第372話 聖夜のバーンズ家/タクマとシイナ
アキラの部屋同様、片桐家もささやかながらクリスマスの飾りつけがされていた。
リビングにはそれなりの大きさのクリスマスツリーもある。
そして今、タクマとシイナはキッチンで向かい合って座っている。
タクマは何故かサンタのヒゲをつけ、シイナも頭にサンタ帽をかぶっている。
そして、シャンシャンと鳴る音は、ベルではなくシイナが手にしたタンバリン。
「時間です、タクマさん」
「おう」
真顔のシイナに、真顔のタクマがうなずく。
キッチンのテーブルの上には、さっき印刷した書類がバサっと置かれている。
「第三回、片桐家収支報告会~! イェ~イ!」
シイナがタンバリンをシャンシャンシャンシャン鳴らしまくる。
「いぇ~い……」
それに、タクマが死んだ目で続き、右腕を力なくあげた。
「何ですか、タクマさん。元気がありませんね」
「そりゃそうだろ。今日、イヴだぞ……?」
「はい、イヴですね。どこか出かけようか、なんて話もありました」
「一か月前の時点でどこも予約空いてなかったけどな……」
「あのときは色々調べたのに、全部無駄な努力に終わりました」
「言うな、思い出したくもない……」
徒労という言葉が現実になったときの心のダメージは、想像を絶していた。
「だから今年はおうちでお祝い、という話になりましたが――」
「そうだよ。それが何で収支報告会とかやってんの?」
「必要だからに決まってるじゃないですかー。毎月25日にやろうってことになってるじゃないですか。だったら今日やっても同じじゃないですか。違います?」
「いや、違うだろ。大違いだろ。明日やればいいじゃねぇかよ。何で今日なんだよ」
タクマがテーブルに頬杖を突く。
確かに、彼の言う通りではあるのかもしれない。それはシイナもわかっている。
だが、彼女にも今日やるべきだと判断した理由というものがある。
「どっちがいいですか、タクマさん」
「何がだよ?」
「『明日収支報告会か~、だるいわ~』と思いながら過ごすイヴと、さっさと面倒くさいことを終わらせて過ごす今日の残りと明日一日、どっちがいいですか?」
「う……ッ」
シイナが口にした二つの選択肢に、タクマが小さく呻く。
「毎度毎度、収支報告会は何かのきっかけで軽い喧嘩になってるじゃないですか。前回は私のソシャゲへの課金額について。前々回はタクマさんの使途不明金について」
「使途不明金っつったって、千円未満の話だろ!」
「金額じゃなくて用途に問題あるってんですよ! 買ったのエロ漫画でしょー!」
「はい……」
言われた途端、タクマは完全に委縮して何も言えなくなってしまう。
タクマが買ったのは有名エロ漫画家が出した最新の単行本。それの紙媒体だ。
シイナは、軽く額に手を当てて息をついた。
「私は別にエロ本を買うなとは言いません。でも隠れて買うな、と。買ったなら買ったで、それをちゃんと収支報告の中に加えてください」
「いやぁ、まぁ……」
「別に『雑費』か『お小遣い』の中に含めればいいじゃないですか。どうして報告そのものから外しちゃうかなぁ。そんなに報告しにくかったですか?」
「…………」
タクマは、目線を逸らして何も言わない。もはやそれが答えだ。
「しにくかったんですね」
「ごめん」
「ま、前回のソシャゲ課金額のこともあるので、私も人のことは言えませんけどね」
前回の収支報告会において激論が交わされることとなった一件である。
その内容は『天井一回分の課金は微課金に含まれるか否か』。
シイナは『含まれる』を強硬に主張した。
しかし、金額に直せば五万円近く。その生々しい金額に、シイナの方が屈した。
「ソシャゲ課金は月に十連二回分まで決まりましたので、今月は守っていますよ。それもきっちり収支報告の中に遊興費の名目で入れてあります」
「こっちも特に今回は問題になるような金の使い方はしてないはずだぜ」
「じゃあ、報告会、やっちゃいますかー」
「そうだな。シイナの言う通り、早めに終わらせるのが吉か」
かくして始まった、第三回片桐家収支報告会だったが――、
「タクマさん、何ですか、この『ガチャガチャ:一万円』って……?」
「シイナ、何だよ、この『書籍:九千円』って……?」
互いに、相手の収支が記載された書類を見ながら、ほぼ同時に疑問の声。
「え、それは、その、本ですよ! 書籍っていったら、本に決まってるでしょー!」
シイナが慌てふためいて言うが、実際は『腐』向けの同人誌のまとめ買いだ。
「え、そりゃガチャガチャっつったら、ガチャガチャに決まってるだろー!」
タクマが慌てふためいて言うが、実際にガチャガチャで使った金だ。
全六種+シークレット二種をコンプリートするためにかかった金額である。
「タクマさん……」
「シイナ、おまえ……」
お互い、とても納得できるものではない説明に、軽く睨み合う。
無言のまま、その状態は数秒続き――、
「「ま、いいか」」
声は揃った。
「このくらいの出費ならお小遣いの範囲ですし。目くじら立てることもないですね」
「シイナが何の本を買ったのかは気になるけど、そこまで突っ込んでもなー」
「そ、そそそそ、そうですよ! 人にはプライバシーというものがあるんです!」
「どうした、シイナ……?」
いきなり挙動不審になるシイナを、タクマが本気で心配する。
なお、収支報告会の本旨である結婚資金については問題なく順調に貯まっている。
「え~、それでは最後に、いつものです」
「いつものか……」
報告会もラストに差し掛かり、シイナもタクマも、一気にテンションが落ちる。
二人がそうなるのには、もちろん、理由がある。
「母様からの『支援』ですが、今月は十万円の振り込みが一日五回、一か月で百五十回ありました。総額一億五千万円です。前回の半分になってはいますが……」
「突っ返せ」
「突っ返します」
毎度毎度のミフユからの『支援』が、割と真面目に二人の頭を悩ませていた。
「前々回が六億で、前回が三億で、今回が一億五千万か」
「この調子だと次回は七千五百万円でしょうか。やりました、一億を切りましたよ」
「何にもやってねーから、それ……」
シイナは瞳に光がないし、タクマも完全にげんなりしている。
「気持ちは嬉しいんだけどな……」
「こうまで軽々しく億越えのお金を見せられると、経済観念壊れますよね」
ミフユの『支援』に他意はない。純粋にタクマ達のコトを応援してくれている。
ただ、佐村美芙柚の金銭感覚が派手に常識を逸脱しているだけだ。
「そろそろ父ちゃんに相談すっかねー」
「それがいいかもしれませんねー。あの人の金銭感覚は私達と同じでしょうし」
「小二だけどな」
「小二ですけどねー」
その小二に今回含め、何かと頼っているのがここにいる成人男女二名である。
「うお~! 収支報告会終わったぁ~!」
「今回は割と平和に終わりましたね。何よりですよ~」
グ~ッと諸手をあげて伸びをするタクマに、シイナもニッコリ笑ってうなずく。
面倒くさいイベントはこれにて終了。ここからやっとイヴ本番だ。
「で、イヴには何があるんだ?」
「ちょっと豪華なお料理を食べて、ちょっと大きなケーキを食べて、プレゼント交換して、おしまいですね! いや~、実にクリスマスらしいプランですね!」
「まぁ、そんなモンだよな」
人を集めてパーティーをやるでもなし、二人だけならその程度だろう。
逆説、二人ならそれだけでも十分に楽しいということだが。
「ああ、でもクラッカーは買ってあるんだよな。メシの前に鳴らそうぜ」
「タクマさん、そういうの好きですよね。私は構いませんけど」
時計を見ると午後五時半。
夕飯にはまだ少し早いくらいだ。作り始めるなら逆に遅いくらいかもしれない。
「夕メシは?」
「せっかくのイヴなのでパーティー用のモノを買ってあります。メインは、二人で作りませんか? たまには一緒にお料理とかしてみたいんですよね~、私」
「ああ、いつもは当番制だモンな。いいな。やろうぜ」
シイナの提案に、タクマも朗らかに笑って応じる。
二人で過ごす『出戻り』してからの初めてのクリスマス・イヴ。
やりたいことはいっぱいで、だからこそ、日常の中でも楽しみが尽きない。
「でもよ、その前に」
「何ですか?」
「風呂入ろうぜ。ちょっと体冷えちまったよ」
軽く身震いするタクマに、シイナも「そうですねぇ」と風呂場の方に目をやる。
この家は築四十年を超えるが、風呂とトイレは最新のものに変えてあった。
スイッチを押して十分も待てば、大きな浴槽に湯が溜まる。
「どうせなら一緒に入ります?」
「お、いいね。洗いっこでもしてみっか?」
「やですよ。タクマさん、すぐ変なところ触ろうとしてくるんですから」
「それは仕方なくね? だって裸のおまえが綺麗すぎるのがいけないと思うんだわ」
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど、浴場で欲情するなって話ですよー!」
「はい、それはごもっともです。大人しくウチの妖精さんに任せます」
「そうしてください」
しょぼくれるタクマの頭を、シイナが笑ってなでなでする。
ちなみに妖精さんは、彼の異面体である『千甚使』のことを指している。
「どうしても気持ちが高まっちゃったら、プレゼント交換のあとで。……ね?」
タクマの間近に顔を寄せて、小首をかしげて頬を赤らめ笑うシイナ。
年上の彼女にそんな仕草をされた二十歳のタクマ君は、その顔を一気に赤くする。
「おまえはさぁ、ズルいよ、ホント」
「何がですか?」
「そんな風にされたらさ、『ああ、こいつのこと大事にしなきゃ』って思うじゃん」
目いっぱいのため息と共に、タクマが逆にシイナの頭を撫でる。
「何かさ、おまえって割と歳のこと気にしてるみたいだけどさ……」
「う、余計なお世話満載でお届けしやがりましたね、この野郎」
「バカ」
「へ……?」
呻くシイナに、タクマは軽い調子で言って笑う。
「おまえ、わかってないよ。自分のこと、全然わかってないって」
「な、何がですか……?」
「おまえは、幾つになってもおまえのままだよ。変わらずに、可愛くて、面白くて、時々スゲェ綺麗な部分も見せてこっちをドキッとさせてる、そういうヤツだよ」
年上であることをシイナは気にしているようだが、タクマから見れば些事だ。
三十を超えても、四十を迎えても、五十に至っても、その上になっても。
シイナは変わらない。今と変わらず、シイナのままであり続けるだろう。
それがタクマの知るシイナの魅力の一部だ。本人は全然気づいていないようだが。
キッチンのテーブルにまた頬杖をついて、タクマが笑いかける。
「おまえの本当の魅力を知らずにいる連中が哀れでならないぜ。なぁ、シイナ?」
「…………むぅ」
シイナが、顔を真っ赤にして押し黙る。
普段は何かとシイナの方がタクマを引っ張っているが、こういうときは逆転する。
「来年の今日は、俺達、どうなってるんだろうな」
ふと、タクマはそんなことを言い出した。
「このまま行けば、来年の夏には貯まるよな、結婚資金」
「はい。順調に行けば、ですけど」
ミフユの『支援』を受ければ一発だが、それはさすがに遠慮したい両名だ。
自分達の足で、己の人生を歩んでいきたい。その想いは二人の共通認識でもある。
「今年も色々あったけど、来年は別の意味で忙しくなりそうだな」
「そうですね。でも、それを望んでるのが、今の私達です」
ああ、シイナの言うとおりである。
二人で一緒に歩んでいける。
異世界では叶わなかった夢が、今はこうして実現している。
だったら、どんな苦労も望むところだ。
そうして積み上がった思い出が、やがて人生の宝と呼べるモノになるだろうから。
「お」
風呂場の方からピーピーと電子音が聞こえてくる。
浴槽に湯が溜まった合図だ。
「話の続きは風呂場でするか」
「そうですね。一緒にあったまりましょう、タクマさん」
「ああ」
一緒に椅子から立ち上がって、タクマとシイナが風呂場へ向かおうとする。
だがその前に、隣り合った二人は互いを見て、
「「メリークリスマス」」
いつもよりちょっとだけ特別な意味を込めて、軽く唇を重ねた。
二人で作った夕飯は、とても美味しかった。