第465話 宙船坂さん、爆弾発言をする
集が言う。
「好きに生きればいいじゃないですか」
集が言う。
「好きな人と一緒に、好きなように生きればいいじゃないですか」
集が言う。
「自分の人生なんだから、自分の思うように浪費すればいいんですよ」
集が、之晴と成美を睨みつけて言う。
「でもそれは、親としての責任を果たしてからにしてください」
それは叱責ではなく、罵倒ではなく、弾劾だった。
己の都合のみに終始して、子供のことを省みようとしない永嶋夫妻への糾弾だ。
「子供達のことは……」
一度も来魅達のことを話に出していない事実に、成美が気おくれした声を出す。
だがそんな反応を見せたのは彼女だけで、之晴の方は首をかしげて、
「何で今、子供達の話が出てくるんだ? 関係ないだろう?」
「おやおや、こいつは……」
聞いていたクラマが、恐れ入ったように肩をすくめる。
集も、静かに目を細める。
「本気で言ってるんですか、先輩」
「当然だ、集。今は俺達の話をしているはずだ、子供の話はまたあとでいいだろ」
「あなたの話なんてどうでもいいと、僕は言いましたが?」
集の声が一段低くなる。
気圧された之晴はビクリと身を震わせつつ、だが、主張自体は変わらない。
「だから、何で子供達の話なんて出るんだ!? 今は関係ないだろうが!」
「ちょっと、之晴。さすがに関係ないことはないでしょ。子供達のことなのよ?」
之晴の反応に、成美も咎めるような目を向ける。
しかしそれでも、永嶋家の父親の言い分は変わらないのである。
「子供達のことなんてあとでいいだろう。今は大人の話をしているんだ。子供のことはあとでいい。それよりも、集、俺は潔白なんだ。わかってくれ!」
「あんたね……」
厚かましくも集に無罪を訴える之晴に成美が軽く絶句する。
「俺はおまえの味方なんだ! だから俺を……!」
「それこそ、あとにしてください。そんなくだらないことは」
「く、くだらな……!?」
之晴は驚き、そしてその顔に苦み走ったものを浮かべる。
「何なんだ、さっきから。そんなに来魅と幹治のことが気になるのか。だったらそっちから決めればいいのか? そうすれば俺の話を聞いてくれるのか!」
見るからに之晴は必死だった。
彼はまさに崖っぷちで、垂れているかもわからない蜘蛛の糸を必死に探している。
「集。違うんだ。俺は本当は志熊にも渡会君にも命令なんてしちゃいないんだ」
「そんな、之晴さん、何を言うんですか!?」
「な、永嶋部長……!? あんた、それはないだろう!」
之晴は、この期に及んで茜と兼樹を切り捨てようとし始める。
当然、二人はそれに反発し、共にその顔を怒りに赤くして、声を荒げる。
「ふざけるな、永嶋之晴! 全部あんたが命令したことだ! 全部、全部だ!」
「見損ないましたよ、之晴さん! そんな人間だったんですね、あなたって人は!」
「うるさい、うるさい! 黙れッ! 卑怯者の分際で!」
之晴が首をブンブン振って、二人の怒声をさらに大きな声で上塗りする。
見るに堪えない醜態。薄汚れた性根の男。こういうのを見苦しいというのだろう。
「集、子供だな? 子供のことを話せばいいんだな? そうすれば、おまえは俺を見逃してくれるんだな? よぉし、わかった。それだったら――」
声。
「それだったら、何?」
その声は、部屋の入り口からした。
生き残りに必死になっていた之晴も含めて、全員がドアの方に目をやる。
「……来魅ちゃん」
いつの間にかドアは開いていて、そこに、永嶋来魅の姿があった。
他に、彼女と同じくらいの身長の少年が隣にいる。
茶色の髪をしたその少年が、来魅の弟である永嶋幹治だった。
さらに、二人の後ろに筋骨隆々の背の高いいかつい顔つきの男が立っている。
「兄貴、連れてきちまったのかよ」
「悪ィな。どうしてもって言って聞かなくてよぉ……」
ライジが顔をしかめると、大男は野太い声で謝った。
「なるほどね、あれがライジ・クリューグの兄貴のゴウジ・クリューグかい」
と、クラマが言いはするものの、その言葉の半分も集の耳には届いていない。
それよりも、彼は来魅の方をずっと凝視していた。
「ごめんね、集おじさん」
顔つきを硬くしたままで、来魅は集に一言謝った。
「声、隣まで響いてたのかい?」
「ものすごく……」
答えたのは、弟の幹治の方だった。
「途中からほとんど聞こえちゃってたよ、すごい剣幕だったよね、パパもママも」
「…………」
娘に言われて、成美が居心地悪そうに二人の子供から目を逸らした。
「何だ、おまえ達は。今は大事な話をしてるんだ。あっちに行って待ってなさい」
しかし之晴の方は臆するどころか、まるで変わらない態度であしらおうとする。
幹治は一瞬ひるんだような顔を見せるが、来魅は肩をすくめて受け流した。
「冗談はやめてよ、パパ」
「何?」
「集おじさんが言ってたでしょ、本題はあたし達のことだ、ってさ」
弟の腕を引き、来魅は部屋の中に入って集の隣に立つ。
「だから、あたし達も聞かせてもらうからね。パパとママが、あたしとミキをどうするつもりなのか。これから、あたし達はどうなるのか、ちゃんと話してよね」
「あのさ、姉貴、俺はさぁ……」
決然と己の意見を語る姉に比べて、腕を掴まれたままの弟はちょっと及び腰だ。
しかし、来魅はそんな幹治の背中をバシンと叩く。
「ミキ、このままじゃあたし達の知らないところに、家族がバラバラになるのが決まっちゃうんだよ。あんたはそれでいいの? それで、本当に納得できる?」
「それは、ヤだけど……」
「だったらここにいな。それで、自分の言いたいことを言うの」
姉が弟に言って聞かせようとする。
だがそれを、無粋にも父親が邪魔をしようとしてくる。
「何を言ってるんだ、来魅! おまえも幹治も子供なんだから、大人の言うことを聞いていればいいんだ! 大事な話をしているところに、口を挟むんじゃない!」
「偉そうに命令してこないでよね! おじさんが怖くてゴマスリしてたクセに!」
「な……ッ!?」
まさか反論されるなんて思っていなかったのだろう。
之晴は一瞬愕然となって、それからみるみるうちにその顔を怒りに歪ませていく。
「来魅、おまえは誰に向かってそんなクチを……」
「今のあなたにそれを言う資格があるんですか、先輩」
集が来魅を庇うようにして前に立ち、すごもうとする之晴を睨みつける。
それだけで、彼の顔に浮かんでいた憤激は霧散し、逆にそこに怯えの色が混じる。
「重ねて言います。今回の一件について、僕はあなたがどうするつもりかなんて興味ないんです。でも、あなたと奥さんは来魅ちゃんと幹治君の親だ。だから、二人をどうするかについてだけはキチンと話し合って決めてください。それが本題です」
「ぐ、わ、わかった……」
きっぱりと言い放つ集に、之晴は不承不承ながらもうなずく。
集は成美の方にも目を配る。彼女も、顔をやや青くしながらも首肯をする。
自分の前では恐縮している之晴と成美。
しかし集は、この二人に親としての責任感など、微塵も期待していなかった。
さっきまでの醜態を目の当たりにして、期待なんてできるはずがない。
だが、それでも来魅と幹治の親はこの二人なのだ。
どれほど救いようのない人間でも、親である事実は覆せない。
「成美――」
之晴と成美、互いに向き合って、先に口を開いたのは之晴だった。
「来魅と幹治のことを頼む」
そして、続いた言葉がそれ。
「……は?」
半分ほど口をあけた成美がのどの奥から単音を漏らす。
その反応に関心を示さず、之晴は押し殺した声を演出して、さらに続ける。
「子供達のことを考えるなら、やっぱり母親と一緒にいるべきだと思うからな。それがいい。大丈夫だ、ちゃんと養育費は振り込む。だから二人のことを――」
「待って、待ちなさいよ。ちょっと待ちなさいよ、之晴ッ!」
平気な顔をして子供を押しつけようとしてくる夫に、成美が溜まらず声をあげる。
「何を、別れることが決まってるみたいな物言いで話を進めてるの?」
「今さらなんだ? 別れるしかないだろう、俺達は?」
当然のように、彼は言う。
自分達は離婚する。そして、来魅と幹治の親権は成美に譲り渡す、と。
「本当はおまえ達を守りたかったけど、こうなったら仕方がないだろ。俺は身を引くよ。俺もおまえも浮気はしてた上での離婚だ。お互いに慰謝料はなしでいいな?」
「はぁ!? ぁ、あんたね……!」
二人の会話は続くも、そこにあるのは都合がよすぎる之晴の言い分のみ。
成美は、驚くか、呆れるか、腹を立てるかしかしていない。
「浮気してた、って……、あんたが兼樹君を私に差し向けたんでしょうが!」
「そうだな。だが、浮気した事実は変わらない。おまえは俺を裏切ったんだ、成美」
「あんただって同じでしょ!」
「ああ。だから慰謝料はなし。俺は養育費を払うと言ってるんじゃないか」
「それを待てって言ってるのよ!」
成美の声は、ほとんど悲鳴も同然だった。
「何で親権が私になるのよ! あんたは子供達を養おうとは思わないの?」
「俺だって残念さ。断腸の思いだよ。けど、母親の側にいる方が子供は幸せだ。離婚調停で母親の側に親権が行くのが常識だ。それくらいは知ってるだろ?」
「だからって……」
言葉を詰まらせた成美が、チラリと来魅の方を見る。
そこにあるのは、何ともきまりの悪そうな表情。
当然だろう。
今回の一件は、成美の電話を来魅が聞いてしまったことから始まったのだ。
来魅は何も言わないが、傍らに立つ集は感じている。
彼女は、母親に対してすでに取り返しがつかないレベルの不信感を抱いている。
仮に成美が来魅を引き取ったとしても、まともな親子関係が成立するはずがない。
成美もそれをわかっているから、こっちを見たのだろう。
「……し」
来魅を横目に捉えたまま、成美の唇が震える。
「親権は、之晴に譲るわ」
「バカなことを言うな。そんなもの、認められるか」
しかし之晴は軽い失笑を見せて成美を見下ろし、同じ言葉を繰り返す。
「親権はおまえに譲ってやる。来魅と幹治と、また仲良く暮らせばいいじゃないか」
「それができないってわかってるから、あんたに譲るって言ってんでしょ!」
「バカバカしいことを言うな」
成美は必死だ。それは見ればわかる。
彼女は彼女なりに来魅との間にできてしまった埋めがたい溝を直視している。
だが之晴にはまるで通じていないようだ。いや、それどころか、
「自分が楽をしたいからって、俺に子供達を押しつけるんじゃない!」
そんなことまで言い出す始末だ。
「おまえがそんな無責任な女だとは思わなかったぞ、成美。おまえは子供が可愛くないのか? 薄情な女だ。本当に、失望させてくれるよな、全く……」
これほどの特大のブーメラン発言は、集もなかなか聞いたことがなかった。
ふと、彼は気づいた。
成美と之晴の話を聞いていた茜が、一言零す。
「……こんな人だったなんて」
之晴の不倫相手だった彼女は、自分が信じた男の本性に心底幻滅したようだった。
兼樹も、之晴を見るその顔に浮かぶ嫌悪感を隠そうともしていない。
「おまえも母親なら、親としてやるべきことはやれ! 子供達の面倒を見ろ!」
「今さら、私が母親ヅラしたって無駄なのよ! さっきからそう言ってるでしょ!」
「責任逃れの言い訳はやめろ! 見下げ果てた女だな、おまえは!」
「それでいいから、子供達はあんたが引き取りなさいよ!」
「ふざけるな! この状況でまだ俺に頼ろうとする、その神経がわからん!」
「父親はあんたでしょ! ちゃんと責任を取りなさいよね! 何で私ばっかり!」
ひたすら続く、不毛なばかりの言い争い。
別に誰も負傷していないのに、そこに漂う空気はあまりにもグロテスクだ。
「やっちまったなぁ、集ちゃんよ……」
クラマに、胸中を見透かされてしまった。
集は後悔していた。
これは、来魅と幹治に見せていいものではなかった。さすがに行き過ぎている。
来魅は俯いて顔が見えない。
幹治は、自分達の面倒を押し付け合っている両親の姿に、顔を青くしている。
「おまえが――」
「あんたが――」
之晴と成美の見るも無残な言い合いがさらに続こうというところで、
「ねぇ」
来魅の声が、そこに差し込まれた。
之晴と成美が揃ってハッとなって自分の娘の方を見る。
「……く、来魅?」
「大丈夫だ、おまえ達のことは、お母さんが」
「あのさ」
言いかけた之晴を遮って、来魅は俯かせていた顔を上げる。
その拍子に、涙が一滴、ポロリと落ちる。
「あたし達って、何なの?」
表情が失せた顔で、彼女は涙を流し、静かにそれを自分の両親に問いかける。
「ねぇ、あたしとミキ、そんなに邪魔? そんなにめんどくさい?」
「ち、違うの、来魅。それは……」
成美が取り繕おうとするも、来魅に見つめられて、何も言えなくなってしまう。
「さっきから何なの……!」
肩を震わせ、それ以上に声を震わせて、永嶋来魅は拳を握り締める。
泣いている姉を、弟の幹治が弱々しく見つめている。
「何なの、ホント! まるであたし達、ただのお荷物じゃないのよ!」
そして来魅が、胸に抱いていた怒りを両親にブチまけた。
「パパとママにとって、あたしは何? ミキは何? そんなに邪魔なら、どうしてあたし達を産んだの? 荷物扱いしないでよ、あたし達は生きてる人間なのよッ!」
「ぁ、あぁ、く、くる、み……」
「…………」
のどを壊さんばかりの大声で叫ぶ来魅に、成美はただ震え、之晴は口を閉ざす。
「パパとママは仲は良くなかったけど、あたし達のこと、考えてくれてるって思ってた。……でも、そんなことなかった。二人してあたし達のこと邪魔だと思ってたんだね。今のでよくわかった。だから言わせてもらうね。バカにするな!」
「ち、違、違うのよ、くるみ、くる……」
成美が口に手を当て涙をためる。だが遅すぎる。もはや取り返しはつかない。
「バカにしやがって! あたしとミキをバカにして邪魔者扱いして、厄介者扱いして、何が大人だ! 何が親だ! そんなに邪魔なら産まなきゃよかったじゃない!」
「ご、ごめ、ごめんなさ……、ぁぁ、ああ、ぁぁあ……」
全身から怒りを振り絞る来魅の絶叫に、成美がその場に泣き崩れる。
だが、泣いているのは来魅も一緒だった。
「ふざけんなよ、ふざけんなよォ……!」
溢れ続ける涙を服の袖で拭い続け、来魅はひっくひっくとしゃくり上げる。
もはや、誰も何も言わなかった。言えなかった。誰が、何を言えるというのか。
「……はぁ」
だから彼の嘆息は、誰の耳にもやけに大きく響いてしまった。
「そうだなぁ、本当に邪魔だったよ、おまえらは」
呆れ調子でそれを言ったのは之晴だった。
彼は、来魅の言い分をあっさりと認めてしまった。父親の彼が、認めたのだ。
「之晴、ウソでしょ……?」
顔中を涙まみれにした成美が夫を見上げて唖然となる。
だが、之晴はこれ以上なくわずらわしげな顔をして、不満げに鼻を鳴らす。
「こんなところでウソをついてどうする? 本音だよ。心底本音だ。これだから子供はめんどくさいんだ。何もわからない分際で、さも自分が大人みたいな物言いをしやがって! 何かあれば文句しか言わず、そのクセ金ばかりかかりやがる!」
「やめて、やめてよ! 私達の子供なのよ!? そんな言い方、ないじゃない!」
「うるさいんだよ!」
「あゥ!?」
非難するように縋りつく成美を、之晴がひっぱたく。
それを見ていた来魅は涙を袖で拭って、自分の父親に確認する。
「……それが、パパの本音なんだね?」
「だからそうだと言ってるだろう。同じことを言わせるな! おまえらは邪魔なんだよ。俺の人生の邪魔だ。俺の幸福の邪魔だ。成美も、おまえらガキ共もだ!」
「いくら何でも、最低すぎる……!」
腕を振り回して叫ぶ之晴に対し、茜がそう漏らした。
「黙れ、茜。おまえだって俺と付き合って散々いい目を見てきたクセに、いい子ぶるな! 何だ、おまえまで俺の邪魔をするのか? 俺の人生の邪魔をするのか!」
髪を振り乱して、目を血走らせ、之晴が部屋の真ん中で荒れ狂う。
「邪魔をするな、邪魔をするんじゃねぇ! 女もガキも、俺の邪魔をするヤツはみんな消えちまえばいいんだ! 何で俺が子育てなんてめんどくせぇことをしなくちゃいけねぇんだ、そんなのやってられるか、そんなことに人生を消費してたまるか!」
「そうですか、よくわかりました」
その声と共に後ろから伸ばされた手が、之晴の左肩を掴む。
指に込められた強い力に痛みを感じ、彼は「ぐぅ!」と呻いて後ろを振り向く。
「な、誰だ……!?」
振り向いた先に見えたのは、右拳を振りかぶる集の姿。
「つ、つど――」
「もう、喋らないでください」
その言葉と、拳が之晴の顔面のド真ん中に突き刺さるのは、ほぼ同時だった。
固いものが肉を潰し、骨を打つ音が響き渡る。
「ぐひゃあァァァァ――――ッ!」
情けない悲鳴と共に吹き飛ばされた之晴は、背中から壁に激突する。
意識を失ってズルズルと崩れ落ちる彼を見届けて、集は静かに右手を伸ばした。
「先輩がそこまで言うのなら」
鈍い痛みが残る手で、彼はゆっくりと来魅の頭を撫でる。
「この子達は、僕が引き取らせていただきます」
そして飛び出したのは、まぎれもない爆弾発言だった。




