第458話 来魅ちゃん、聞いてしまう
寝心地が悪くて、来魅は目を覚ました。
やたらと狭いここはどこであったか。少し考えて、車の後部座席だと思い出す。
居酒屋で『イカイ』とか『デモドリ』とかについて聞かされたあとだ。
集とクラマというおじさんが、いきなりレンタカーを借りたのだ。
そして、大きめの車に乗り込んだのち、クラマの運転で星葛市まで来た。
視線を巡らせると、薄暗い。光源は車内照明のみらしい。
やっぱり、ここは山の中のようだ。
車を運転しているクラマが山に向かうと明言していたのを覚えている。
「何でそんなトコ行くの?」
と、来魅が尋ねると、彼はこう答えた。
「それが一番楽だからだよ~い」
楽。楽だから。
来魅には意味がわからなかった。
「今の僕達にできる最善の手段ってことだよ、来魅ちゃん」
首をかしげる彼女に、集が説明してくれた。
「君を探してるライジって人は、僕達を探し出すことができる。加えて、君の弟の幹治君のことを知ってるらしいのも、そのライジって人だ。僕達は逃げるだけじゃなくて、その人に会って話を聞かなくちゃいけない」
「だから、山の中に行くの?」
「話し合いで済むかどうか、わかったものじゃないからね」
その言葉には、少しキモが冷えた。
つまり、この車が山に向かっている理由は――、周りに被害を出さないため、か。
「大丈夫だよ」
ミラー越しに来魅を見る集が、笑いかけてくれる。
「君は僕達が守るから、怖がらないでいいよ。来魅ちゃん」
それが、数時間前のこと。
彼の笑顔と優しい言葉に安堵して、来魅はいつの間にか寝てしまっていたらしい。
色々あった上に緊張していたこともあり、来魅は疲れていたようだ。
寝起きなのに、あまり眠気が晴れていない。目を閉じればまた寝てしまいそうだ。
もうちょっとだけ寝ててもいいかな。
と、彼女がそう思ったとき、前の座席から声が聞こえる。
「どういうつもりだい、集ちゃんよぉ~」
クラマだった。
会ったときから変わることのない、力の抜けたゆるい物言い。
彼は、集に何を問いかけるのか。
「何ですか、先生?」
「後ろで爆睡しちゃってるお嬢ちゃんのことだよぉ~」
――え、あたし!?
いきなり自分の話をされて、来魅の体が震えそうになる。
しかし、話を聞いていたくもあって、何とか堪えたまま寝たフリを決め込む。
「来魅ちゃんが、何ですか?」
「入れ込みすぎじゃねぇのかってお話よぉ~」
入れ込み、すぎ……?
「集ちゃんの会社の先輩とやらから頼まれたのと、お嬢ちゃん本人がそれを望んだから、集ちゃんが身柄を預かってる。そういう話だったよねぇ~?」
「そうですね。ええ、その通りです」
「どうしてそこまでするんだい?」
クラマから、集への二度目の問いかけ。
それを聞いていた来魅も、何となくだが理解できてくる。
「集ちゃんがよ、後ろのお嬢ちゃんのために体を張る理由ってのはあるのかい?」
「そういうことですか……」
同じく、集も理解したようだった。
彼が、自分に協力してくれる理由を、クラマは問うているのだ。
わからなくもない。
いや、それは来魅もまた内心に抱えていた疑問ではあった。
集は父から自分のことを頼まれている。
ただそれだけのことで、こうして星葛の山奥にまで同行してくれている。
どうして、そこまで?
彼がお人よしというだけでは、さすがに説明がつかない気がした。
「ちなみに俺ちゃんは『この程度のことはトラブルとは呼ばない』から協力してるだけだぜェ~。異世界での日常に比べりゃあ、全然危険でもねぇしよ~」
「半分娯楽ですか……?」
「そういうこと。けど、助けたいと思ってるのはホントだぜぇ~」
「それは、僕もわかってるつもりですけど……」
集が苦笑しているのが、気配として伝わってくる。
「僕が、来魅ちゃんに肩入れする理由、ですか――」
「別にここまでやることもないと思うんだけどねぇ、俺ちゃんは」
「まぁ……、そうですね」
声を小さくしながらも、集はクラマの言葉に同意を示す。
来魅は、それにドキリとする。
やはり自分が頼ることは、彼にとって迷惑でしかないのだろうか。甘えすぎか。
「でも、来魅ちゃんに協力してるのは、僕自身の判断でもありますから」
「迷惑とは思わないってことかい?」
「来魅ちゃんが迷惑? まさか。そんなことは思ってませんよ」
当たり前のように言う集に、来魅はホッとする。
自分が集にとって厄介者なのかと思って、一瞬激しく不安になってしまった。
「むしろ、僕の方がこの子に力を貸したいと思ってます」
だが、続くその言葉は、来魅にとっても意外だった。
忌避するどころか、集の方が自分を助けたいと思ってくれている。なんて。
「何でまた?」
クラマの尋ね方は率直だった。
「それは、多分……」
しばしの間。そして来魅は自分を見る集の視線を感じとる。
「多分、罪滅ぼしなんですよ。僕からすれば」
「ははぁ~ん、なるほどねぇ~」
クラマは納得したような声を出すが、来魅には何が何だかわからなかった。
罪滅ぼし。とは、どういうことだろうか。
集は、何か自分に対してイケナイコトでもしたのだろうか。
そんなことを考え、来魅は頬がボッと熱くなるのを感じた。何想像してんのさ!
「――ダンチョのことかい」
「そう、ですね」
来魅の自業自得な混乱をよそに、集とクラマの会話は続く。
「三年前、僕は自分の家族を守れなかった。妻と子供をやすやすと手放してしまった。だから僕は来魅ちゃんを守りたい。そうすることで罪を償いたいんですよ」
「……『だから』と来るかい」
クラマの言葉。集はそれに声を返さないが、うなずくのが伝わってくる。
「そうです。『だから』です。つまり僕は代替行為として彼女を助けてるんです。勝手な話ですよね。とんだ偽善です。ただのエゴなんですよ、これは」
語る集の声は、どこか投げやりで、そして呆れている風でもあった。
それらは全て彼が自分自身に向けたものなのだと、来魅もわかってしまう。
集が言う『アキラ』については、誰なのかなんて知らない。
聞いている限り集の子供であることはわかるが、今は一緒に住んでいないのか。
「もしかしたら、僕の方こそ来魅ちゃんに迷惑をかけているのかもしれません」
そんなことないよ!
と、言い出しそうになってしまったが、先にクラマが笑って否定してくれた。
「ニヒヒヒヒヒ、そりゃねぇって。集ちゃんったら面白ェコト言うよねぇ~」
「そうでしょうか……?」
「当たり前じゃ~ん? 何事も、やらない善よりやる偽善ってね~」
そうだ、その通り。全くもってクラマの言う通りだ。
集がどんな考えを持っていようと、こんなにも自分のコトを助けてくれている。
それは確かな事実で、来魅は彼のおかげで救われている。
「集ちゃんよぉ~、このお嬢ちゃんをダンチョと重ねちまったワケだろぉ~?」
「そうですね」
「どこら辺を重ねちゃったのさ。この子とダンチョは似ても似つかんぜぇ~」
「わかってますよ、もちろん。来魅ちゃんがどうこうじゃないんです」
寝たフリをしたまま、来魅は聞き耳を立てて集の話を聞き続ける。
彼が『アキラ』という子と自分を重ねてみた理由。それが何故か気になっている。
だが、そこから数秒、集の声が途絶える。
闇の中に、彼が何かを言おうとする気配だけがある。そしてさらに五秒ほど、
「……僕はきっと、来魅ちゃんに同情しているんだと思います」
同情? それは一体、何に対して?
「へぇ、同情ねぇ。そりゃまた、何に対してだい?」
「家庭環境、でしょうか。母親がしていたという電話についてもそうですけど――」
それを言われ、来魅の中に成美がしていた電話のことが鮮明によみがえる。
「自分の都合を優先するために子供を利用しようとする親は、最低ですよ」
腹の底にザラついたものを蟠らせた来魅の気持ちを、集が代弁してくれた。
しかも、それだけではなかった。
「それに加えて先輩もです」
「このお嬢ちゃんの、親父さんの方かい?」
「ええ」
父親。パパ。永嶋之晴。
彼が何だというのだろうか。集は、何を言おうとしているのだろうか。
来魅はにわかに緊張を覚えながら耳に意識を集中する。
集は言った。
「あの人も、子供よりも自分の都合を優先する人です」
来魅の意識が真っ白になるその一言を、はっきりと口に出した。
「そうなのかい?」
「ええ。そうですね。僕はそう感じています。あの人は頭もよくてすこぶる仕事もできる優秀な人なんですけど、わがままというか自分中心で物事を考える人でして」
パパのことをよく見ている。
来魅は素直にそう感じた。自分が持っている之晴のイメージに、見事に合致する。
「自信家で、自己中心的で、リーダーシップはあるけど周囲の評価を気にするタイプです。だから家庭内の不和なんて、何があっても外に出したくない人なんですよ」
「集ちゃんにお嬢ちゃんを預けたワケだがねぇ~」
「それは、僕なら逆らわないだろうと思ってたんでしょう。多分ですけど」
つまりそれは、之晴が集を見下している。ナメているということだ。
と、思っただけで来魅はムカムカしてきた。彼女もだいぶ集に感情移入している。
「今頃、永嶋先輩は幹治君のことを探しているかもしれません。でもそれは……」
「息子が心配だからじゃなく、世間体を気にして、ってことかい」
「…………」
集は沈黙。しかし、ここでの沈黙は肯定でしかない。
そして来魅もまた彼に同意するしかなかった。
永嶋家は不幸な家族ではなかった。
それについては、母親の真意を知った今でも来魅の中では揺るぎない評価だ。
しかしその幸福の裏側で、母もそうだが、父も本当の気持ちを隠し続けていた。
そう。あの父親は、本当は自分のことも弟のことも、そこまで深くは――、
「なるほどねぇ~」
と、クラマが納得したようにうなずく。
「そういう意味の同情で、だから集ちゃんはダンチョとお嬢ちゃんを重ねたワケか」
「来魅ちゃんが幹治君をちゃんと見つけられるまで手伝おうと思いますよ、僕は」
集が言ってくれたそれが、来魅の意識にジワリと沁み込んでくる。
温かい言葉だった。
彼の人柄そのままの、ぬくもりと柔らかさが感じられる言葉だった。
「ただ――」
だがここで、風向きが変わる。
「本当に来魅ちゃんを助けたいと思うなら、僕はアキラに頼るべきなんですよ」
「おっと、自分から言っちゃうのかい、それ?」
「先生だって気づいているでしょう。それが間違いなく最善だってコト」
「ま、そりゃねぇ~」
え? え? どういうこと? 集が、誰に頼るって? アキラ? 子供の?
「でも僕はそれを選べませんでした」
続く集の言葉を聞きつつ、来魅は新たな混乱に陥った。
集の子供というならば、自分よりも、いや、弟よりも年下なのではないか。
それに頼るのが最善とはどういうことなのか。
その『アキラ』という子供に何があるのか。来魅は気になって仕方がなかった。
「口では助けたいと言いながら、僕は僕の気持ちを優先して、アキラに頼らずにいる。結局、僕もそういう人間なんです。中途半端なだけの偽善者でしかなくて――」
「そんなことないよ! 集おじさんは、リッパなオトナだよ!」
「く、来魅ちゃん……!?」
集の自虐的な発言を聞き流すことができずに、来魅はガバッと身を起こした。
すると、そんな自分の方を見てヘラッと笑うクラマ。
「やっぱ起きてたねぇ~、お嬢ちゃん」
「え、先生?」
「ちょっ、気づいてたのォ!?」
寝たフリがバレていたと知って、来魅はさっきよりさらに顔が熱くなる。
「ま、そゆワケだから、集ちゃんが守ってくれるってよぉ~、お嬢ちゃん」
「先生ッ!」
「ニヒヒヒヒヒヒ~」
こ、この……ッ!
笑うクラマに、来魅も一言文句を言おうかと思った。
しかし、それは叶わなかった。
急に前の方が明るくなったからだ。
「いやはや、何ともタイミングのいいことで~」
クラマがフロントガラスの向こうを眺めて呟く。
そこに見えるのは、山道を走ってくる数台の車だった。つまり――、
「やっぱり、探し当ててきたか」
やや固くなった集の声に、来魅も悟る。
ライジ・クリューグとの対決のときが来てしまったのだ。
「……ミキ」
いなくなった弟を案じ、来魅は右手を握り締めた。




