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第44話 残骸は悔いを知らずに崩れ去る:後

 貫満隆一は、べっとりと汗をかいたその顔に、歪んだ笑みを刻んだ。

 そして言った。


「ガキってのはな、バケモンなんだよ」


 それは、俺の指摘に対する肯定とも受け取れる言葉。

 どうして殺した、などと問うつもりは、俺にはなかった。だが、


「あの日、謝りに来たんだよ。あいつは、俺の嫁さんを殺した、あの男は……」


 貫満は勝手に真相を語り始めていた。


「俺と息子の前で、あいつは泣いて土下座して謝ったよ。床に額を擦りつけて、ごめんなさい、ごめんなさい、と、ひたすら泣き声で謝り続けた」


 語る貫満の目は、俺達を見ていない。

 今、こいつの心は忘れがたき過去のあの日に、遡っているのだろう。


「何を今さらと思ったね。こいつがどれだけ悔いようと、俺の嫁さんは帰っちゃ来ない。どれだけ謝ろうが、謝って済ませられるものじゃない。だが、こいつは法的には罪を償い終えた身。しかも反省もしてる。いっそ、逆切れしてほしかったよ」


 貫満の妻を殺した犯人が喰らった刑期は、四年。

 それが人の命を失わせた代償として長いか短いか、俺には判断がつかない。

 だが、感覚だけでいうのならば、やはり短いとは思ってしまう。


「怒鳴りたかったさ。感情のままに、泣いて、怒鳴って、殴って、殴り殺してやりたかった。だが、俺は刑事で、隣には息子もいる。そして、目の前の犯人だった男はすでに罰を受け終えている。……怒りも憎しみも飲み込んで、許すしかなかった」


 許すしかなかった。

 言葉にすれば長くもない。だが、当時の貫満の無念は、もはや想像もできない。


「こいつの顔はもう見たくない。息子にも悪影響にしかならない。そう思った俺は、あいつにさっさと帰るよう言った。二度と俺達の前に顔を見せるな、ともな。するとあいつは、それで俺が許したとでも思ったらしくてな、今度は泣いて礼を言い始めた。ありがとうございます、と、何度も何度も、これまた床に額を擦りつけてな」

「……それはまた、何というか」


 無言でいることに耐えられなかったのか、ケントが短く零す。


「あいつは帰ろうとして、玄関に向かった。俺は、部屋に残った。色んな思いが、頭の中をグルグルしてよ、熱くなった頭を冷ますまで動けそうになかった。あいつへの怒りはある。だが、俺には息子がいる。あの子のことを思えば、迂闊なことはできない。嫁さんが遺したあの子を立派に育て上げることが、俺に残されたの使命なんだと、俺は自分に言い聞かせた。……そして気づいた。息子が、部屋にいなかった」


 貫満の息子が動いたのは、貫満が怒りを何とか抑えつけようとしてたときか。


「悲鳴が聞こえた。あいつの悲鳴だ。何よりも聞きたかった声だ。だが、俺じゃない。俺は、あいつに悲鳴をあげさせるようなことはしちゃいない。じゃあ、誰が? そこまで考えて、俺はハッとしてすぐに玄関に繋がる廊下に急いだ。……そこには、腹から血を流して倒れ伏すあいつと、血まみれの包丁を持った、俺の息子がいた」


 貫満の語り方は、とにかく臨場感に溢れていた。

 語り方が上手いのではなく、声に当時の感情がありありと表れているからだ。

 こいつの家なんて知らない俺でも、鮮明に想像することができた。


「立ち尽くす俺に、息子は言ったよ。『おとうさん、悪いやつをやっつけたよ』ってな。そして、俺に向かって屈託なく笑ってきた。その笑顔を見た瞬間、俺は世界が壊れる音を聞いた気がした。それから、気がつけば……」

「自分が、その包丁で息子を刺し殺してた、って感じか……」


 貫満の独白――、いや、自供が終わる。

 そしてそこから始まるのは、ベテラン刑事の恥知らずな自己主張だった。


「わかるか金鐘崎アキラ。ガキってのはな、残らずバケモノなんだよ。俺の嫁さんを殺したあいつも、あいつを殺した俺の息子も、人間の形をした、醜悪なバケモノなんだよ。そんなモノ、放っておけるか。生かしておけるか! 俺ァ、刑事なんだよ!」

「刑事だから、自分の息子を殺したのかよ、あんた」

「ああ、そうだ!」


 貫満は、あっさりとそれを認めた。


「俺は刑事だ、治安を守る存在だ! どんな理由があっても、人を殺して笑ってられるようなバケモノを放置できるワケがねぇ! だが法には限界がある。現行法じゃガキに与えられる罰はどうしてもヌルくなる。あいつらこそ、何より重く裁かなきゃならん存在だってのに、社会はガキに甘すぎる。だから、俺が裁いた! 何が悪い!」


 刑事を名乗る殺人者は、必死になって抗弁する。

 だがその様子は、俺達に向かって叫んでいるように見えて、その実――、


「貫満」


 俺は、そこを刺して抉る。


「おまえは自分を正当化しようとしてるだけだよ」

「な、にィ~……?」


「おまえは、自分の息子を殺した罪悪感から逃げ続けてるだけだ。ちゃんと、自分の中に自分の罪を感じ取ってる。ただそれを直視できてないだけだ。頭で理解しながらも、心が認めたくない。だから安いコスプレをしてまで、自分は刑事だから正しいことをしたんだと、自分自身に言い聞かせて無理矢理に自己正当化をしようとしてる」

「うるせェェェェェェ――――ッ!」


 果たして、俺の指摘が招いたのは、貫満の激昂だった。

 これまで見たこともない、それこそ獣のような顔をして、貫満隆一は荒れ狂う。


「うるせぇ、うるせぇ、うるせェェェッ! おめーなんぞに何がわかる! これから一生をかけて育てていこうと思った息子が、実は人を殺して笑うようなバケモノだと知ったとき、俺がどう思ったか、何を感じたか! 人生をかけた一大決意が全くの無意味だったんだと思い知らされたときの俺の気持ちが、わかるかぁ!」

「いや、わかんねぇよ。説明もされてないし、当事者でもねぇし。ただよぉ、俺だったらこうする。ってのはあるぜ。もし俺なら、っていう思考実験でしかないが」

「言ってみろ。俺はどうすればよかった。あのとき、何をすればよかったんだよ!」


 怒りのままに怒声を響かせ続ける貫満に対し、俺は自分の考えを述べる。


「褒めてやればよかったんだよ。よくやったと褒めて、そして、撫でてやれば」

「…………はぁ?」


 貫満が、間の抜けた声を出した。


「そもそも、あんただって犯人を殺したかったんだろ? だったら、あんたの代わりにそれをしてくれた息子を褒めるべきだったんだよ。叱るのも嗜めるのも、それからでよかった。こともあろうに殺すなんてのは、最悪の中の最悪、下の下の下だね」

「な、ぉ、おめー、何を……」


「あんたの息子も、あんたと同じようにその犯人が憎かったんだ。それだけ、母親を愛してたってことだ。けど、あんたは自らを厳しく律して、犯人を許しちまった。そのときのあんたの様子は想像に難くない。怒りを抑えるのに必死だったって言ってたもんな。息子さんからしたら、犯人があんたを苦しませてるように見えたのかもな」

「…………それは」

「あんたが自分を抑えず、溜め込んだものを犯人にぶつけていれば、みっともなく泣き喚いて妻を返せとでも詰め寄ってれば、もしかしたら、結果は変わってたかもな」


 俺が言葉を重ねると、貫満の瞳がブレ始める。

 さっきまで怒りに強張っていた体も、だんだんと小刻みに震えはじめている。


「貫満、あんたの息子はバケモノなんかじゃない。ただ、弱かったんだよ」

「弱かった、だぁ……?」


「そうさ。あんたは強いから我慢して、犯人への激情も抑えきることができた。だが、七歳の子供にもそれを押しつけた。そんなもの、ガキが耐えられるワケがねぇ」

「……違う。人間は。強い弱いじゃねぇ。正しいかどうかだ。それが全てだ!」


 いつかどこかで言ってそうなフレーズだ。

 だが、それは当たっちゃいるが、外れてもいる。貫満にゃわからんだろうが。


「人は正しくあるためには、ある程度の強さが必要なんだよ。強いから間違えるやつもいる。だけど、大抵の場合は弱いから間違える。弱いから、道を踏み外すんだ」


 そこで俺は軽く肩をすくめて「まぁ」と軽く呟く。


「俺からすれば、あんたの息子は大したモンだと思うけどな」

「な、何が……」

「だってそうだろ? 立派に母親の仇を討って、父親の無念を本人の代わりに晴らしたんだから、実際、大したモンさ。世の中には、弱すぎて『間違えるところにすら辿り着けない子供』だっている。前の『僕』や、ここにいるケントみたいにな」


 言うと、ケントは苦い顔をして、俺の脳裏には苦しかった数々の記憶が蘇った。

 あ~、辛い辛い。出戻った今でも、あの頃の記憶はキッツイわ~……。


「――俺は、間違ってねぇ」


 そして、貫満はこの期に及んでもまだ自分を正当化しようとし続ける。


「間違ったのはあいつだ、そして俺の息子だ。俺は刑事としてそれを正当に裁いた。それだけだ。俺は間違ってねぇ。俺は、俺は間違ってねぇ。俺は正しいんだ!」


 そうかよ。ああ、わかったよ。もう、わかったから。


「ねぇ、おとうさん」

「…………ッ!?」


 呼びかけると、貫満隆一は言葉を止めて息を呑んだ。

 俺の足元から力が湧きつつある。それは渦を巻いて、俺の周囲に放たれている。

 その力にあてられた貫満は、俺の姿に息子を幻視しているはずだ。


「り、隆之介、おめぇ、何で……ッ」

「おとうさん、僕、やったよ。おかあさんをころした悪いやつを、やっつけたよ」

「ぅ、ああ。あ……、あ、あぁ、あ……」


 貫満が、一歩後ずさる。俺はその分、一歩近づく。


「ねぇ、おとうさん。どうして? 何で、僕をころしたの? ねぇ、どうして?」


 さらに貫満に迫って、俺は、かつて父親だった残骸に言葉をかける。


「ねぇ、おとうさん。僕、しにたくなかったよ」

「うわァァァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!」


 貫満隆一が決壊した。

 その場に跪き、両手に抱えた頭を左右に激しく振りながら絶叫する。


「俺は悪くねぇ、俺は、何も間違ってねぇ! 悪いのはおまだ、隆之介! おまえが間違ったんだ! おまえが人なんか殺すから、俺がおまえを殺さなくちゃいけなくなったんだろうが! 俺のせいにすんじゃねぇ、俺は悪くねぇ! 俺は正しいことをしたんだ、刑事の俺がすることは、正しいに決まってるんだ! 隆之介、悪いのはおまえだ! 俺は悪くねぇ! 間違ったのはおまえだ! 俺は間違ってねぇ! 隆之介、隆之介ェェッ! あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!」


 ああ、そう。

 この期に及んであんた、自分の非を認めることもできないと。ああ、そう。


「なぁ、貫満隆一。何で俺が、わざわざ傷を抉るようなことをしたと思う?」


 力が渦を巻く。

 そしてそれは徐々に濃さを増し、黒い火の粉となってチリチリと音を立てる。


「俺は別に、あんたの贖罪に興味はないんだよ。ただ、あんたにやり返したかっただけだ。よりにもよってあんたは、ただの逆恨みでケントを狙った。それで十分だ。理由はそれで十分だ。貫満隆一、あんたはとっくに、俺の恨みを買っている」


 黒い火の粉は俺の周りにさらに渦を巻いて、そして、俺の背後に形を取る。

 それはマガツラ。俺の異面体。

 今度はそれが、脆くも崩れて力の本流と化していく。


「団長、それは一体……」


 轟々と唸りをあげはじめる黒い炎の渦巻に、ケントが大きく目を剥いた。


異面体(スキュラ)には、先があるんだよ」


 黒炎の渦の中にあって、俺は静かな声でそう返す。


「常時には使うことのできない、第二形態。異面体が司る精神の一面が極限を超えて高まったとき、はじめて使用可能になる、魂の形の具現。己の異面体との一体化」


 マガツラが司るのは、俺の中の『怒り』。絶えることなき、破壊の衝動。

 黒い炎が俺の全身を巡り、形を成していく。


 長く伸びた灰色の髪、赤い瞳に、全身を包む漆黒の装甲、額に伸びる黒い二本角。

 マガツラをそのまま凝縮したかのようなこの姿こそ、形となった俺の『怒り』。


異能態(ガリュブディス)――、兇貌刹羅(マガツラ・セツラ)


 この世界で俺をこの姿にしたのはあんたが初めてだよ、貫満隆一。

 とてもじゃないが、抑えきれそうにない。


「な、何だ……、『異階』が、揺れてる……?」

「悪いな、ケント。この姿になると力が大きくなりすぎて『異階』壊れるんだ」

「何を言ってるんですか、あんた!?」


 仰天するケントに軽く苦笑し、俺は一歩踏み出す。

 それだけで、地面と空間に黒い亀裂が入った。時間はかけられない。


「見ろ、やっぱりバケモンだ! 何て姿だ、金鐘崎アキラァ!」

 

 そこに、狂気じみた笑みを浮かべている貫満が、そんなことを言ってくる。


「やっぱり俺は正しかった! おめーバケモノだ、バケモノが人のフリをするんじゃねぇ! バケモノが、この、バケモノがァ! ヒハッ、ハハ、ハハハハ!」

「逆だ、貫満隆一」


 俺は騒ぐ貫満の首を右手で掴み上げる。


「ぃ、ぐ、が……ッ!」

「俺達は人のフリをしたバケモノじゃなく、バケモノのフリをした人間だ」


「な、にを……ッ」

「貫満隆一。おまえは間違った。おまえは刑事じゃない。おまえは正しくない」

「ふ、ふざけるな、ぉ、俺は間違っ……、がっ、俺は、刑事……」


 まだ減らず口を叩こうとするその首を、俺はギリギリと締め上げていく。


「ぁ、あ、ぁ……!」


 貫満は目を見開き、大きく開けた口から泡を吹きながら、足を激しくもがかせて両手で必死に俺の腕を離させようとする。が、構わす俺は締め続けた。


「ぁ、わ、わかっ、認め、ぉ、俺が間違っ、謝る、だから……!」

「いいや必要ないね。あんたにゃ、懺悔も許さねぇ。今ここで、火あぶりだ!」


 瞬間、貫満隆一は真っ白い炎に包まれた。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――ッッ!!?」

「熱いか? 痛いよな? 苦しいだろ? こいつは『亡却業火(オーバーブレイズ)』。あんたの存在を根底から焼き尽くす、終わりの炎さ」


「こ、こがね、ざき、金鐘崎、(アキラ)ァ……、あああああああああああああああッ!」

「あんたら大人がそんなザマだから、俺達はこうならざるを得なかったんだよ」

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――ッ!」


 炎に焼かれ、貫満の体は炭化するのではなく、逆に色が薄くなっていく。

 肌色も白くなり、その白もどんどん薄まって、ついには透明にまで至ってしまう。

 やがて、全身が燃え尽きた貫満は、硝子の像となった。


「じゃあな、貫満隆一。あんたのことは、すぐに忘れてやるよ」


 俺は告げて、手に力を込め、貫満隆一だった硝子の像を一思いに握り砕いた。

 澄んだ音がして、粉砕された破片が『異階』の中に散っていく。そして、


「……あれ?」


 ケントが、ポカンとした顔で辺りを見回す。


「あの、団長。俺達、誰とやり合ってたんですっけ?」


 こいつの中からはもう、貫満隆一の記憶は全て消え去っている。

 世界から存在そのものを抹消する亡却の炎。それが、俺の異能態の能力だった。


 ――自分は刑事だと嘯いた殺人者の残骸は、灰になることも許されず、退場した。

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