第343話 或る恋の終わり/元凶ではあれど、黒幕にあらず
自白は続く。
「事実のみを言ってしまえば、私はあの『キリオ』を裏切ってしまったのです」
サティアーナ・ミュルレの自白は続く。
「きっかけは、サイディ・ブラウンが『Em』に合流したことでした。そこでこちらに『出戻り』してきたバーンズ家の皆さんの話を聞いて、その中に……」
「それがしも含まれていた、と」
キリオの言葉に、サティがうなずく。
「最初は、混乱しました。混乱しかありませんでした。だってそのときの私は隣に『彼』がいたんですから。その『彼』を本物のキリオ様と信じていたんですから」
「混乱して当然であろうな、隣にいるはずのキリオがもう一人現れたのだから……」
シンラも、当時のサティの心情を想像、理解を示す。
他の皆もおおむね同様の反応だった。
「キリオ様がもう一人いる。その事実は私の心を激しくかき乱しました。しかも、その隣には、マリエ様もいるとのこと。気が気ではありませんでした」
「……そうだったでありますな。ラララとタイジュの『最終決闘』三本目、そこにはそれがしも、マリエもいたのでありましたな」
サイディは、しっかりそれを見て覚えていたワケ、か。
「私は『Em』では情報の管理と外部交渉を任されていました。でも、キリオ様のことを知り、私はそれらの作業も手につかなくなっていました。さらに言えば、一年半も隣にいてくれた『彼』が何だか色褪せて見えるようになってしまったのです」
「サティ、それは――」
「はい、キリオ様。きっと私は記憶を失いながらも、心のどこかで理解していたのです。私の隣にいる『キリオ』は本物ではない、まがい物でしかないのだと……」
随分な言いようではある。
しかし、では『キリオ』がサティに真摯な愛情を見せていたかといえば――、
「『キリオ』にとって重要なのは『帝国』であり『Em』だった。始まりの夜、ビルの屋上であの男はサティを殺そうとした。あの男に愛情などなかったでありますよ」
「キリオ様……」
倒れたままのテンラを流し見て、キリオがサティを庇うように言う。
「同じキリオであっても、今、サティが言っていたように『キリオ』には『帝国』を手に入れるという野心があった。その野心の有無が、99%同一であったはずのそれがしと『キリオ』を分けた、1%の差異であったのだろうと考えるであります」
たかが1%、されど1%。
結局はその小さな差が、サティが『Em』を離れるきっかけとなった。
「私は、サラ・マリオンの協力を得て、キリオ様の写真を入手することに成功しました。そして、それを見て強く思ってしまったのです。会いたい、と……。でも、そうしたことがあって私は数日ほど『Em』に関する作業を怠ってしまいました」
「そうか、そのときにスダレの姉貴殿による調査があったのだな」
そして『キリオ』が育み続けてきた『Em』はスダレに丸裸にされてしまった。
スダレの調査力もあるが『キリオ』はこれをサティの責任と判断したらしい。
「『キリオ』は当初『Em』の面々に、バーンズ家には関わらないよう指示を出していました。でも、グドル・ゲランはそれを無視してお義母さんを襲って――」
「……それが、スダレの『Em』の調査に繋がった」
途切れたサティの言葉の続きを、シンラが引き継ぐ。
サティの作業の放置はまさにそことぶつかった。最悪のタイミングだったのだ。
「『彼』は『Em』がバーンズ家に仕返しされると知るや、すぐさまプランを切り替えました。『Em』を切り捨てて、自分が本物のキリオ様になるプランです」
「異能態――、『不落戴冠儀』でありますな」
つまり、今回の一件を引き起こした『キリオ』の異能態である。
「これは推測でありますが、テンラ殿下の『帝国』に対する野心が『キリオ』の精神に影響を与えた結果、あの異能態になったのでありましょう」
「『彼』は、異能態を使うことを最終手段だと言っていました。今思うとそれは『彼』の基になったテンラ殿下が言わせた言葉なのかもしれませんね……」
「キリオを怨敵とするテンラにとっては、絶対に使いたくない一手であろうな」
だが『彼』はそれを使った。
そしてバーンズ家を味方につけて、キリオとサティを排斥しようとした。
「異能態の行使を決意した『彼』は『Em』は用済みだとして、サイディ・ブラウンとエンジュ・レフィードに命じて、メンバーの抹殺に踏み切ったのです」
「そういえば――」
ここで、ラララが何かに気づいたように、隣にいる娘を見る。
「エンジュはいつから『Em』に関わってたの?」
「え~っと、私、別にその組織に入ってなかったの……」
「え、そうなの?」
「うん、あの、いきなりサイディに拉致されて、それで、殺されて……」
「『出戻り』させられたってことォ!?」
ラララが驚きのあまり声を張り上げてしまう。
タイジュも、目を大きく見開いている。
「ご、ごめんね、エンジュ……。私達のせいで、ごめんね……」
いきなり涙ぐんで抱きしめてくるラララに、エンジュは大いにあたふたする。
「いいよ、いいから! 私、お父さんとお母さんに会えて嬉しいの! こっちの家族のこと、好きじゃないから。二人とまた会えて、本当に嬉しいんだよ……?」
「エンジュゥ~~~~!」
「こっちの家庭事情がアレなのはどいつも変わんねぇのな……」
笑って言うエンジュを、ラララが熱く抱きしめる。
そしてタクマが、聞いた話にポツリとそんな感想を漏らした。
「サイディに仕返しする理由が、また一つ増えたな」
「だね、タイジュ」
そしてこちらは、無表情のまま静かに怒りを燃やすタイジュとラララである。
なお、サイディの死体はエンジュの収納空間の中だ。
――話は、サティの自白に戻る。
「あの夜、私は『彼』に『宮廷』の拠点に呼び出されました。そしてそこで、これからバーンズ家が『Em』を襲撃するという話を聞かされて、責任を取るよう言われたんです。そのとき改めて感じたのです。この人は『キリオ』であってもキリオ様ではないと。それからは、キリオ様が見た通りです。私は『彼』に殺されかけました」
「そしてそれがしが駆けつけて、あの『キリオ』は異能態を発動させたのだな」
三日前の23時36分のことである。
あとは、語るまでもない。三日間に渡る紆余曲折と冒険があり、今に至る。
「これが私が『出戻り』してから今に至るまでの経緯です」
今まで長々と説明し続けてきたサティが、終わりを示すようにふぅと息を吐く。
彼女の自白はこうして終わった。終わってしまった。
だが、場にいる家族達は皆、《《これから》》を思って緊張を新たにする。
サティは『Em』に参加していた。『キリオ』に協力もしていた。
テンラを自らの異能態で変えた、ある意味で今回の一件の元凶とも呼べる人物だ。
だが『キリオ』側の人間だったかといえば、それは判断が難しいところだ。
実際に『キリオ』は彼女を殺そうとしていた事実もある。
さらにいえば『キリオ』の異能態発動後は、はっきり袂を分かっている。
元凶ではあれど、黒幕にあらず。
発端ではあれど、首謀者にあらず。
非常に、扱いが難しい立ち位置の人物であった。
何が正しい判断か、それを論ずるだけでも様々な意見が飛び交うに違いない。
ただ――、
「おまえはそれがしにマリエの死を求めた。それだけは、看過できんであります」
「……はい」
キリオが、声を硬くして告げる。サティもまたうなずくしかなかった。
「ただ、言い訳になりますが、私は『キリオ』があのような危険な剣を持っていたことは知りませんでした。それだけは本当です。信じてください、キリオ様……」
「信じるも信じないもないであります。そんなことは最初からわかっている」
「はい……」
腕を組んで断言するキリオに、サティはかすかに涙ぐむ。
「だが――、いや……」
キリオは何かを言いかけて、小さくかぶりを振り、言うのを一旦やめる。
そして彼が横目に見た先にいるのは、これまで聞いているだけだったマリエだ。
「それがしも当事者ではあるが、それよりもおまえでありましょう、マリエ」
「よろしいのですか、あなた様?」
「おまえも言いたいことはあるはずだ。今言わねば、いつ言うのだ?」
キリオに促され、マリエは「わかりました」とうなずいてサティの前に歩み出る。
「マリエ様……ッ」
サティが彼女を呼ぶ声に、小さな険しさがにじんでいる。敵意を隠しきれてない。
「サティ様は、私のことがお嫌いなのですね?」
「…………」
尋ねるマリエに、サティが返すのは沈黙。
しかし、その目つきは鋭さを増し、彼女はますますマリエへの敵意を鮮明にする。
「どうして……」
そして、サティが口を開いた。声は震えている。
「どうして、あなたがキリオ様の隣にいるのです……、そこは、私の居場所なのに」
「…………」
サティは目を細め、唇をわななかせてマリエを問い詰める。
今度は、マリエの方が沈黙する番だった。
「私の言っていることが勝手な言い分なのはわかっています。それでも言わずにはいられない。あなたにもキリオ様にも、私がここにいるのだと、言わずには……!」
「そう、ですよね――」
皆が見守る中、身を強張らせているサティに、マリエは深くうなずいてみせる。
「そうだと思います。そんなの、当たり前ですよ。だってサティ様に、何の落ち度があるのですか? 異世界で死病に冒されたあなたを、誰が責められるのですか?」
「ぇ……」
マリエは、サティの言い分を全面的に認めてしまった。
それに、サティは小さく驚きの声を漏らす。
どうやら彼女は、マリエがそう言ってくるなんて想像もしていなかったらしい。
だがこの場にいる面子の中で、ケントとキリオだけはその返答を予想できていた。
何故なら、ケントにとってマリエは真理恵。
菅谷真理恵は正義の人だ。弱き者の嘆きに駆けつけるのが、彼女という人間だ。
それを、ケントはこの面子の中で最もよく理解している。
キリオにとってマリエはのち添えであると共に、自分に『赦し』をくれる人だ。
散々、苦しみ抜いた彼を救ってくれたのは、マリエの『赦し』だった。
そしてそれは、キリオだけに対して向けられるものではない。
マリエは人の悲しみに敏感だ。容易く共感して、一緒にいてくれる。
それこそが菅谷真理恵であり、それこそがマリエ・ララーニァ。
だがしかし――、
「実はですね、サティ様。私、本当は、助からないでもよかったんです」
「ちょっと、マリエさん?」
まさか彼女がそんなことを言い出すとは、キリオも思っていなかった。




