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【連載版】出戻り転生傭兵の俺のモットーは『やられたらやり返しすぎる』です  作者: 楽市
第十三章 怒りと赦しのジャッジメント・デイ

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第330話 終末前日譚/菅谷真理恵の崩壊:後

 崩落した家屋の瓦礫の上に立ち、キリオは彼女を待ち構える。

 彼女が歩むたび、重い音が響いて地面が震える。


 今の彼女は、この世界で最も凶悪で醜悪なバケモノと化している。

 まだ少し距離があるのに、すでに、キリオの足は震えている。本能が恐れている。


「キィィィィィィィィィィィ」「リィィィィ」「キィィィィィリィィィィ」「オオオォォォォォォォォ」「さまァァァァァ……」「ざぁまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 十あるマリエの顔がそれぞれ違う声を出してキリオを呼ぶ。

 だが、それはこの場にいる彼ではない。ホテルでふんぞり返っている『彼』だ。


「マリエ……」


 キリオの手が、胸元に伸びる。

 服の上から握った手の中に感じる、カディナ銀の指輪の感触。

 例え幻であっても、彼はそこにかつての妻の声を感じる。


 ――あなた様、御武運を。


 これはただの錯覚だ。だが、錯覚でいい。

 そんなものでも、マリエがそばにいると思うことができるから。


 今の自分にできることは、極めて限られている。

 いや、守勢に回る以外にできることなんて、何もない。相手は不死不滅の怪物。

 自分の目的は、あくまでもマリエを救うこと。彼女を死なせる気はない。


 そして、ここで遭遇できたことは、ある意味では僥倖だった。

 ガルさんはマリエは元に戻れないと言ったが、キリオには希望が残されていた。


「今この場で、それがしは『真念』に至る」


 あの『キリオ』の異能態。

 己の思う形に現実を改変することができる『不落戴冠儀(フラクタイカンギ)』。


「それさえ使えれば、マリエを戻せる」


 とんだ皮算用。だが、キリオは藁をも掴む思いでそれを言っている。

 サティのこともあって、まだ何も解決していない。

 しかし、やらねばマリエは滅びてしまうかもしれない。それは看過できない。


「ミィィィィィィィィ」「スゥタァァァァァァァ」「アァァァァアアアアァァァァ」「ころ」「ろす」「ころす」「ころす」「ころずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

「それがしは『ミスター』ではない。それがしの名は、キリオ・バーンズだ!」


 ついに姿を現した邪獣(ベリアル)マリエを前に、キリオは胸を張って自ら名乗る。


「「「ヴォオォォォォああぁぁ……、あああぁぁぁぁああああァァアァァァ!」」」


 尾と、触手と、左腕のオオアギトが一斉にキリオに襲いかかってくる。

 それはもはや肉の雨、質量の雨、暴力の嵐。


「……『不落戴(フラクタイ)』!」


 キリオは冷静に自身の異面体を再展開し、マントで身を守る。

 異世界にて聖騎士として数多の戦いを生き抜いた彼の豊富な経験値が告げている。


 目だ。マリエの目にさえ注意すれば、自分が倒れることはない。

 強力な呪いを宿したマリエの視線だけが、今のキリオには脅威となりうる。


「「「ヴォオオオオオオオオオァァァァァァァァァアアアアアア――――ッ!」」」


 幾つものマリエの顔の咆哮が混じり合った、その絶叫。

 それにもまた、ドス黒い呪詛が宿っている。

 声が響いた範囲が黒く濁って、ジュウジュウと音を立てて融解していく。


 自分の能力が無敵化でなかったら、近づくこともままならない。

 今のマリエは、存在そのものが万物を冒す呪詛の塊。抗えるものはごく少ない。


「だがそれも、おまえの想いゆえなのだろう、マリエ?」


 邪獣の力は基となった人間の魂の力に比例する。

 そして魂の力とは、想いの力。心の輝き。胸の奥に滾る莫大な熱量。


「おまえがそんな姿になったのは、キリオ・バーンズのためなんだろう!?」

「キィィィィィィィアアアアアァァァァァァァァァァァァァ――――ッ!」


 マリエの両腕が、キリオを上から潰しにかかる。

 それをマントと耐えで払い除け、彼はマリエに向かって呼びかけ続けた。


「それがしは、おまえから目を背けんであります。おまえのその姿を否定しない!」


 今のマリエは、正気であるかもさだかではない。

 呼びかけ続けたところで、効果は見込めない。だがそんなことは関係なかった。


「マリエ、覚えているか。おまえとそれがしの出会いを! あの奴隷商人の店を!」

「あなぁ」「なだ……」「ざぁまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 まるで聞こえていない。反応がない。逃げるキリオを追って、破壊を撒き散らす。


「あのときのおまえは、それがしと同じだった! 大きすぎる悲しみに心がついていけず、泣くことさえままならない、そんな子供であった。覚えているか、マリエ!」

「ミィィィィィズダアアアアアァァァァァァァァァアアアアアアア――――ッ!」


 十あるマリエの顔が、大きく口を開く。

 そこから、強い粘性を伴った黒いヘドロが、一斉に吐き出される。


「く――」


 キリオがその場を飛び退く。

 ヘドロがビシャリとかかった場所が、激しい音を立てて溶け出していく。


 今のは、具象化した呪い。

 生物はおろか、無機物ですら関係なく冒して、瞬く間に滅びを与える。


 今のマリエはひたすらに『おぞましい』の一語に尽きる。

 それも、そう仕向けたのはあの『キリオ・バーンズ』に他ならない。あの男が。


「……『キリオ』!」


 キリオはその名を呻いて、拳を握る。

 強い憤りが彼の中で高まって、足元から目に見えない力の渦が生じる。


「『怒り』よ、我が『怒り』よ!」


 マリエの攻勢を盾で防ぎ、キリオは己へと声を張り上げた。


「今だ。今しかないんだ! もっと怒れ、キリオ・バーンズ! 今がそのとき――」


 全身を、いきなり激痛が駆け巡った。


「ぐぅ、お……ッ!?」


 突然すぎて堪えきれず、彼はその場に膝をつく。


「さすがに、全部はかわしきれんでありますか……」


 全身を蝕むジクジクとした不快な感覚に、キリオは軽く苦笑した。

 目が、合ってしまった。

 ほんの一瞬ではあったが、マリエの顔の一つと視線を交わらせてしまったのだ。


 一秒にも満たない刹那だったが、それでこれだ。

 細胞と細胞の間に焼けた針を突き刺されたような、激しい熱さと鋭い痛み。


 キリオは、近くの地面を見る。

 マリエが放った呪いに冒されてグズグズに崩れ、煙を上げている。

 まともに視線を合わせれば、自分もああなる。


 一瞬、逃げようかとも思った。

 聖騎士長としての認識は、彼にここでの撤退を訴えている。


 しかし、マリエの崩壊がいつ始まるかわからない以上、この機会は逃せない。

 もしかしたら、これが最後のチャンスかもしれないのだ。


「フン、上等でありますよ……!」


 消えない痛みを堪え、キリオは立ち上がる。

 そして彼は、迫るマリエを前に盾を構え、大声で挑発する。


「来るでありますよ、マリエ! それがしは、まだここに立っているぞ!」

「「「ミィィィィィィズゥダァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアッ!」」」

「それがしは、キリオ・バーンズだ!」


 再び始まる絶望的な攻防。

 キリオはマリエの攻撃をほぼ防いでいるが、全ての視線を避けきれない。


 彼女の頭部は十あって、瞳は二十あり、首は蛇のように長く長く伸びている。

 事実上、どこに逃げてもマリエの視線を浴びることになる。


 目隠しをしても、まぶたを閉じても無駄。

 マリエの視線に宿る呪いは、そんなものは貫通してキリオの瞳に届く。


 ジワリジワリと、キリオの身がマリエの呪いに蝕まれていく。

 それでもまだもってるのは、フラクタイが呪いを大幅に軽減しているからだ。


 耐えられる。戦える。

 自分はまだまだやれる。この程度の痛み、気にするまでもない。

 そう己を奮い立たせ、キリオはマリエに語り続ける。


「マリエ! それがしがおまえに婚姻を申し込んだとき、おまえはどんな気持ちだった! それがしは、人生でも屈指の重大な決意をもっておまえにそれを伝えたぞ!」

「「「グゥゥゥアアアアアアアアアァァァァァァァァアァァァ――――ッ!」」」


 やはり返事はない。

 邪獣となったマリエは、辺りの建物を巻き込んで暴れ続けるだけだ。

 その姿を直視して、キリオの中にさらに『怒り』が高まる。


「ぐ、ぅぅ、おおおおお……! おおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」


 そして、キリオの咆哮。

 もはや彼の周りに渦巻く力は、土砂を巻き上げるほどの高まりを見せていた。

 これまでにない手応えを感じる。自分は、届きつつある。


「怒れ――、怒れ――、もっと強く激しく怒れ、怒って、私は……!」


 邪獣マリエと真っ向から相対し、キリオが力を膨れ上がらせる。

 力が渦を巻く。嵐となる。彼の『怒り』が形を取りかける。


 怒れ、怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ怒れ、怒れ!

 今こそ、己の全てを怒りで染めあげろ! 自らを『怒り』の権化としろ、キリオ!


「キリオ」「キ」「キリ」「オ」「様……」「キリオ様……!」「あなたざまッ」「あぁなだざまァァァァァァァァァァ!」「ああああああああああああああああ!」


 聞こえる、悲鳴のような、マリエの声。


「――――ぁ」


 脳裏に浮かぶ、彼女の顔。耳の奥によみがえる、彼女の声。


『あなた様――、今まで、ありがとうございました』


 そして落とされる、ギロチンの刃。


「……マリエ」


 キリオを中心として渦巻いていた力が、一瞬で霧散する。

 そして、両腕をブランと垂れさせて、キリオは完全に無防備になってしまう。


「「「ミズダァァアアアアアアァァァァァァァァァァァァアアアアアアアア!」」」


 六本あるマリエの左腕が、キリオに叩きつけられる。

 そして彼は、周囲の瓦礫と共にまたしても100m超の距離を吹き飛ばされた。


「ぐ、ぉぉ……ッ」


 フラクタイによって傷はない。しかし、また視線を浴びてしまった。

 キリオの全身から煙が上がっている。

 体内に蓄積された呪いが、彼の身を焼き始めている。


「クソ……ッ、ダメ、なのか……!」


 倒れ伏したまま、キリオの右手の指が鉤を作って地面をガリリと強く掻く。

 今までにない、会心の反応だった。本当に、もう少しだった。


 だが、届かなかった。

 もうすぐ掴めるというところまで来たのに、あの光景がフラッシュバックした。


「やはり、今のままでは不可能なのか……」


 地面を幾度も叩いて、彼は奥歯を思い切り噛み締めた。

 口の中に広がる苦い血の味。その苦さは、マリエの視線から受けた呪毒の味。


「……打つ手が、ない」


 今この場で『真念』に至るのが無理ならば、もう、キリオにできることはない。

 マリエの足音が聞こえる。もうすぐ、この場にやってくる。


「マリエ。ダメなのか。私は、おまえを救えないのか……?」


 半ば絶望と共にその弱音を吐いて、キリオは何とか立ち上がる。

 すると、目の前にマリエが立っていた。巨体が、壁のようにそそり立っている。


「逃げ場はない、か……」


 キリオが、フラクタイを再展開する。

 元より逃げるつもりなどなく、最後の最後まで、キリオは諦めようとは思わない。


「ただ一度の失敗で懲りるつもりなどない。それがしはバカなのでな! 学ぶことなく、幾度でも繰り返してやろうではないか。来るがいいでありますよ、マリエ!」


 悲愴な覚悟と共に、キリオは叫ぶ。

 今後に及んで彼の中に『マリエを殺す』という選択肢はなかった。


「…………」「…………」「…………」「…………」「…………」「…………」


 だが、キリオが構えをとっても、マリエに動きはなかった。

 変わり果てたその身で立ち尽くしたまま、彼に対して一切反応を見せてこない。


「……マリエ?」


 小さくその名を呼んだ直後、電撃のように走り抜ける一つの予感。


「まさか、マリエ……!?」


 限界まで見開かれたキリオの目が、その様を見てしまう。

 動かなくなったマリエの顔の一つが、急激に膨れて無残な変形を遂げていく。


「あなだ。ざッ」


 ボグッ、という鈍い音がして、その顔は内側から爆ぜた。

 辺りに骨と肉片とをビシャビシャと散らして、大量の血液が場にブチまけられる。


「あ、ァ……、あああ、ぁ……!」


 キリオは口を開け、のどの奥から悲鳴にもならない呻きを漏らす。


「「「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!」」」


 その場に轟く、マリエの悲鳴。

 巨体のそこかしこが不規則に膨張して、顔と同じように内から破裂していく。


「……崩壊」


 マリエの崩壊が、ついに始まったのだ。


「マリエ、マリエェェェェェェェェェ――――ッ!」


 キリオは動転した。その影響でフラクタイも消える。

 そして彼は、肉を爆ぜさせ、血を散らすマリエへ不用意に近づいてしまう。


「ミィィィィズダァァァァァァァァアァァァァ――――ッ」


 マリエの殺意は、何ら鈍っていないというのに。


「――しまっ」


 気づいたときにはもう遅い。

 鋭い鉤爪が生えた触手が、キリオめがけて放たれる。フラクタイ、間に合わない。


「ダメェェェェェェェェェェェェェェェェェ――――ッ!」


 悲痛な叫びと共に、飛び込んできたのは、サティ。

 彼女はキリオの前に立って、自ら体を張って彼を庇おうとする。


「サティ……ッ」


 伸びる触手は、サティの右脇腹を貫通し、その軌道を大きく歪ませる。

 そして、キリオの身を抉るはずだった鉤爪は、彼の服をかすめるだけに留まった。


「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」


 キリオがフラクタイを展開し、手にした剣でサティを貫く触手を切り飛ばす。

 彼女は、口から血を流しながら振り向き、微笑んだ。


「ご無事ですか、キリオ、さ、ま……」

「サティィィィィィィィィィィィィィィィィィ――――ッ!」


 力を失い崩れ落ちる彼女へ、キリオは絶叫しながら手を伸ばそうとする。

 そこへ、肉体の崩壊を加速させながらも、マリエが迫ってくる。


「ミズダァ、ぁぁあ、ァァ、あ、あああああああああああああああああああああ!」


 腕を、触手を、尾を、アギトを、全て振り上げ彼女はキリオを圧し潰しにかかる。

 しかし、残された九つの顔が、十八の瞳が、キラリと輝くものを見た。


 それは銀のチェーンに通されたカディナ銀の指輪。

 鉤爪がかすめた際、キリオの服が裂かれ、そこから銀の指輪が覗いていた。


「あ」


 その一声と共に、マリエの動きが止まる。

 そして――、


「ああああああああああ」「あああああああ」「あああああああああああああああああああ」「あああああああああああああああああああああああああああああ!」


 悲鳴。悲鳴。悲鳴。慟哭。

 マリエの肉体は崩壊による破裂と不死性からの再生を繰り返し、やがて、


「「「ああああああああああああああああああああああああああああああ!」」」


 彼女は残る九つの顔の全てで黒い血の涙を流しながら叫び、翼を広げる。


「マリエ……!」


 飛翔し、いずこかへと逃げ去る彼女を、しかし、キリオは追うことができない。

 彼の腕の中には、気を失ったサティがいた。


「……何故だ」


 悪化の一途を辿る現状に、キリオは苦い声でそう呟くしかなかった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ――まさに、極めつけ。


「ガルさん、今、何と……?」

『理解できないなら何度でも言ってやる。サティは死ぬ。マリエが生きている限り、確実に死ぬ。全身を、マリエの呪毒に冒されてしまっているからな……」


 住宅地から離れた、とあるビルの屋上でのことだ。

 飛翔の魔法でそこまで移動し、キリオはサティを寝かせた。


 彼女は、きちんと服を着ていた。

 収納空間にでも入れておいた予備の服なのだろう。


 だが、今はそんなことはどうでもいい。

 マリエの触手に貫かれた傷は、キリオが全回復魔法で癒して塞いだ。


 だが、安心はできなかった。彼女の右わき腹が黒く変色していたのだ。

 しかも変色した部位は、さらにジワジワとサティの全身に広がりを見せつつある。


『呪毒だ』


 ガルさんが語る。


『邪獣の呪毒がサティを冒しつつある。このままではサティは全身に呪毒による腐蝕が及び、一日もたず魂のレベルで死んでしまうぞ。そうなれば、蘇生も不可能だ』

「何で、こんな……」

『サティを救う方法は、貴様の『真念』到達を除けば、一つしかない』


 呆然となっているキリオに、ガルさんは淡々と事実だけを伝えていく。


『唯一の方法は、呪詛の根源を断つこと』


 ガルさんが語るその方法は、即ち――、


『マリエを、殺すことだ』


 その言葉が、動けずにいるキリオの心に痛烈に響き渡った。

※作者より:散々長引かせてごめんなさい。次回より最終局面、ご期待ください!

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