第454話 宙船坂さん、まずは派手に当たる
美沙子ほどじゃないけど、自分もやっぱり、押しには弱い。
駅に着いた集は、そんなことを思うのである。
それを差し引いても永嶋来魅という少女は押しが強かった。かなりグイグイ来た。
今の女の子ってみんな《《ああ》》なのかな。
都市部に向かう電車に乗って、集は不思議に思っていた。
なまじ、今まで接してきた女性が大体おとなしめだったこともあり、新鮮だった。
が、それはそれとして気が重い。
これから向かう先で会う相手のことを思うと、それだけで軽く気落ちする。
だが、すでに後戻りはできないところまで来ている。
話すべき相手にはとっくに連絡を入れて、今から落ち合うところだ。
普段はのんびり屋の集だが、動くとなれば迅速だ。
十年以上続けた社会人生活でその辺は磨かれている。今は社会人じゃないけど。
その証拠に、今日はスーツを着ていない。
私服姿でこの辺りに来るのは、いつぶりだろうか。
とはいえ、今の自分とは違って《《彼》》も《《彼女》》も多忙な身の上だ。
何とか確保できたのはお昼の一時間。
外で、食事をとりながらの会話となるだろう。
場所は向こうから指定された。
集もよく知る、個人経営のレストランだ。値段が安く味もそこそこ。
何より、頼んでからすぐに来るのが非常に助かる。
時刻は正午直前。
会社であれば、そろそろ昼食を何にするか考える頃だ。
と、ちょうそどのタイミングで空腹感を感じた。
やはり、体に染みついた習慣というのはなかなか抜けないものだなと思う。
歩いているうち、待ち合わせ場所のレストランが見えてくる。
すると、大きな窓ガラスの向こうに、ちょうど席に座る彼らの姿が見えた。
明るい雰囲気を持った女性と、几帳面そうな眼鏡の男性だ。
彼女――、渡会茜の方が集に気が付いて手を振る。
すると、彼――、志熊兼樹も同じように集に軽く手を振ってきた。
時刻は正午少し過ぎ。
解雇通達のきっかけとなったプロジェクトの主要な担当者がこうして揃った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
今さら、名刺を差し出し合うような間柄ではない。
三人は丸テーブルを囲うようにして座る。
「主任がスーツを着てないのって、何か新鮮ですね」
クリーム色のシャツを着ている茜が、集の格好を見てそんなことを言う。
その言葉に、ふちなしの眼鏡をかけた志熊兼樹が小さく笑う。
「おいおい、茜。今の集は主任じゃないぞ。宙船坂さんと呼んでやれよ」
「昨日の今日でそれは難しいですよ……」
と、茜は苦笑を見せる。
この二人は昨日までは集のもとで、副主任として働いていた。
職場と何ら変わらない二人のやり取りに、集もついつい笑みをこぼす。
「二人とも、注文は?」
「私と志熊さんはもう済ませましたよ」
「そう。じゃあ僕も――」
集はいつも頼んでいるメニューを注文して、運ばれてきた水を一口。
「さて……」
そしてその一声に、茜と兼樹も表情をにわかに変える。
かすかな緊張感が三人の間に生じる。
「まずは、いきなり呼び出してごめん。二人とも、来てくれてありがとう」
「いえいえ、大丈夫です。主任からのお誘いですし」
「まぁ、そういうことだな」
頭を下げる集に、茜も兼樹もそう言って首を振る。
「私は、入社時から主任にはお世話になっていますし、これくらいは」
「俺は、おまえとは同期だからな。知らない仲じゃない。遠慮はいらないぞ」
二人の言葉通りに、茜は集の五年後輩で、兼樹は集とは同期に当たる。
「ありがとう、二人とも」
再度礼を言ったのち、集は早々に本題を切り出した。
「時間がないから話に入らせてもらうけど――」
「はい、プロジェクトの件ですよね」
「あれか……」
茜は表情を固くして、兼樹は深々とため息をついた。
「おまえが解雇通達を受けたって話は、俺達も昨日聞いたよ。何事かと思ったぞ」
「ですよね。プロジェクトの中止と一緒に聞かされて、本当に驚きました……」
二人は、集を案じるような顔をしている。
それ自体はありがたいと感じながらも、集は話を前に進ませる。
「あの一件に関する機密データが、ごっそり持ち出されてたみたいだね」
「そう、らしいな。厳重に保管していたはずだったのに……」
「主任が疑われている主な理由って、やっぱりそこなんでしょうか」
茜の反応からして、之晴から突きつけられた証拠のことは知らないようだ。
「実は昨日、永嶋部長から証拠を見せられたんだよ」
「何? 証拠? そんなものがあるのか?」
驚く兼樹に、集はうなずく。
「一つは、僕の社用アカウントから情報の流出先に送られたメールのコピー」
「社用アカウントって、それ……」
基本、社用のメールアカウントは一人一つ。
その本人以外が使うことは固く禁じられているもので、茜も唖然となる。
「要は、集のパソコンから送られたメールってことだろう? そんなものが何の証拠になるっていうんだ。集のアカウントのパスワードがあればできることじゃないか」
「確かに、そうですね……」
憤慨する兼樹に茜も追従する。
そうだ、これに関しては兼樹の言うとおりである。問題は、もう一方。
「あとはね、電話音声を録音したものを聞かされたよ」
「録音……?」
「オイ、それってまさか――」
眼鏡の奥で瞳を丸くする兼樹に、集はうなずく。
「ああ。僕の声だった。……僕の声に聞こえた、が、正しいけどね」
「そんなものまであったのかよ……」
兼樹もが絶句する中で、集はゆるく首を横に振った。
「もちろん、僕にはそんな電話をした覚えはない」
「当然ですよ。主任は、機密情報をよそに売り飛ばすような人じゃありません」
「そうだよなぁ。集は隙は多いが、仕事は真面目にこなすヤツだからな」
隙は多い、というのは余計だよと思ったが、口には出さない。
代わりに告げるのは、別のことだ。
「どうして、わざわざ二人を呼び出してこんなことを話しているか、わかるかな?」
「ん? それは俺達の助けがいるからだろう?」
「そうですね。主任の冤罪を晴らすために、私達、当然協力しますから」
兼樹も茜も、さも当然のように言ってくる。
その言葉は嬉しくもあるが、残念ながら、二人は思い違いをしている。
「違うんだよ」
「え?」
「違う?」
集はうなずいて、単刀直入に告げる。
「僕は、君達二人のうちのどちらかが僕を陥れようとしてる犯人だと疑ってるんだ」
「は?」
「な、それは……ッ」
彼のカミングアウトに、兼樹は言葉を失い、茜は顔から笑みを消す。
しかし、集はリアクションを見せることなく、淡々とした調子で続けていく。
「二人の人間性がどうこうっていう話じゃないんだ。単純に考えて、真っ先に思い浮かぶのが君達二人なんだよ。だって、持ち出された情報に触れる権限を持つのは、僕以外じゃ君達だけなんだ。永嶋部長ですら、その権限は持ってないんだよ?」
最重要とまではいかないが、それなりの規模のプロジェクトだ。
しかも内容は取引先の新製品に関するもので、当然、情報管理は徹底されていた。
「僕はやっていない。なら、二人のどちらかと考えるのが自然だと思わないか?」
「ほ、本気で言ってるんですか、主任……?」
茜が顔を青くして尋ね返してくるが、冗談でこんなことを言えるはずがない。
「僕の今後がかかってる。悪いけど、本気だよ」
「ふざけるな!」
ガタッ、と、大きく音を立てて、兼樹が椅子から立ち上がる。
「お、俺達はおまえを心配してやってたんだぞ! それなのにおまえは、よりによって俺達を疑のか!? ずっと一緒にやってきた戦友の俺達を……ッ!」
「志熊。もう一度言うけど、僕の今後がかかってる。感情で判断を鈍らせて、掴めるものを取り零すようなことはしたくない。そのために今、僕はここで話してる」
一転して憤怒の形相を見せる兼樹と、全く動じずにいる集の様子は対照的だった。
「主任の言ってることもわかります」
茜が、目を伏せて息をつく。
「だけど、だからって私達を疑うなんてあんまりですよ。主任が抜けた穴を埋めるのに必死になってがんばってるのは、私達なんですよ? わかっていますか?」
「わかってはいるけどさ――」
「いえ、わかってませんよ。主任はわかっていません」
そこで集の言葉を遮り、茜も兼樹と同じように席を立つ。
「こんな話を聞かされるとは思っていませんでした。社に戻ります」
「俺もだ。全く、せっかく時間を取ったのに、こんな話だったなんてな……!」
まだ料理が運ばれてくる前にも関わらず、二人はテーブルに料金だけ置いた。
集はそれを止めようとはしない。ただ、その代わりというワケでもないが――、
「最後に、これだけ聞いてほしいんだ」
「何ですか?」
「何なんだよ……」
茜は固い声で、兼樹は露骨に不機嫌そうに集に反応を示す。
「僕の声の録音データを捏造した手段は、魔法か異面体だよ」
「「…………」」
囁くようなか細い声でのその言葉に、二人はそろって無言を返す。
その表情にも、一見しただけでは変化はなかった。
「バカバカしい」
「本当だよ、時間の無駄だったな」
そして、茜と兼樹は憤りを隠さずにレストランを出ていく。
一人残った集は、その後ろ姿を最後の最後まで眺め、観察し続けた。
「さて、どっちなんだか……」
あの二人のうちのどちらかが、自分を陥れた。
それはすでに確信している。だが、どっちがという点で、まだ絞り切れていない。
まずは二人の反応が見たくて正面から当たってみた。
返されたのはおおむね予想通りの反応で、しかし、決定打にはなりえなかった。
魔法と異面体、その両方を出してみてもそれは同じだった。
だが、それを場に出したことで、このあと何らかの動きを見せるかもしれない。
「――仕方ないか」
まずは派手に当たって、あとは流れに任せて進むのみ。
ただ、一人でできることは限られている。
それをよく知っている集は、スマホを取り出そうとする。
ちょうど彼が頼んだ料理が運ばれてきたので、先にそれを食べる。
そして集は、スマホでとある人物に協力を要請する。
「ああ、もしもし。鞍間先生ですか。僕です。宙船坂です」
『あれれ~、集ちゃんかい、こりゃまた随分とお懐かしい声じゃねぇの~』
その相手は集の高校のときの担任教師――、佐藤鞍間であった。




