第374話 聖夜のバーンズ家/佐藤と田中と桜井ちゃん
太くて、硬くて、大きくて、そそり立っている。
それがエンジュ・レフィードの抱いた感想であった。
何に対する感想か。
決まっている、クリスマスツリーに対する感想だ。
「え、これ、本物のもみの木なの?」
「いや、それっぽい木を選んできただけだ。飾りつけはラララがやったぞ」
娘に問われたタイジュが、ツリーを見上げてぶっきらぼうに答える。
庭である。田中んチと佐藤んチにまたがっている庭だ。
そこに、タイジュの背丈の二倍はありそうな大きなツリーが植えられていた。
全体に雪の代わりの白い綿が置かれ、電飾もピカピカしている。
頂点にはもちろん星。
どこからどう見ても、誰が見ても、立派なクリスマスツリーであった。
「近くの山から適当な木を選んで、収納空間に入れたんだ」
「そう考えると収納空間ってすごい便利ね……」
二人は、庭の縁側に座って話している。
田中んチの方では、ラララが物置に使っている部屋で何やらガサゴソ。
「ねぇ、お父さん」
「どうした、エンジュ」
「私、ここにいていいのかな?」
「ん?」
いきなり妙なことを言い出したエンジュに、タイジュが軽く眉を上げる。
「何だ、どうかしたのか?」
「だって、今日はお父さんとお母さんがこっちで再会して初めてのイヴでしょ」
エンジュとしては、二人水入らずにした方がいいのではないか。
そんな風に考えてしまっているようだった。
「変わらないな、おまえは」
「え……」
「生真面目というか、心配性というか。いつもそうやっていらない方向に気を遣う」
「だ、だって……」
「再会して初めてのイヴというなら、おまえだって同じじゃないか」
「それは、そうだけど。……でも、私は」
「それがそうなら、それがそうなんだ。それ以上、何かを付け足す必要はない」
静かな、しかしどっしりとした重みをもったタイジュの物言い。
それだけでエンジュは何も言えなくなってしまう。彼の言葉が嬉しくて。
「わかった。それじゃあ、遠慮なくお邪魔させてもらうね」
「是非、そうしてくれ」
微笑むエンジュに、タイジュは鉄面皮のままうなずいた。
「だけど、よかったのか」
今度は逆にタイジュからエンジュへの質問。
「おまえにはこっちでの家族がいるんじゃないのか」
再会したとき、エンジュはこっちでの家族を『好きじゃない』と言っていた。
だが、それでも家族は家族だ。少し気になって、タイジュは尋ねてみる。
「いいの、気にしないで。あっちはどうせ私がいなくても全然気にしないだろうし」
エンジュの返事は乾ききっていた。
タイジュは、己の『超嗅覚』によってそこにあるモノをしっかりと嗅ぎ取る。
「……親への情は尽きてるのか」
「…………」
エンジュは無言でタイジュから顔を背ける。
一瞬、その瞳が忌々しげに細まったのを、タイジュは見逃さなかった。
「お父さんとお母さんがいてくれる。それだけで、私にはもう充分なのよ」
「わかった、俺はもうきかないよ」
「うん。ありがとう、お父さん」
二人の会話がそこで一旦途絶える。ちょうど、そのときだった。
「あった~! やっと見つけた~!」
田中んチの方から、ラララの嬉しげな声が聞こえてきた。
「……何やってるのかしら、お母さん」
「さぁな」
ドタドタと駆けてくる足音が聞こえて、ラララが庭にやってくる。
その手に抱えているのは、随分と年季の入ったラジカセだ。
「あったよ~! タイジュが歌ったクリスマスの歌のカセット!」
「え」
「おい」
驚くエンジュと、眉間にしわを寄せるタイジュ。
ラララはそんなものはお構いなしに、ラジカセを縁側に置いて再生しようとする。
「待て、ラララ。流れるようにして爆弾に着火しようとしないでくれ」
「え、何で? タイジュが七歳のときの歌だよ。すごい可愛いよ。聴きたくない?」
「聴きたい!」
母親の提案に、娘までもが歓喜と共に賛同する。
一人取り残された父親は、顔こそ表情の変化はないが、一気に汗まみれになる。
「やめろ。やめてくれ」
「やーだー!」
「聴きた~い!」
無表情のまま、残像ができる速度で首を振るタイジュの前で、ラララが歌を再生。
『も~、い~くつねぇ~る~とぉ~、お~しょお~が――』
ラララが歌を停止。
「…………あれ?」
停止ボタンを押したポーズで固まって、ラララが頭の上に疑問符を浮かべる。
同じように『あれ?』という感じになっているエンジュが、ラララに尋ねてくる。
「あの、お母さん。今の歌声、お母さんの――」
「え、違う違う。そんなまさか、そんなことあるワケないでしょ~!」
顔を赤くしてラララが必死になって否定する。
しかし、腕を組んだタイジュが、反撃とばかりに瞳をキラリと輝かせる。
「ラララの声だったな、今の。覚えてるぞ、おまえが六歳のときに歌ったヤツだ」
「何でそんなの覚えてンのよぉ~!?」
ラララは、入れるカセットを間違ってしまったようだった。
「今のお母さんの歌、可愛かったわね~」
「やめて、やめてください」
ほっこりしているエンジュに、ラララが半泣きになる。
さっきまでのタイジュと立場が逆転している。
「それよりも、なぁ、ラララ」
「ぅぅぅ、何……?」
打ちひしがれているラララにタイジュが近づいて、何やら耳打ちする。
エンジュが『何かな?』と見ていると、ラララが血相を変えて両肩を掴んできた。
「エンジュ? 何かこっちの家族に問題があるの? そうなの?」
「ちょっ、お父さん!?」
タイジュが母に告げたのは自分のことだと、エンジュは確信する。
そんな、もうきかないって言ってたのに。
「いや、俺は『俺はきかない』と言っただけだから」
「表情一つ変えずに、いけしゃあしゃあと~!」
「どうなの、エンジュ? 何か辛いことがあるなら全然話してくれていいのよ?」
こうなると、ラララはグイグイやってくる。
エンジュも押しに弱いワケではないが、相手がラララだと途端に防御が甘くなる。
母が自分を本気で心配してくれていることが伝わってくるからだ。
「エンジュは我慢強くはあるが、それだけについつい余計な我慢をしがちだからな。人生に我慢は必要だが、しなくていい我慢はしなくていい。それだけの話だぞ」
「そうよ、お父さんの言う通りなんだからね?」
「もぉ~~~~!」
異世界での両親に、エンジュは困ったように声をあげる。
だが、自分でもわかってしまう。その声は明らかに弾んでいた。嬉しいのだ。
「……こっちだと、私はもらわれっ子なのよ」
ついに観念し、エンジュがこっちでの家族について語り始めた。
「生みの親は顔も知らない。気がついたら施設に入ってたから。それで、子供ができなくて悩んでた桜井夫妻が私を養子に引き取って、育て始めたの」
「ふむ……」
今の両親がエンジュを養子にした。それだけなら、問題がある話には思えない。
「だけど、その二年後に今の私の母親、桜井雛子が妊娠したの」
「ああ、なるほどな。……そういうことか」
タイジュがうなずく。
今のエンジュが置かれている環境が、大体わかってしまった。
「家に居場所がないんだな」
「そうね。うん。そう。桜井の家に、私の居場所なんてないわ。1ミリも」
呟くエンジュの顔に浮かぶのは、諦めきった無味乾燥とした笑み。
「父親の桜井亮二も、妹の桜井香夏子も、私のことなんて全然いないものとして扱ってくるし。家じゃ女中扱いだモン」
「エンジュ」
語るエンジュに、ラララが単刀直入に問う。
「今の家族の、恨みはあるの?」
「たくさんある」
エンジュは、即答する。
「私を今まで家に置いてくれた恩はあるけど、でも、じゃあ私がこれまで受けた仕打ちはその恩でまかなわなきゃいけないの? 私は恨みを押し殺さなきゃいけないの? ずっとそう思ってた。ううん、今もそう思ってるよ」
語る声にはひそやかな怒りの色がにじんでいる。
それを聞き届け、ラララは次にタイジュを見やる。それだけで、彼はうなずいた。
「わかってるよ、ラララ。俺も同じ考えだ」
「フフフ、君とこのラララはツーカーのようだね、タイジュ」
「俺は『田中が好きな佐藤』だからな」
「私は『佐藤が好きな田中』だモンね」
何やら通じ合っているタイジュとラララを交互に見て、エンジュが軽く挙手する。
「じゃあ、私は?」
「「『佐藤と田中に好かれる桜井』だよ」」
とても素敵な答えが返ってきた。
エンジュの心の乾いていた部分に、喜びが押し寄せて瞬く間に潤っていく。
「ねぇ、エンジュは仕返ししたい?」
これまた、ラララからの率直な質問。エンジュの答えは決まっていた。
「仕返しはしたいよ」
「じゃあ、しよう。決まりだ。俺とラララからのクリスマスプレゼントだ」
「お父さん……」
「プレゼントついでに、エンジュの心の大掃除もしちゃおうね。綺麗にしないと」
「お母さん――」
身を震わせるエンジュの頭を、ラララがそっと優しく撫でつける。
「よくお話してくれたね。えらいえらい。大丈夫よ、私達がついてるからね」
「……うん。ありがとう」
晩年のラララを思わせる穏やかさに満ちた言葉に、エンジュはちょっと涙ぐむ。
「ひとまず、今日は泊まっていけ。仕返しは年内に済ませよう」
「え、泊まっていいの? イヴだよ? 二人はイチャイチャしないの?」
「ちょっと、エンジュ?」
「気にするな、それはいつでもできる」
「ちょっと、タイジュ!?」
驚きに声を荒げたラララは、ムッとした顔になってラジカセを掴み上げる。
「タイジュの歌のカセット、探してくる」
「待て、ラララ。俺が悪かった。だからやめろ、やめてくれ」
「ハァーッハッハッハッハッハァ――――ッ! 絶対に探し当ててやるとも!」
ラララが田中んチの中に引っこんでいく。それをタイジュが駆け足で追いかけた。
一人、庭に残されたエンジュは、庭も真ん中に立つデカいツリーを見上げる。
「こんな気分になるの、初めてかも」
そう言って微笑み、エンジュはクリスマスソングを口ずさむ。
田中んチからラララの「あった!」という声が聞こえてきたのは、五分後だった。
――桜井家への『仕返し』まで、あと三日。