第507話 知ってるヤツらと知らないヤツと:後
俺が驚いたのは、親父の反応だった。
「……それは、本当なのか?」
親父が浮かべる険しい顔つきは、俺が知る宙船坂集のものではなかった。
「重ねちまってるのかい、集さん」
「美沙子……」
「この中じゃ、きっとアタシだけがそれをわかるだろうからね」
親父とお袋が短く言葉を交わして、視線を重ねている。
俺には、二人が何を言っているのかわからない。でもわかることもある。
「どうやら、親父も似たようなことがあったんだな。前に」
「語るようなことでもないけどね」
親父は小さく笑った。
笑顔ではあるが、それは色々と韜晦している表情でもあった。
「それよりも、マリク君の話を聞かせてほしい」
「ああ、それな……」
俺はミフユに目配せする。
「まず、これはマリクとヒメノが四歳になったばっかりのときの話です」
「四歳って……」
聞いていたライミが、軽く顔を青ざめさせる。
ライミは、異世界でも蘇生アイテムが登場する前の時代を生きた人間だ。
その頃は死は絶対であり、人を殺すことは重すぎる罪だった。日本と同じように。
「その頃のマリクは、とにかく暴れに暴れてすごかったのよね……」
「理性なんてまともに育ってない時期だからな」
俺とミフユは思い出す。
幼い頃のマリクとヒメノは、立場が今と逆だった。
ちょっとしたことで癇癪を起こしては暴れ出すマリクを、ヒメノが抑えていた。
マリクの方が兄ではあったが、それだけを見るとヒメノの方が上に見えた。
「シルク・ベリアっているよな?」
「タマキちゃんのお友達の子だよね。昨日も来てたよ」
と、ライミが応じる。
タマキとシルクが、親父の家に? 何でまた?
まぁ、それは今はいいか。
俺は話を進めることにする。
「あいつは生まれつき自分でも制御できない破壊衝動を持っていた」
「そうらしいね。シルクちゃんもウチに来たときにそんなことを言っていたよ」
これは親父。
そう、シルク・ベリアは生来の破壊衝動に苦しんでいた。
「マリクも同じだ。あいつは、生まれつき強い攻撃衝動を抱えてたんだ」
「……何だって?」
俺がマリクが俺の激しい部分を受け継いでいると言ったのは、別に比喩ではない。
あいつの本来の性格は、ひどく荒々しくて攻撃的だ。兄弟の中でも、特に。
「人の性格ってのは環境と教育で矯正することができる。けどそれは創造じゃなくて矯正だ。人には、生まれつきの性格ってやつが必ずある」
「わたし達の子供の中で、一番手を焼かせてくれたのはササラだったけど、子供のとき限定なら、一番苦労したのはマリクなのよね……」
きっとマリク本人でもどうしようもないほどの、強烈な攻撃性。刺々しさ。
それを、ヒメノは何とか抑えることができていた。生まれ持った膨大な量の魔力もあって、あいつは呼吸するように肉体を強化できていたからな。
「二人が四歳になってすぐ、俺達は河原に遊びに行く機会があった。その頃は周りの国も疲弊しきってて、少しだけ平和な時期だった。事件はそこで起こった」
「な、何があったの……?」
尋ねるライミの顔には、ひどい緊張の色があった。
しかし、事件とは言ったが起きたこと自体はそう大したことではない。
「マリクとヒメノがケンカしたんだよ。元々は、暴れるマリクをヒメノがいつも通りに抑えようとしただけだったんだが、そこで、マリクが手に持った石でヒメノの頭を思い切り殴って、当たりどころが悪かったようでな……」
「そんな……」
ライミは顔を青ざめさせて口に手を当てる。
そのときのことは俺もミフユもよく覚えている。あんなこと、忘れられるものか。
「ヒメノは死んだ。でも、そのときには蘇生アイテムがあった。だから、ヒメノを助けることはできたんだ。それはいい。いや、よかないけど、とにかくいいんだ」
「待ってくれ、アキラ。何だい、その言い方は……?」
親父が気づく。
多分、親父が考えている通りだ。この話には、まだ続きがある。ここからなのだ。
「いつの間にか、マリクがいなくなっていた」
「え――」
「いなく……?」
ライミと親父が、揃って小さな驚きを見せる。
それはまさしく当時の俺とミフユの反応のミニチュア版だった。
「ヒメノを殺してから一時間後くらいしてから、マリクは見つかったわ。ねぇ、お義父様、ライミ。マリクはどこにいたと思う? どうなっていたと思う?」
顔に何の表情も浮かべず、ただ瞳だけ揺らして、ミフユが二人にそれを尋ねる。
「ヒメノちゃんを死なせちゃったことに耐えられなくて、逃げ出した、とか……?」
「違う」
かぶりを振ったのは、親父だった。
その顔色は、青を通り越して白に近くなっている。体温下がりすぎだよ、親父。
「わかっちまうかい、集さん?」
「わかるというか、それしか考えられない……」
お袋にそう返してから、親父は俺に言う。そこに、確信の響きを宿して。
「マリク君は死体で見つかった。……そうなんじゃないのか?」
「ええッ!?」
ライミは「まさか」とでも言うかのような驚きを見せる。
しかし、親父の言う通りだ。ミフユが答える。
「正解です、お義父様。マリクは、河に浮かんでいるところを見つかったわ。ヒメノを殺してすぐに、あいつは現場から逃げ出して河に身を投げて自殺したのよ」
「自殺って、四歳の子が……?」
そうだ。
四歳のマリクが、双子の妹を殺した事実に耐えきれず、自ら命を絶ったのだ。
「もちろん蘇生したけど、マリクはそれからことあるごとに自分を殺そうとし続けたわ。バーンズ家の子育ての中でわたし達が苦戦した相手のトップ3は、ササラと、シンラのピーマン嫌いと、この時期の死にたがりマリクよ。間違いなくね」
「マリクの暴れグセがなくなったのも、この頃だったな」
「そうか。生まれつきの攻撃衝動を、今度は自分に向けるようになったんだね……」
さっきから親父の正解率がバカ高いなぁ。それも当たってるよ。
やっぱり、ライミが言っていた『疑似マリク』は言い得て妙だったりするのか?
「マリクにとっては、人生最悪の時期だったでしょうね」
「じゃあ、そんなマリクちゃんを救ったのが……?」
「ディ・ティよ」
ミフユが語る。
あのときのことは俺もはっきりと覚えている。
「正確には、クラマとディ・ティだ」
「先生が?」
「へぇ~、あのヘラヘラした胡散臭い人が!」
親父とライミがそれぞれ反応をする。
先生、ってのは、そうか。クラマは親父の高校のときの担任だったんだっけ。
それで、ライミの一件でも世話になったんだったか。
「マリクには師匠と呼べる人間が二人いる。一人はガルさん。俺の相棒の魔剣で、マリクにとっては魔法の師匠だ。もう一人がクラマだ。こっちはディ・ティが宿ってるランタンの先代の持ち主で、聖職者としてのマリクの師匠に当たる」
「先生は、色んな繋がりがあるんだね……」
「そー言われればそーね」
親父の高校時代の恩師で、タイジュの伯父で、俺の部下で、マリクの師匠か。
いつぞやスダレモチーフのイオが言った『面白い人材』ってのは、その通りだな。
「ま、クラマがマリクにランタンを譲った経緯ははしょるとして、それでマリクの前にディ・ティが現れた。二人の間に何があったのかは、俺もミフユも知らない」
「え、知らないの?」
「クラマの話じゃ、マリクとディ・ティだけで話したらしい。それで戻ってきたときには、マリクは『死にたがり』じゃなくなって『今のマリク』になってたよ」
気が弱くて、責任感が強くて、ストレスを感じやすい、今のブチギレマリクに。
「きっとマリクなりに考えた『攻撃衝動との折り合いのつけ方』だったんだろうな。ヒメノとのことがあり、ディ・ティとの出会いがあって、今のマリクになったんだ」
「そういうことだったんだね……」
「そうよ。だからマリクは、ディ・ティ様と自分を同列にしたがらないの」
ミフユが告げると、ライミは「うむぅ」と腕を組んで唸る。
二人の関係を理解した。でも、納得はしたくない。そんな感じに見えた。
「……そういえば、ヒメノちゃんはどうなったの?」
ライミが、そっちを気にする。
「ヒメノか――」
マリクに殺されて蘇生されてから、ヒメノも変わった。
「死ぬ前までは、ヒメノはタマキやシンラともよく遊んでた。けど、蘇生されてからはマリクにベッタリになったよ。『死にたがり』になったマリクをずっと隣で見てたりしててな。そのときのことがあって、あいつはヒーラーを志したんだと思う」
「……あの子が『お兄ちゃんっ子』になったのも、それが原因よねー」
ヒメノの『最も治したい相手』っていうのは、きっとマリクなのだろう。
その意味では、ヒメノもマリクと同じで、あの一件から今のヒメノになったんだ。
「ヒメノちゃんといえば――」
と、そこで親父が何かを切り出そうとする。
「今まで話に出てこなかったけど、ヒメノちゃんの旦那さんはどんな人なんだい?」
「あ~、そういえばまだ言ってなかったな――」
「あいつはね~……」
俺はあごに手を当て、ミフユが腕を組む。
そんな俺達を、ライミが興味津々といった顔つきでジッと見てくる。
怒ったり納得しなかったり驚いたり悲しんだり興味津々だったり、忙しいヤツだ。
ヒメノの旦那について、俺は大雑把に語った。
「ヒメノの旦那は同じヒーラーだよ。お互い、二十歳を過ぎてから出会って結婚した。子供は三人だったかな。名前は、シュロ。シュロ・ウェント」
「どんな人だったんだい?」
「そうだな、一言で表すなら――」
シュロのことを形容するのならば、これ以外はないだろう。
「あいつは『ギャンブラー』だったよ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――同時刻、宙色市街。道端。
「小学生の春期講習とか意味あるのかな……」
教材と筆記用具が詰まった塾用のかばんを手に、マリクが歩いている。
彼はこれから塾に向かう。
そして、他の小学生と共に中学受験に向けて勉強をする。
小学三年生が?
いや、春休みが終わったら小学四年生だけど、果たしてそこに差はあるのか。
中学受験って、まだ三年後のお話だよね?
いくらマリクの母親がお受験ママとはいえ、いくら何でも早すぎないか?
と、疑問を口にしたところで、帰ってくるのお説教である。
しかもダブスタ上等な、お説教の形をした罵倒である。マジやってらんない。
「……お花見、行けるかなぁ」
バーンズ家の面々の間で、来週くらいにお花見に行く計画が持ち上がっている。
果たして自分はそれに加わることができるだろうか。少し不安なマリクだ。
いや、それ以前に、きっと花見にはライミもやってくる。
昨日のことを思い出すだけで、マリクは暗澹たる気持ちになってしまう。
自分は何と失礼なことをしてしまったのか。
面識が薄いとはいえ、彼女はアキラの実母で、自分にとっては祖母だった女性だ。
目上だ、かなり目上の相手だ。
それだというのに、自分の態度はあまりにもひどすぎた。
信仰とは、おのずから己の内に抱くものである。
それを押しつけるが如き言動、全く度し難い。ただただ己の未熟さを痛感する。
「……もっと精進しなきゃなぁ」
ため息と共に呟く。
そして、彼は塾に続く窓を曲がろうとしたところで、呼び止められた。
「失礼、そこの少年」
「はい?」
後ろからだ。
マリクが振り返ると、そこに深い灰色のスーツを着たサングラスの男性がいた。
きっちり整えられた髪に、パリッとしたスーツを着こなす二十代程度の男だ。
整った顔立ちは若く見えるが、漂う雰囲気はどこか老練としたものがある。
全体的に落ち着きのある上品な服装だが、鮮やかな水色のネクタイが目立つ。
そして、それ以上に目立つのがサングラス。
はっきり言って似合っていない。
似合っていないが、そのチグハグさがむしろ個性のように際立っている。
ただしその個性は、一般人ではなく『ヤカラ』が見せるものっぽい。
端的にいえば、この男のイメージは誰がどう見ても『インテリヤクザ』だった。
「フ。やはり君はここを通りましたか。小生の勝ちです、高橋磨陸君」
若いながらもその見た目にマッチした、深みのある声で、彼はマリクを呼ぶ。
「…………おまえ」
「君の家からこの先にある塾に向かう場合、考えられるルートは四つ。そのうち、君がどのルートを選ぶか賭けていました。君が通ったルートこそ、小生が選んだルートに他なりません。確率25%、非常に容易い賭けでしたね。フフフフフ――」
サングラスのブリッジを人差し指でクイッとやって、男が勝利の笑いを漏らす。
マリクが言った。
「何してんの、シュロ?」
「おっと、小生、こちらでは山野上修郎という名前なのですよ、マリク君。よってここは親愛と尊敬を込めて『山野上先生』とお呼びください」
「山野上……、先生?」
いきなり現れてそんなことを言ってくる妹の旦那に、マリクは目を点にする。
修郎――、シュロは、クイッ、クイッ、とサングラスを押し上げつつ、
「来週から仁堂小学校に配属される予定の新任教師、山野上修郎と申します。ちなみに君のクラスの担任です。よろしくお願いしますよ、マリク君」
「はァァァァァァァァァ~~~~ッッ!?」
宙色市の道端に、マリク少年の驚愕の声が響き渡った。




