第341話 ジャッジメント・デイ/正義は拳で語るもの
キリオは告げた。
その名は、テンラ・バーンズ。
「……バカな」
呆気にとられ、半ば開いたままの口で呟いたのは、誰であろうシンラ。
異世界で、テンラの父親であり、帝国の皇帝であった男だ。
「…………」
テンラは、その顔を忌々しげに歪めたまま、シンラの視線にも何も返さない。
口も開かないし、目を合わせようともしない。
「キリオ――」
シンラは己の子から反応を引き出すことを諦めたか、再びキリオへと視線を移す。
促されたキリオは、コクリとうなずいた。
「それがしが知ったことは、そう多くはないであります。それでも多少は説明はできると思われますゆえ、語れる限りは語ろうかと考えているであります」
キリオがそうは言うものの、しかし、誰もそれに反応を示さない。示せない。
何せ、ショックが大きすぎた。
あの『キリオ』の正体がテンラだったことに、エンジュとラララが驚愕している。
エンジュはキリオの後任の聖騎士長で、テンラのこともよく知っていた。
ラララはエンジュの仕事の関係上、そこそこの頻度で関わる機会があった。
それはタイジュにも同じことがいえる。
ただ、彼はいつも通りの無愛想で、驚いてるかどうかわかりにくい。
「シンラさんの、長男さん……?」
ラララ達とは別の意味で驚いているのが、美沙子だ。
テンラと直接の関係はないものの、やはり婚約者の息子となれば、気にもなる。
ついでにいえば、テンラはアキラの孫でもあった。
「うわぁ、よりによってテンラ君だったんだぁ……」
ヒナタもまた、半分絶句している。
彼女とてこちらではシンラの娘。無関係ではいられない。ような気がする。
だがやはり、この場で最も強くショックを受けているのは――、
「何故だ……」
シンラだった。
「何故だ、テンラ! おまえが、何故こんなことを! どういうことだ!」
彼は身を震わせて、鬼の形相で黙ったままのテンラへと掴みかかろうとする。
それを、美沙子が慌てて止めようとする。
「シンラさん、待ってください!」
「いいえ、美沙子さん! 待てませぬ! こればかりは、これだけは……!」
二人が言い合っているそのとき、テンラに動きがあった。
「フフ……」
彼は、小さく笑い出した。
「ハハハハハハッ、ハハハハハハハハハ! フハハハハハハハハハハハハハハ!」
いきなり高らかに笑い始めたテンラへと、皆が視線を注ぐ。
そして、彼は笑っていた顔をいきなり怒りに染め上げ、激情を爆ぜさせて叫んだ。
「私が仕返しをして、何が悪いッッ!」
「テンラ……!」
唇を噛むシンラを見やり、テンラは噛みつかんばかりの顔を見せる。
「私は『やられたらやり返しすぎる』というバーンズ家の家風に則ったまでのことだ! そこのキリオ・バーンズに、私は全てを奪われた! 命を、玉座を、帝国を、これまでに私が得た全てを、これから先、私が得るはずだった全てを、そこの痴れ者に奪われたのだ! だったら私がその男の全てを奪ったっていいではないか!?」
彼がブチまけた怒りの言葉は、完全な開き直りによるものだった。
しかし、言い分には一理あった。バーンズ家としては何も間違っていない。
「そう、で、ありますな」
何より、他でもないキリオが、テンラの主張に同意を見せた。
「キリオよ……」
「シンラの兄貴殿、どう言い繕ったところで、それがしが犯した過ちは変わらんであります。それがしはテンラ殿下を弑逆し、皇位を簒奪したのです。それを思えば、殿下がそれがしに仕返しをするのは、至極当然のことでありましょう」
語るキリオに、テンラが弾けたように破顔してパンパンと手を叩く。
「そうだ、その通りだ! 貴様は私に殺されるべきなんだ、キリオ・バーンズ!」
「それはお断りするでありますが」
「な、貴様……!?」
キリオがしれっとお断りを告げ、テンラが手を叩くのをやめる。
「き、貴様! 貴様は自分がやったことを棚に上げて、仕返しされたくないとでもいうのか!? ふざけるな! 貴様は、私に仕返しをされなければならないんだ!」
「殿下、仕返しとはするものであってされるものではないのでありますよ。大体、殿下の理屈に則って言うのであれば――」
キリオが、全身から静かに殺気を放ち始める。
「貴殿がマリエを巻き込んだことに対する仕返しを貴殿に対して行なってもいいことになるでありますよなぁ? 自分だけ特別理論は、通用せんでありますよ?」
「ぐぅ……ッ」
ビクリと、テンラが震える。キリオの放つ圧に、彼は気圧されてしまっている。
しかし簡単には折れない。キリオに対し、皆に対し、テンラは訴える。
「邪魔を、するな! 私の邪魔をするな! 私の『正義』の邪魔をするなァ!」
髪を振り乱し、腕を大きくブン回して叫ぶ様は『キリオ』にはなかったものだ。
今この場で瞳を見開いて大声で騒いでいる姿こそが、まぎれもない彼の本性。
「貴様さえ! 貴様さえいなければ! 私は、私の『正義』をあの帝国で実現できていたのだ! 戦に明け暮れていた父上の治世よりも、より正しき統治! より優れた支配! より豊かな国づくりを! 私は成し得ていたのだ、間違いなく!」
怒号を響かせるテンラに、キリオは過去の罪に囚われていた自分を重ね見る。
そうか、この方もまた、自分と同じように過去から進めていないのか。
それを思い知りながらも、だが、キリオは思い切り息を吸い込んで、
「それはそれ! これはこれ!」
テンラよりも大きな声で、その主張を正面からぶった切った。
「な、なぁ……?」
キリオの反論、というかただの雄叫びみたいなそれに、テンラは見事にたじろぐ。
そこに、キリオは声量をそのままに、真っ向から言い返す。
「テンラ殿下のお言葉はその通りかもしれんでありますが、だからって貴殿がやったことは正当化されんのであります! マリエを巻き込んで殺しかけたこと、それがしが甘んじて受け入れるとでも思ってんのか、このクソたわけのボケカス野郎ォ!」
「き、き、貴様……!」
「『正義』がどうだの、統治どうだの、知るかって話であります! ここは異世界じゃなくて日本だ! 帝国主義は明治・大正・昭和前期で終わってんだよ!」
否定。まさに全否定。
キリオは憤激を推力に変えて、凄まじい勢いでテンラの主張にNOを叩きつけた。
「貴様、キリオ・バァァァァ――――ンズゥゥゥゥゥ――――ッ!」
「元より、貴殿はそれがしを許せまい? それがしとて貴殿を許せんであります! ならば! もはや決着をつけるのは、《《これ》》しかないでありましょう!」
逆上するテンラに向かって、キリオはグッと握り込んだ右拳を思い切り突き出す。
「この『結戦領域』は、己の身一つを武器とするしかない領域。くだらん搦め手などなしに、自分の拳で示すがいいであります! 自分の『正義』の意味と価値を!」
「うおおおおおおおおお! 殺してやる、貴様など! キリオ・バーンズッッ!」
テンラがスーツのジャケットを脱ぎ、それを床に叩きつける。
キリオもまた、両手の拳を握り、応戦の構えをとる。
「あなた様!」
「マリエ、そして皆も、手出し無用であります!」
殴りかかってくるテンラを、キリオがドシッとした構えで迎え撃つ。
「貴様如き痴れ者が、私の、この私の『正義』の価値もわからぬ、愚物がァ!」
勢いよく放たれたテンラの拳が、キリオの右頬を直撃する。
「……ッ!?」
殴った直後、テンラが軽く息を詰まらせる。
十分に勢いの乗った拳だったが、キリオはビクともしなかった。
「なるほど、相応に鍛えているようでありますな、殿下。七十過ぎとは思えん拳であります。下手すれば、三十代にも見まごうばかりの足腰の強さと筋力。――だが!」
言って、キリオの拳に力がこめられ、ギチリと音を立てる。
「その程度で、それがしを殺せると思うなァ!」
固まっているテンラの顔面へ、キリオの拳が放たれる。回避は、できなかった。
「ぐ……ッ」
拳が、しわだらけのテンラの鼻っ面に吸い込まれるようにして叩き込まれる。
巨大なハンマーで岩を叩いたような、盛大な激突音がした。
「ガヴァ、ッ、アアァ……、あ……!?」
最初に頭が弾かれたように上を向き、それに連なって背が弓なりに反る。
それでも衝撃を受け止めきれず、テンラの頭が綺麗に弧を描いて床へと倒れた。
「ごァッ!」
床に後頭部を打ちつけて、テンラは濁った声を漏らす。
そして、倒れたままの状態で、彼は震える右手をゆるゆると伸ばそうとする。
「せ、『正義』を……、わ、私の『正義』を、じ、実現……」
力を失った声で、彼はなおもそれを言い続けようとする。
しかし、そこに水を差したのは、キリオではなくエンジュであった。
「多分、それは無理でした……」
「エンジュ?」
いきなりの彼女の言葉に、キリオも何事かと振り向く。
「無理とは、どういうことでありますか?」
「私は、キリオ伯父さんの後任の聖騎士長で、伯父さんが処刑されたあと、二代皇帝に即位されたカイル陛下と共に、そののちの帝国の舵取りを担っていました」
「まぁ、そうなるでありましょうな。……それで、それが一体?」
いまいち話が見えないキリオが再度尋ねる、エンジュは申し訳なさげにしながら、
「二十年、かかりました」
「二十年?」
「はい。周辺諸国家が団結して成立した反帝国同盟を打倒して、帝国の覇権を完全に確立し終えるまで、二十年かかったんです。本当に、大変でした……」
エンジュが語ったその内容に、テンラと、そしてキリオも揃って驚愕する。
「何と、反帝国同盟でありますか……」
「バカな、そんな……、そんなものが、いつ……!?」
「殿下が御存命のときから極秘裏に進んでいたようです。殿下が即位して、本格的に帝国の方針が切り替わって軍縮が実行された時点で、反帝国同盟は全加盟国による同時宣戦布告をもって、帝国を一気に叩くつもりだったみたいです。でも――」
そこで、エンジュは言葉を切る。そこから先を述べるのは躊躇われたのだろう。
だが、ここまで語られれば誰だってわかる。
キリオの決起が、反帝国同盟の計画を未然に防いだのだ。
テンラの即位がなくなり、帝国の方向転換は実現せず、軍縮を行なわれなかった。
「ジュン君はぁ~、それ知ってたのぉ~?」
スダレが『未来の出戻り』である夫のジュンにそれを尋ねる。
「反帝国同盟と帝国の戦争は知ってたけど、反帝国同盟がそんな前から計画されてたのは知らなかったよ。だから今、歴史の新事実を知ってちょっと感激してる」
やはり三百年もの開きがあると、不明な点もあるようだった。
そして、当時の帝国の当事者であるエンジュからそれを聞かされたテンラは、
「バカな、バカな……! それでは、私は……、私の『正義』は……ッ!」
テンラが語る『正義』は、より正しい統治は――、絵に描いた餅に過ぎなかった。
「殿下……」
床に仰向けに倒れたままの彼を、近寄ったキリオが上から見下ろす。
「キリオ・バーンズ……、私は……」
「気の毒だとは思うでありますが、まだ貴殿との勝負、ついてないでありますよ」
「え」
キリオが、とてもいい笑顔を浮かべて、右足をスッと上げる。
いわゆるY字バランスに近い高さにまで上げる。それを見たテンラが、青ざめる。
「キ、キリオ……」
「家族全員の仕返しは、またあとで盛大に行わせてもらうであります。が、それはそれとしてそれがしの鬱憤がまだ晴れてないので、顔面凹ますであります」
「待てッ、ま、待……ッ!」
「ぃよいっしょォォォォォォォォ――――ッ!」
「ごぎゃうッ!?」
キリオ、テンラの顔面に、向かって四股を踏む。
二度、三度と勢いよくかかとをブチ込まれて、テンラの顔面は本当に凹んだ。
「ぁ、あ、ぁ……」
テンラは死んではいないが、頭蓋骨を砕かれて瀕死の状態に陥る。
「今はこれくらいにしておいてやるでありますよ、殿下」
血にまみれた右足をテンラの顔からどかし、キリオはつまらなさげに目を離した。
「キリオよ、迷惑をかけたな」
「シンラの兄貴殿が謝ることではないでありますが、殿下は――」
「余は何も言わぬ。好きにするがよい」
辛そうではあったが、シンラはそれ以上は何も言わなかった。
そして、テンラが倒れたことで、この一件で残った大きな謎はあと一つ。
「……テンラはどうやって『キリオ』になったんだ?」
ケントが切り出したそれである。
「魔法か? 古代遺物? いや、そんなものは聞いたことがないぜ?」
「そうでありましょう、お師匠様。それがしもそういった者は知りません。姿形を複製するならまだしも、テンラ殿下は完全にそれがしになっていたでありましょう?」
「はい、それは……」
ほとんど誰よりもキリオのことをよく知るマリエまでもが、それに同意を示す。
「『彼』は確かに『キリオ』様でした。姿を似せているだけ、というレベルではなく、本人そのものでした。でも、どうやって? 本人をもう一人増やすなんて……」
「魔法でもない。古代遺物でもない。……だったら可能性は一つであります」
そしてキリオは、ある一方に目を向ける。
これまでずっと沈黙を貫き通している《《彼女》》の方へと――。
「サティ」
「…………」
呼ばれても応えない彼女に、キリオも苦しげに顔を歪ませて、もう一度呼ぶ。
「サティ、違うなら違うと言ってほしい」
キリオはそう前置きしてから、サティに自分の推論を聞かせる。
「殿下を『キリオ』に変えたのは、おまえの異能態なんだろう」
場に、何度目かになる衝撃が奔った。




