第348話 くたばれ、テンラ・バーンズ!:前
サイディだった灰を、タイジュが踏みつけていく。
殊更恨みを込めて踏みつけるのではなく、歩くために地面を踏むのと同じ程度に。
もう、タイジュはサイディに一切の興味を持っていない。
俺から見てもそれがよくわかる一歩だった。
「タイジュ~!」
「お父さん!」
ラララとエンジュが駆け寄ると、タイジュはおもむろに二人を抱きしめる。
「タ、タイジュ……?」
「あの、お父さん?」
当然のことで目をパチクリさせている二人に、タイジュは静かに言った。
「――次は絶対、守るから」
宣言であり、同時に懺悔でもある言葉に、ラララもエンジュも何も言えなくなる。
ただ、ラララとエンジュは腕を回して、二人してタイジュを抱きしめ返した。
「さて……」
それを見届けたのち、俺はシンラに目で合図を送る。
「は」
シンラは一声だけで応じて、眠らせていたテンラを起こす。
眠りの魔法が解除され、白い地面に横たわっているテンラが徐々に目を開ける。
「……ぅ、お」
テンラは、短く呻いて身を起こそうとする。
だが上体を起こしたところで気づいたようだった。周りを、俺達に囲まれている。
「こ、これは……」
「おはよう、俺の孫、テンラ・バーンズ」
「ぅ、お、おじい様……」
代表して声をかける俺に、テンラはサイディと同様にその顔を引きつらせる。
俺は、前置きもなしに用件を告げる。
「今さら、再会を喜ぶような必要もねぇだろ。おまえの話を聞かせろよ」
「私の、話を……?」
「そうだ。今一度、おまえの仕返しの動機を俺達に話してくれよ」
俺がテンラに向かって言ったのは、それだけ。
あとは、こいつがそれをどう解釈するか、それはテンラ自身の問題であり、
「私は――」
ポツリポツリと、俺の孫は語り始める。
「私には、反乱を起こされる謂れなどなかったはずだ……」
まずはそれを、キリオを睨みながらテンラが切り出す。
「異世界で、帝国で、父シンラ・バーンズは確かに偉大な皇帝であったかもしれない。しかし、ただただ征服するだけの戦いは、常に国庫を圧迫し、拡大の一途を辿る領土はインフラを整えることさえままならない有様だった。私は、それを憂いた」
語るテンラの話を聞きながら、俺は、シンラの方を見る。
「…………」
シンラは、難しい顔をしている。
親である俺にはわかる。ありゃあ、図星を突かれてる顔だ。
あいつ自身、急速な領土の拡大を問題視していた、ということではあるのだろう。
「だが一方で、それがのちのちの安寧を目指してのことでもあると、私にはわかっていた。帝国の覇権が確固たるものとなれば、国内の民心を安んじられる。父上がそう考えていたことも承知している。性急な領地の拡大も、帝国の力を諸国に見せつける意味も兼ねていることだってわかっていた。だから私は、父上の治世について文句は言わなかった。それも間違いなく、正解の一つだと思えたからだ」
そこまでちゃんと考えられてる辺り、テンラもただのバカではない。
いや、シンラの考えをきちんと理解した上で、自分の役割についても自覚がある。
テンラは優秀だった。かつてシンラもそれを認めていた。
「自分の代で帝国を広げ、次代の私が国内を盤石なものとする。それが父上の構想であると考えた私は、いつでも内政の充実を目指せるよう、準備を怠らなかった。民の声を聞き、足りないものを調べ、各所にも根回しを進めていた。父上より掣肘がなかったのもあり、私は自分の方針に間違いはないと確信した」
言っていることは十分に筋が通っている。
今のところ、テンラの話に俺から指摘するべきところは何もない。
こいつは、実に真っ当な話をしている。
「やがて、父上も老いて床に臥せることが多くなった。それは悲しくはあったが、しかし帝国はすでに広大で、これ以上は広げても発生する問題の方が多くなる。そういうところまで来ていた。外征政策は限界に来ているのは誰の目にも明らかだと思えた。だから私は、今こそが自分の出番であると悟り、内政の充実を図ろうとした」
さて、ここからだ。
テンラの声にも若干ながら熱がこもり始める。
「私は、皇帝の玉座を欲してはいた。だがそれは贅を尽くすためではない。私は、私の手で帝国をさらなる繁栄に導きたかったのだ。私のやり方で、父に優るとも劣らぬ皇帝として歴史に名を刻みたかった。私が持つ『野心』は、そういったものだ。皇太子に生まれた以上、私は己の『役割』を全うしようとしていただけだ!」
憤慨が言葉の末に現れる。ああ、そうだな。全くの正論だと俺も思うよ。うん。
テンラの言っていることに、悪と断じられる部分は何もない。何も。
「エンジュの話が真実ならば、私は反帝国同盟の存在に気づけなかった愚か者だ。それは、帝国を亡国という最悪の結末に導いていたかもしれない。それについては私自身は自らの無能さを痛感している。私のやり方は誤りだったのだろう。……だが!」
テンラが声を荒げ、キリオのことを厳しいまなざしで睨みつける。
「――何故、私は敵国の兵ではなく、貴様に殺されなければならなかったのだ」
その一言には、これまでにない深い恨みと憎しみが込められていた。
テンラはその身を震わせ、拳を握り締め、怒りに目を見開く。
「私に何の落ち度があった? 私に何の咎があったというのだ? 反帝国同盟のことについては結果論でしかない。キリオの反乱時、私は何か、帝国にとって悪となる所業を行なっていたとでもいうのか? 誰もが認める罪を犯したとでも?」
「いえ、殿下は何も罪など犯してはおりませんでした」
「そうだ、その通りだ、キリオ・バーンズ。私は間違ってなどいなかった!」
答えるキリオに、テンラが怒りと恨みを叩きつける。
それは全くもって正しい感情だった。正しい怒りで、正しい恨みだ。間違いなく。
「私の死後、キリオは処刑されたというが、だから何なのだ? 私はすでにそのとき死んでいるのだぞ? 処刑時にキリオがどれだけ苦しもうが、私はそこにいないのだ。溜飲の一つを下げられないのだ。殺された側からすれば、そんな処刑にどれほどの意味がある! 我が身に抱えた恨みと憎しみが、そんなことで晴れるものか!」
「だから、それがしに仕返しをしようとなされたのですか……?」
「そうなんだろうな、きっと」
表情を浮かべないキリオに、テンラは引きつった笑みを浮かべる
「貴様が『出戻り』した当時、私はすでに『キリオ』だった。あの女の異能態でそうなっていた。そのときの記憶を私は覚えてはいるが『キリオ』になっている間の私は、自分がテンラであることも忘れていた。だが、それでも魂は覚えていたのだろう。私という存在は、貴様に対する恨みを、自分を忘れてもなお忘れずにいたのだ」
顔中を汗でまみれさせて、テンラが笑っている。
記憶を失っても消えることのない恨み。そして憎しみ。それが今回の一件の動機。
自分の正しさを知っているからこそ、テンラが抱くそれは尚のこと深い。
「『キリオ・バーンズ』としてキリオ・バーンズの立場を乗っ取り、家族の一員としてこの場にいる皆と共に、新たな『帝国』を築く。それこそが私からのキリオ・バーンズへの仕返しだった。……だが、失敗した。失敗した! 失敗したッ!」
ダン、ダンッ、と、テンラが地面を幾度も蹴りつける。
顔を真っ赤にして癇癪を起こす様は、到底七十過ぎには見えないが、それは当然。
俺達『出戻り』は異世界で死んだときの精神年齢でこっちに戻ってくる。
俺やミフユは見た目小学二年生だが、中身はジジイとババアだ。
だが三十になる前に死んだケントは、そのままの精神年齢で『出戻り』している。
とはいえ、精神は肉体があっての精神。
肉体年齢の影響も大きく受けるので、俺も一概にジジイなワケでもないのだが。
「何故だ、キリオ・バーンズ!」
テンラが、キリオに向かって改めて怨嗟の声をぶつける。
「どうしていつも、私の邪魔をする! 異世界でもこっちでも! 間違っているのは貴様の方なのに、いつも成功しているのも貴様だ! どうしてなんだ! 何故!」
「テンラ殿下……」
憎しみに猛り、怒りに狂うテンラの言い分は、決して自分勝手なものではない。
こいつにはキリオに仕返しする理由がある。しかもそれは逆恨みではない。
「私はキリオ・バーンズを許すことはできない。絶対に許せるものかッッ!」
そしてテンラが、白い世界に腹の底からの己の怒号を轟かせた。
「なるほどな、そうか。なるほどな……」
俺は腕を組んで、テンラの前で呟きながら深くうなずく。
「おわかりいただけたか、おじい様」
フゥ、フゥと呼吸を激しく乱し、真っ赤な顔色のままで、テンラが俺を見る。
「ああ、よくわかった。テンラ、確かに、おまえにはキリオを恨む理由があって、その恨みと憎しいは正しいものだ。俺もそう思うよ。おまえは間違っちゃいない」
「そうですか。ご理解いただけましたか、何よりです」
理解を示す俺に、テンラは初めて笑みを浮かべる。
そして、一転して得意げな顔になってキリオの方を見やる。わかりやすいヤツだ。
そんなテンラに俺は――、
「そうだな、おまえは間違ってないよ、テンラ」
俺は、言ってやった。
「でもおまえ、『Em』じゃん?」
「…………は?」
「『は?』じゃなくてさ。おまえって『Em』じゃん? 『Em』だよな?」
再三確認をとる俺に、テンラは半ば唖然としながらも「そうですが……」と一言。
「そっかー! やっぱおまえ『Em』かー! じゃあ、仕返しだな!」
「な、なァ……!?」
俺が晴れやかに笑うと、何故かテンラが仰天する。
「おじい様、どうしてですか! 何故、私の方が仕返しを受けねば……!?」
「おまえが『Em』だからに決まってるだろうがァァァァァァァァ――――ッ!」
テンラが露骨に狼狽するが、何をキョドってんだ、この野郎は。
こいつが『Em』なら仕返しは確定ですよ。最初から、当然のように。
「私の話を聞いておられなかったのですか!? 私は、何も間違ったことはしていない! わ、私は、キリオ・バーンズに理不尽にも殺されたのですよ!?」
「おまえの正しさなんぞ、知るかァァァァァァァァァァァァァァ――――ッ!」
俺は、テンラの言い分を真っ向から叩き潰した。
「色々と話してくれてありがとう、テンラ! おまえの事情もよくわかったよ。確かにおまえは正しい、おまえは間違ってない。おまえは理不尽に殺された。おまえは可哀相だ。おまえにはキリオに仕返しをする理由もきちんとある。俺もそれは認める。だがおまえは『Em』だ。その時点で、俺からの仕返しは決定事項なんだよッッ!」
「そ、そんな……ッ!?」
その顔を絶望に染め上げて、テンラが大きく口を開けて絶句する。
「『絶界コロシアム』でのことも、ミフユに襲撃を仕掛けてくれたことも、俺はなぁ~んも忘れちゃいねぇぞ、テンラ。それにだ。それに加えてだ――」
ああ、俺の中に『怒り』が滾る。燃える。盛る。激しく熱を上げて、爆ぜかける。
「よくも、俺とキリオを対立させてくれたなぁ~、オイ……!」
「それは私の仕返しで、私は……!」
「おまえがキリオに仕返しする権利があるのは認めるさ。今言った通りにな。だが、考えなかったのか、おまえ。自分の仕返しで、俺達から恨みを買う可能性を」
テンラがキリオにどういう仕返しをするかは、無論、テンラの自由ってモンだ。
だがそれに俺達を巻き込み、あまつさえ、望まぬ対立までさせやがった、テンラ。
どこに許す理由があると思う。何故そう思える。
「テンラ・バーンズ」
顔から笑みを消して、俺は自分の孫に告げる。
「おまえはすでに、俺達全員から恨みを買ってるんだよ」
俺はこいつを、絶対に逃がさない。




