第457話 来魅ちゃん、ひっくり返す
少し、厄介なことになった。
「――それじゃあ、家には帰らない方がよさそうだね」
駅前にて、話を聞き終えた集はすぐさま判断を下した。
「え、おじさん……?」
彼が見せた即断に、話を終えたばかりの来魅は驚き、軽く目を丸くする。
「僕の家まで知られてしまってるなら、戻るのは危険だよ」
「そうかも、だけど……」
何故か、来魅が身を縮こまらせている。
その理由を察し、集は柔らかな微笑みを顔に浮かべて、かぶりを振る。
「君のせいじゃないよ、来魅ちゃん。それは勘違いしちゃいけないよ?」
来魅は、集が家に戻れなくなったのは自分のせいだと思っている。
だがそうではない。
彼女が遠因であったとしても、直接の原因は明確に別のところにあるのだから。
「君が自分のせいだと思ってるなら、同じくらい、僕のせいでもあるからね」
「な、何で……?」
集が言い出したことに、来魅は小さな驚きを見せた。
そこへ、クラマが口を開く。
「ニヘヘヘヘ、そりゃあそうでしょ~よ。だってお嬢ちゃんを匿うって決めたのは集ちゃん本人なんだぜぇ~? そこの部分もカウントしておかなくちゃねぇ~」
「え、え……」
ヘラヘラと笑う彼を前にして、来魅が目をパチクリさせる。
そして――、
「え、何この人、怖……」
紡ぎ出された一言は、なかなかに辛辣であった。
「あらら~、聞いたかい集ちゃん。俺ちゃん、何か怖がられちゃったよぉ~?」
「まぁ、自己紹介もしてないですし。先生、胡散臭いですしね」
「先生……?」
不思議そうに自分を見る来魅へ、集はクラマについて軽く紹介する。
「この人は、僕の高校のときの担任でね。ちょっとした縁があって、僕の方の件で協力してくれることになったんだよ。クラマさんって呼ぶといいんじゃないかな」
「ウヘヘ~イ、佐藤鞍間でぇ~っす。よろしくね~っと」
「……ホントに胡散臭いね」
軽いノリでクラマが挨拶するも、続いた来魅のコメントはまたしても辛口だった。
「…………まぁ」
「集ちゃ~ん? 困った顔して曖昧に濁すのやめなよぉ~?」
言いつつもクラマ本人は微塵も気にした様子を見せない。
「そんなことよりもよぉ~、そろそろ動いた方がいいぜェ~。もしかしたらそっちのお嬢ちゃんを追いかけてきてるかもしれねぇだろぉ~?」
「そうですね。場所を変えましょうか。来魅ちゃんも、いいかい?」
「う、うん……!」
問われ、来魅も緊張の面持ちでうなずく。
「でも、どこに行くの? そっちのクラマ……、さんの、家とか?」
「んにゃ、無駄だろうねぇ~」
クラマが肩をすくめる。無駄とはどういうことか、集にもわかりかねた。
「先生?」
「そっちのお嬢ちゃんが言ってたのが《《あのライジ》》なら、どこに逃げても無駄さ」
……あのライジ?
「なぁ、お嬢ちゃんよぉ、おまえさんが見た男ってのはやたら痩せてて、やたら目つきが鋭くて、それで『ライジ』って呼ばれてたんだろぉ~?」
「うん、そうだよ。見た目、全然強そうじゃないのに、すごい怖かった……」
「だったら間違いないかねぇ~」
夜の駅前、道をゆく人々の雑踏にまぎれながら、あごに手を当ててクラマが呟く。
「まさか先生、心当たりが? ……『出戻り』ですか?」
「『多彩にして多芸』ライジ・クリューグで間違いなさそうなんだよねぇ~」
表情こそいつものニヤケ面だが、その声がやや低くなっていることに集は気づく。
「その人は、どういう人なんですか?」
「ダンチョとは別の傭兵団に所属してた『何でも屋』でね、文字通り何でもやってたんだよねぇ~。索敵、情報収集、食糧管理に天候予測、他にも色々とね~」
「索敵……」
まさか、という思いが集の中に生じる。
「僕の家を見つけたのも……?」
「ま、そういうことだろうねぇ~」
クラマが肩をすくめる。
人を探し当てる能力を持っているというのなら、どこに逃げても無駄だ。
「ねぇ、おじさん。何のこと? サクテキって何?」
そこで、来魅が集の服の裾を掴んでクイクイやってくる。
彼女は『出戻り』について一切知らない。集は、どう説明したものかと悩む。
「いやぁ~、しかし腹減ったねぇ~。集ちゃんよ、どっかでメシ食わないか~い?」
クラマが唐突にそんなことを言い出した。
「お、あそこなんかよくないかい? 個室の居酒屋でよぉ~。安くてうまいんだわ」
集の意見を聞く前に彼が指さしたのは、全国チェーンの居酒屋だった。
「ちょっと! いきなりお酒飲むとか言わないでよね!」
そこで来魅が語気を荒げるが、
「あ、俺ちゃんねぇ~、お酒一滴も飲めないのぉ~。一滴も」
「ウソッ、見るからにアル中なのに!?」
「ニヘヘヘヘヘ、この子、さっきからキレッキレだと思わねぇかい、集ちゃんよ~」
仰天しつつとんでもない暴言を吐く来魅だが、やはりクラマは動じなかった。
「来魅ちゃん、一応その人、僕の恩人だから……」
「集ちゃんよぉ~、『一応』とかついちゃってるけどぉ~?」
「あ」
フォローを入れようとした集だったが、ものの見事に裏目に出てしまった。
「ま、いいってことよぉ~。それよりもほらほら、お店ちゃんに行こうぜぇ~」
「待って、本当に待ってよ! ミキはどうなるの!」
歩き出そうとするクラマを呼び止める来魅。
彼女が集と合流した理由が、弟の捜索だ。このままでは、それもままならない。
しかし、クラマはケラケラと笑う。
「だからでもあるんだぜぇ~」
「え……?」
「お嬢ちゃんの弟さん、俺ちゃんが探してやんよぉ~」
その言葉には、集もビックリする。
「できるんですか、先生……?」
その集の言葉にも、酒を飲めない高校の恩師はヘラヘラ笑っているだけだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――居酒屋の個室、おおよそ食事を終えたあとのこと。
「えー……」
来魅が半ば絶句している。
集が行なった説明を、まるっきり飲み込めていないようだ。
「その、イセカイとか、デモドリとか、冗談じゃなくて?」
「そうだね。冗談で言ってるつもりはないよ」
彼女に話したのは『出戻り』に関わることだった。
来魅を追っているのが『出戻り』であるのなら、そこは知っておくべきだ。が、
「さすがに、ちょっと信じられないよ、おじさん……」
顔は青ざめつつ、しかし口元には半笑いを浮かべて、来魅は集に言う。
彼の隣にいるクラマは、笑ったまま頬杖を突いて沈黙を保っている。
「まぁ、そうだろうね。話だけなら、言ってることは荒唐無稽だと思うよ、僕自身」
「でしょ? だって、そんなのゲームかアニメの話じゃん」
全く来魅の言う通りではある。
そこで、クラマが右手を軽く来魅の法に差し出した。
「ほい」
ピンと立てた人差し指。
その指先の直上に、いきなり小さな火が灯る。無論、ライターもマッチもない。
「わっ」
と、クラマの指先に注目していた来魅が、わかりやすい反応を見せる。
「百聞は一見に何とやら、ってねぇ~。こいつが魔法だぜぇ~、お嬢ちゃん」
「ま、まほー……」
「異世界にいた『出戻り』にしか使えないシロモノさ~」
説明するクラマを前にして、来魅は口をポカンとあけて小さな火に見入っている。
「ところでよぉ~、周り、うるさいと思わないか~い?」
「そう、ですね……。そろそろ夕飯どきですし、お店も混んできてますね」
言われた集が、耳を澄まさずともこっちまで届く喧騒に意識をやる。
個室に入っていることもあって、クラマが言うほどにはうるさいとは感じないが。
「あ」
来魅の声が聞こえた。
集が個室内へ意識を戻してみると、隣に座るクラマの手に銀色の金属のカード。
魔法の火が消えて、いきなり銀色のカードが現れて驚いた声らしい。
「こいつは金属符。これを近くの壁にペタリ」
クラマが言葉通りに金属符を壁に貼る。
すると集の全身を一瞬だけ浮遊感が襲って、周囲から聞こえていた音が消えた。
「あ、れ……?」
「外に出てみなよ、お嬢ちゃん」
声が消えたことを不思議がる来魅が、クラマに促されドアを開けようとする。
引き戸になっているドアが、しかしいくら引いても動かない。
「何で? あれ? あれ?」
「『異階』って言ってねぇ~、今、この場は現実から切り離された異空間なのさ~」
金属符が発生させる『異階』の説明をするクラマの手には、何故かトランプ。
しかも、随分と年季が入った古めかしくも壮麗な模様のトランプだ。
「ちょいと、現状のまとめをさせてもらうぜぇ~」
そう言って、クラマがトランプを軽く両手でシャッフルし始める。
「まずは集ちゃん。同僚にハメられて会社をクビになりそうなんだよねぇ~」
「そう! そうだよ、おじさん! そっちはどうなったの!?」
思い出したように来魅が集を睨むようにして見据えてくる。
勢いのある大声は、それだけ彼女が自分を心配してくれているからだろう。
「落ち着きなってぇ~、お嬢ちゃん。そっちは問題ないからさぁ~」
シャシャシャと慣れた手つきでトランプを混ぜながら、クラマが軽く笑っている。
「……ホントに?」
未だ、クラマを信じ切れていないのだろう来魅が集へと向けた視線の圧を強める。
だがこれは本当だ。少なくとも、次に起こすべき行動は見えている。
「大丈夫だよ、来魅ちゃん。僕の方はちゃんと進んでるから」
「そっか――」
来魅が顔つきを緩めて、小さく安堵の息をつく。
それを見ていたクラマが「クックック」と何やら思わせぶりな笑い方をする。
「なるほどねぇ~、集ちゃんよぉ~」
「何ですか……」
こっちを流し見てくるクラマに居心地の悪いものを感じ、集は顔を背けた。
それに反応することもなく、クラマは次に来魅の方へ話を移す。
「そっちのお嬢ちゃんは母ちゃんが不倫してて、自分有利で離婚するためにお嬢ちゃんと弟さんを捕まえるよう、変な連中に依頼してるんだったよねぇ~」
「そうだよ。だから、ミキを探さなくちゃ……」
クラマの語る内容に、来魅の顔つきがまた一瞬で引き締まる。
その間も、クラマはトランプを混ぜ続けていた。
「お嬢ちゃんさぁ~、異面体って知ってるかい?」
「すきゅら……? 何、それ……?」
「さっきの魔法と同じさぁ~。『出戻り』が使える特別な能力のことだぜぇ~」
そう言われても来魅はピンと来ていないらしく、その顔に疑問符が浮かぶ。
「ライジってのがあんたや集ちゃんの居場所を当てたのも、多分、その力さぁ~」
「あたしを探し当てた能力……」
「そうそう。でさ――」
クラマはそこでトランプのシャッフルを止める。
そして彼は、見事な手さばきでトランプをテーブルの上に並べる。
「こいつが、俺ちゃんの異面体なワケ」
「えっ」
さすがに意外すぎて、集も変な声を出してしまった。
話の流れから、クラマが異面体を使うとは思っていたが、もう使っていたとは。
「このトランプが、すきゅら?」
「そうだぜぇ~。『賽縁符』っつってね。失せもの探しができるんだよ」
失せもの探し。
それが、クラマの異面体の能力だということか。
「バーンズ家にスダレちゃんが生まれるまでは出番が多かったんだぜ~、これでも」
スダレについては、集も知っている。
異世界におけるアキラの三女で、情報については比類なき能力を持つという。
「あの子に頼れば、俺ちゃんがこいつを使う必要もないんだろうけどねぇ~。それについちゃあ、ないものねだりってヤツでしょ~。ま、事情は人それぞれよねぇ~」
「そう、ですね……」
集はそう答えるしかない。
アキラとその家族には頼りたくない。それは完全に彼のエゴであるのだから。
「このトランプで、何がわかるの?」
集の抱えるものなど知る由もなく、来魅が興味深げにサイエンフを眺めている。
「お嬢ちゃん、この中から一枚選んで裏返してみなよ。そうすりゃあ、おまえさんの弟のことを知ってるヤツがわかるぜぇ~。保証してやるよ」
「そんなの、わかるの!?」
「わかるんだなぁ~、これが。だから特別な力、っつったっしょ~?」
失せもの探しの能力。
それは、失せもの自体ではなく、それに関わる人間を知るための能力らしい。
「一つの事柄について一回しか使えないがねぇ~、割と便利だぜぇ~」
得意げに語るクラマだが、確かに有用な能力だと、集も思った。
「さぁ、来魅ちゃん」
「うん……ッ」
息を呑みつつ、集とクラマが見ている前で来魅がサイエンフに手を伸ばす。
そして、震える指先が触れたのは、ド真ん中の一枚。
「ミキ、絶対に姉ちゃんが助けるからね」
言ってひっくり返したその表面に何者かの顔が浮かび上がる。
「え、この人……」
それを目にした来魅が小さく息を呑む。
浮かび上がったのは男の顔。
集はその顔に見覚えがなかった。しかし、痩せぎすでやたら目つきが鋭い顔――、
「ライジ・クリューグ」
クラマがその名を告げた。
「そうだね、お嬢ちゃん」
「う、ん。そう。そうだよ。ライジって呼ばれてた人だよ……」
来魅の弟に今、最も深く関わっている人間。
それはよりによって、来魅を探している『裏事屋』のボス、ライジであった。
「こりゃまた、話がこじれそうだねぇ」
言ったクラマの顔からは、笑みが消えていた。




