第490.5話 『炎獄杯』一回戦第三試合:姫君vs最終兵器:裏
グラウンドでヒメノが大鋏を持った黒ウサギを呼び出していた頃。
「…………」
コロシアム内部の運営委員会本部直前の物陰で立ち往生してる人物がいた。
デカデカと『本部じゃ!』と書かれたドア近くに潜んでいるのは、背の低い人影。
「…………」
無言のままで、彼女は背中を壁に貼り付けて、気配を殺してドアの方を覗き込む。
すると、その耳に聞こえてくるのは、まだ声変わりしていない三つの声。
「う~むむむ、ヒメノの姉御って実はギャンブラー気質な面あるよね?」
「まぁ、うん……、まぁ、まぁ……」
「…………あの場面で1割に全てを賭けるのは、間違いなく勝負師」
「そうかな。そうかも。……うん。まぁ、そうかもね」
「マリクの兄御よ、別にワシら、姉御がおかしいとも悪いとも言っとらんからね?」
「わかってるよ、まぁ、うん……」
聞こえる声からして、本部と書かれたドアの向こうで三人が観戦しているようだ。
それにしても、一人だけやたら返事が生煮えなのはどういうことなのか。
「…………」
若干気になりはするものの、彼女は壁の裏側に隠れて動かずにいる。
彼女の目的はあくまでもカリンへの接触である。
他のバーンズ家には気取られてはならない。
それは、彼女が授かった使命に反することとなってしまう。
「いやぁ~、それにしても見応えたっぷりだね、この大会」
「うむ、ワシもここまで盛り上がるとは思っとらんかったよ? マジでね?」
「…………みんな、カッコつけてた」
三人の話し声が聞こえる。
「よいではないか、愚弟。アニメと同じ舞台で戦えるんじゃぞ。これぞ浪漫よ!」
「カリンはそういうのに特に理解が深いよねぇ~」
「…………イベンターのサガか、愚妹」
三人の、楽しそうな話し声が聞こえる。
「…………」
さっきより少しだけ気になっているものの、彼女は壁の裏側に隠れて動かない。
本当に少しだけ、ほんの少しだけ気になってきているけれど。
「カリンとジンギは、誰が優勝すると思う?」
「順当に行けばかかさまじゃろうなー」
「…………母親」
「ああ、二人とも一緒かー。意外性がないなぁ~」
「その口ぶりじゃと、マリクの兄御も同じくかかさま予想かえ?」
「そうだね。お母さんは頭一つ二つ抜け出してると思うよ」
三人の話し声が、より鮮明に聞こえる。
ついに優勝予想まで始めてしまった、とても加わりたい感じの話し声が。
「次はととさまとエンジュの対決じゃのう」
「お父さんは始めたばっかりだし、どうかな~。歴の長さが強さじゃないけど」
「…………エンジュは絶対強い」
「それよな~、愚弟。ワシね、エンジュはかかさまの次くらいと思っとるんよね」
「へぇ、そうなの……? それはどうしてだい、カリン」
「あいつはの~、土壇場での勝負運に恵まれとる。それに何より度胸がある」
「ああ、それは確かにね。帝国でも聖騎士長として歴史に名前を遺したらしいしね」
「ワシらも色んな二つ名で呼ばれとるけど、エンジュはその名前自体が聖騎士長を示す称号になっちまっとるからねぇ~、ジュンの義兄御に聞いた話によると」
「…………三百年後にもいる。十七代目『エンジュ』」
「エンジュの称号、江戸幕府より長く続いてるんだ……」
と、そんな話し声が隠れ続けている彼女の耳に届いているのである。
盛り上がっている。すごく盛り上がっている。とても楽しそうな会話ではないか。
「…………」
彼女はしっかりと聞き耳を立てながら、しかし加わるつもりはなかった。
ただ、さっきよりちょっとだけ、物陰から出てドアに近づいただけだ。
ついでに『隙間風の外套』も脱いだ。
あれを着てると、話があんまり聞こえないのだ。
彼女の耳に、三人の和やかな談笑が改めて聞こえてくる。
笑っているのは、マリクとカリンの二人だが。
「ねぇ、カリン。今度『勇気王』の大会も開かない?」
「お、何じゃ兄御。そっちは『別にいい』とこないだ言っておったではないかえ」
「さすがにこんなの見せられたら、羨ましくなるよ~!」
「ノヒョヒョヒョ。じゃろ? じゃろ? 今回は舞台設定も演出もがんばったよ!」
「…………その頑張りの四割はボク負担だぞ、愚妹」
「ええい、言われんでもわかっとるわい、愚弟!」
「いいな~、羨ましいな~。でも『勇気王』やってる人、少ないんだよなぁ~」
「国内じゃと『勇気王』のプレイヤーの方が多いんじゃけどね」
「家族の中だとそうでもないだろ? ぼくと、ジンギとトモエと――」
「知っとるかえ、実はリリスばばさまがやっとるよ?」
「え、ホントッ!?」
「…………それは初耳。驚愕」
「マジマジ。今回の大会開く前にアンケとったじゃろ?」
「あ~、あったね。そっか~、リリスおばあちゃん、勇者なんだ~!」
「…………マリクの兄、嬉しそう」
と、そんな感じにさらに盛り上がっている会話が彼女の耳に届いているのである。
なお、彼女もまた『勇気王』をやっている。れっきとした勇者である。
だからこそ、会話にお耳が惹きつけられてしまう。
ピクピクと耳が動いてしまうのである。もうちょっとだけ近くで聞きたいな。
いいや、それはいけない。
自分は主より密名を受けてここにいるのだ。
話し声に惹きつけられて使命をおろそかにするようなことはあってはならない。
だから、聞くだけ。もう少し話を聞いて、隙を伺うのである。
そしてカリンが一人になったときを見計らって接近する。
そう。それでいい。
自分の隠形は完璧だ。バーンズ家の誰も、自分を見つけることはできない。
異世界でもそうであったのだから、こっちでもそうでなければならない。
与えられた仕事は完璧にこなす。
それを実現してこその、自分という人間なのだから。
「――でさ」
「――じゃの~、愚弟」
「――うるさい、愚妹」
三人の話し声が聞こえる。
楽しそう。賑わってる。本当に楽しそう。
そう思いながら、彼女はジリジリと部屋に接近していく。
もちろん、問題にならない程度に。少しずつ。徐々に徐々に、近づいていく。
そして気がつくと、彼女とドアの距離は1mを切っていた。
視界いっぱいにドアが広がったところで、彼女はやっとそれに気づいた。
「……不覚」
つい、声を漏らしてしまう。
それがいけなかった。
「む、誰じゃ?」
「誰だろう、今の声」
ドアのすぐ向こうから、カリンとマリクの声。
彼女は己の失策に気づいて、すぐさま『隙間風の外套』を着ようとする。
そこで、ドアがノブを回す方式だったなら、彼女はきっと間に合っていた。
しかしここはカリンが創った『絶界』で――、
シュイン。
と、自動式のドアは軽い音を立ててスライドし、開いたのだった。
「あ」
外套を今まさに羽織ろうとしてた彼女、一声出して固まる。
その視線の先には、彼女へと視線を投げるカリンと、マリクと、ジンギの三人。
一秒に満たない時間、彼女と三人はお見合い状態になって固まる。
そして、最も早く反応を示したのはカリン。
彼女に向かって指を突きつけて、驚愕と共におかっぱ頭の少女は叫んだ。
「お、おんしは、まさか――!?」
続くッッッッ!




