第455話 宙船坂さん、犯人を知る
レストランを出た集は、その足で天月へと向かった。
途中、念のため電話をかけておく。
『……も、もしもし?』
聞こえてくる、ややおどおどした感じの少女の声。来魅だ。
「ああ、来魅ちゃんかい。僕だよ」
『集のおじさん……』
スマホ越しに来魅の安堵の気配が伝わってくる。
「何か緊張してた? この電話番号は教えておいたはずだけど」
『そーだけど、やっぱ初めてだからさぁ~』
言われてみれば、こうして電話でやり取りをするのはこれが初か。
「ごめんごめん。ところで、ちゃんと家にいるかい?」
『うん、大丈夫だよ。いるよ。お客さんとかも来てないよ』
今のところは何事もないようで、集も改めてちょっとした安堵を覚える。
「僕はこれから天月に出て、人と会って帰るから。夕方くらいになりそうかな」
『夕方……』
ちなみに、今は午後二時を少し過ぎたところだ。
『そっか……。うん、わかった』
と、来魅は言葉の上では了解するが、そこにある声の揺らぎを、集は察する。
「何か、あるのかい?」
『え?』
「気づいてないかもしれないけど、少しだけ声が震えてたよ」
『うそ……。何で気づけるのよ、そんなの』
来魅は随分と驚いているようだが、しかし彼女の声には動揺が表れていた。
自分でなくとも、それには気づけただろう。
「まぁ、経験則かな」
だがここは、そんな風に言っておく。
『…………』
返ってくるのは沈黙。しかしのどの奥に震えを残した、何か言いたげな沈黙。
『ぁ、あの、あたし――』
数秒待つと、来魅は小さな声で何かを切り出そうとする。だが、
『……ん、っと、何でもない』
そうやって途中でやめてしまうのだった。
集の背中を押してくれたときとは打って変わって、別人のようにおとなしい。
『大丈夫だよ、おじさん。あたし、ちゃんと家で待ってるからさ』
「弟さんを、探しに行きたいんだね?」
それを告げると、来魅の息を呑む音がはっきりと伝わってきた。
『どうして……?』
「昨日もそれを一番気にしてたから、かな」
『でも、行かないよ。大丈夫だよ、あたし。勝手なことはしないよ?』
来魅の声がさっきにも増して震え出しているのがわかる。
まるで目の前に彼女がいるかのように、不安や恐怖が目に見えてしまう。
「――来魅ちゃん」
『な、何……?』
「君はどうしたいんだい?」
『あたし、は……?』
「そうだよ。君はどうしたいんだい?」
確かめるべきはその一点。
当然、答えはわかり切っている。しかし来魅自身がそれを口にすることが重要だ。
今話していることは、永嶋来魅の問題なのだから。
『でもパパが……』
そこで永嶋之晴の名前が出てくるのは、それだけ彼の影響力が大きいからだろう。
しかし今はそれは関係ないのだ。
「先輩のことは気にしないでいいよ。君は、どうしたい?」
『あたしは――』
そこから、沈黙は一秒弱。
次に聞こえてきた声は、さっきよりも少しだけ大きかった。
『あたしはミキを探しに行きたい』
「じゃあ、そうしようか」
『…………。…………いいの?』
あ、キョトンとなってる。
これもまた、彼女が目の前にいるかのようにして理解できた。
「もちろん、君一人で行くのはなしだ。でも、このあと僕と合流してなら、いいよ」
『…………』
来魅は、さすがに絶句しているようだった。
しかし集も冗談で言っているというワケでもない。こうなることはわかっていた。
「ただ、外に出るなら居間のテレビの上に置いてある木彫りの猫のストラップを持ってくること。それが条件だよ。それを持ってきてくれるなら、外に出ていいよ」
『え~っと、ちょっと待ってね……』
パタパタと、小走りの足音が聞こえて、それからすぐに、
『わ、可愛い~! ちっちゃ~い!』
という、来魅のはしゃぐ声が続いた。
実際、それはストラップ程度の大きさしかない。それと丸っこくて可愛い造形だ。
「その猫はお守りみたいなものでね、いつもは持って外に出るんだけど、今日は忘れちゃったんだ。僕と合流するなら、それを一緒に持ってきてくれないかな?」
『え、それは別に構わないけど……。本当にいいの?』
「大丈夫だよ。それじゃあ、夕方に駅前で合流ってことで――」
そこから少しやり取りをしたあとで、集は電話を切る。
すると、すぐ近くに立っている何者かに気づく。
「ぃよぉ~、集ちゃん。誰と話してたんだ~い?」
「うわぁッ!?」
いきなり話しかけられ、不意を突かれた集は驚いて跳び上がる。
「オイオイ、失礼しちゃうねぇ~。その反応はよぉ~」
集の反応にケラケラ笑いつつ、話しかけた佐藤鞍間が「よぉ」と軽く手を挙げる。
「く、鞍間先生……」
「クッヒッヒ、い~ぃリアクションだったじゃないのぉ~、集ちゃんよ」
高校のときと変わらずニヤケヅラな鞍間が、集の肩をポンと叩く。
「久々だねぇ~、卒業式ぶりかい?」
「そ、そうなりますね……」
未だにドキドキしている胸に手を当てて、集は深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
実に十年以上ぶりに再会した恩師は、相変わらずのようだった。
この人はいつもそうだ。
人に気配を感じさせずにいつの間にか近くにいて、イタズラを仕掛けてくる。
それで担当教科が『倫理』なのだから何かが間違っている。
「さてさて、此度はどういったお呼びだしなんでしょうかねぇ~?」
「詳しい話は近くの喫茶店に入ってからで」
「OK~、コーヒー一杯、奢られちゃおっかな~」
「それくらいならいいですけど。……ところで、鞍間先生」
「へいへい?」
軽い調子で応じてくる鞍間に向けて、集は言った。
「僕は、金鐘崎アキラの父親です」
「へぇ~、そうなんだ。集ちゃんがダンチョの親父さん――、…………え?」
目を真ん丸にひん剥いて固まる鞍間――、クラマ・アヴォルト。
初めて、集がこの恩師にやり返せた瞬間であった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
喫茶店内。
「いやぁ~、びっくりしたわぁ~……」
アイスコーヒーにミルクを入れて、クラマが半笑いになっている。
「やっぱり知らなかったんですね、アキラと僕のこと」
「知らなかったねぇ~、わざわざ確認するようなことでもないからねぇ~」
ストローでコーヒーを一口啜るクラマに、集も「そうですね」と同調する。
「どうしてダンチョと離れて暮らしてるのかも、ま、特には気にしないさ」
「ありがとうございます。助かります」
「いいってことよ。……それで、俺ちゃんにどういったご用件で?」
旧交を温めることもせずに、クラマは本題へ入ることを促してくる。
この人のこういうところが好ましいと、集も感じる。
「はい、実はですね――」
と、集は今の自分が置かれている状況について、クラマに簡潔に説明する。
来魅のことについては別問題なので、そこは触れないでおいた。
「へぇ~、そりゃまた随分と難儀なことになってるねぇ~」
チュルチュルと音を立ててコーヒーを啜り、クラマが笑ったまま言ってくる。
「そうなんですよ、さすがに困ってまして……」
「いやいや、そっちじゃなくてさ。うん、集ちゃんの現状も難儀は難儀だけどさ」
「はい? じゃあ、何が……」
集が首をかしげると、クラマは「自覚あるでしょ」と言いつつ、指摘する。
「高校のときから明らかに悪化してるよねぇ、集ちゃん。その《《ぼっちグセ》》さ」
「…………」
集は、そこで黙り込んでしまう。
「昔っから集ちゃんはそーだったじゃん? 人間関係、あんまり波風起きないように立ち回って、相手でも一線引いた付き合いをしてたよねぇ~」
「……それは」
「今回の一件だって、ブチョさんが協力してくれるって言ってるのに断っちゃったんでしょ? それって何でだい? 明らかに手伝ってもらう方が楽でしょ~に」
マイペースに語り続けるクラマに、集はますます沈黙を重ねてしまう。
「集ちゃんはよ、根本的に人と深く関わることを諦めてるんだろ~?」
「――だったら」
ずっと押し黙っていた集が、クラマの指摘に対して短く反論をする。
「こうして、鞍間先生に頼ったりしてませんよ、僕がそんな人間だったら」
「だ~か~ら~さ」
クラマがストローから口を離した。
「集ちゃん自身が放っておけない誰かに言われたんだろォ~? 自分のことなんだからちゃんとしなさい、とかさぁ~。……違うかい?」
「うぐ……ッ」
言い当てられてしまったので、集は言葉を詰まらせる。
それを見て、クラマがニシシと笑った。
「や~っぱりねぇ~、自分だけだったら自分のことは後回しにするけど、自分に関わった誰かさんから言われたら、それができなくなる。いやはや、集ちゃんらしい」
「……勘弁してくださいよ」
集は、事実上の敗北宣言をしてうなだれる。
完全な図星であった。
こうしてクラマを頼ったのも、もとはといえば来魅に背中を押されたからだ。
それがなければ、きっと集はギリギリまで自分のことを後回しにしていた。
まさに今、目の前の恩師に指摘された通りに。
「あ~……」
どうやら宙船坂集は、自分で思っていたよりも永嶋来魅に気を許していたらしい。
それに気づかされた彼は、呻きつつ軽く天井を仰ぐ。
「そういうところに隙があるのが、実に集ちゃんだよねぇ~」
「十数年ぶりに会ってすぐにそれを指摘できるあなたも、やっぱり鞍間先生ですね」
本当に、この恩師は底が知れない。
こうやっていつもヘラヘラしていて、そのクセ、ズバッと本質を突いてくる。
「だから僕も、先生に頼ろうと思ったんですけどね……」
「俺ちゃんなんぞよりはるかに頼れる相手がいるクセにねぇ~」
「アキラには頼れませんよ」
そこで集はきっぱりとかぶりを振った。
「おやおや、そうなのかい? そいつは何でまた?」
「僕はあの子の父親です。あの子がアキラ・バーンズであろうと関係なく、僕は、金鐘崎アキラの唯一無二の血を分けた父親なんです。頼っちゃダメですよ、まだ」
まだ小学生の息子に頼る。
それはするべきではないと、集の中にいる父親としての彼が判断している。
「まだ、ね……。ニヘヘヘ、立派に父親やってるんだねぇ、集ちゃん」
「ただのエゴですよ。僕なんかが立派なはずがありません」
本当に『立派な父親』だったら、そもそもアキラは『出戻り』していなかった。
それを考えると、そもそも父親を名乗っていいのかすら怪しく思えてしまう。
「ま、いいさ。俺ちゃんも集ちゃんとこうしてお話できて楽しいしねぇ~」
「ありがとうございます」
深々とクラマに頭を下げて、集は懐から何かを取り出す。
「これを」
「およ、こいつは?」
集がテーブルに乗せたのはレコーダーだった。
「僕をハメたと思われる容疑者二人との会話が録音してあります。鞍間先生だったら、その二人の声から、どっちが僕をハメた犯人かわかるんじゃないか、と」
「オイオイ、無茶振りしてくれるねぇ~」
「美沙子からの又聞きになりますけど、異世界ではそういうこともしてたらしいじゃないですか。声を聞いただけで、相手の心理状態を正確に掴めた、とか」
その話を美沙子から聞いていたからこそ、集はクラマに頼ろうと思った。
「俺ちゃん、ダンチョの傭兵団じゃそういうことば~っかやらされてたからねぇ~。捕虜の尋問とか、そういうのさ~。まさか集ちゃんにもやらされるとはねぇ~」
「申し訳ありませんが、お願いします。先生くらいしか、頼れる相手がいないので」
「そう言われちゃ、仕方がないかねぇ~。いいぜ、再生しなよ」
促されて、集は「はい」とうなずいてレコーダーの再生ボタンを押す。
昼食時に繰り広げられた茜と兼樹との会話が、そこに短時間ながら繰り返される。
「ふぅ~ん、なるほどね。もういいぜ~」
「え、もうですか?」
再生を開始してから、まだ三十秒も経っていない。
だが、クラマは明らかに何らかの確信を得ているかのような態度を見せる。
「いや~、わかりやすいねぇ~。こりゃ何ともわかりやすい」
「わかったん、ですか……。僕をハメた犯人が……」
「おうよ」
彼があまりにも軽々しく言うので、さすがに集もポカンとなってしまう。
「一体、どっちが?」
「そりゃあ、もちろん――」
そして告げられた答えは、集にとって予想を超えるものだった。




