第388話 元旦/午後/女傭兵と三日星のお殿様
時間を、わずかばかりさかのぼる。
金鐘崎欣司の質問は、単刀直入だった。
「おめぇ、何モンだ?」
金鐘崎美沙子の返答もまた、単刀直入だった。
「金鐘崎美沙子さ。アンタが知ってる美沙子じゃないだけさね」
このとき、すでに近くで、死ぬまで止まらない殴り合いが繰り広げられている。
美沙子はそれを気にすることなく欣司を凝視している。
そして欣司もまた、一般人であるにも関わらず一切の動揺を見せていない。
「大した胆力だね、こんな状況だってのに」
「何が『こんな』だァ。おめぇがやらせたクセによぉ」
「……《《やらせた》》、ねぇ。アンタらしい解釈だよ、欣司」
周りの喧騒など関係なく、二人は互いにのみ集中する。
「ったく、そっちで勘当したクセに、勝手に呼びつけて何かと思ったら『再婚相手を決めた』と来たもんだ。アキラじゃないけどね、笑っちまうよ、そんなのは」
「うるせェ、勘当についちゃ、悪ィのはおめぇだろうがよォ」
「それについては否定はしないさ。ああ、『あたし』がバカだったよ、本当にね」
岩が転がる音にも似た、重くて低い欣司の声。
その声による反論を受けて、美沙子は認めると共に肩をすくめる。
「でもねぇ、それにだってあるんだよ。ちゃんとした恨み言がね」
ここで美沙子は『言い分』でも『言い訳』でもなく『恨み言』という言葉を使う。
「ンだとォ……?」
「アタシがここに来た理由は二つさ、一つはアンタと本家に縁切りを宣言すること。もう一つが『あたし』が溜め込んでた恨み言をアンタにぶつけてやることさ」
未だ、一段高い場所に座したままでいる欣司は、その瞳ににわかに力を込める。
「何言ってやがる。俺のせいにすんじゃねェよ。おめぇは俺だけが育てたワケじゃねぇだろうが。おめぇ弱ェのは、おめぇ自身が悪ィんだよ。ふざけんな」
「ハハンッ、それこそ『ふざけんな』だねぇ。自分の所業を棚に上げんじゃないよ」
動じない欣司に対し、美沙子はそんな彼を鼻で笑う。
「今の言い方で言うなら『あたし』は親ガチャってヤツに失敗したんだろうねぇ。別に、金が欲しいワケでもなく、気弱なのも生まれつきだろうが、そんな気弱な性格で生まれるにゃ、金鐘崎家は最悪の環境だったよ。全く、我がことながら気の毒さ」
異世界では、希代の殺人者として生を受けたミーシャ・グレン。
その彼女がこちらの自分の出自について憐憫を催す。本当に哀れでならない、と。
「あァン? 何が問題だってンだァ? しっかりと養育してやったろうがよォ」
「本気で言ってるのかい?」
欣司が返した答えは、美沙子としてもなかなかに信じがたいものだった。
いや、父親がこういう男だからこそ過去の自分は《《ああ》》なったのか。
「俺ァ、必要なときに必要な分の金は出してやってただろうがよォ」
「金を出せば親の責任果たせると思ってるなら、そいつは大間違いってモンだよ」
もちろん、金銭は必要だ。
子育てをする上での最重要項目の一つではあるだろう。
美沙子とて、そんなことは重々承知している。彼女とて母親なのだから。
「でもね、それだけじゃないだろ。人を育てるってのはさ」
「美沙子ォ、おめぇが俺に説教かァ? ウチの恥だったおめぇがよォ」
「笑わせないでおくれよ、欣司。ウチに誇れる人間が一人でもいたってのかい?」
過去の自分の記憶をほじくり返し、胸に湧くのはただただ苦々しさばかり。
「崟吾は虚栄心ばかりの、親の七光りを振りかざすだけの見栄っ張りの小物。妹の美智子は強い誰かに寄り添ってないと何もできない、媚びへつらうだけのクズ。そして『あたし』は母親の美喜子同様に、何かに流されてないと安心もできない臆病者さ」
チラリと、恐怖に固まっている崟吾の方を見て、美沙子はため息をつく。
「そんな人間しかいない金鐘崎家のどこに、外に向かって誇れる要素があるってんだい? ねぇ、欣司。アタシが今言ったことは、どこか間違ってるのかい?」
「…………」
欣司の表情に変化はない。しかし、無言を返すのは初めてだった。
美沙子が数秒待つ。その耳に、欣司の舌打ちの音が届く。
「そんなモンはおめェらが悪ィだけじゃねぇか。何だァ、教育に失敗したら全部親のせいッてのか? ざけんじゃあねぇぜ? そんなワケねぇだろうがよぉ!」
欣司が怒鳴る。そこから放たれる圧を、美沙子も確かに感じる。
この男は『出戻り』でもなさそうなのに、これだけの威圧感。傑物ではある。
「……伊達でお殿様をやってるワケじゃないんだねぇ。けどさ」
それとて、美沙子の心を震わすにはまだまだ足りない。
「教育の失敗は、子供にだって責任はあるんだろうさ。教えてもらったことを学ばない選択をするのはその子自身なんだからね。――つまり両成敗さね」
「……あァ?」
「わからないとは言わせないよ、欣司。『あたし』らが《《こう》》なった責任は『あたし』ら自身にだってあるさ。でも、アンタにだってあるんだよ」
美沙子が、欣司を見下ろし、強く睨みつける。
咎めるような彼女の視線を全身に浴びせられて、欣司はコメカミをヒクつかせた。
「わかるかよォ、ボケが」
「それが、アンタの返事なのかい、欣司」
「俺に逆らうおめぇらが悪ィんだよ。俺ァ、金は出してやった。必要なことも全部決めてやった。だってのに、何で逆らう? ワケわかんねぇ。今回の再婚だって、せっかく俺が決めてやったってのに、自分には婚約者がいますだァ? 認めるかよォ」
これまでになく饒舌に、欣司が語る。
しかし、その内容は依然として自分の正しさの主張のみ。美沙子が顔をしかめる。
「欣司……」
「美沙子。おめぇはよォ、俺に従ってりゃいいんだ。それが、おめぇにとって一番幸せな選択なんだよ。おめぇが勘当されたときのことを思い出せば、わかんだろ」
言われて、美沙子の中に否応なしにそのときの記憶がよみがえる。
彼女が本家から勘当をくらったのは、源三に脅されて集を陥れて離婚した直後だ。
あのときの『自分』は、ただただ源三に流されて、言いなりになっていた。
あるいは、実家に相談すれば何とかなっていたのかもしれない。
しかし、そこで『相談する』という選択ができないから、源三につけ込まれた。
そういう弱い人間だったからこそアキラが『出戻り』するハメになったのだ。
「おめぇのやることなんて失敗するに決まってんだよ。集との離婚がいい例だろうが。そのおめぇが、よりによって新しい婚約者だァ? バカ抜かすなよぉ。そいつの本心なんて、おめぇに見えるワケねぇだろ。また騙されて金とられて終わりだよォ」
「言ってくれるねぇ……」
美沙子の心の中で、少しずつ怒りの熱が沸いていく。
彼女は、アキラとは違って怒りを爆発させるタイプではない。静かに放つ性格だ。
怒りの熱が高まるごとに、心の芯が冷えていく。そういう冷たい怒り。
「そういえばそうだったね、だから『あたし』は『あたし』になったんだ」
「あァ? 何の話だァ……?」
「アンタは人の親になるべきじゃなかったって話さ、金鐘崎欣司」
美沙子が、欣司を見下す。見下ろすのではなく、上から見下している。
「おめぇ、その目ェ、やめろや」
「って言われてもねぇ、今のアタシにゃ、アンタをこう見る以外にはできないよ」
「やめろって言ってんだよォ、美沙子の分際でよォ」
欣司の口から出たその一言に、美沙子は、自らの表情に冷笑を加える。
「ほら、それさ。……分際ってのは、何だい? 『あたし』をこうしたのはアンタだろ。なのにその言い草、親を気取るならその責任転嫁はあり得ないだろうにねぇ」
「……俺をそんな目で見るんじゃねぇ」
欣司の顔に、今までになくイラ立ちが目立ち始める。
眉間に寄ったシワが、深くなっていく。
「アンタは、支配者としてはいっぱしなんだろうさ。このつまらない三日星で、お殿様を気取る程度の才能と実力はあったんだろうね。でも、親としては最低だよ」
「うるせぇな、おめぇに何がわかるってんだ」
「わかるさ。アタシだって人の子で、人の親だよ。なら、わかるに決まってるだろ」
イラ立ちを増していく欣司は、紡ぐ声も徐々に大きくなっていく。
「おめぇらが俺に逆らわなきゃいいんだよ。それで万事上手くいくんだ。これまでそうだったろうがよぉ。それを、くだらねぇ理由で逆らいやがって、おめぇはよぉ」
「何が上手くいってたって? 小・中・高通して『あたし』がどんな思いをしてたか、知りもしなかったクセによく言うよ。その目、腐ってんじゃないのかい?」
美沙子の声も、欣司に合わせて大きくなっていく。
思い返されるのは、前に自分の苦境を目の前の男に話そうと考えたときの記憶。
毎度毎度、小夜子と美智子に嫌がらせをされて、精神的に参っていた。
美喜子に話したところで、ことなかれ主義を貫くあの母親は、それを握り潰した。
辛かった。苦しかった。
泣いてもわめいても許しを乞うても、小夜子も美智子も、笑うばかりだった。
崟吾に話しても、めんどくさがられて終わりだ。過去に試してそうだった。
ならばもう、残された手段は欣司に頼ることだけ。
だが、欣司のリアクションは他の誰よりもひどかった。
そもそも話を聞いてくれない。いつだって『忙しい』か『今度にしろ』だ。
やっと話せたかと思えば、幾分も話さないうち『つまらないこと』と一蹴された。
「アンタにとっちゃ、子供のことなんてのはほんの些事だったんだろうさ」
殊更強い口調で恨み節を叩きつけ、美沙子は「ハハンッ」と欣司を鼻で笑う。
「アンタは支配することでしか他人と繋がれない男さ、金鐘崎欣司。だから崟吾はああなって、美智子もああなって、『あたし』はこうなったのさ。そこに当人の責任があったとしても、アンタにだって責任があるんだ。逃がしゃしないよ」
「うるせぇな、おめぇは俺に従ってりゃいいんだ。それがおめぇの幸せなんだよ!」
「月並みな返しになるけどね、アタシの幸福をアンタが決めるんじゃないよ!」
両者、一歩も引かず。譲らず。
美沙子は己の恨み言をぶつけて、欣司のは己の持論を曲げることをしない。
完全なる平行線。決して交わることのない、両者の主張。
「こうなることはわかってたさ」
だが、美沙子としてはそれも当然、織り込み済み。
「ちょっと娘に反論された程度で動じるアンタじゃないのは、わかりきってたことだよ。でも、言わずにはいられなかったんだよ。これは『あたし』の恨み言だからね」
「美沙子、おめぇ――」
「言うだけ言ったら、あとはアキラに任せるさね。アンタが今さら何を言ったところで、アタシは今日で縁切りさ。あとは適当にお殿様でも何でもやってりゃいいさ」
ここまで数十年分『美沙子』が溜め込んできたことを、彼女は存分に口に出した。
それが終われば、あとはどうでもいい。金鐘崎の姓は名乗るが、名乗るだけだ。
「おめぇ、俺がそんなこと許すと思ってんのかァ?」
「許さなきゃどうなるってんだい?」
問い返し、美沙子が肩越しに見るのは八雲の姿。
「ああ、那岐和の親父さんの力でも借りようってのかい? いいよ、やってみな」
「……何ィ」
まさか、堂々と突っ返されるとは思っていなかったのか、欣司が片眉を上げる。
「やってみなよ、国会議員サマの力でも何でも使って、アタシから何かを奪ってみればいい。ただその瞬間、アンタは滅ぶよ。死ぬんじゃないよ、滅ぶんだ」
「…………ッ」
このとき初めて、美沙子は欣司に向かって殺気を放った。
希代の殺人者であったミーシャ・グレンの、『敵』にしか見せない本気の殺気だ。
欣司は表情を動かさない。だが、その頬を一筋の汗が伝い落ちた。
「滅ぶのはアンタだけじゃない。この家も、この街も、那岐和の家も、何もかもがこの日本から消えることになるんだ。それをよく考えて、モノを語りな」
「おめぇは……」
「アンタは父親として最低さ。それが、アタシの言いたいことだよ」
ズケズケと言いたいことを言い続けて、美沙子は欣司から視線を外す。
「話は終わりさ。あとは、アキラに仕返しされちまえばいいよ」
そして、美沙子は話を一方的に打ち切る。
元より自分の言い分を欣司が認めないことはわかっていたことだ。
ここから先はアキラに任せればいい。
自分よりずっと仕返しが上手な息子が、自分の分までこの男を苦しませてくれる。
それで欣司の悲鳴を聞けたとして、それで『あたし』の溜飲は下がるのか。
さすがに、そればかりはわからなかった。実際に悲鳴を聞いてみないことには。
「さて……」
欣司との話を終えた気になって、美沙子が彼に背を向けようとする。
「待ちやがれ、美沙子ォ!」
だが、その背中に、欣司が怒鳴り声を浴びせてきた。
それに驚く美沙子ではないが、欣司が怒鳴ったというのが少しばかり意外だった。
「何だい、まだ言いたいことがあるってのかい?」
美沙子が向き直る。
自分の話は終わったが、欣司に言いたいことがあるなら聞いてやろうじゃないか。
それで結局同じ主張しかしてこないなら、今度こそ愛想を尽かせられるだろう。
「美沙子、おめぇは――」
欣司が美沙子を睨みつけて、何かを言おうとする。
アキラが切迫した声で叫んできたのは、まさにそのタイミングであった。
「お袋、そっちに行ったぞッ!」
美沙子が、反射的にアキラの方を振り向く。
すると、目に入ったのは迫りくる赤い人型の影。両手に影の大鎌を握っている。
「――異面体!?」
人の形をした赤い影が、驚く美沙子めがけて大鎌を振りかぶる。
美沙子は自身の異面体である『裟々銘器』により、拳銃を手に生み出そうとする。
だが、影が速い。
美沙子が驚きから脱するまでの短い間に、間合いを一気に詰めてくる。
大鎌が美沙子を狙う。避けられない。そう思った。だが、
「おぉらァッ!」
いきなり、美沙子は横合いから突き飛ばされた。
誰がと思って見てみれば、自分を突き飛ばしたのは、金鐘崎欣司!?
「な、お父さ……」
目を見開く美沙子の前で、赤い影の振るった大鎌が欣司の体を薙ぎ払った。




