第371話 祝福の星は始まりの場所に降り注ぐ:後
これをプレゼントとすることに、俺は少しばかりの抵抗を覚えていた。
だが、じゃあどうする。他に何がある。
そう問われると、閉口するしかない。他になんて、何もない。
俺が手にするのは、カリンから借りた『金色符』。
金属符のオリジナルであり、そして人造異世界『絶界』を発生させる古代遺物だ。
「着いたぜ」
アパート前で、俺は『金色符』を使った。
そして生成された『絶界』の風景に、ミフユは軽く目を見開き、辺りを見回す。
「な、何よ、ここ……?」
「『鏡界次元』。俺達が通ったときは、そう呼ばれてたな」
俺とミフユが立っているのは万華鏡の世界。
鏡なんてどこにもないのに、辺りには無数の俺とミフユが映り込んでいる。
「空間が捩れてて光が変な風に屈折してるらしい。俺のそばを離れるなよ、ミフユ」
「う、うん……」
ここがどういう場所かを説明し、俺はミフユと手を繋ぐ。
チラリと見ると、ミフユの顔は疑問符にまみれている。ここどこ、という感じ。
まぁ、そうだろうな。わからないだろうとは思っていた。
ここを通る必要があるのは、来るときだけだ。
「こっちだ」
俺はミフユの手を引いて、真っすぐ歩いていく。
どこをどう進ばいいかは頭ではなく感覚で記憶している。間違えるワケがない。
「アキラ……?」
「わかってるよ。ここがどこかわからないんだろ」
「そう、だけど……」
「でもさ、わかることもあるんじゃないか?」
「うん」
ミフユがうなずく。そこらに視線を走らせて、俺に確認してくる。
「ここ、異世界よね?」
「厳密には『金色符』が生成したレプリカだけど、そうだな。あっちの異世界だ」
今歩いている『鏡界次元』は、バーンズ家が存在した異世界の一部だ。
異空間なので正しくは違うのかもしれないが、異世界側に属する場所ではあった。
「ここは『金色符』が俺の記憶を読みとって作った『絶界』の一部だ」
「こんな場所にあるの、その……」
「そうだ。この先に、おまえへのプレゼントを用意してある」
我ながらいけしゃあしゃあと言ったモンだと思いつつも、俺はそれを断言する。
自分達だらけの異空間を進み続けているうち、俺は自然と吐露した。
「最初にさ、俺がおまえにプレゼントしようと思ったのが《《これ》》なんだ」
「うん……」
これ、が指すものがまだわかっていないミフユは、ややくぐもった声を返す。
「ただな、《《これ》》が本当におまえに対するプレゼントして適してるかどうか、どうしてもそこで引っかかっちゃってさ~、割と長いこと悩んでたんだよな」
「そうだったんだ……」
俺とミフユの姿が浮かんでは消える万華鏡の領域。
もうすでに、目的地まで半分を過ぎている。あと少し歩けば到着だ。
「そんな中でさ、ラララとタイジュの一件があって、そこで俺、おまえに提案したじゃんか。リリス義母さんを探そうぜ、ってさ」
「うん。そう言ってくれたね。あれ、すごく嬉しかった……」
ミフユが、俺の手を強く握ってくる。
肩越しにチラッと見ると、ミフユは少し顔を伏せてはにかむように笑っていた。
あ~、可愛い。抱きしめてやりたくなる。
でも、ここでそれをすると進むべき道を見失ってしまうので我慢我慢。
俺は視線を向き直らせ、話を続ける。
「本当はさ、それを誕生日プレゼントにしようと思ってたんだ。おまえにできる最高のプレゼントっていったら、どう考えてもそれだろって考えてさ」
「そうだったのね」
ミフユの声に、かすかな驚きが混じる。
「そうだったんです。……でもねー」
「あ~、そうね。会っちゃったモンね、わたし。リリスママと」
「スゲェタイミングだったよな、アレも」
振り返ってみても、つくづく笑うしかない。
何だよ、よくアパートに来てた配達のお兄さんがリリス義母さんだったとかよ。
「――というワケで、リリス義母さん誕生日プレゼント計画は頓挫しました」
「はい」
ミフユの返事が『うん』から『はい』に変わる。
あれ、そこはかとなく憐れまれてないですか、これ……?
「だからまぁ、そっから今までず~っと考えてきたワケよ、プレゼント何がいいかな~って。リリス義母さんと同じくらいに、おまえが喜んでくれるのは何かなって」
「あると思う?」
「その、清々しいくらいの一刀両断っぷりが悩める俺への慈悲なんだっていうのはわかるけどさ、その、もうちょっと言い方とか、手心をですね……」
あるワケがないってことは承知してっけどさぁ!
それでも誕生日は近づいてるんだから、探さないワケにもさぁ! ねぇ!?
「ま、探しても見つからんかったので、こうして当初の案に立ち戻ったワケなんですけどね~。……ってところで、そろそろ着くぜ。目的地だ」
「どこなの、一体?」
「着けばわかるさ」
前後左右もわからない鏡の世界の中を、俺はミフユを連れて真っすぐ進む。
やがて、辺りを満たす光が強まって、景色が白く染まっていく。
構わずに俺は歩き続ける。進むたび光は強まり、俺もミフユも白に染まって――、
「着いたぜ」
光を抜けた先、そこに色が戻る。
明るいばかりだった景色は一気に暗くなって、そこが夜だとを教えてくれる。
「ここ……」
ミフユが、そこにある風景をゆっくりと見回していく。
もしかしたら、来る側としてこの場に立つのは初めてではないだろうか、こいつ。
見えるのは、整然とした街並み。
そして夜空の下、現実感を置き去りにして街のど真ん中にそびえ立つ水晶の塔。
「水晶の、浮島……?」
「ああ、そうだ。ここは天空娼館ル・クピディア。俺とおまえの、始まりの場所だ」
ミフユと共に水晶の塔を見上げて、俺は、改めてこの場の名を告げた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
虹色を帯びた水晶は、夜といえどもその美しさを誇り続けている。
ここは、実際の異世界ではない。
俺の記憶をもとにして『金色符』が作り上げたまがい物でしかない。それでも。
「すごい」
娼館を形作る水晶を指で撫でて、ミフユが感嘆の声を漏らす。
「本当に、本物みたい。これが模造品なんて、全然思えないわ……」
「それだけ『金色符』の力がとんでもねぇってことだろ」
精巧、なんて言葉じゃ収まらないくらいに、この場は天空娼館そのものだ。
俺達以外に誰もいないけど、だからこそ、この風景を二人占めできるのが嬉しい。
「綺麗なモンじゃねぇか」
娼館の入り口で、俺は水晶の塔を見上げる。
遠い空の果てに輝く月のを受けて、今、水晶の塔は濃い紺色に染まっている。
水晶が内包している虹の輝きが、その紺色を美しく彩っているのがいい感じだ。
「懐かしい景色ね……」
そう呟くミフユの横顔には、ほのかな笑みが浮かんでいる。
喜んでくれている。それがわかって、俺は軽く安堵した。
「そっか!」
ミフユがクルリとこっちを向いた。
「わたしをここに連れてくることがプレゼントだったのね!」
「え、違うよ?」
「え、違うの!?」
何故かミフユはびっくりするが、違う違う。それだけじゃないって。
「考えてみろよ。『金色符』がなきゃ、おまえをここに連れてくることはできないんだぞ? その『金色符』が手に入ったのはいつだよ……?」
「ああ、そうね。その通りだわ」
ミフユも納得する。
俺が『金色符』を使ったのは、それが最適の方法だったからに過ぎない。
これがなければ、俺は別の方法を取っていただろう。
「じゃあ、プレゼントって、一体……?」
「もうすぐだ。行こうぜ」
俺は再びミフユの手を引いて、今度は娼館の中へと入っていく。
夜の景色を透き通らせる、ただただ美しいばかりの館。誰もいないそこを進む。
そして、空間を渡る転移回廊を通って《《俺達の本当の始まりの場所》》へ。
ここまで来れば、ミフユももうわかるだろう。
「アキラ、ここってもしかして……」
「なぁ、ミフユ」
ミフユからの呼びかけに応じず、俺は逆に呼びかける。
俺達が立っているのは、虹を秘めた水晶の回廊。用があるのはこの先だ。
「あの日のことを、おまえはどこまで覚えてるかな」
俺自身、《《あの日》》に思いを馳せながら、ミフユと共に回廊を歩いていく。
瞬く星々が間近に見えている。
水晶に宿る虹の光輝が、星の海に重なってとても綺麗だ。
「決して理想通りにはいかなかった、あの日のことを――」
回廊の最奥で、俺は足を止める。
そこにあるのは一枚の扉。俺にとってもミフユにとっても、特別な意味を持つ。
「ここ、ここは……」
ミフユの声が、にわかに震えはじめた。
ドアノブに手をかけて、俺はミフユの方を振り向いて笑いかける。
「俺は、実は少しも忘れちゃいないんだ。何もかも覚えてる。何もかも」
ノブを回し、ドアを開ける。
するとその奥にあるのは、ミフユの部屋だ。
「あの日見た光景も」
そう、あの日、このドアを開けた俺を、着飾ったミフユが迎えてくれた。
「あの日聞いた音も。吸い込んだ空気の味も――」
そして東の国の礼儀に則って、ただの傭兵の俺を『旦那様』なんて風に呼んだ。
だけど俺は、そこにいた女がミフユとは思えなくて『誰?』とか言っちまった。
「全部、鮮明に覚えてるんだ」
ミフユは、部屋を眺めて完全に固まっている。驚きが全てに優っているようだ。
俺は、そこにある景色に過去を重ねて、懐かしさに目を細める。
「だって、あの日は特別な日だったじゃないか。俺にとっても、おまえにとっても」
二人で部屋の中に入る。
そこは、そこだけは水晶が使われていない、普通の部屋になっている。
とても落ち着く、雰囲気のいい部屋だ。
水晶の塔の最上階にある、世界最高値の女が住まう部屋。広く、居心地がいい。
ここで、俺とミフユは初めて出会った。
一方的にミフユを知っているだけだった俺をミフユが知ったのがここだ。
だが、その出会いは決して理想的なものではなかった。
「いや、もしかしたらおまえにとっては苦々しい記憶なのかもしれない」
俺は軽く苦笑する。
「でも、酸いも甘いもあってこその人生だ。それを思えば、おまえにとっても印象深い日だったんじゃないかと思う」
よくも悪くも、になってしまうけど、インパクトはあったんじゃないだろうか。
ああ、覚えてる。覚えてるよ。あのときのおまえの声も、表情も。
「なぁ、俺は何も忘れてないよ。おまえは、どうだ」
「わたしは……」
「あの日のことを、おまえはどこまで覚えてる?」
部屋の中で、今は小学二年生になってしまった俺とミフユが向かい合う。
「なぁ、ミフユ。あの日のことを。あの、始まりの日のことを、おまえは――」
「そんなの、決まってるでしょ」
驚きから脱して我に返ったミフユが、俺の顔を睨むようにして見据えてくる。
「わたしだって、覚えてる。何も忘れてなんかないわよ。全部覚えてるわよ! 忘れるワケないじゃない! あんたとわたしの、始まりの日の記憶なんだから!」
「……だよな」
弾けるようにして声を張り上げるミフユに、俺は嬉しくなってニカッと笑った。
「ホント、あのときのあんたは最低だったわよ! こっちがあんたに合わせてキャラ変えて礼儀も尽くして、サービスする気満々でいたってのに、何もしないでさ!」
「だって仕方ねーじゃん。俺が欲しかったのは今のおまえだモンよ」
「あんたって! ヤツは! あんたって! ヤツはッ!」
俺が肩をすくめると、ミフユがバシバシ叩いてくる。
やめ、や、やめッ、やめろォ~~!?
「ああ、もう、色々記憶がぶり返してきちゃったじゃない……! もう、何よ、これがプレゼントなの? ここに連れてきて、あの日のことを思い出させるのが?」
「うん、それもまぁ、ある」
あるにはあるけど、メインはそれじゃあないんですよねー。
「あの日さ、俺達が最初に出会ってからどうしたかもわかるよな」
「そりゃ、覚えてるわよ。いきなり本物か疑われて、素になってくれって頼まれて」
「そうそう。それからメシ作ってもらって、それ食って酒飲んで――」
「そうだったわね~。あ~、懐かしい。懐かしいけど、笑えないのよねぇ~!」
って言う割に、声が弾んでますよ、ミフユさん。
さて、そろそろ時間だろうか。俺は部屋の一角に目をやる。
俺達が入ってきた入り口とはちょうど向かい側。
そこに別のドアがある。
「実はさ、ミフユ。おまえに言ってないことがあるんだよ」
「え、何よ、急に」
「おまえがメシ作ってくれてる間にさ、俺、あのドアが気になって開けてみたんだ」
向かい側のドアを指さすと、ミフユも納得したように「ああ」とうなずく。
「あれ、外に繋がってんだよな。この水晶の塔の屋上に」
「そうよ。あそこから出た先でわたしは街にいたあんたに見つかっちゃったのよね」
「いやぁ~、懐かしいですねぇ~!」
「街からここが見えるなんて、あんたかタマキくらいなものよ……」
「だな。で――」
俺はそこで言葉を切って、ミフユの手を引く。
「何よ?」
「行こうぜ。あのドアの向こうに、おまえへのプレゼントがある」
「え……?」
そう、思い出すよ、あの日のこと。すごくもったいなかった、あの瞬間を。
「おまえがメシを作ってくれてるときに、俺はこのドアが気になって開けてみた」
ドアのノブに手をかけて、俺はミフユにそう告げる。
この場所は『金色符』が俺の記憶を読み取って生成された空間。ならば、きっと、
「そこで、俺は見たんだ」
言ってノブを回して、俺はドアを開ける。
そして俺とミフユは水晶の塔の屋上。世界で一番高い場所へと出る。
「――わぁ」
流れる風をその身に浴びて、ミフユが言葉を失った。
時間は、合っていた。
俺がドアを開けた瞬間こそ始まりの時間。あの日俺が見た、流星の雨の始まり。
「お誕生日おめでとう、ミフユ」
数多の星が流れゆく夜空を背にして、俺はミフユを祝福する。
「あの日、おまえと一緒に見られなかったこの景色を、今、ここに贈るよ」
満点の星空を切り裂くようにして流れる星が、チカチカと瞬き続けている。
「クリスマスツリーの星ってさ、運命を告げる流れ星なんだってさ。その話を聞いて、この流星群のことを思い出したんだ。……まぁ、本物じゃないんだけどさ」
我ながらキザなことしてんなと思って、俺は頬を掻いた。
それに、どれだけ本物に近くとも、ここにあるものは全てまがいものに過ぎない。
「思いつきはしたけど、本物じゃないものをプレゼントにしていいのかなって悩んでてさ。でも、結局他に何も思いつかなかったし、何かごめん――」
「ふざけんじゃないわよッ!」
謝り切る前に、ミフユに怒鳴られてしまった。
ああ、やっぱりダメだったか。半ば覚悟しちゃいたが、こんなニセモノじゃなぁ。
ミフユの怒声にそう感じる俺だったが、次の瞬間、衝撃に見舞われた。
何事かと思ったら、ミフユが俺の胸に思いっきり飛び込んで、抱きついていた。
「ミ、ミフユ……?」
「謝んないでよ」
ミフユが震えた声でそう言って、俺のことを見上げてくる。
何かを堪えるその瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
「本物じゃないとか、どうでもいいのよ。そんなこと! わたしがこんなに嬉しいのに、何であんたは謝ってるのよ。ふさけないでよ! 何なのよ、あんたは!」
「いや、けど――」
出しかけた俺の言葉は、ミフユの唇で塞がれた。
不意打ち極まるそのキスに、さすがの俺も一気に動転してしまう。
「あ、ぇ、えぇ……?」
「まだ何か言うつもりなら、黙るまで今みたいにその口塞いでやるわよ」
俺をその手で抱きしめながら、ミフユが強気にこっちを見上げてくる。
それから、俺の胸に顔をうずめてか細い声で言うのだ。
「ありがとう、アキラ。本当にありがとう」
「ああ。喜んでもらえたなら、俺も嬉しいよ」
ミフユを抱きしめ返し、その髪を撫でる。そうだな。そうだよな。
プレゼントを用意した俺自身がそれを否定したら、本末転倒ってなモンだよな。
「アキラの言った通りになったわね」
「って、いうと?」
「今日はわたしの人生最良の日ってこと。最高のクリスマスになったわ」
「そこまで言ってくれるのか?」
「わたしの人生最良の日はね、幾つもあって、全部同率一位なの。今日は、そこに加わる最新の人生最良の日よ。こんなの、絶対忘れられないわよ。絶対」
「……俺もそうだよ、ミフユ」
喜ぶミフユがいとしくて、俺は強く抱きしめ返す。
レプリカではあれど、ここは世界で一番夜空の星に近い場所。
俺達の物語が始まった場所で、流星の雨を浴びながら互いのぬくもりを感じ合う。
今日は、俺にとっても忘れられない日になりそうだった。




