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【連載版】出戻り転生傭兵の俺のモットーは『やられたらやり返しすぎる』です  作者: 楽市
第十三章 怒りと赦しのジャッジメント・デイ

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第329話 終末前日譚/菅谷真理恵の崩壊:前

 壁に空いた大穴から、朝日が射し込んでいる。

 それと共に吹き込む風が、しわだらけの彼の頬を緩く撫でている。


「そうか、行ったのか、マリエ」


 呟いたのは、バーンズ家四男『キリオ・バーンズ』であった。

 朝方、大きな音がして部屋に来てみれば、この有様だった。

 部屋に閉じ込めておいたはずの妻の姿はどこかへ消え失せてしまっていた。


「ああ、これは仕方がないな。何ということだ、これは仕方がない」


 開け放たれたドアの前で、彼は特に顔に何の感慨も浮かべずにそんなことを呟く。


「私としては今夜の催しを楽しみにしていたのだがね、ままならないものだ」


 それは言い訳、ではない。

 ただの独り言、でもない。


「妻の私への愛情が、それだけ強かったということだ。この暴走は仕方がない」


 ただ、愉しんでいるだけ。

 絶対的な勝利が約束された盤面で起きる出来事を、俯瞰し笑っているだけだ。


「彼女に持たせた魔剣の臨界点が近かったのは、何かの偶然だろう」


 そして『キリオ』は肩をすくめて、ため息をついた。


「悲しいことだ。あの子の身はすでに限界が近いというのに、まさかそんな状態であるにもかかわらず、私のために『ミスター』を討ちに行ってくれるとは。感激だよ」


 声に、喜悦の色がにじむ。


「マリエ、いとしき我が妻よ。君の献身と犠牲は、この世界の何よりも尊いものだ。私は夫として、その想いに必ずや応えてみせるよ。君にあの魔剣を渡してよかった」


 口角が上がる。

 しわだらけの彼の顔の口角が、どんどんと吊り上がる。


「――どうか、若き『私』諸共死んでくれ」



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 キリオの正気に放射状の亀裂が入る。

 彼が目にしたのは、この世界に存在してはならない光景。歪みの極点。邪悪の姿。


「キリ」「キリ」「リオ」「リオ」「オ様」「様」「マママ」「さささまままま」「まあああああああ」「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあァ――――ッ!」


 十個あるマリエの顔が、それぞれ違う音階の声を出し、不協和音を奏でる。

 そしてその視線は、全てキリオへと注がれて――、


「……ッ! ――『不落戴(フラクタイ)』ッ!」


 間一髪、展開したマントでマリエの視界から己を覆い隠すことに何とか成功する。

 直後、周囲に響いたのはジジュッ、という高熱が物体を焼き尽くす音。


 キリオが辺りに視線を配れば、自分の周りの道路が黒く焦げついていた。

 一部は融解し、黒い煙を上げている場所もある。


「ああああああああああぁぁぁぁぁぁ」「ああああああうあああぁぁぁぁぁあああ」「ヴぁああああああアアァァァァァ」「ぃぃぃああああぁぁぁぁああああああああ」


 蛇のように長い首を持ったマリエの十の頭が、グネグネとうねりながら声を出す。

 その見た目たるや、現実感を欠いた前衛芸術のようなグロテスクさだ。


「光熱線。……いや、違うでありますな。ありゃ、呪いの視線。邪視でありますな」


 道路を焼いたのは熱ではなく、超高密度の呪い。

 世にある全てを蝕む、強烈極まる呪詛のまなざしであった。


 魔眼、もしくは邪眼とも称されるものだが、物理的な熱量まで有しているとは。

 普通、どれだけ強かろうとも、物理力など伴わないはずなのだが。


「まずいでありますな」


 マントで顔を覆うキリオの頬を汗が伝う。

 彼の能力は無敵化。

 それは呪いにも効果を発揮するが、残念ながら、一つだけ例外が存在する。


 視線。まなざし。つまりは、目。

 外部から最も多くの情報を取り入れる目だけは、完全な無敵ではなかった。


 無敵のキリオにとって、魔眼のたぐいは天敵となりうる。

 まさに、今のマリエがそれだ。今の彼女とは、目を合わせてはならない。

 目さえ合わせなければ、キリオは防御面での優位性を保てる。


「だが、マリエ……ッ」


 マントの向こう側に、マリエの声が響いている。

 それは、彼女の元の声からはかけ離れた、低く重苦しい怪物の声色である。


「ダメだ、考えるな。思い出すな。この場を凌ぐことだけを考えろ」


 キリオは自らに言い聞かせてかぶりを振り、右手にガルさんを取り出す。


「ガルさん」

『見ておったが、マズい、アレはマズいぞ、キリオ……!』

「言われんでもわかっているでありますッ!」


 半ば八つ当たりするかのような言い方になってしまう。

 そこに、陰。マリエの巨大な尾が、上から轟音と共に振り下ろされる。


「喰らってはやれんであります!」


 間一髪、横に転がって避ける。

 尾は道路に叩きつけられ、それだけで辺り一面がドシンと揺れる。

 道路だけでなく、壁や近くの建物まで砕け、崩れていく。


「何という膂力……」


 当たってダメージはないが、派手に吹き飛ばされてしまいそうだ。


「「「ひぃぃぃぃぃぃぃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」」」


 幾つものマリエの顔が、断末魔の声にも似た咆哮を場に響かせる。

 目を見ないよう顔を背け、キリオはガルさんに問いかける。


「ガルさん、グーラド・ベリアルとかいう邪剣は、人をあそこまでの怪物に変えてしまうのでありますか。あれが、邪獣(ベリアル)の完成形だとでも……!?」

『いいや、違うぞ。そうではない……』


 声を荒げるキリオに、ガルさんは否という。


『人喰いの刃グーラド・ベリアルは使い手の魂を喰らい、その肉体を邪獣に変質させる。だが、邪獣は使い手の魂によって姿も能力も変わってくる。使い手の魂が純粋であり、力ある魂であるほどに邪獣は強く、そしておぞましい姿になっていくのだ』

「それでは、マリエは――、あの姿は……ッ!?」

『そうだ』


 あまりに認めがたいその事実を、ガルさんはキリオに言って聞かせる。


『マリエの魂がそれだけの力を宿していたから、彼女はあそこまで変質したのだ』

「――――」


 告げられた事実に、一瞬、意識が白く染まる。

 そして直後、キリオ、憤慨。


「何だ、それは。何なのだ、それはッッ!」


 マリエがあそこまで人をやめた理由。おぞましい姿になってしまった原因。

 それは、彼女の魂の力。想いの強さゆえ。つまりは――、


「それすらも、(キリオ)のせいだというのかッ!」


 その場の状況も忘れ、彼は叫ぶ。

 そこに、邪獣と化したマリエがその巨体で全力での突進をしてくる。


「あぁぁぁぁぁぁぁ」「なだざまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」「キリィィィィィィ」「ゥオオオオォォォオ」「さまままままままままッ」「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 直撃。

 キリオの体が、弾丸のような速度で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。


 無論、壁一枚で止まるわけもなし。

 壁を砕き、その先の家もブチ抜き、さらにその先、家屋七軒を巻き込んでいく。

 轟音と共に、幾つもの建物が崩れ、倒れていった。


 距離にして、実に150m超。

 常人であれば一撃で爆発四散するであろう威力だ。


「……マリエ」


 だが、さすがは無敵化をもたらすフラクタイ。

 壊れた家屋の中に倒れながら、キリオ自身は全くの無傷だ。


「ガルさん、確か、魂の力を使い切るまで邪獣は不死不滅でありましたな」


 降り積もった瓦礫を払い、キリオはゆっくり立ち上がる。


『その通りだ、キリオ』

「そして、魂の力を使い切ったら、邪獣は死ぬ。……ガルさん。マリエはあと、どの程度もちそうでありますか。今日一日は生きられそうでありますか?」


 遠くに邪獣の重い足音を聞きながら、キリオはガルさんからの返答を待つ。


『…………』


 しかし、右手の魔剣が返すのは、重苦しい沈黙だけ。

 半ば、それが返答のようなものであったが、キリオはさらに求める。


「ガルさん、答えてほしいであります」

『――わかった』


 ようやく、ガルさんがキリオの質問に答えを返す。


「マリエはあとどれくらいもちそうでありますか」

『もたん』


 簡潔。非常に簡潔。たったの三文字。

 それが、ガルさんからの返答。あまりに無情で、だが納得せざるを得ない、答え。


「ふざけるなァァァァァァァァァァァ――――ッ!」


 だが、納得などできるはずがない。してたまるか。してやれるものか。

 足元から噴き上がる力が渦を巻いて、キリオのマントを大きくはためかせる。

 叫んだ相手は、ガルさんではなく、自分自身。


『酷なことを言うようだが、キリオよ。今のマリエはすでに限界を迎えつつある。今ならば、不死性も半ば失せているはずだ。俺様でも、討ち取ることはできるぞ』


 ここでそんなことを言い出すガルさんは、確かに非情であろう。

 それはひどくキリオの癇に障ったが、キツく奥歯を噛み合わせて暴発を堪える。


「ガルさん」

『キリオ、自分の目的を思い出せ。さっきのマガツラとの会話で、貴様は確かな光明を垣間見たのではないのか? それはもう、形を得たのか? 答えは出たのか?』


 ガルさんが、痛いところを突いてくる。

 マガツラとの会話を経て『真念』に至るための道はおぼろげながら見えた。


 しかし、どうやればそれを実現できるのか。

 明確な答えは、こんな短時間では導き出せていない。まだ自分は、至れない。


『この場を生き延びねば、本当に全てが終わるぞ!?』

「仮に、今ここでマリエを殺したとして、蘇生は可能なのでありますか……?」


 それが可能であれば、不本意この上ないがマリエを討つことも視野に入れる。

 しかし、またしてもガルさんより返事はなく、それこそが、返事。


「わかったであります。あとは、それがしがやるであります」

『オイ、キリオ! 待――』


 ガルさんを収納空間に戻し、代わりに、小さな指輪を右手に取り出す。

 カディナ銀の指輪。

 マリエから預けられたそれに、収納空間から取り出した銀のチェーンを通す。


「それがしは、おまえを諦めんでありますよ」


 即席のネックレスにしたチェーンを首にかけ、彼はマリエが現れるのを待つ。

 足音は、もうすぐそばにまで接近しつつあった。

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