第336話 ジャッジメント・デイ/ずっと、これを言いたかった
まさに、騒然。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお! やったあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「わぁ、わぁ、わぁわぁわぁ! すご~い! ラララお姉ちゃん勝ったよぉ~!」
ラララの勝利を前に、タマキとヒナタのように大騒ぎする者もいれば、
「えぇ……」
「嘘、だろ。え、マジで、か……?」
シイナとタクマのように、騒ぐこともできず呆気にとられる者もいる。
「……勝ったのか、ラララよ」
「こいつはどうにも、参ったねぇ」
シンラと美沙子は目の前にある光景を深く噛み締め、小声で呟き、
「驚きましたね……、見事でしたよ、ラララちゃん――」
リリスは、二人と同じように噛み締めつつ、素直にラララへの称賛を贈る。
そしてスダレは、完全にフリーズしていた。
「……スダレ?」
動かなくなった妻に不安になったジュンが問いかけると、スダレの唇だけが動く。
「ジュン君、ウチ」
「何だい? どうかした?」
「ウチ、ちょっと現実感がない……」
おそらく、当事者を除けば、この場で最もショックを受けたのはスダレだった。
「ラララちゃんは勝てないって、思ってたの……。絶対に勝ち目はない、って……」
「それは、どうして?」
「ウチの手の中にある情報が、そういう結論を導き出すから」
過去に囚われず、記憶に流されず、スダレは調べた情報をもとに推測を固める。
だが、今回、目の前に現れた結末は、その彼女の推測をも覆してのけた。
「異能態のあるなしは、おララちゃんの件とは別。ウチは、そう考えてた。でも、ウチの推測は当たらずに外れた。当然だと思ってた結末は、当然じゃなくなった……」
「スダレ……?」
「もしかして、それは他にも同じことが言える? ウチ達が当たり前だと思っていることは、当たり前じゃない? ……本当に、ウチ達は異能態の支配を受けている?」
ブツブツ呟いているスダレの声は、近くにいるキリオにも聞こえていた。
だが彼はそれに反応することはせず、ある一方へと目をやっている。
――そこにいるのは『キリオ・バーンズ』。
「バカな……」
初めてだった。
これまで、いつでも余裕を崩さなかった老紳士が、初めて焦りを露わにしていた。
しわだらけのその頬を、一筋の汗が伝い落ちていく。
「ママァ――――ッ!」
エンジュが、血相を変えて飛び出していく。
それを止める者はいない。彼女に意識を割けるだけの余裕を、誰も持っていない。
ラララの勝利は、それほどまでにバーンズ家に強いインパクトを与えていた。
だが、と、キリオは考える。
ここまでは目論見通りにコトが推移している。
しかし、本番はむしろこれから。
エンジュは未だ精神を囚われている。それを戻せるかどうかが、ラララの本題だ。
「やり切るでありますよ、ラララ」
再び戦場へと視線を戻して、キリオは一層強く拳を握り締めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
エンジュが、半泣きになりながら戦場へとやってきた。
「ママ、ママッ! そんな、嘘よ、こんなの嘘よ、ママァ!」
彼女は地面にブチまけられた五百十二の肉片を前に膝をつき、頭を抱え絶叫する。
「エンジュ――」
その様を目の前で見て、ラララは内心に舌を打った。
自らの勝利によって、エンジュの精神にショックを与えることはできた。
しかし、まだ洗脳が解けるには至っていない。
サイディが施した呪いが、それだけ強固だということか。
なまじ、一度解けかけてしまったのが災いしたか。
あれがあったから、サイディはエンジュへの洗脳を強めてしまった。
「うあああああああ、おまえ! よくも、よくもママをォ!」
怒声を響かせ、エンジュが細切れの肉片とかしたサイディに蘇生アイテムを使う。
五百十二もの肉片になろうとも、死体が大半以上残っていれば、蘇生は可能だ。
「ママ! 起きて、ママ!」
再生したサイディを、エンジュが揺り起こそうとする。
閉じられていたサイディのまぶたがゆっくりと開かれていく。
「ママ、よかった……」
「ア、ァア? ……エンジュ。ここハ?」
身を起こしたサイディが、辺りを見回そうとして二刀を携えたラララを見る。
「ウッ、テ、テメェ……ッ!?」
「おはよう。負け犬サイディ。八つ裂きの八つ裂きの八つ裂きにされた気分は?」
ギョッとするサイディを、ラララはあえて挑発する。
このあとの展開はわかりきっている。この狂犬が、一度の敗北で納得するものか。
「テメェ、まぐれ一回勝ったからって調子に乗ってんジャネェゾ!」
立ち上がったサイディが、異面体『牙煉屠』を具現化させる。
ほらね、やっぱりこうなった。ラララは胸中で軽く嘆息する。
「そうよ……、ママは負けてない。まだ、負けてないわ!」
エンジュがサイディの隣で、ラララを殺したそうな目で見つめてくる。
その瞳に宿る、濁った光。未だ、エンジュの心は呪いの鎖に縛られているのだ。
「見ていればいいよ、エンジュ」
「気安く名前を呼ぶな! おまえなんか、ママに細切れにされればいいのよ!」
「HA、HAHAHAHAHA! だってよ、ラララァ!」
何故そこでサイディが一緒になって笑えるのか、それがわからない。
まだ、自分に肉片にされて三分も経っていないのに。
「ここからが本当の『最終決闘』ダゼ、ラララ」
「よくもまぁ、いけしゃあしゃあと言えたもんだね、サイディ」
「うるセェ! 今度こそテメェに身の程教えてやるって言ってんダヨ、カス女ガ!」
がなりたてるサイディを前に、ラララが思うのは『よく吠えるなぁ』という感想。
「何だっけ……?」
「ンダヨ?」
「ああ、そうそう。『弱い犬ほどよく吼える』だ。まさに今のおまえだね」
「テメ……ッ!」
言って、軽く笑うラララに、サイディが咆哮と共に襲いかかろうとする。
だが次の瞬間、すでにその懐に、ラララは飛び込んでいた。
「ア、エ……?」
動きを固まらせ、肉薄したラララを見下ろし、サイディが呆然となる。
「そっちが先に襲ってきたんだ。文句は、言わせないぜ?」
サイディが見ている前で、ラララの二刀が輝きを奔らせる。
それは、間近に見るエンジュでも捉えきれない、超高速の剣閃。怒涛の連続攻撃。
「カ――」
「今回は、八つ裂きの八つ裂き程度で済ませてやるよ、サイディ」
蘇生されてちょうど一分、サイディは今度は六十四の肉片となって地面に散った。
「ママァァァァァァァァァァァ――――ッ!?」
今度はごく間近での、エンジュの悲鳴。まだ呪縛は解けていない、か。
エンジュが、ばらまかれたサイディの肉片をかき集めて再び蘇生をしようとする。
「言っておくけどね、エンジュ。サイディはもう二度と私には勝てないよ」
「うるさい、うるさい、うるさいッ、ぉ、おまえなんか、お、お、おまえなんか!」
尋常ではない顔つきで、エンジュはラララを罵って、サイディを蘇生する。
様子を見るに、彼女の精神は大きくグラつき始めている。効果はあったようだ。
「ママ……」
生き返ったサイディに、エンジュが寄り添おうとする。
だが、サイディはそんな娘のことなど眼中にないかのように、地面を叩きつける。
「クソッ、クソォォォォォ! 何でダ、何で勝てネェンダ、このワタシガァ!」
「もう一回やってみるかい、サイディ。私は別に、何回やってもいいけど?」
「うグ……ッ!?」
四つん這いになっているサイディへ、ラララは上から声をかける。
するとサイディはその顔を明らかな怯えに歪めて、逃げるようにして目を背ける。
「ママ、どうしたの? 何で言い返さないの、ママ……?」
その反応に、エンジュが意外そうな顔をする。
彼女はきっと、サイディのさらなる挑戦を思い描いていたのだろう。
「グ、ググ、ク、クソ……ッ!」
「ママ? 嘘でしょ、ママ? この女を殺して、パパを取り戻すんでしょ!?」
怯えきって動かなくなっているサイディを、エンジュが横から揺さぶる。
ラララは手に二刀を持ったまま、彼女に向かって笑いかける。
「サイディはもう無理だよ、エンジュ。私とサイディの格付けは終わった。こいつは野生の獣だ。勝てない相手とは絶対に戦わない。ねぇ、そうだよね、サイディ?」
「ママ……?」
ラララに促され、エンジュがサイディへの視線を強める。
だが、サイディはその場に座り込んだまま、顔を背けて黙りこくっている。
「嘘でしょ? 嘘よ、ママ! しっかりして! 二人でパパを取り戻すんでしょ!」
「うるせェンダヨ、小娘ガッ! だったらテメェがやりヤガレ!」
「あうッ!」
罵声と共に振るわれた平手が、エンジュの頬をひっぱたく。
エンジュは勢い余ってその場に倒れ、サイディは顔に壊れかけた笑みを浮かべる。
「そうサ、そうダゼ。何でワタシだけが前に出なくちゃいけネェ? テメェはパパを取り戻したいんだよナァ、エンジュ~? ならテメェがやれヨ。テメェが戦エ!」
「そ、そんな……、ママ……」
叩かれた頬を手で押さえ、エンジュが唖然となってサイディを見る。
ラララが、深くため息をついた。
「この数分間で、随分と堕ちちゃったね、サイディ」
「キ、ヒヒヒヒ! 黙りナ、ラララ! ワタシは知ってるんダゼ、テメェはエンジュには刃を向けられネェ。エンジュとは戦えねぇってナァ! ブチ殺されチマエ!」
地面にへたり込んだまま、サイディがラララを指さしてゲヒャゲヒャ笑う。
エンジュは、しばし母と呼んだ女を眺め、すっくと立ち上がる。
「――見ててね、ママ」
言って、その手に現れるのは白木拵の日本刀の形状をした異面体『矛洛雲』。
「エンジュ、本気? あなたまだ、その女をママと呼ぶの?」
「うるさい。戦いなさいよ、ラララ・バーンズ。私が、パパを助ける……!」
レンズにヒビが入った眼鏡越しに、エンジュの烈々たる気合がラララに伝わる。
「ヒャヒャヒャヒャ! いい子ダ、エンジュ! その女をバラバラにしてヤレェ!」
もはや、サイディは自分から前に出る気は皆無のようだった。
剣士の誇りなどあったものではない。今の彼女は正真正銘、ただの卑怯者だ。
ラララはもう、サイディについては意に介すつもりもない。
相対するはエンジュ・レフィード。卑怯者の野良犬をママと慕う、自分の娘。
「エンジュ、どうしても私と戦うのね」
「何度も同じことをきくな! 私はおまえを討って、パパを取り戻すのよ!」
「そう、わかったわ」
「やっとわかってくれたの? だったら構えなさい、『比翼剣聖』!」
「その必要は、ないわ」
ラララはかぶりを振ると、右手の『士烙草』と左手の『羽々斬』を地面に突き立てた。
「……何のつもりよ、ラララ・バーンズ?」
彼女の行動の意味がわからず、エンジュは眉根を寄せて問う。
「無論、準備よ」
「準備……?」
「そう、エンジュが相手となれば、《《私も本気を出さざるを得ないもの》》」
「え……」
「ナ、何を言ってヤガル……!?」
ラララが何気なく告げた一言に、エンジュとサイディが揃って驚嘆する。
「サイディとの決闘のとき、いつ、私が本気を出したって言ったの?」
そう言って、ラララはニヤリと笑って突き立てた二刀を強く握りしめる。
そして、そして――、《《その足元から》》、《《目に見えない力が渦を巻いて立ちのぼる》》。
「ソ、ソイツァ、まさカ……!?」
「別に、驚くようなことはないんじゃない、サイディ」
轟々と、渦巻く力のさなかに、ラララは小さく笑みを浮かべる。
吹き荒れる風に短い髪を乱れさせ、彼女はさらに渦巻く力を高め、迸らせていく。
「私だって、キリオお兄ちゃんと同じだ。この72時間を、ずっと一緒に過ごしてきた。だったら――、私が『真念』に目覚めたって、何もおかしくはないでしょ?」
さらに高まる、渦巻く力。
それは、徐々に輝きを帯び始めて、ラララの姿を覆い隠していく。
「何、これは、何が起きているっていうの……!?」
「嘘ダ、ソ、ソンナ、ソンナコトがあってたまるカァァァァァァァ――――ッ!」
それぞれ反応を見せる二人の前で、輝ける力の渦が光の柱となって天を衝き刺す。
そして、それはついに臨界に立って、無音の爆発へと至る。
「ぅ、うう……ッ!」
全身に叩きつけてくる爆風を何とか堪え、エンジュが、視線を前方へと戻す。
そこに、いた。
握っていた二刀が消え失せて、代わりに両腕に虹色の輝きを帯びた彼女が、いた。
「さぁ、刮目しなさい。これが私の、ラララ・バーンズの真骨頂」
ラララが両腕を大きく広げて、エンジュに自らを誇り、示す。
「異能態――、『神薙士烙草』」
静かな声で名を告げる彼女に、見ている誰もが圧倒される。
「ウ、ァ、ァァ、ア、ァ……ッ」
サイディなどは、もはや言葉も出ない様子だ。
だが彼女より、ラララと相対しているエンジュの方が、遥かに呑まれかけている。
「な、何で、剣が……?」
「これは『無刀取り』の異能態、今の私に剣は必要ないわ、エンジュ」
剣を握らぬラララは、だが、圧倒的な存在感をもってそこに立っている。
ムラクモを構えながらも、エンジュは完全に気圧されていた。
「ぅ、あ……」
「どうしたの、エンジュ。来ないの? あなたも、サイディと同じなの?」
「……ッ、ぐ、ぬ!」
サイディと同じ。
その言葉が、エンジュに突き刺さったようだった。
ひるみながらも、彼女は顔にわずかばかりの戦意を浮かべ、ラララを睨み据える。
「私は、パパを救う。わ、私が、私がパパを、救って、みせる……!」
「大した気概ね。でも、口だけじゃ何もできないわよ?」
「ううう、ぅぅぅぅぅぅ……!」
言われて、エンジュは恐れに身を強張らせながらも、その顔を悔しげに歪める。
そして、彼女は気合を振り絞って、腹の底から声を張り上げる。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
エンジュ、突進。
ラララに向かって一直線に駆け出して、ムラクモによる突きを繰り出す。
「私が、パパを助けるんだァァァァァァァァァァァ――――ッ!」
半ば敗北を覚悟しての、捨て身の特攻。
死んでもタイジュを救わんとするその覚悟と気概に、ラララは嬉しそうに笑う。
「やっぱり、エンジュはいい子だよね」
そして、ムラクモの切っ先が、ラララの胸を深々と抉った。
「――――え?」
腕に伝わる手応えに、それが意味するものに、エンジュは呆けた声を出す。
そんな彼女を、包むように抱きしめる、ラララの両腕。
そして、ラララは、彼女の耳元に囁いた。
「嘘よ。私、異能態なんて、使えないわ」
「え、な、何で……?」
「ちょっとベリーちゃんに手伝ってもらって、それっぽく演出しただけ。驚いた?」
言いながら、胸のど真ん中を貫かれたラララは口から血を一筋垂らす。
けれど、そんなのまるで気にせず、彼女は硬直しているエンジュに自ら身を寄せ、
「ああ、やっとあなたを抱きしめられたわ、エンジュ」
その右手で、異世界でやったように、娘の頭をやさしく撫でつけた。
「がんばったね。えらいね。お父さんのために、戦ってくれたんだね」
「ぁ、あ……」
撫でられ、褒められ、硬いままのエンジュの体から、少しずつ力が抜けていく。
「ああ、エンジュの髪は、やっぱりサラサラだね。異世界でもこっちでもそれは変わらないんだね。よかった。エンジュが、エンジュのままでよかった――」
「ぅ、ぁ、ぁぁ……」
力は抜けきり、抱かれてるエンジュの体が今度は少しずつ震えはじめる。
伝わっているのだ。
ラララから溢れる想いが、愛情が、娘に決して刃を向けなかった、その真心が。
「覚えていてね、エンジュ。これがお母さんの腕の感触だよ、忘れないでね」
「ぁぁ、ぁぁぁぁ、ああ……、お、おか……」
震えが激しくなっていく。
エンジュの中にある心を縛るものが、ぬくもりに晒されて雪のように溶けていく。
「こっちであなたに会えたときから、ずっと、これを言いたかった」
瞳を揺らす娘に、ラララは優しい母親の笑顔を見せて、明るく告げる。
「大好きよ、エンジュ。あなたのこと、愛してるわ」
ラララの全身から力が抜けた。娘を抱きしめたまま、彼女は息絶えた。
崩れ落ちようとするラララをその両腕で抱き支え、エンジュが涙と共に絶叫する。
「お母さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――んッッ!」
――世界に、亀裂が入った。




