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【連載版】出戻り転生傭兵の俺のモットーは『やられたらやり返しすぎる』です  作者: 楽市
第十三章 怒りと赦しのジャッジメント・デイ

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第327話 終末前日譚/伊集院霧生の告白

 キリオは目を白黒させた。


「サティ、おまえは何を……」


 背を壁に貼り付けて、限界点まで逃げた彼だが、これ以上はもう逃げられない。

 そして、裸のサティが四つん這いでゆっくりと近づいてくる。


 キシ、キシ、と、彼女が近づくたび聞こえる、ベッドの軋む音。

 キリオは、迫る彼女を前にしてゴクリと息を飲んだ。


「私はきっと――」


 明かりのない部屋の中、キリオを壁際まで追い詰めた彼女が、その目を細める。

 そして、とんでもないことを口にする。


「私はきっと、マリエ様を恨んでしまいます」

「な、に……?」


 キリオは、聞き違いかと思った。

 しかしサティの真剣で、だがどこか苦しそうでもあるそのまなざしに悟る。

 彼女は今本当に『恨む』という言葉を口に出した。


「サティ、何故、そんなことを……」

「何故も何もないでしょう? どうしてです、キリオ様」


 縋るようなその声に、キリオはますます追いつめられる。

 サティが言わんとしていることを、彼はすでに見当がついていた。だが、それは、


「どうして、あなたの隣にマリエ様がいるのですか……!」

「サティ……」


 これまで、ずっと目を背けてきたことだった。

 今はそれどころではないと、思考を先送りにし続けてきた話だ。


 サティと、マリエのこと。

 自分が選んだ二人の妻。二人の花嫁。二人の伴侶。


 ここは異世界ではない。

 そしてここには、サティもいる。マリエもいる。二人が同じ時間を生きている。


「私には、あなた一人だけなのに……ッ」


 裸で迫るサティの瞳が、大きく揺れる。

 その泣きそうな顔に、キリオはますます追いつめられる。

 サティをそんな表情にさせているのは、自分のふがいなさに違いなかった。


「マリエ様の存在を知ったとき、私が何を思ったか、わかりますか?」

「それは――」


「私は、あなたに捨てられたのかと……」

「そんなことはない! サティ、それがしは、そんなことは一度も思っていない!」


 あまりな言葉に、キリオは血相を変えて叫ぶ。

 自分がサティを捨てるなど、そんなことは天地がひっくり返ろうともあり得ない。


「わかっています! 私はキリオ様を知っています。だからわかってます!」

「だったら――」

「でも、仕方がないじゃないですか! あなたの隣に、マリエ様がいたんだから!」


 そう言われては、キリオには返す言葉もなかった。

 まさにその通りだ。サティから見れば、マリエと共にいる自分はどう見えたのか。


「浮気でないことだってわかっています。マリエ様はのち添え、私が死んでから娶った人。道義上、私がどうこう言える立場にないことも、わかっています。でも!」

「ああ、そうだな……」


 そんな理屈で割り切れるなら、感情など別に必要ない。

 全てにおいて道理に従っていればそれで事足りる。

 だがそう簡単にいかないから、人間は人間なのだ。そんなことはキリオもわかる。


「納得が、いかないのだな?」

「どう納得しろというんです、私にそんなこと、できるはずがないでしょう!」


 悲鳴じみたサティの声が、キリオの心を打ち据える。

 壁際に追い詰められた現状など生易しかった。この、妻からの糾弾に比べれば。

 だがそれでも、キリオとて彼女に言わねばならないことがある。


「だからといって、何故、マリエを恨む。彼女に何の過失があるというのだ」

「キリオ様は、マリエ様を庇われるのですか?」


「違う、そうではない! おまえが恨むべきは、彼女ではなくこの私ではないか!」

「無理です! 私に、キリオ様を恨めるはずがないでしょう……!?」


 それはまさに、血を吐くような叫びだった。

 サティは苦しげに顔を歪ませて、キリオに向かってなお訴えてくる。


「だってあなたはキリオ様。私の、生涯ただ一人のお人」

「サティ……!」


 彼女の言葉が、キリオの心を深く抉る。その痛みに、彼は呼吸を忘れかける。


「あなたは違ったんですか? あなたにとって、私は……」

「そんなことはない。そんなことはない! 私にとっても君は……! だが……!」


 苦しい。何て息苦しい。

 まるで液化した鉛の中に身を沈ませているような、心が圧潰しそうな苦しさだ。


 このとき、キリオが思い出したのはタマキのことだった。

 自分の姉にして、自らの想いの全てを亡き初恋の人に捧げ、生涯未婚を貫いた人。


 その生き方の善し悪しについては、今は論じるところではない。

 ただ、その強さだけは本物だったのだと改めて思い知った。何という強さだ。


「全ては、私の弱さゆえだ、サティ……」

「例えそうだとしても、私にはあなたを恨むことは、できないんです」


 きっぱりと言われてしまった。

 そして、だからこそサティはマリエを恨むのだ。それしかないのだ。


「私はマリエ様を恨みます。そうしないと、私の心は行き場を失います……」

「……サティ」


 キリオには、サティの痛みの全てはわからない。

 だが、その痛みの一端を感じ、彼女の気持ちを類推することくらいはできる。


 そうすると、もう何も言えなくなる。

 彼女の心の行き場を見失わせてしまったのは、ほかでもない自分自身なのだから。


「だから、キリオ様――」


 言葉を告げられずにいるキリオに、サティがグッと顔を近づけてくる。


「どうか、私を選んでください。私を、再びあなたの妻にしてください」

「君を、私の妻に……」

「そうです。そうしたら、私はマリエ様を恨まずに済みます」


 そう言ってくるサティの瞳の、何と妖しいことだろう。

 それを告げる唇は唾液に濡れて、少ない光源を受けてかすかな艶を見せている。


 キリオの目の前に差し出されたその裸体は、もはや言わずもがな。

 少し手を伸ばせば、すぐにキリオの指先に触れる。そして彼女はそれを拒まない。


 むしろ、積極的に自ら彼へと身を寄せてくるだろう。

 若さゆえか、この先の展開を予想して、キリオは生唾を飲み込む。


「キリオ様ァ……」


 何とも悩ましげな、サティの自分を呼ぶ声。

 その声が耳を通って脳髄に突き刺さり、キリオの理性を激しく軋ませる。


 元より、彼女は自分にとっても一生に一度の相手と思った女性。

 その彼女が、自分に対してこんなにも惜しげもなく媚態を晒しているのだ。


 キリオとて男。何も感じないはずがない。

 この激流の如き成り行きに身を任せてしまおうか。

 そんな考えも心の中にはないでもない。人は、いつでも清らかではあれないのだ。


「サティよ――」


 だが、このあとどうなろうと、今の彼には確かめねばならないことがあった。


「どうして、今なのだ……?」

「キリオ様?」

「何故、今なんだ? この場にはマリエもいないのに、どうして今、それを言う?」


 納得がいかないといえば、キリオはそこが納得がいかなかった。

 サティが言っていることはわかる。自分も考えるべきことではある。わかる。が、


「こんなやり方は、まるで不意打ちではないか……!」


 本来は、マリエも交えて三人で話すべきことのはず。

 それがどうして、マリエがいない場で、しかもサティは己を釣り餌にしてまで。


「…………」


 キリオに指摘されると、サティはその唇を引き結んで黙り込んだ。

 その様子を見るに、自分でも不意打ちをしている自覚はあるようだった。


「まだ、何も終わっていないのだぞ? あの『キリオ』を打倒できたワケでもない。マリエを救えたワケでもない。私達は、今だ何も成し遂げられていないのだぞ?」

「できます。キリオ様なら、必ずや成し遂げられますよ」


「どうして言い切れる? 私はまだ、己の『真念』に至れていないのに……!」

「大丈夫ですよ」


 サティが、キリオに向かってニッコリと微笑んで見せる。


「今日だって、確かな兆しがあったではないですか。だから大丈夫です。キリオ様なら『真念』に到達できます。あなたは、世界で一番強いお人だから」

「サティ……ッ!」


 キリオは愕然となった。気づいてしまった。

 彼女は、キリオが『真念』に至れる寸前であると思い込んでいる。


 もしかして、それがきっかけなのか。

 思い詰めていた彼女がこんな行動に及んでしまった引き金は、それなのか。

 自分が『真念』に至る兆しを目にしてしまったことが――、


「だとしたら……」


 ああ、何というすれ違い。まるでボタンのかけ違いだ。

 あの『兆し』があったからサティはキリオの勝利を確信したということなのか。


 だから、これからのことに意識が及び、マリエへの悪感情を発露した。

 サティは、今までそれを胸の奥にずっと封じ込め続けていたのではないだろうか。


 だがそれも限界が来て、彼女はこんな行動に出た。

 そのきっかけは、キリオが見せた『真念』到達の『兆し』だったのだろう。


 しかし実際は違う。全く違っている。

 あの『兆し』があったからこそ、キリオは『真念』に至れないという確信を得た。


 もちろん、それをサティに察しろというのは無理だ。無体が過ぎる。

 だが、もっと早くそれを彼女に教えていたら、何かが変わっていたかもしれない。

 そんな、今さらどうしようもない後悔が、キリオの胸に波濤の如く押し寄せる。


「違うんだ、サティ……」


 そして彼は、ここでサティに打ち明けることにした。言わないワケにはいかない。


「何がですか、キリオ様。……キリオ様?」

「私はおそらく、このままでは『真念』に至れない。至れないまま終わってしまう」

「え――」


 やはりというべきか、キリオの告白に、サティは表情を凍てつかせる。


「私は、怖いんだ」

「こ、怖い、ですか……?」

「そうだ。私は、私が『真念』に至ることを恐れている。それによって、自分がおぞましいものに変わってしまうんじゃないかと、ずっと想い続けているんだ……」


 改めて口に出してみると、どうにも恥ずかしいことを語っている。

 要は『自分はとてもビビってます』と言っているに過ぎない。これは恥ずかしい。


「で、でも、確かに『兆し』が……」

「そこまでしか行けないのだ。今の私は『兆し』を見せるまでが限界なんだよ」


 その先に行こうとすれば、否応なしに己の深淵を直視する羽目になる。

 それが、できないのだ。

 己の本性に対する恐怖が迸って、キリオの心を縛って動けなくする。


「な、そんな……」

「どうすればいいのか、ずっと考え続けている。だが、未だに光明は――」


 言っているうちに、情けなさから自己嫌悪に陥りそうになる。

 サティは、表情も言葉も一切なくして、ただただキリオを見つめるばかり。


 その視線に耐え兼ねて、キリオは顔をうなだれさせようとする。

 怒声は、そのとき彼の耳をつんざいた。


「――何を、弱気なことを言っているのですか!」


 サティは真っ白だったその顔に強い憤りに歪めて、キリオの胸ぐらをグイと掴む。


「あなたは何を言っているのです! 怖い? 自分の『真念』に至るのが、怖いですって!? 何を情けないことを……、あなたはキリオ・バーンズでしょうに!」

「サ、サティ……!?」


 彼女のいきなりの激昂に、キリオは驚き、咄嗟に反応することができなかった。


「私の知っているキリオ様は、何者にも屈さない強きお人。それが、自分の本性を知るのが怖いだなんて、そんなつまらないことに臆するようで、どうするのですか!」

「つまらない、ことか。そうだな……」


 胸倉を掴まれて激しく揺さぶられながら、言われた言葉にキリオは納得する。

 確かにその通り。こんなことを恐れる自分は、ひどく怯懦な人間だろう。


 サティが望む『世界で一番強いキリオ・バーンズ』には、程遠い存在だろうとも。

 だが、根底に刻まれた恐怖は今も変わらず、彼を蝕み続けている。


「そうだな、ではありません! どうして言い返してくれないのです! 何で『そのくらいどうにでもなる』と言ってくれないのですか、キリオ様!」

「サティ、私は……」


 できれば、そう言って彼女を安心させてあげたい。

 しかし、それができないからこうなっている。それができないから、困っている。


「キリオ様――」


 サティが、泣きそうな顔になりながらキリオを睨みつけている。

 それに、キリオはかけるべき言葉も見つけられずにいる。

 顔と顔を突き合わせたまま、二人の間に時間が流れる。そして、サティが言った。


「マリエ様、ですね……」

「な、何……?」

「マリエ様があなたを弱くしたのです。あなたを、私のキリオ・バーンズを!」


 何を言い出すのかと思った。

 そんなこと、あるはずがない。マリエが自分を弱くしたなんて、あるはずが……!


「――許さないッ!」


 そう言って、サティはキリオの胸から手を放して、クルリと彼に背を向ける。


「サティ、おい……!?」


 呆気に取られているキリオを放って、サティは裸のまま部屋を出ていった。

 明かりのない部屋に一人残されて、彼はしばし、放心する。


「……ッ、そうだ、追わなければ!」


 数秒して我に返り、キリオも寝室を飛び出す。

 すでに、サティは外に出ているようだった。部屋の中に気配がない。


「どこに行くつもりなんだ、あいつは……!」


 強く唇を噛みながら、キリオも部屋を出ていった。

 時刻は、午前二時を回ろうとしていた。

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