を覆せません。助けてください、マリク義兄さん』
『おまえ……』
いかにも真剣な物言いをしてくるシュロに、マリクは低く呻いた。
こいつは自分の急所を的確についている。それを理解しながら、否と言えない。
『ぼくを利用する気か、おまえ……?』
『素直に利用されてくれるマリク君でもありますまい? それに小生が困っているのは本当です。まさか、こちらで小生のセンスが通用しないとは思いませんでした』
『思えよ、そこは……』
異世界でも結局一回だって子供に理解されたことがあるか、このヤクザのセンス。
思い出す限り、そういった記憶は皆無だった。つまり、そういうことだ。
そして、子供に泣かれるたびに凹んでヒメノに慰められていたのがシュロだ。
最後には女房にとことん詰められ服装を変えざるを得なくなったのだが。
それについては、先述の通りである。
『明日から普通の服を着てこいよ……』
『それについては前向きに善処するところですが、とにかく問題は今でして』
『おまえさぁ……』
完全無欠、自業自得だろうがよ~……。
と、思いはするのだが、シュロが追いつめられているのは本当であるらしい。
ここで、シュロを突き放すのは簡単なことだ。
マリクだってついさっきまではそうしようと思っていた。
シュロが、余裕を保っていたうちは。
しかし、彼が本気で困っているところを見せてくるのであれば、違ってくる。
ため息が漏れる。
シュロは自分を利用しようとしている。――わけではない。
長い付き合いだからこそ、それがわかる。
この義弟は頭が切れる男だが、子供や身内に対しては真摯で誠実だ。
その彼が困っているというのならば、それは本当に困っているということだろう。
わざわざ、シュロに確認するようなことでもない。だから、ため息が漏れる。
「ぼ、ぼくは――」
そしてマリクは椅子から立ち上がって、クラス全体を見回した。
それまで、シュロに敵意を込めた視線を突き刺していたクラス一同が、彼を見る。
「えっと、ぼくは、山野上先生は悪い人じゃないと思うけど……」
傍目には見るからにおどおどしつつ、控えめな小声での意思表明。
見た目、気弱な美少年でしかないマリクの言葉に、クラスは一瞬だけ静まり返る。
皆が、マリクを見ている。
シュロも、マリクを見ている。
顔つきこそ無表情だが、黄色いサングラスの奥にある瞳の輝きがクソウザい。
そう思いつつも、言ってしまったことはもう覆せないのである。
クラスは、未だ静まり返ったままだ。
だが、ここからどうなるかは目に見えている。マリクも非難されるに違いない。
新年度・新学年の初日から何やってんだと言いたくなる。
しかし、シュロに何か非があるかといえば、そんなものは一つもないのだ。
だったら、一方的な悪者扱いは気の毒すぎるだろう。
まずは見た目をどうにかしろ、という意見については賛同するしかないのだが。
「おい、おまえ!」
と、一人の少年が大声をあげて立ち上がる。
マリクよりも随分と背が高い、髪を茶色に染めたその同級生には見覚えがあった。
「何でそのヤクザの味方するんだよ! おかしいだろうが!」
少年は、ズカズカと大股に歩いてマリクの方へを近づいてくる。
小学生にしてはガッシリとした体格をした、いかにもパワー系の少年である。
彼の名前は加地鉄也。
三年の時点で、他のクラスにもその名を知られている、いわゆるガキ大将だった。
「なぁ、みんな! こいつおかしいよなぁ!」
鉄也が、マリクを指さして周りに同意を求める。
すると場の空気に流された同級生達が、次々に彼に賛同を示していく。
「おかしいよ、だって先生、どう見たって悪者じゃん!」
「そうだよ、絶対にハンザイオカしてる顔だよ!」
「先週の週刊ジャンクでああいう悪者が出てたし!」
「あのヤクザ先生がイイモノなワケないじゃん! おまえ、変だよ!」
「は、もしかしてこいつ、先生にヒトジチとられてるんじゃ!?」
「やだ、ヒトジチ、こわ~い!」
なかなかひどい話になってきた。
子供達のシュロに対する決めつけが、名誉棄損では済まないレベルに達している。
「ほら、見ろ」
鉄也がマリクの方に向き直って、得意げに笑う。
それはまさしく『自分こそが正しい』という確信を得たことによる笑みだ。
「そこのヤクザは悪いヤツで、それに味方するおまえは変なんだってよ」
鉄也の用いる言葉は非常に端的で、子供らしい物言いではあった。
しかし、それだけにシュロとマリクに対する見下しがダイレクトに感じ取れる。
「で、でも、先生は何も悪いことしてないし……」
マリクは反論を試みる。
すると、シュロが一層瞳を輝かせるのを感じる。
こいつは子供相手には強く出られないからなぁ……。
そこがシュロの美点でもあり短所でもあり、マリクとしても憎めないポイントだ。
「はぁ? 悪いことしてない? 何言ってんだ、おまえ?」
だが、当の子供である鉄也には、シュロの美点など伝わるはずもなし。
彼は腰に手を当てて、マリクの前に立って見下ろしてくる。
その顔に浮かんでいるのは苛立ちの表情。
どうやら鉄也は、すでにこのクラスのボス気取りであるようだ。
自分に従わないマリクに対し、厳しい視線を突きつけてくる。
小柄で非力そうなマリクを侮っているのがその顔や視線から窺える。
「あいつは悪者なんだよ。みんながそう言ってるからそう決まったんだよ!」
あろうことか、鉄也はシュロに指を突きつけて『あいつ』呼ばわりだ。
すると、教師を恐れぬ物言いをする鉄也を、他の同級生達も次々に応援し始める。
「鉄也君の言う通りだぜ! 先生は悪者だ、間違いないよ!」
「さすが鉄也君だわ! 正義の味方よ、かっこいい!」
「鉄也君の言ってることが正しいよなぁ!」
「そうだよ、間違ってるのは高橋君の方だよ!」
クラス全体が、鉄也を認め、マリクを否定する。
これはさすがに看過できないと、シュロが教壇から声をあげようとする。
「諸君、それ以上はいけません。小生としても見過ごせませぬぞ」
「う……」
「ぇ、あ……」
初めてとなるシュロからの注意は、見た目に関わらず大人の威厳を備えていた。
それによって、子供達の勢いが一旦は挫かれる。しかし、
「うるせぇ、俺は騙されないぞ!」
鉄也は、それにすら反抗を示した。
「悪いのは俺達じゃなくて高橋と先生だろ! 俺達は悪くねぇ! そうだよな!」
「そ、そうだよ! 俺達、何も悪いことしてないぞ!」
「そうよ、そうよ!」
彼の公然たる抵抗に、他の子供達もすぐさま同調する。
今や、鉄也はこのクラスのヒーローだった。
大人に逆らえる子供は、同じ子供から絶大な支持を得ることができるのだ。
「謝れよ、高橋」
そして鉄也は、マリクに対して高圧的にそう言った。
「おまえは悪いことをしたんだよ。だから、謝れよ」
「そうだよ、高橋君、謝れよ」
「謝りなさいよ、高橋君! 先生も、謝りなさいよね!」
一人の英雄が行動に出ることで、他の民衆も同じく勇気を振り絞って声をあげる。
かくして、四年四組は瞬く間にマリクに対する『謝れ』コールで満たされた。
「あーやまれ! あーやまれ! あーやまれ! あーやまれ!」
「「「あーやまれ! あーやまれ! あーやまれ! あーやまれ!」」」
実体のない告発。
実体のない糾弾。
実体のない求刑。
実体のない断罪。
だが、四年四組の子供達にとっては、中身は関係なかった。
すでに彼らの中ではマリクとシュロは悪者であり、自分達こそが正義なのだ。
シュロが、サングラスを外そうとする。
自身が発端とはいえ、この状況はいけない。今すぐ、どうにかする必要がある。
そう、彼が思ったのも束の間――、急転。
「あや……ッ」
なおも謝罪を要求しようとしていた子供達の声が、そこで唐突に途切れる。
寒気。悪寒。凍えたのだ。春真っ盛りのこの教室の中が突然の極寒。寒い。寒い!
「ぇ、な、何だ……?」
声を震わせ、鉄也が辺りを見回す。
吐き出した息が白くないのが信じられない。それほどの強烈な寒さが、唐突に。
そして、突き出された手が、そんな彼の胸ぐらを掴み上げた。
「ぐ、な……!?」
無理矢理前を向かされた彼は、そこに、この突然の寒さの原因を知る。
「――ぼく達の何が悪いって?」
マリクが、静かにブチギレていた。




