第326話 終末前日譚/綾村幸の切望
――ラララと別れた直後までさかのぼる。
「それがし達も一度戻るでありますかね……」
ラララが一度帰宅するというので、キリオもそれにならおうかと考えたが、
「ええと、キリオ様、戻るといっても、どこに……?」
「あ~……」
サティに指摘されて、キリオは小さく呻く。
戻るといってもどこに戻ればいいのか。
自宅である伊集院の家は、あの『キリオ』に乗っ取られているだろうし――、
「もしかしてキリオ様、行く宛が……?」
「フフフ、表現を控えめにしてくれた配慮に感謝でありますよ、サティ」
だが、表現をマイルドにしたところで、キリオの実情は変わりはしない。
キリオ・バーンズ、現状、正真正銘の家なき子である。
「う~む、それがしは別に野宿でも構わんでありますが、サティがなぁ……」
「…………」
腕を組んで考え込んでいるキリオ。
その傍らで、サティがちょっと俯いてもじもじし始める。
「どこかネカフェ辺りで一晩、というのも健全とはいえぬでありますなぁ……」
考え込むキリオ。
もじもじしているサティ。
「いっそホテルに――、いや、ううむ。今から探すとなると手間か……?」
考え込むキリオ。
もじもじしているサティ。
「あ、サティだけサラ殿の部屋をお借りして、それがしは野宿――」
名案とばかりに、キリオがポンを手を打とうとする。
意を決したサティが口を開いたのは、まさにそのときのことであった。
「あの、キリオ様ッ!」
「ぉわぅ!? びっくりしたであります!」
サティにしては珍しい、上ずった声での切り出しに、キリオがビクッとなる。
「あの、あのですね、あの……」
「どうしたでありますか、そんなトイレに行きたそうな感じになって」
「お、おトイレはさっき済ませました! って、何言わせるんですか、もう!」
「あっ、す、すまんであります!」
叱責をくらって反省するキリオに、サティはさらに一度、二度と深呼吸。
そうしてやっと、本題に移る。
「よろしければ、私のお部屋に来ませんか?」
「へ? サティの部屋でありますか……?」
「はい、その、ここからそう遠くもないので。あの、マンションです……」
サティが自宅として使っているマンション。
なるほど、ちょうどいい。
と、キリオは最初はそう思うのだが、何やら落ち着かないサティを見て気づく。
――今、自分は、一人暮らしの女性の部屋に招かれている!
気づいた途端、キリオの動きが一気にぎこちなくなる。ギギギギ、みたいな。
「あ、ぁ、あ~、なるほど~! サティの部屋でありますか~!」
と、言う声もサティ同様上ずっているし、おまけに目がメトロノーム化している。
「キリオ様、あの、そ、そこまで露骨に意識されると、えぇと……」
「わかっているであります、サティ。それがしもわかってはいるであります」
やましいことなど何もない。自分はキリオで、サティは自分の妻だ。
そんな二人の間に、今さらいかがわしい要素が介在する余地などありはしない。
「でも、であります」
「はい……?」
「今現在のそれがしは健全な高校二年生で、サティは大人のおねーさんであります! それもまた、揺るぎなき事実! シチュがヤベェでありますよ、シチュがッッ!」
「力強くシチュとか言わないでください!?」
何なら、キリオは力強く拳を握ったりもしていた。
「……キリオ様はそういったことに興味はおありなのですか?」
「風紀委員してる手前、あけっぴろげに『ある』とは言いにくいでありますなー」
「つ、つまり誰にも見られなければ……?」
「サティ? 夫にいわれなきムッツリの罪を被せるのはやめるでありますよ?」
何なら、夫をムッツリ扱いしたサティの顔は、これ以上なく神妙だった。
「とはいえ、それがしも今は高校生でありますからなー」
「興味あるんですね。そういうことですよね」
「何故そこまでしてそれがしから言質をとろうとするのだ、サティよ……」
だが、近くに彼女の家があるというのならば、ちょうどいいのもまた事実。
「それではサティのお部屋にご厄介になるでありますかね」
「はい、キリオ様! あ、でもお洋服……」
「まだ時間的には店も開いてるでありましょうから、帰りがけで買うでありますか」
言って、キリオはサティに自分の右手を差し出す。
「そうですね、キリオ様」
サティもその手を取って、二人は特に意識することなく手を繋いで歩き出す。
食事は、買い物中に外で済ませた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
サティアーナ・ミュルレこと綾村幸の家は、非常に掃除が行き届いていた。
多少の生活感は感じさせつつも、玄関もリビングも清潔で、全く見苦しくない。
サラ・マリオンの部屋と比べれば狭いが、それでも一人暮らしには十分だ。
玄関には花が飾られており、どの部屋にも観葉植物が一つは置かれているという。
リビングの窓際にも、幾つも花が飾られていた。
全て、サティが手ずから世話をしているのだという。
「見た目の華やかさは、この部屋の方が上でありますな」
「そ、そうですか……?」
リビングを見たキリオの感想に、サティは軽く握った手を口に当てる。
それが喜びの表情であることはキリオも知っていた。
「おお、本棚がこんなに。やはりサティは読書家でありますな」
「読書は私の趣味ですから」
「ふむふむ、ビジネス書に哲学書、趣味の本に経済の本、ラノベに漫画、と」
「雑食な方でして、割と何でも読むんですよね……」
見られて恥ずかしいものでもないが、何となく照れくさそうなサティだ。
「なれらぁ系も結構多いでありますな」
「そうですね。読んでみるとなかなか面白いものも多かったですよ」
「あとでおススメを教えてほしいでありますね」
「え、いいんですか。そうですね。まずはやはり――」
「あとで、あとでであります! 早口になるのが透けて見えてるでありますよ!」
暴走が始まる前に、キリオはストップをかけた。
そして、二人はリビングにあるソファに座り、何とか落ち着く。
「本日もお疲れさまでした、キリオ様」
「サティこそ、お疲れでありますよ。『無力化の魔剣』の効果もだんだんと薄れてきているようでありますね。本当に、何よりでありますよ」
キリオが嬉しそうに笑う。
おとといの夜、あの『キリオ』がサティに突き立てた『無力化の魔剣』の模造品。
全ての能力を封じるその効果も、だいぶ消えつつあるようだった。
「はい、何とか飛翔の魔法くらいなら使えるようになりましたし」
「異面体などはどうでありますか……?」
「それは、まだ使えないみたいですね。使えても大して役には立ちませんが」
とはいっても、サティが使う異面体はそう強いものではない。
自分の咲かせたい花をその場に咲かせるだけという、戦闘能力皆無の異面体だ。
サティの異面体は、その名を『華御月』という。
一応、毒花を咲かせるなど応用も効くが制限も多く、到底強い能力とは呼べない。
「それがしは好きでありますよ、サティのハナミヅキは」
「そいえば、聖騎士団の皆様を招いての宴の席でよく披露させられましたね」
「う……ッ」
ギクリ、という感ありありでキリオが呻く。
「私、あまり自分能能力を見世物にしたくないとお伝えしていたのに」
「その節はすまんであります!」
「別にいいですよ、謝らなくても。というかですね――」
頭を下げてくるキリオに、サティはフッと笑いながらも、
「そうやって、簡単に人に頭を下げるものではありませんよ、キリオ様」
「しかしだな……」
「別に私は怒っていませんから。それよりも、私は弱いあなたを見たくないのです。常から言っておりますが、私はいつだってあなたに強くあって欲しいのですよ」
その言葉はずっと変わらないサティの願いだ。
出会った頃から今に至るまで、彼女はそうやってキリオを叱咤激励し続けてきた。
「……うむ」
キリオがやや真剣な面持ちでうなずいた。
それを了承と受け取って、サティもうなずき返して、ソファから立ち上がる。
「何か、お飲み物をお持ちしますね。リクエストはありますか?」
「麦茶か緑茶があれば」
「確かかと思うので、ご用意しますね」
「ありがたく頂戴するであります」
二人だけの夜は、特に何事もないまま過ぎていった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ベッドは、一人で寝るには随分とサイズが大きかった。
二人でも悠々寝そべられるくらいの大きさがある。これ、普通にダブルでは?
「……あー、そういえばサティは寝床は広い方が好きでありましたな」
異世界でのことを思い出して、キリオはそれを思い出す。
寝室には彼一人。風呂を借りてさっぱりして、新しく買ったパジャマを着ている。
今日は、風呂にサティはやってこなかった。
おかげで本日は一人でのんびりと風呂を堪能することができた。
現在、サティは部屋に飾ってある植物に水をやっている。
それが寝る前の日課なのだという。実にサティらしいとキリオは思った。
時計を見れば、日付が変わっていた。
これで、残り時間はついに24時間を切った。
「……焦るでありますなぁ」
焦燥に心がジリジリと焼かれていくのを感じる。
今さら焦っても仕方がないとはいえ、人である以上はどうしようもない部分だ。
それに、キリオには新たな悩みが生じていた。
「サティには、言えんでありますよなぁ……」
自分はこのままでは『真念』に到達できない。
そのことを、キリオはまだサティに明かしていない。言い出せずにいるのだ。
キリオの中にある迷い。自身の本質に対して刻みつけられた、深い傷跡。
それを乗り越えることで、きっと自分は『真念』に至れる。
その道筋ははっきりと見えている。
見えてはいるが、しかし、手を伸ばしても届かない。掴めない。
一体、どうすればいいのか。どうやれば自分はそれを手中に収められるのか。
何をすれば、どうやれば、この、自分の心の奥底に救う恐怖を取り除けるのか。
わからなかった。
どこまで考えても、糸口すら見えない。
そして、そんな自分の事情をサティには知られたくなかった。
全ての元凶が己の弱さであることを、キリオはこれ以上なく痛感している。
もはや自分一人ではどうしようもない。
そんな結論にすら至りかけているが、さすがにそれは弱気すぎると自分でも思う。
そうして悩み続けているうちに、一日が終わってしまった。
指定した『最終決闘』の時間まで、残り十九時間。
猶予が、いよいよなくなりつつある。どうすればいい、どうすれば……。
「……うむぅ」
ベッドの上に寝そべり悩んでいると、不意に、部屋の明かりが消えた。
「ん? 何が……?」
急に部屋が暗くなって、キリオは驚いて身を起こす。
すると、部屋のドアが空いていることに気づく。そこに、サティが立っている。
部屋の外は明かりがついていて、サティを後ろから照らし出している。
キリオから見ると、白い背景の真ん中がサティの形に切り取られているようだ。
陰影が濃くてよく見えないが、彼女はバスローブを着ているようだった。
はて、さっきまで、そんなものは着ていなかったような……?
「サティ?」
「――キリオ様」
聞こえた声に、キリオは背筋をゾクリとさせる。
何とも艶めいた、蠱惑的な響きを持った声だった。これがサティの声、か?
「キリオ様、私を、見てください……」
同じく、妖しい色香をその声に漂わせ、サティがバスローブの帯を引く。
するとローブがハラリとはだけ、彼女はキリオが見ている前でそれを脱ぎ捨てる。
「サ、サティ……!?」
サティは、裸だった。
十分に成熟した大人の女の肢体が、キリオの前に惜しげもなく晒される。
陰になって全ては見えないが、だからこそ、その姿は男の劣情を掻き立てる。
キリオはすでに知っている。
サティの乳房がどれほど大きく、豊かであるかも。
その腰回りがどれだけ細く、そこから伸びる太ももがどれほどなまめかしいかも。
ベッドの上で固まる彼へと、裸のサティが歩み寄る。
そして彼女がベッドに乗ると、キリオはハッと我に返って隅っこに避難する。
サティが四つん這いの体勢でそれを追いかける。
当然、彼女の乳房は重力に従うワケで、それを見てしまったキリオがビビる。
おっきいおっぱいが、見事にWの字を描いているッッ!
「キリオ様……」
「サ、サティ。おまえ……」
何だこれ。何だこれ。何だこの状況。何だこれ。
壁際まで追い詰められたキリオの中で、ひたすら疑問符が渦を巻く。嵐となる。
「もう、逃げられませんね、キリオ様」
薄闇の中、微笑むサティが顔を近づけてくる。
彼女の熱い吐息に首筋を撫でられて、キリオの心臓が派手に高鳴った。
「ど、どういうつもりでありますか、サティ?」
全身を大量の汗にまみれさせ、キリオが裏返った声で妻に問う。
すると、サティはその潤んだ瞳に壁に背を預けるキリオを映して、言った。
「――私を選んでください、キリオ様」




