第49話 彼女がバビロニャになった日
BGM、ミフユ。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~…………」
ず~っと頭を抱えて、絨毯の上を転がり回っている。
「どした」
それを生ぬる~く眺めつつ、俺はもらった白湯を飲んだ。
う~ん、こっちもぬるい。でも飲みやすい。
「思い出したのよぉ~! あんたがわたしの寝言を聞いたって言ってたこと、今さら思い出したのよォ~! 生き恥だわ、こっぱずかしすぎるわぁ~~~~!」
「そっかー」
悶えてる姿が見てて面白いから、もう少しそのままにしておいてやろうかな。
「母上がそのような寝言を呟かれるとは、御出自に何かあったのでしょうか?」
「その辺は意図して話してなかったけど、ミフユは親に売られたんだよ」
シンラに、俺はそれを明かす。
これは俺もあちらの世界で結婚したあとに本人から聞いた話だ。
「寒村の生まれで、五歳で奴隷商人に売られて、一か月も経たずに小国の娼館の店主に見出されて買われ、五年後に娼婦としてデビューっていう、ありふれた話さ」
「然様ですな、あちらの世界では実にありふれた、どこにでもある悲劇でしょうな」
その点でいうと、俺は幸運だった。
少なくともあちらの世界での親ガチャは、俺は当たりを引いたからだ。
実の親も育ての親も傭兵ではあったものの、俺をしっかりと育て、鍛えてくれた。
あの人達がいなければ、今の俺はなかっただろう。
「親ってのは、大事だよなぁ……」
「うむ、そうでありますな。ひなたの父親が余であったのはまさに僥倖。もしあの子の父親が別の人間であったならと考えると、余は、余は! ひなたァ――――ッ!」
「うるせぇよ、バカ親バカ」
気持ちはわかるが、今は関係ねぇんだわ。
「お~い、ミフユ~、そろそろ続き話すから復活しろ~、生き返れ~」
「う~、わかったわよぅ。あー、もー、恥ずかしい……」
ミフユがむくりと身を起こす。
その苦さに満ちた顔を見て、俺はふと、思うことがあった。
あのとき、ミフユが寝言で漏らした『ごめんなさい、ママ』という一言。
異世界では、俺はそれは五歳だったミフユを売った母親のことだと思っていた。
だが、今になって考えると、きっとそれは違う。
俺の耳の奥に、死んだ夫の名を叫ぶ、母になり切れなかった女の声が蘇ってきた。
今となってはとっくに決着した話だから、ここでそれを言うことはしないが。
さて、思い出語りに戻ろう。
ミフユと出会って丸一年が過ぎた、あの日のことを――、
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
明けて、三六五日目。
せっかく当てた一年を棒に振り、俺はミフユを抱くことなく終えてしまった。
だがいい、それはいい。と、そのときの俺はそう思ってた。
機会はまた必ず来る。そんな根拠のない確信が、俺の中にあったからだ。
ミフユの部屋を出た俺は、その足で娼館のある場所へと直行した。
そこは、娼館の女店主のいる部屋。
一年間を過ごして、俺はすっかり娼館に馴染んでしまい、その構造も覚えていた。
この辺りは、拠点防衛も請け負う傭兵のクセみたいなモンだ。
デカイ建物だと、死角を突かれないよう構造を把握したくなるクセが出る。
天空娼館ル・クピディアの女店主は高年齢のハイエルフだ。
話では八百歳を越える年齢ながら、その見た目は三十代前半の女ざかりの女性。
しかし、話してみると年上の懐の深さを感じられる、器の大きな人物だ。
――名を、リリス・バビロニャという。
「リリスさん、失礼します。俺です」
「おや、アキラさん。どうかしました? ミフユちゃんとは今日まででしたよね?」
ノックをして部屋に入ると、リリスは俺を温かく出迎えてくれた。
掃除の行き届いたこざっぱりした部屋は、上品でシックな感じで整えられていた。
「はい、そのミフユのことで、ちょっとお話ししたいことが」
俺が言うと、リリスは「ふむ」としばし考え込んで、
「そんなに力まないでも大丈夫ですよ。今日は特にやることもありませんし、お話しはちゃんとお伺いしますから。何やら、大事なお話しのようですし」
俺の本気を感じ取ったのか、リリスは柔らかく笑って了承してくれた。
そして、店の人間に人を近づけさせないよう言って、俺を部屋に迎えてくれた。
「アキラさんのことですから、前置きはなしですよね? 何でしょうか?」
「リリスさんにしかお願いできないことです。ミフユの母親になってください」
前置きなどなしに、俺はそれをリリスに頼んだ。
「……母親、ですか。それはミフユから頼まれたのですか。私にお願いしてくれと」
「んにゃ、俺の独断っす。俺ァ、ミフユの事情なんて何にも知りませんよ」
そこは素直に答えたよ。
この一年、ミフユは俺をもてなすだけで、自分の事情は何も語らなかったからな。
「それは、そうでしょうね。娼婦は客を迎える側。自分の事情など語るようでは片手落ち。ましてやあの子は世界最高の娼婦。『聖女にして悪女』、『愛憎の繰り手』とまで呼ばれた子ですから。しかし、それならばどうしてそんな話を……?」
「それは――」
ちょっと話すのを躊躇したが、説明しないわけにもいかないだろうと思って、俺はリリスに昨晩のミフユの寝言の話をした。リリスは、黙ってそれを聞いていた。
そして、リリスはおもむろに口元を綻ばせた。
「そうですか、あの子がそんなことを……。あなたとの根競べに根負けして疲れてしまったようですね。あなたは世界最高の娼婦に優った、世界最高の童貞ですね」
嬉しくねぇ。なぁ~んにも、嬉しくねぇ……。
「で、俺の話はどうです?」
「その提案は、残念ですが受けかねます。私はこの店にいる子全ての母親ですので」
「やっぱり、ダメですか……」
「はい、その申し出は考えせられるものではあるのですが、私の立場上――」
女店主という立場上、リリスが特定娼婦を贔屓することはない。
そんなことはわかっていたが、一縷の望みをかけて何とかお願いしてみたワケだ。
だが、あえなくそれは断られてしまった。
「わかりました」
なので俺は――、
「じゃあ今からこの店を徹底的に破壊してミフユをもらっていきます。それで、世界中巡って、ミフユの母親になってくれる人を探すことにします。俺の中じゃあいつの母親になる人間はあんたが最適最善最高なんだけど、こうなりゃ仕方がない」
この娼館を根こそぎ破壊すべく、自分の装備を取り出そうとした。
「お待ちなさい。死の呪いが降りかかりますよ?」
「それなら一回店から出てまた来ます。ミフユの部屋を出た時点で、呪いが解除される条件は満たしてるはずなんで。それからまた来て店をブチ壊します」
「本当に待って。ちょっとだけ待って」
「ちょっとだけですよ?」
真顔のリリスに止められたので、俺はちょっとだけ待つことにした。
「はぁ、理性的なのかバーサーカーなのか……」
額を指で押さえつつ、リリスはため息と共にそんな一言を漏らす。
「わかりませんね、アキラさん。一年間、あの子を一度も抱かなかったのに、その執着のしようは一体何なんです? 完全に覚悟が決まっているじゃありませんか……」
「俺が欲しいミフユは、本当のミフユです。あんな、よそ様向けの心で武装したミフユじゃないんですよ。っていうかですね、リリスさん」
「何ですか、まだ、何か?」
「ミフユは娼婦に向いてませんよ。むしろ相性最悪だ」
吐き捨てるように、俺は言った。
そのときにリリスがした表情はすごかった。仰天なんてモンじゃなかった。
そしてその驚愕は、ほどなく緩やかな怒気へと移り変わっていく。
「その言葉は、本気で言ってます? ミフユは私が見出した、最高の娼婦ですよ?」
「そうだな、ミフユには才能があるんだろうな。突出した娼婦としての才能が。ただしそれは、本人の望む望まないにかかわらず。だ。もし仮に、ミフユ本人が望んでなかったなら、そりゃ向いてないってことだ。その辺はどうなんです?」
この辺りから、俺もリリスもちょっとずつ熱くなり始めてる。
「ミフユは、自ら望んで娼婦になる道を選んでいますよ?」
「娼婦以外の幾つかの道を示した上で、ですか?」
「…………」
俺の問いに、リリスは沈黙しか返さなかった。俺はそれを否定と受け取った。
つまり、ミフユは今まで、娼婦以外の生き方を知らずに生きてきたワケだ。
「リリスさんがミフユの才能に惚れるのは勝手ですよ。でもな、あいつは娼婦として磨き上げた『自分の心を組み替えるスキル』のせいで、自分の地を忘れかけてる。困るんですよ。俺が惚れたのは『造られたミフユ』じゃなく『ミフユ』なんです」
「それが、あなたがあの子を一年間抱かなかった理由、ですか……」
「そうです」
うなずく俺に、リリスは腕組みをしてしばし目を閉じて黙考する。
「ここまで、ミフユ本人の気持ちについては触れていませんが、全部アキラさんの独断ですよね。あの子の気持ちは、考えていますか。迷惑になるとは思いませんか?」
「気持ちなんざ考えちゃいませんし、迷惑でしかないなとも思いますけど、あいつを手に入れたあとで、かけた迷惑の一兆倍は幸せにするんで、釣り合いは取れます」
「そこでそう断言しちゃいますか……」
リリスは、困ったように苦笑する。俺は何も笑えない。
「あんただってわかってるでしょ。ミフユは娼婦としてしか生きてこなかった。それであいつは本当の自分を失いかけてる。あんたはさっき、自分はこの店にいる娼婦全ての母だと言った。だったら、あんたが娘にしてることは何だ? 娼婦として生かすことがミフユの幸せに繋がってるって、あんたは胸を張って断言できるのかよ!」
「…………」
熱くなりすぎて声を荒げる俺に、リリスはただただ沈黙を貫いた。
振り返ると、これは俺もムチャクチャ言ってるなって、自分で思ってしまう。
だけど、このときはとにかく必死だった。
「頼みますよ。俺にできることなら何でもします。だから、ミフユの母親になってやってください。あいつには、自分だけを特別に可愛がってくれる親が必要なんです。あいつを取り戻すのを、手伝ってくださいよ。俺だけじゃ無理だ」
俺は、傭兵として生きてきて、初めて他人に土下座をしたよ。
東の国の作法として伝わるそれの意味は、きっとリリスも知っているだろう。
「…………はぁ」
長い長い沈黙ののち、リリスがようやく息をついて反応を見せる。
「もう一度、当ててきなさいな」
「え?」
「何でもすると言ったでしょう。だったら、これから開催される今年の『運命の矢の的当て』をまた当ててみなさい。そうしたら考えてあげます。あれほどの低確率を二度も当てる殿方なら、それはもうあの子の運命のお相手と見るべきでしょうからね」
「わかりましたァ! 今すぐ行ってきまァ――――ッす!」
「え、早」
勝利条件が明確になったので、俺はすぐさまロビーへと向かった。
結果は――、ミフユの名前を見ればわかるだろ。つまりはそういうことさ。
数日後、ミフユは正式にリリスの養女になった。
八百年以上を生きて、一人も子供がいなかったリリス・バビロニャの、最初の娘。
こうしてミフユは、ミフユ・バビロニャになったんだ。
え、ひでぇ押し付けを見た?
でもよ、そのあとちゃんと一兆倍は幸せにしてやったろ? なぁ?
……だから、バシバシ叩いてくるなってェ――――!




